30 days
「大丈夫だって言ったでしょう」
心の底まで冷たいような声で、彼女が言う。視線すら合わない。穏やかな性格の彼女は、言い争いになるとまったく容赦がなかった。
「熱あったやろ」
「心配してくれてありがとう。だけど今日は休めないから」
いつもなら柔らかな笑みを浮かべてくれるだろう内容。すれ違うときに髪が香りを残した。パンプスを履き、彼女が振り返る。光の薄い瞳。
「何もしなくていいから、気を付けて帰ってね」
「でも、」
「それじゃ」
いつもなら。彼女が仕事に出た後、洗い物や場合によっては洗濯物を片付ける。それも拒否されているということに情けなくも辛くなる。送り出す際、離れがたくてキスをするのも恒例だった。それもない。
ぱたん、と無情な音がする。ドアが閉まって静寂を連れてきた。
「空、」
いまドアを開けて追いかければ間に合うかもしれない。けれど足は動こうとしなかった。
今朝、空に熱があったのだ。当然心配して仕事を休むように言った。些細な言動がいつしか言い争いになり、先ほどの冷え切った会話へ発展してしまった。
自分も悪かったのだと、今になってわかる。彼女を心配していたのは間違いないのだが。社会人である彼女と、学生である自分。そこにどうしようもない寂しさを感じていたのは確かだ。彼女に置いて行かれている気がしている。勝手な思い込みは昨日今日急に生まれたものではない。
彼女に謝るべきだ。勢いとはいえ酷く責め立てるような言い方をした。謝って、きちんと看病して、あの柔らかな笑みをもう一度向けてもらいたい。――そう思っているのに、
どうしても。いま追いかけたくなかった。