Welcome to Bar Calm | ナノ
部屋の床に敷いた新聞紙の上、ギコギコと音を立てて、木材をカットする。
専門用語で弦架鋸(つるかけ)という、いわゆる弓型のノコギリに触れるのは多分、短大以来だ。
「もうちょっとかなぁ…」
親指と人差し指で摘まむ"m"の文字。
全体のバランスを見たくて遠くから眺めてから紙ヤスリを手に取って、カーブと文字の終わりのはねが綺麗になるように少しずつ削っていく。
うん、なかなか良いんじゃないかな。
イメージ通りに表現出来た事に、顔が綻んでしまう。
新聞の上、並べられたCalmの立体文字。
筆記体のフォントを参考に、自分なりにアレンジしたけれど、なかなかあの雰囲気に合ってると思う。

木目板に、店名以外にOpen、Closed、そして数字とコロン、作った一文字一文字を並べていく。
バランスも見てもらわなくちゃなぁ、と考えたと同時に音を立てたタブレットに、視線を落とした。
取引先からのメールなのにその画面を開いた事で更にニヤけてしまう。
表示された画像の"冨岡義勇"という4文字もそうなんだけど、白地に左上と右下の角、穏やかな水面を表すディープブルー。
中央には漢字とローマ字の筆記体も同じ色で綴られている。
私が持つバーマンさんとCalmのイメージそのものだ。
この下にホームページのアドレスを載せたらシンプルで良いかも知れない。
名札はどんな風に出来たんだろう?
もうひとつの画像を開いて
「…うん、カッコイイっ」
つい独り言が出た。
名札を付ける事に、あんまり気乗りしてなかったから余り目立たないようベースは横長の小さめなサイズにして、地色もスーツに馴染むよう黒にした。
"G.Tomioka"と流れるような筆記体がディープブルーで書かれていて、その下にはオレンジのラインが引かれてる。

バーマンさん、気に入ってくれるかなぁ?

期待に胸を弾ませながら、木で出来たCalmの文字を眺める。
そういえば、バーマンさんと連絡先の交換してない。
知っていればこの画像を送って確認して貰えるんだけど、いくら何でも教えてくださいって言うのは図々しいと思われちゃうかな?
今日は休みだし、用事もないのにわざわざ会社の方まで行くのもなぁ。
ううん、用事はあるにはあるんだ。
この画像を見せに来ました〜って。
きっとバーマンさんはそのついでにカクテルを呑みに来たんだろうとしか思わないと思う。

会いたいなぁ。

頭の中にその姿を思い浮かべて急に高鳴る胸に、会いに行こう。そう決めた。


Welcome to Bar Calm


そうと決まれば、この看板の下地を完成させよう。
押入れの中にしまいっぱなしだった塗料一式を出してから使える事を確認してハケを手に取った。
完全に木目を消したいから、まず透明なオイルステインから塗っていこう。

久し振りに物を造るっていうのをしたけど、やっぱり楽しい。
どうやったら頭の中で浮かんでるものをそのまま表現出来るかとか、考えて悩んで出来た時の達成感がすごく好き。

半分くらい塗り終えた所で
コンコン
扉を叩く音が聞こえたけど、どうせ母親だろうとステインを塗っていく手も目も動かさない。

「アンタねぇ、昨日、洗濯物持っていってって言ったのにリビングに置きっぱなし」
「あ、ごめーん」
ベッドに乱雑に置かれる洋服だけがちょっと見えた。
「…ってクサッ!何このニオイ!また何か作り出したの!?」
「うん、ちょっと」
「そういうのやる時は換気してからにしなさいっていつも言ってんでしょ?」
「ごめーん」
窓を全開に開けられたのを、流れてきた風だけで感じる。
「お昼どうするの?」
「…あー、うん。いいや」
「久し振りにやりだしたと思ったら、ホント変わんないのね」
溜め息を吐くと出て行こうとする背中に「あ」と声を上げてから見た。
「お母さん、私今日夕飯もいらないから」
振り向いた表情がちょっと怒ってる。
「アンタ、ダイエットでもするつもり?だったら食べないんじゃなくて動きなさいよ」
「違うよ。夕方になったら出掛けるの」
「何処に?」
「いつもの行きつけのお店」
そう言って手元に顔を戻すとまた丁寧にハケで"a"の文字を塗っていく。
「わざわざ休みの日まで行くの?何で?」
「何でってそこの店長さんに用事があるから」
「…アンタ最近ずっとそこに入り浸ってるけど何か如何わしい店とかじゃないでしょうね?」
「うるさいなぁ、違うよ!」
ほんとやだ。お母さんのこういう所。
キッと睨んでから言葉を続けた。
「最近開店したばっかだから色々手伝ってるだけ!しかも主任が連れてってくれたお店だし!」
心配してるってのはわかるんだけど、何か…バーマンさんが悪く言われてるみたいですごいやだ。
「…そう。主任さんの紹介なら大丈夫ね」
何か知らないけど、母にとって主任は絶対的な信頼があるらしい。
多分姉御肌だからとか、そういう裏表がない感じからなんだろうけど。
「でしょ!?」
ホントに話もロクに聞かないで勘違いし始めるんだから、と溜め息を吐く前にギュッと抓まれた左頬。
「いっ!」
「アンタ、誰に向かってうるさいって言ったのかしら?」
やっばい、めちゃくちゃ顔が怖い。
「ごめんなひゃい…撤回ひまひゅ…」
引っ張られる頬に我慢できずすぐにそう言えば手が放された。
「素直でよろしい」
ニッコリ笑った母はやっぱり怖いと思い知る。
「夕飯は?その店で食べるの?」
「あー、ううん。途中で何か買うか食べてから行く、かなぁ?」
「それなら何か作っといてあげるから、出る前に食べていきなさい。お金勿体ないでしょ?」
でも、こういう所は優しいなぁ、とか思う。
「…ありがと。お母さん」
返事はなかったけれど、パタンと優しく閉まったドアから視線を戻して、今度は"l"の文字を手に取った。

* * *

下地まで出来た看板候補が入った紙袋を抱えながら、地下へ続く階段を下りる。
その扉が開け放たれたままになっているのに気付いて、中の様子を窺ってみても、誰も居ないし気配もしない。
もう開店時間だよね?と一応確認してみても18時はちゃんと過ぎてる。

「退いてくれないか?」

急に背後から聞こえた声にビクッとしてしまった。
振り返った先には段ボール箱を高く抱えたバーマンさん。
真っ直ぐ前を見られないせいかその側面から顔を覗かせてる。
「…え!?あ、ごめんなさい!」
完全に立ち塞がってしまっていたのに気付いて店の中に入ると横へずれた。
そのまま扉の敷居を潜ろうとするバーマンさんに
「あー!ちょっと待ってぶ」
つかると言い終わる前に上枠で閊える一番上の段ボールの脇へ手を伸ばして必死に支える。
間一髪、倒壊は免れたけどこのままどうしたら良いかわからなくなってしまった。
「…一度下ろしたい。そのまま支えていてくれないか?」
「了解です」
ゆっくりと腰を屈めるバーマンさんの動きに合わせて、私も伸ばしていた背を徐々に戻していく。
段ボールが床に着地する頃
「…はぁ〜」
安心感から重い息を吐いていた。
「助かった」
段ボールと扉の隙間を擦り抜けて店内に入っていくバーマンさんはそのまま段ボールを2箱纏めて運んでいく。
手伝おうと残った2つを持ち上げようとした所で、かなり重い事に気付いた。
せめて1つでも、と力を入れた私の左肩にそっと触れた温かさに振り返ってから、それがバーマンさんの手だと知る。
「良い。座ってろ」
それだけ言って2つ分の箱を軽々持ち上げると裏方へ消えていく背中に、凄いなぁと思いながら、いつもの席に腰掛けた。
奥からガサコソ聞こえる音に少し声を張り上げる。
「あのーバーマンさーん?扉閉めた方がいいですかー?」
「頼む」
短い返事に一度席を立ってから扉を閉めた。
そうして戻る間には、バーマンさんもカウンターの中に戻っていて、いつものように向き合えたのが嬉しくなる。

「何運んでたんですか?」
「カクテルグラスだ」
「え?あれ全部?」
「業者から安く仕入れた。バーマン仲間と分ける予定でいる」
「へー。じゃあ…、倒れなくて良かったですね」
しみじみそう口にしていた。
あのままだったら大惨事になっていたのは間違いない。
「あぁ。名前が居て良かった」
柔らかく微笑む紺碧の瞳に、心臓がどんどん速くなっていく。
そのままの意味なのはわかってる。
わかってるんだけど、嬉しいと思う気持ちは止められなくて、弛んでしまいそうになる口に力を入れた。
「それでですね、名刺と名札のイメージが出来たんです!これなんですけど」
タブレットを取り出してひとまず名刺の画像を見せる。
無言で受け取った左手と、操作する右手を眺めながらバーマンさんから返ってくる反応をただ待った。

「この名前の色だが」
「はい」
「漢字かローマ字、どちらか橙に変更は出来ないか?」
「出来ますよ。どっちがいいですか?」
「名前はどちらが良いと思う?」
「…んー、ローマ字かなぁ」
主体、と考えるとそっちの方がやっぱりそっちの方が統一感が出る気がする。
「ならそれで頼む」
タブレットを返してくるのを受け取ってから
「わかりました。で、次に名札なんですけど」
次の画像を開く。
「こんな感じです」
もう一度バーマンさんへ差し出しそうとした時には既に手を洗い始めていて、画面を見せるだけに留めた。
視線を向けたかと思えばすぐに
「名前と下線の色を逆にしたい」
そう言われて頷く。
「わかりました」
すぐに言われた内容をメールに打ち込んで、一度手を止めた。
「あ、もう一度イメージ確認してからがいいですか?それともこのまま」
「作成に進んでもらって構わない」
「じゃあそうやってメールしときますね」
んーと、何て打とうかなぁと考えながら丁寧に言葉を打ち込んでメールを送信した。
「それだけのためにわざわざ休みの日に来たのか?」
「あー、いや…、はい、そうです。あとコレを見せようと思って…」
紙袋を漁って、さっき造ったばかりの下地をテーブルへ出した。
「看板なんですけど、こういう感じにしてみたらいいかなぁって」
縦30cm、横40cmの大きさにした木板の真ん中に"Calm"と置いてから左斜め上へ"Bar"のスペルを並べていく。
「…お前が作ったのか?」
その言葉で顔を上げれば、ちょっと驚いてる表情をしてるバーマンさん。
「業者に頼もうと色々調べたんですけど、本格的なものはやっぱり高いし納期が掛かるんです。イメージ付けは最初が重要なんで、簡易的にでもこう、シンボルカラーは定着させたいなぁって」
下の位置で"Open"と"18:00"を一文字一文字置く。
「レイアウトは後々変えられるから、とりあえずはこんな感じで、希望の配色を訊きたいんです」
"Closed"まで並べ終えてから正面がそちらに向くように180℃角度を変えた。
洗い終えた手をペーパータオルで拭きながらじっと見つめる瞳を気付かれないように眺める。
「器用だな」
「バーマンさんの方が器用ですよ絶対。リンゴだけで立体造形ものパパッと作っちゃうんですもん」
「今だからそう見えるだけだ。俺は元々手先が器用な人間じゃない。技術を習得するまでだいぶ時間を要した」
それだけ言って自分の両手を見つめる表情が何を考えているのかはわからない。
けど…。
「パパッと作ってるように見えるまで努力したから凄いんですよ!」
乗り出してしまった身体に気付いたけど、此処で引くわけにはいかなくてそのまま続ける。
「最初からあんな凄いの完璧に作れるなんて私も思ってません!バーマンさんが凄い努力した結果なんだろうなって!だからこそ今のその器用さが凄いんだって思うんですけど!バーマンさんもそう思いませんか!?」
紺碧の瞳が完全に驚いていて、しかも返事に困ってるのがわかるけど、こうなったら止まれない。
「普通はそこまで頑張れないんですよ!だから凄いんです!」
いつの間にか胸の前で拳を握り締めていたのに気付いてそれを弛めた。
ちょっとウザかったかな、と黙り込んだままのバーマンさんから顔を下へ向けたと同時
「それなら名前のコレも同義という事だ」
掛けられた言葉にその視線を追う。
「…あー、私のは趣味の延長だから意味はないんですよ。バーマンさんみたいに仕事に活かせる訳じゃないし何の役にも立たな「今正に有用性を遺憾なく発揮している。それに俺に対して発した言葉とだいぶ矛盾しているが、その辺についてはどう考える?」」
う…、と小さく唸ってしまいそうになった。
バーマンさんって普段はほんと凪みたいに穏やかなのに、たまにこうやって急に容赦ない高波を被せてくる時がある。
今のが私に対する気遣いなのはわかってるんだけど
「あ、そういえば!注文忘れてた!」
居た堪れず思い付いたように声を上げて話題を変えた。
「…そうだったな。何を呑む?」
不自然と感じてるんだろうけど、それに対して自然に返してくれるのもバーマンさんの優しさなのかな。
「うーん、どうしよう」
いつもの電子ノートを取り出して画面と睨めっこをするふりをして稚拙な木材を見つめる。
私とバーマンさんが同じなんて…。
「シンデレラの他にもノンアルってあるんですか?」
「幾つも存在する」
「じゃあ今日はノンアルにしようかなぁ」
「体調が芳しくないのか?」
「元気いっぱいです!でも看板の事とか今日中に決めちゃいたいから」
「…そうか。わかった」
短く答えるとすぐに手元を動かし始めたバーマンさん。
あ、これはオススメを作ってくれるんだと、期待に満ちていく気持ちを抑えながらただ待つ事にした。
暫くしてミキサーを稼働させるカウンターの下、好奇心に負けて覗き込もうとする前に出されたのはソーサー型のシャンパングラス。
真っ白のシャーベットは、まるで降り積もった雪が融けかけているような、そんな情景が過ぎった。

FrozenMargarita
元気を出して