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カリフォルニア・レモネードが3分の1まで減った所で、ひとまずのシンボルカラーはディープブルーでいく事、そしてその濃紺に補色を入れる事の許可は取った。 「ほしょく?」と訝し気に訊かれたから、それが補う色と書くというのを説明して、要はお互いがより鮮やかに見え、映えるような相対色だと拙いながら説明したら、それは何色かと訊かれたのでオレンジと答えた所、意外と気に入ったみたい。 でもまぁ、夕凪という言葉もあるしイメージ的にそこまで相違がある訳でもないから良いのかな。 名刺と名札のデザインはまた明日にならないと進められないからと、今度は看板のイメージに移ろうとした所で、カランコロンと音を立てた扉に、お客さんだ!と期待を込め振り返った先 「あ、やっぱ居た〜!お疲れ苗字ちゃん!」 主任の笑顔に嬉しいやら残念やら、複雑な表情をしてしまった。 Welcome to Bar Calm 「な〜にその顔。アタシじゃ役不足だった?」 そう言いながらさして気にした様子もなく左横に腰掛ける主任に、バーマンさんはおしぼりを軽く広げると差し出す。 「ありがとうございま〜す!…ん〜ベルガモットの香りね」 一瞬で名前が出てくる主任はほんとすごいと思う。 ベルガモット、なんて単語を人生で口に出す事そんなになさそうなのに。 「今日はそうね〜。ジョン・コリンズお願いしま〜す」 「承知した」 短く答えてこちらに背を向けるバーマンさんを眺めようにも 「で?ここんとこ熱心に通ってるけど、何かあるの?」 主任の言葉に視線を逆方向に向けるしかない。 「…え!?」 「だって苗字ちゃん、今までと心構えが違うわよ?前は終わらないなら残業してもいっか〜って感じだったのに、今は残業なんてしてたまるか!って気概が見えるもの」 言葉を詰まらせた私に主任はフフンと笑うとおしぼりを綺麗に丸めてカウンターへ置いた。 「まぁ、上司としては?それくらい熱心になってくれた方が助かるんだけど。この間も営業部の係長が苗字ちゃんの事仕事が早いって褒めてたからここぞとばかりに貴女のアピールしといたのよ〜。アタシとしては鼻高々」 主任のこういう所も、まぁ嫌いじゃないっていうか、うん、好きな所だと思う。 「で?そうまでして此処に通う理由はっ?」 手を添えて近付けてくる右耳に、主任には相談しても大丈夫かも知れないと言葉を出そうとした時、紺碧の瞳を捉えて息を止めた。 いつもは余り変わらないその色が、今この時ばかりは、ほんとにわかりやすく訴えてきてる。 "話すな"と。 それがどうしてかはわからない。 もしかしたら私がさっきクビになるかもって言ったからそれを心配してくれてるのかも知れない。 明らかな威圧を感じて慌てて言葉を出した。 「毎日1杯ずつカクテル呑むのにハマっちゃって…でも遅くなると親に怒られるから…残業しないように頑張ってるんです」 「…あ〜、苗字ちゃんママ怖いもんねぇ」 咄嗟に吐いた嘘は母親の存在も手伝って主任の腑に落ちたらしく、ダンボにしてた耳を戻すと小さく笑ってる。 「…ほんとごめんなさい…。うちの親が…」 「良いの良いの!そっか〜そうね。苗字ちゃんにとって此処は人生のオアシスみたいなもんか」 何て返せば良いかわからず黙り込んだ私に、それ以上何も言う事はなく、怪しまれないよう出来るだけ自然の動きで電子ノートを片付けた。 それからカクテルを作っているバーマンさんと目が合う事は一回もなくて、出来上がるまで無言の空気が流れる。 途中、レモンの爽やかな香りがふと流れてきて、良い匂いだな、とついつい鼻を動かしてしまった。 「ジョン・コリンズだ」 落ち着いた声色と一緒に出されたコースターとグラス。 これまた琥珀色に近いのは、さっきバーマンさんが出していたウィスキーがベースだからなのかと考察した。 中に沈むレモンスライスとチェリーに 「…わぁ、おいしそう…!」 思ったままを口にしていた。 いつものようにバーマンさんへ視線を向けるけど、全くこちらを向く事なく、早々に片付けに入る横顔を見つめるしかない。 「苗字ちゃん、まだ呑んだ事ないの?」 「…あー、はい。ジョン…?」 「コリンズ」 「なんだか人の名前みたい」 「ご名答。イギリスのウェイターの名前にちなんでつけられたカクテルなの」 「へー…」 「一口呑んでみる?」 その誘惑に一瞬、ほんの一瞬負けそうになったけれど、ぐっと堪えた。 「呑んでみたいけど…、今はこれ呑んでるし、やめときます。今度の楽しみにとっておきたいし、味が混ざっちゃうの嫌なんで」 1日1杯って決めてるんだ。ズルはしない。 「苗字ちゃん、本気でカクテルにハマったのね〜。それは?」 「カリフォルニア・レモネードです」 「へぇ、なかなか良いトコ攻めるじゃない」 「あー、私が選んだんじゃなくてバーマンさんが…」 チラッと視線を向けてみても全く反応がない。 「あぁ、そう。…成程。きゅ」 言い掛けた主任の前、コト、と音を立てて置かれた小皿の中、数種類のナッツに動きを止める。 一瞥しただけでまた目を伏せる表情に、何も言わないんだ、と思うけど主任は気にならないのか嬉しそうに微笑った。 「…良いオアシスを見つけたみたいね。苗字ちゃん」 私が返事をする前に一度、鞄へ視線を向けるとティッシュを手に取って自分の口唇を抑える。 そういえば、それこの間もやってたなぁ、とつい見入っているのに気が付いたようで目が合った。 「あぁ?コレ?」 短く答えるとささっと鞄へしまっていく。 「グラスに口紅がつかないようにオフしてるの」 「…あ…」 そっか。そういうマナーもあるんだ。 「…主任って何でも知ってるんですね」 「まぁねぇ、苗字ちゃんより生きてる時間は長いから知識はついてくるんじゃない?当たり前に」 「私もあと数年したら主任みたいにデキる女になれますかね?」 「…そうねぇ…。それは苗字ちゃん次第じゃないかなぁ?」 あ、思いっきり目を逸らされた。 今のはちょっと傷付いたんですけど主任…。 でも、誤魔化すようにグラスを傾ける姿もサマになってるなぁと思う。 「でもま、デキる女なんか目指さない方が良いかもよ?」 「何でですか?」 「隙がないって敬遠されるから。男に」 「え?そうなんですか…!?主任モテそうなのに…」 「あはは、ぜ〜んぜん!聞いてよこの間なんかぁ、合コン行ったら何が起きたと思う!?何とその店に半年前アタシの通帳持って逃げた元カレが居てね!もう合コンどころじゃないわよ髪の毛引っ張ってふん捕まえてやったの!そしたら何て言ったか!」 急に捲し立てる口調で、あぁ、スイッチが入ってしまったと気付いてももう遅い。 延々に続く愚痴を左から右に流していくしかなくなって、あー、だのはぁ、だの相槌を打ちながらグラスを傾けた。 * * * カランッと音を立てて中身を呑み干すとグラスを置いた主任の 「…あ〜、スッキリしたっ」 晴れ晴れとした表情と言葉に無になりっぱなしだった顔を戻す。 ちびちびと私が半分にも満たない量を呑む間に、主任は2杯目のジョン・コリンズを呑み干して、その間に怒りも鎮まったらしい。 「じゃ、アタシ帰るわね。チェックお願いします」 両人差し指で小さくバツを作るのを見て、バーマンさんは手元に視線を落とすと小さな紙切れをカウンターへ差し出す。 それを捲った主任は僅かに眉を上げてから代金を置くと 「これ、苗字ちゃんの分も。お釣りは要りませんから」 そう言うと立ち上がるものだから、慌てて持っていたグラスを置いた。 「…主任!?大丈夫ですよ!この間も私の分…」 「良いの良いのっ。こういう時はご馳走様ですって素直に甘えた方が可愛いんだからそうしなさい!」 ポンポンと肩に置いた手が離して早々に出口へ向かう背中に向かって 「…ご馳走様です…」 小さくそう言うしかない。 「じゃ、またねぇ。ごゆっくり〜」 それだけ言うと鐘が音を立てて閉まった後、まるで嵐が去ったような静けさに短く息を吐いた。 「名前の上司はいつもああなのか?」 主任が呑んだ後のグラス等を回収しながら口を開いたバーマンさんにドキッとする。 急に話し出したのもそうだけど、名前、憶えててくれたんだって素直に嬉しくなった。 「…あー、あのマシンガントークですか?普段はそうでもないんですけど…スイッチ入ると、ですね」 もう慣れたから殆ど聞き流してるし、主任も周りに反応を求めてないみたいで生返事をしてても怒られないから楽といえば楽。 自分が頭に来てるからって理不尽に八つ当たりもしてこないし。 さっきの話もそうだけど、意外と主任の話って怒りに満ちてても言葉のチョイスが面白くて嫌いではない。 でもそっか。慣れてないとビックリはするかも。 私も最初は何この人急に怒り出した!ってなったもんなぁ。 「そうか、酔ってる訳ではないんだな」 「呑んでなくてもあぁです。主任が酔った所とか見た事ないなぁ…」 あぁ、そういえば… 「バーマンさん、主任が居ると全然喋んなくないですか?」 ふと浮かんだ疑問を投げかけるとその眉が若干寄ったのが見て取れた。 …苦手、なのかな? 「お前の上司に対してだけじゃない。俺は元々喋るのが嫌いだ」 「え?そうですか?」 「ベラベラ喋るように見えるか?」 「あー、それは思わないけど、でも私とは結構喋ってくれますよね?」 無言になった事で流れた空気に、え?もしかしてこれ私読めてない?と若干焦る。 「バーマンさん無理してたとか?私がうるさいから付き合ってくれてたってやつですか?それならごめんなさい。あれかな?筆談にした方が良いですか?」 「良い。そっちの方が余計面倒だ」 冗談のつもりで言ったのに、その返しであ、やっぱめんどくさいって思われてたのか、と気付いてしまった。 そうだよね、そうだよなぁ。 カクテルにハマったとか言って来てたのが、今度は個人的にコンサルしますって張り切って毎日来る奴なんか例え客でもめんどくさいよね。 しかも1杯しか呑んでいかないとか、収益なんか微々たるものだし。 やっぱり毎日は来ない方が良いかも。 とにかく今日はこれ呑んでさっさと帰ろう。 そこまで考えてグラスを持ち上げた所で 「お前の事を面倒と言ったんじゃない」 冷静な言葉に思わず心臓が脈打って顔を上げた。 「俺が喋るのが嫌いなのは、そうやって今のお前みたいに意図とは反した勘違いを生み出す事案が多いからだ」 「…あー、バーマンさん言葉足りない時ありますもんね」 「………」 ヤバイ。黙ってしまった…。 「大丈夫ですよ私も空気読めない時とか多いんで!寧ろ余計な事言ってこうやって凍らす事とか良くあるんで!それに比べたら口下手の方がまだ良いですよ!?」 「口が過ぎるとも良く言われる」 「どっちもかい」 つい口を突いた一言を誤魔化さなくてはと言葉を続ける。 「あー、でも私はそんな風に思わないから!大丈夫です!バーマンさんと話してるの楽しいし!そんな言葉足らずだなぁとか…それは正直そう思う時もあるけど…口が過ぎるとは思った事ないです!これからもしかしたらあるかも知れないけど、多分あんまり気にする事じゃないと思います!」 自分でもこれがフォローになるのか謎過ぎるけれど、早口でそう言えば紺碧の瞳が少しだけ優しくなった、気がした。 洗い物を始める横顔が何を考えてるのかはわからないまま少しペースを上げて呑み干したグラスを両手で恐る恐る差し出す。 「…あの、これもお願いします」 何となく申し訳なさを感じて縮こまる私に、バーマンさんは視線を向けたけどすぐに顔を逸らしてグラスだけをさらっていく。 もしかして怒ってるのかと過ぎった不安は 「お前と話すのは…、嫌いじゃないし苦じゃない」 突然の一言で意識から消えた。 「…ほんとですか?うざいとか思いません?」 「カクテルに興味がある人間をうざったいなどと思わない」 何て答えて良いのか言葉を探す頭は上手く働かなくて、俯いたまま沈黙になってしまう。 「明日は、何が呑みたい?」 弾かれたように上げた先、その涼しい横顔が目に入って 「ジョン・コリンズ!」 考えるより先に答えていた。 「やはりそう言うと思った」 こちらへ向いてまたすぐに逸らした顔より先、穏やかさを感じたの。 それだけは絶対に気のせいじゃない。 John・Collins 気さくな関係 ← |