|
「そこをなんとか〜お願いしますよ〜」 「断る」 「絶対お店のためになると思うな〜」 「嫌だ」 いつもの席、いつものカウンターを挟んだ存在へ必死に両手を合わせるけど、取り付く島もなくメジャーカップにドライ・ジンを注いでる。 「何でそんなに嫌がるんですか?顔出しするとマズイ理由とかあったりして?」 「後ろめたい理由など何もない。ただそこまで主張する気にならないだけだ」 うーん、と思わず唸ってしまう。 説得は無理かなぁっていう諦めが占めてきて腕を組んだ。 「バーマンさんの顔載せたら絶対集客に繋がるのに〜」 それはホームページを作成するにあたっての話。 昨日突如として降って湧いたそれも、まだ全然煮詰まってなくて今日も開店と共に此処へ訪れた。 そうして数分前に私が出した "Bar Calmのマスターとして顔写真載っけましょうよ" 思い付いた提言を秒で、寧ろ0.何秒で却下されたのが始まり。 「そんな理由で来る客など最初から必要ない。俺は客寄せパンダにはならない」 困った。この人結構頭固い。 キッカケが何だったとしても、結果的にバーマンさんのカクテルを気に入って再来してくれる人を増やすっていうのが目的であって、それにはまず足を運んでもらわない事には始まらないんだけど…って全部説明しても、多分これじゃ承諾は絶対しなさそう。 違う案を考えようと電子ノートの文章を消した所で 「マティーニだ」 目の前に差し出された逆三角形のグラスに目を丸くした。 Welcome to Bar Calm 「…あれ?オリーブじゃ、ない?」 困惑しながら出した言葉に、予想していたかのように紺碧の瞳が細くなる。 「チェリーだ」 「ガーニッシュ…は何でも良いんですか?」 初めて口にした横文字は何だか照れくさくて、ちょっと詰まってしまった。 ガーニッシュというのがフルーツなどの"付け合わせ"という意味なのは、昨日帰り道で買ったバーテンダーとカクテルの入門書に書いてあったのをそのまま覚えたから、言い慣れてなくて当たり前なんだけど。 「何でも良い訳じゃない。基本はオリーブだ。チェリーを沈めるのはドライベルモットではなくスイートベルモットで甘口に仕上げた時のみとされている」 「…へー。じゃあ主任が呑んだのとはまた違うんだ…」 「基本のマティーニは味も香りも独特のためお前にはまだ早い」 「…すごいなぁ」 思ったままを素直に言葉にした私を訝し気に見つめてるバーマンさん。 「その人の好みや特質に合わせて何でも作れちゃうんですもんね」 「何でもじゃない。限りなく近付ける事は出来るがバーマンにも限界はある。このマティーニも基本と対比すれば呑みやすく仕上がっているというだけで度数の強さはさほど変わっていない。気を付けろ」 「はーい」 突っ慳貪な言い方してるけど、何だかんだ優しいんだよなぁ。 そういえば、ショートカクテルって初めて呑むかも。 ちょっと緊張してきて細い脚を持つ右手が心許無くなってしまう。 一口味わった瞬間、思わず眉を寄せてしまった。 「………うぅっ…からっ!」 「…どうだ、美味いと感じないだろう?」 「……そんな…!…えーと…はい…」 図星を突かれ否定しようにも出来ず小さく頷く。 甘口でこれって事は主任が呑んでたマティーニはどんだけ辛いの? これが本場のカクテルの世界なのかな…。 カクテルの王様は基本中の基本だって本にも書いてあったから、ホームページを作るのにあたって呑んでみたいと懇願したけど、バーマンさんが言う通り、私にはまだ全然早過ぎた…。 「…ごめんなさい、想像はしてたつもりだったけど正直此処までキツイとは思ってなかったです…」 「謝らなくて良い。予想通りの反応で正直安心している」 「…安心?」 「自分が美味く感じないものを他人の顔色を窺って誤魔化す人間は信用出来ない。お前の態度はこれ程になくわかりやすかった」 「…わかりやす過ぎるって良く言われます」 コースターに戻したグラスを人差し指と中指で挟むとさらっていくのに目を丸くした。 「口直しは何が良い?」 「え!?もしかして捨てちゃうんですか!?」 「最初からそのつもりで作ったものだ」 「ダメですよ!捨てるなんて絶対ダメです!ちょっとそれ戻して!私呑まないなんて言ってません!時間は掛かるけど呑みます!呑ませてください!」 「やめた方が良い。この量をお前が呑んだら確実に酔い潰れる」 「酔い潰れないように頑張りますから!捨てちゃダメです!そんな事したら私怒りますよ!すっごいキレますからね!」 「…それで脅してるつもりなのだろうが全く恐怖を感じない」 「とりあえず置いて!それを!此処に!」 キョトンとしている瞳が何回か瞬きを繰り返したと思えば、一気に傾けたグラスに上げそうになった悲鳴を止めたのは、ゴクッと動いた喉のせい。 間髪入れず呑み干したバーマンさんは涼しい顔のままそれをコースターの上へ置いた。 「これだけなら許そう」 残されたのはピンに刺さったチェリー。 え?これ、を食べて良いって事? さっきバーマンさんの口唇に触れてたこれを? これって間接キスじゃ…いや、もう既にしてるけど。 「要らないのか?」 「い、要る!要ります!いただきます!」 捨てられてしまう前に慌てて口へ頬張った赤い実は想像以上に辛くて我慢出来ず苦い顔をする。 「本当にわかりやすいな」 穏やかな声を出した口元は少し上がっていて、そのせいで余計に変な表情になってしまった。 * * * 最初はお店が軽く紹介出来れば良いんじゃないかと簡易的なホームページを目指してたつもりが、ああでもないこうでもないと話し合う内に、このBar Calmの魅力を最大限に引き出せるようにしなくては、と使命感みたいなものが湧き上がってきて、電子ノートへ思いついた限りのアイデアを書き溜めていく。 「時間は平気なのか?」 ふと頭上から落ちてきた声に、夢中になり過ぎてCalmに居た事も忘れていたのに気付いた。 「…あ、今何時…げっ」 やばい、もう2時間も経ってる…。 こんなに長く此処に居たのは初めてだ。 慌ててスマホを取り出せば圏外の文字に眉を寄せる。 此処電波弱いんだ…。余計にやばい。 「ちょっと電話してきますっ!」 スマホだけを片手に階段を駆け上がりながら電波が入った瞬間、画面をタップして耳に当てた。 数回のコールで繋がった瞬間 『アンタ何処で何やってんのッッ!!』 画面が震える程響く怒鳴り声に咄嗟に耳から離した。 『連絡もしてこないで!!なんっかい電話しても繋がんないし!!何かあったかって心配になるから連絡だけはしなさいっていっつも言ってんでしょ!?……ちょっと!聞いてる!!?』 やっばい、めっちゃ怒ってる。 このまま切りたいけど切ったら家に入れてもらえなくなる。 「…ごめん、お母さんっ!仕事に夢中になってた!」 『残業なの!?』 「うん、そんな所…」 『会社に電話したら主任さんにアンタもう帰ったって言われたけど!?嘘まで吐いて何してんの!!』 「はぁ!?会社に電話なんかしないでよ!恥ずかしいな!!」 『恥ずかしいのは連絡も寄越さないで嘘吐いてるアンタだよ!!』 「嘘なんか吐いてないし!仕事してるのは本当だし!頭ごなしに決めつけないでよ!!」 『じゃあ何処にいんのか言ってみなさい!!』 「行きつけのお店!地下だから電波なかったの気付けなかっただけ!」 押し黙ったかと思えば 『…何だ、そうならそうと早く言いなさいよ。ご飯は?食べたの?』 急に冷静になる口調に肩を落とした。 「軽く食べたよ。あともうちょっとしたら帰るから…」 『くれぐれも気を付けるんだよ!』 「わかってる!じゃあね!」 何か言い掛けてるのはわかってたけどそのまま通話を終わらせる。 はぁ、と重い溜め息が出た。 階段を下りて、明日主任に謝らなきゃと考えながら扉を開ける。 聞き慣れた鈴の音を耳に入れながら、私の電子ノートを片手に見つめている姿を捉えて、何考えてるんだろう?とそう思った。 「何か面白いですか?」 書いてある事と言えば、Barの基礎知識とか用語とかカクテルの種類とかバーマンさんにとっては熟知した情報しかない気がする。 「…いや」 画面からこっちに向けた視線が一旦泳いだのに気付いて小さく首を傾げた。 「それより大丈夫なのか?」 「あー、はい。母にブチ切れられたけど大丈夫です」 「…それは…大丈夫と言えないだろう」 「いつもの事なんで。自分が三姉妹の次女で放任されてたからって同じ境遇の私にだけ過保護でハタチ過ぎても未だに子離れしてくれないんですよ」 「…そうなのか」 「そうなんです。今日のは連絡入れるの忘れてた私も悪いんですけど」 だからって何も会社にまで連絡しなくても…とは思う。 「此処は電波がほぼ入らないため、疎かになるのも仕方ない」 「そうなんですよね。バーマンさん不便じゃないんですか?」 「店直通の電話がある。これといって不便に感じた事はない」 「…うーん…そっかぁ。でもなぁ…」 両腕を組んで意味もなくカウンターを見つめて考えた。 バーマンさんが不便じゃなくても… 「何だ?」 「ホームページ作るならネット環境整えないと何かと問題かなって。今はまだコレでアイデアメモするだけの段階ですけど、構想が進んでいけば此処で作成したりするし、ゆくゆくはネット予約とかも出来たら良いなぁ、とも考えてるんで」 「そのホームページとやらだが…」 もう一度電子ノートを取る右手に視線を向ける。 「これを載せる事は出来るのか?」 「これって…」 言い終わる前に差し出された画面へ視線を向ける。 それは私が今まで呑んだカクテルの詳細と共に感想とイラストを添えた内容。 「え?これを?やめた方が良いですよ絶対」 「何故だ?」 「お店のイメージとはちょっと…っていうか全然合わないですよ。こんな子供の落書きみたいなの載せたら品が落ちると思います」 「子供の落書きじゃない。これを見た人間がそのカクテルを呑んでみたいと思えば集客に繋がるだろう?」 「…バーマンさんそれ本気ですか?」 「本気だ」 真剣な瞳に両肘をカウンターにつくと考える。 提案は素直に嬉しいけど…。 「そしたらバーマンさんの写真も載せてくれます?」 「それは出来ない」 即答過ぎる。そんなに嫌なんだ…。 「もうこの際顔じゃなくて!うーん、と…あ、手とか!」 「…手?何のためだ?」 めっちゃ訝し気な顔してる。なかなか手強い。 「カクテル作ってる時の一部分を切り取って載せるんですよ!顔よりか手だけの方がどんな人が作ってるか気になって来たくなりません!?」 これは我ながらなかなか良いアイデアなのでは? 乗り出していた身に気付いたけど、紺碧の瞳とかち合ってまた引くに引けなくなった。 此処で目を逸らしたら負けな気がする。 「どうです!?それを呑んでくれるなら私のも載せます!」 眼力、なんてないけど、とにかくその瞳を見つめ続ければ観念したように逸らされた。 「……。わかった。要求を呑もう」 「よし!」 思わず両手の拳を握り締めるのを冷めた目で見られて大人しく身を引く。 どんなショットが良いのかという案はとりあえず持ち帰るとして、あとは… 「そうだ。ホームページだけじゃなくて看板とかも決めないと…」 カウンターに置いたままだったスマホの画面、忘れていた圏外の2文字に打ちのめされる。 …ダメだこれ。すっごい不便…。 どういう素材とレイアウトが良いか検索しつつ見せようと思ったのに、これじゃ全く使えない。 口頭だと伝えるにも限りがあるし。 元々上手く説明出来るタイプじゃないから、営業じゃなくて事務を志望したんだんだから。 「バーマンさん、やっぱりネット環境の改善は必須です。っていうか今の一番のネック。すぐにでもWi-Fiとか繋げませんか?」 「そこまで必要あるのなら交渉はしてみる」 「お願いしますっ!それであと、名札とか名刺も必要だと思うんですよ。ちょうどうちの会社の取引先に印刷系に強い所があって、他より安く刷ってくれるんです。バーマンさんが良かったらそこに頼みたいなぁって考えてて」 「構わない」 「良かった!じゃあ此処に名前書いてくれます?あと希望の字体とかレイアウトとかどんな配色が良いとか…」 電子ノートとペンを差し出したその瞳が一瞥しただけでまた視線を落とされる。 「今は手が離せない。言うから書いてくれ」 「…あ、はい、了解です」 そういえばさっきから下向いて何かしてるけど何だろうと思いながら耳を傾けた。 「とみおかぎゆう。漢字はウ冠ではなくワ冠の"冨"に岡山の"岡"、ぎゆうは正義の"義"に勇気の"勇"だ」 早口でそう言うと急にシェイカーを振り出す姿に圧倒されながらも言われた通りにペンを滑らせていく。 完成した"冨岡義勇"の四文字に頬が緩む前にそれを見せた。 「こうですか?」 上げられた視線がそれを捉えて 「そうだ」 聞こえた短い返事に胸を撫で下ろす。 「お前は?」 「…え?」 「名前を訊いていない」 「あぁ!そうでしたね!」 さっきの四文字の下に自分の名前をささっと書いてすぐに見せた。 「これ、私の名前です。苗字名前」 「…名前か」 いきなり呼ばれた下の名前にドキッとしたのと同時、出されたグラスに目を丸くしてしまう。 ソーサー型のシャンパングラスには明るいイエロー。 疑問をぶつける前にその口唇が動いた。 「今日は碌に呑んでないだろう」 「…え、でも私もう帰るから…」 「ノンアルコールだ。一気に呑み干しても問題はない」 その気遣いに嬉しくなってすぐに口を付けると私の好きなフルーティーな味わいに 「おいしっ!」 その一言が自然と口を突いて出る。 「このカクテルの名前は?」 「シンデレラ」 「…それって童話の、ですか?」 「あぁ。酒を嗜めなくてもその世界に入っていける、そういう意味で名付けられたと言われている」 「へー…。良いなぁ、シンデレラって…」 小さく呟いてしまったのを誤魔化すようにもう一度グラスを傾けて 「こんなに美味しいノンアルもあるんならもっと集客出来ますよ!」 決意を新たにした。 Cinderella 夢見る少女 ← |