|
世界が、消えちゃえば良いのにって思う。 最低な考えなのはわかってる。 他の人は関係ないから、私だけが消えれば良い話だ。 今までの事とか、これからの事とか、全部、もう何も、本当に何も考えたくなくて、布団に包まり続けてる。 涙は勝手に出てくるけど、勝手に止まって、いつの間にか意識も飛んでる。それの繰り返し。 何時かはわかんないけど、母親が起きなさいってうるさいから顔だけ出したら凄いギョッとされて、珍しく「休みの電話入れといてあげる」それだけ言って下に降りてった。 それ位、酷い顔をしてるっていうのは痛くて熱くて重たい目蓋で自覚はしてる。 一晩経って、"現実"なんだなって更に実感もした。 このまま飲まず食わずでどうにかなっちゃえば良いのにって、子供みたいな事考えるけど、当たり前にお腹は空くし喉も渇く。 蹲ってたって時間が経つだけで、何にも変わらない。 スマホを見たってバーマンさんから連絡はなくて、見るのが辛いから電源を落とした。 こういう時、彼女なら「その女なんなの!?」みたいに問い詰めたり、出来たのかな? あの時何もせずに逃げ出したのは、心の隅でわかってたからだと思う。 勝てる訳ないって。 凄く綺麗な人だった。大人で落ち着いてて、私とは、全然違う。 高いヒールを響かせて、堂々としてる立ち振る舞いは、立席が良く似合ってた。 相席を頼まれても、快諾する可愛らしい声とか、振り返った先で見た笑顔とか、とにかく凄く綺麗で、むらたさんだけじゃなくて、私まで赤くなりそうになって、羨ましいなって、思った。 そんな風にBarに溶け込めるのが。 あの人、バーマンさんの彼女なのかな。 なのかなって、それしかないよね。あの状況で違いますなんて言われても、嘘だとしか思えない。 あの時、私が音を立ててなければ、キスしてただろうし。 そう思った瞬間、涙が出てきて、考えるのをやめた。 このまま布団に潜り続けても消えれる訳じゃないし、どうにもならないのはわかってるから、抜け出してみる。 まだ何か他の事をしてた方が、気が紛れるかも知れない。 そう思いながら、階段を下りた所で、掃除機を掛けてる母親が居て、それだけで何だか涙が出そうになった。 いつもなら小言のひとつも言ってくるのに、今だけは私と目が合っても何も言わないまま、掃除機を止めると台所へと向かっていく。 此処に来たからってやる事も思いつかなくて、テーブルに力なく突っ伏した。 時計を見て、あぁもう15時になるんだって考えた瞬間、バーマンさん何してるのかなって過ぎっちゃって、馬鹿だな自分って思う。 そんな風に考えちゃう位好きなら、どうして昨日、何にもしないで逃げ出したの? 「食欲はある?」 考えてる途中で突然声を掛けられたから、出そうになった涙は止まったけど、 「…わかんない」 それだけしか答えられなかった。 何にも考えたくない。もう、何にも。 ただ家の壁を眺め続けてみる。そんな事しても何も変わらない。そんなのわかってるけど。 こういう時何をしたら、気が晴れるのかな。ヤケ酒? ニコラシカを思い出しちゃって、また馬鹿だなぁって、目を閉じた。 あのカクテルが、何の意味を持つのかなんて、私にはわかる筈もない。 凄く大事なのかも知れないし、ただ単に、バーマンさんが考えた今日のカクテルだっただけかも知れない。 でも、何かそういうのも、もうどうでも良いかな。 私が見た、あの光景が全て。 そうやって諦めようとしてるって気付いて、知った。 結局、最初から今まで、自分の事しか考えてなかったんだなって。 バーマンさんが好きとか言って、そんなに好きじゃなかったんじゃないかな。 本当に好きだったら、きっと傷付いたって、失いたくないって立ち向かっていけるものなんだよ。 私はそんな覚悟も勇気もない。 傷付きたくないから、逃げた。 だから、バーマンさんから連絡が来なくて、ちょっとホッとしてる。 Welcome to Bar Calm コトッ 何かが置かれた音がして、目蓋を上げる。 目の前には皿に乗ったカットオレンジ。鮮やかな橙で、またバーマンさんを思い出した。 涙が出てしまうより早く視線を動かして、母親が椅子に座るのを見つめる。 家計簿をつけ始める姿に、相変わらず何にも言わないなって思いながら身体を起こした。 「何かあったか、訊かないの?」 「訊いて欲しいなら訊くけど?」 「ううん、良い」 「そ。なら食べちゃいなさい」 即答してくるのは、流石お母さんだなって思う。 言う通りに一口齧ったオレンジは、何だか凄く酸っぱくて、止めどなく溢れる涙にまた無言で渡されたティッシュを受け取った。 せめて嗚咽が漏れてしまわないように、口を結い続ける。 歪んだ視界の中でも、浮かぶのはあの穏やかで優しい顔。 違うよ。そんなに好きじゃなかった、そんな筈ない。 好きだから、見たくなかった。 すごく好きになってしまったから、いつまでもこんなに心が痛くて、何にも出来ない位打ちのめされてる。 「コレ」 顔を上げたくなかったけど、それしか言わないから上げざるを得なくて、その手元にある四角いものに、心臓が跳ねた。 「昨日ぶん投げてたでしょ。扉ヘコんでたよ」 「…ごめんなさい」 流石お母さん。私の事は全てお見通しっていう。 これは泣いてる場合じゃない、お説教を食らうなって抑えようとした涙は 「大丈夫。壊れてなかったから」 その言葉で勝手に止まった。 「見たの…?」 「チラッとね」 差し出された電子ノートを慌てながら受け取る。手遅れなのはわかってるけど。 チラッとじゃないと思う。母親の事だから全部見た。絶対に。 Barに通ってる事も、そこのバーマンさんと仲良くなった事も、中に入ってるメモで全部知られた。 だから何も言わなかったんだ。訊く必要が、ないから。 黙ったまま数字を書き続ける表情はいつもと変わらなくて、余計に恐怖が込み上げてくる。 本気で怒ってるのかも。 だって今までのお母さんなら、私がBarに行ってるとか、男の人と仲良くなってるとか知ったら凄い剣幕で問い質してきてる筈。 それとも私がこれだけ落ち込んでる原因がバーマンさんとの事だってわかってて、言わないでいるのかな? 考えても疑問は何も解決しなくてその顔を見続ければ、当たり前に目が合って、眉を寄せられた。 「何。凄い疑いの目で見てるけど」 「…だって、何にも言わないから」 「言って欲しいの?」 「言われたくはない、けど」 はぁって溜め息吐かれたけど、でもだけど変。 「主任さんに言われたのよ」 もう一度吐いた溜め息は、ちょっと納得いってないような、そんな感じがした。 「自分で責任が取れる歳なんだから、少しは信用してみたらって」 「…主任が、そんな事…?」 良く怒らなかったなぁ、お母さん。もしそんな事誰かに言われたら「良く知りもしないのにうちの家庭の事に口出さないでくれる!?」とか、それこそ般若の形相で怒るのに。 「…え?」 ちょっと待ったそうじゃない。って事は? 「じゃあこの間私が嘘吐いたの…」 「知ってるよ。主任さんから全部聞いたもの」 「…うっそ」 良く血の雨が降らなかった。本気でそう思う。いや、実際には降らないけど、こう精神的な意味というか。 「え?でも主任、凄い嘘考えてくれて…」 「それ位手強い相手だって事にしとこうって話にしたの。じゃないとアンタ絶対調子乗って嘘吐きまくるから」 「…怒って、ないの?」 「怒ってるよ」 う、即答された…。つい縮こまった身体は 「嘘を吐いた事に関してはね」 ちょっとだけ優しくなった声に力が抜けた。 「アンタなりに天秤に掛けた結果、怒られても一緒に居たいって思ったんでしょ?」 その言葉、今はちょっとっていうか凄く、痛い。 一緒に居たいって、思ったんだよ。今も思ってる。 だったらこうしてないで、連絡のひとつでもすべきなのに、声を聴いただけで泣いてしまうのがわかってるから、何も出来ずにいる。 「そこまでするのは初めてだもんね」 呆れたような感心したような表情に、ちょっと考えてみた。 「そう?」 確かに嘘吐いてまで外泊したのは初めてだけど。 「そうだよ。高校の時の彼氏はすぐ別れてたじゃない」 「あれはお母さんが送ってくれたのを、すっごい怖い顔で尋問したからじゃん」 「それくらいで逃げるような男と付き合って幸せになれると思う?人間、窮地に追い込まれた時に本性が出るんだから」 あ、また始まった。その口癖。 それくらいで逃げる…か。そうかも。胸も痛いし、耳も痛い。 「ついに名前にも、お母さんより大事な人が出来たんだって、主任さんに言われて、あぁそうなのかもねぇって思ったよ」 寂しそうにノートを見つめたまま呟くから、もっと胸が痛くなる。 「…でもあんま、上手くいかないかも…」 つい出してしまった弱気に、何かちょっと嬉しそうな顔してて、やっぱお母さんはお母さんだなって思った。 「何?本命の彼女でも居たの?付き合ってたと思ったら遊ばれてたとか?」 「うっわ…。もー最低。ほんとやだ」 この人にはデリカシーっていうものがない。その通りだから何も言えないんだけどさ。 思わず突っ伏した私に、今度は凄い呆れた顔してる。 「アンタねぇ、バーテンダーなんてモテるんだからそん位日常だと思いなさいよ」 「思いたくないよそんなの」 多分最初から彼女が居るとか、そういうの知ってたらこんなに好きになるまで追い掛けてないと思う。 でももし、最初から2番目だって言われてたらそれで良いとか、割り切れたのかなぁ。辛いのはわかってても、傍に居たいって思えたのかな。 「あー、何にも考えたくない」 ついでに何にも見たくないって目を閉じた。 「良いんじゃない?今は」 優しさしかない言葉に、驚いてすぐに開けたけど。 「珍しい…。明日槍でも降るんじゃ「両側からほっぺた抓るよ」ごめんなさい勘弁してください」 両頬は痛い。ほんとに。本気で怒らせた時の数回しかやられた事ないから余計に覚えてる。ほんっとに痛い。 思わず顔を守る動きをしたけど、母は小さく笑うと 「人生の岐路に立つ時って、重なるのよ色々と。不思議な事にね」 まるで何かを思い出したようにしみじみとそう言うから、何を考えてるのかちょっと気になったけど、ふーん、とだけ返してオレンジを頬張った。 綺麗に皮だけになったオレンジから、電子ノートに視線を向ける。 玄関が閉まる音が聞こえて、いってらっしゃい、と心の中で見送った。 今日の夕飯は特別に私の好きなもの作ってくれるっていうから、ちょっとだけ元気は出た、そんな気がする。 ひとりになったリビングで、ただただ書き溜めたメモを見返した。 グラスの種類とか、クラッシュドアイスとか、楽しかったなって。 まるで全部終わっちゃったみたいな言い方だけど、この時はCalmに通えるだけで、カクテルを呑めるだけで、楽しかった。 勿論バーマンさんに会えるのも嬉しくて、ドキドキして、幸せで。 幸せ、だったなぁ。 告白なんて、しなきゃ良かったのかな? 片想いだった方が、楽しくて幸せだった気がする。 バーマンさんが私の事どう想ってるか、こんなに考えなくて済んだから。 結局私、自分の事しか考えてない。 "冨岡義勇" 出てきた4文字をそっと指で触れた。 名前、一度も呼ぶ勇気が出ないままだったな。 義勇って、名前で呼んでみたかった。いきなり呼び捨てはちょっとハードル高いから、義勇さんとか、義勇くん、とか? そこまで考えて、溢れそうになる涙が落ちないように天井を見つめた。 もう二度と、呼べそうにはないなぁって思っちゃったから。 バーマンさんを誰よりも好きな自信はあるけど、誰より好かれてる、そんな自信はない。 だからこうやって、ずっとウジウジしてるんだ。 私が好きなだけじゃ、何にも上手くはいかないから。 あの笑顔も、キスも、嘘じゃないって、盲目的にでも信じていられたら、何も迷わないで、好きだって胸を張っていられるのかな。 ちゃんと冷静に考えたら、私があの時間にはCalmに来るって事、バーマンさんは知ってた。 じゃあ何で、あの光景を見たの?って。 こういうの何て言うんだろう?被害妄想?そうかも。 考えれば考える程に悪い方向にしかいかなくなっちゃって、だから何も考えたくなくなる。 バーマンさんの事、こうやって疑ってる自分がほんとに嫌だ。 「なーんにも、上手くいかないなぁ…」 ただ天を仰いで、呟いて、唐突にミント・ジュレップが呑みたくなって思わず笑ってしまう。 こんな時までカクテル呑みたがってるとか、どんだけ好きなんだろ。 そんな事考えたって、行ける筈ないのに。 この状況で「カクテル呑みに来ました」なんてCalmに行ったら、多分流石のバーマンさんでさえビックリすると思う。 呑みたいカクテルはたくさんあったんだけどな。 涙が止まってから視線を落とした先、画面を動かしてからカクテルのメモ書きを見つめる。 …そうだ。 カクテルが呑みたいならCalmじゃなくても良いんだ。 この辺にBarとかないかな。って思ってみたけど1人で知らないBarに行ける程の勇気も度胸もない。 次の画面を出した所で、"バーテンダーっていうカクテル?"と書かれたメモであの綺麗なサーモンピンクが鮮明に蘇る。 そうだ!そう、Cascadeに行けば…! 思わず立ち上がったけど、でもなぁってまた座り込む。 今のこの状況を錆兎さんが知ってたら気まずいどころじゃないし、仕事休んだのに会社の最寄り駅でウロウロするのも出来ない。 結局また、出来ないって選択の繰り返し。 何かのせいにして諦めたくないから、頑張った筈なのに。 それに、"他の"って考えてから、気持ちが強くなった。 やっぱり、私が呑みたいのは、ただのカクテルじゃなくて"バーマンさんが作ったカクテル"なんだ。 会いたい、な。会いたい。 もしも今日行かなかったら、私もう、Calmには行けなくなる。 多分じゃなくて絶対。 そんなのやだ。 じゃあどうする?って一応考えてみる。 決まってるよ。行くしかない。会いたいから、会いに行こう。 これで最後かも知れない。望む答えは得られないかも知れない。 それでも良いよ、大丈夫。 全然大丈夫じゃない。だけど、そう言い聞かせる。じゃないと、動けないから。 両手を握り締めて、その勢いで立ち上がった。 * * * 弱気になりそうで、何度も逃げ出したくなる気持ちを何とか誤魔化して降りた地下の扉。 "本日、貸し切り" 白い紙に黒い手書き文字で記されてるその一文を目にした瞬間、自分でもわかりやすいくらいに肩を落とした。 開ける前に気が付いて良かったってドアから手を放そうとしても、そのまま動けなくなる。 此処を開ければ、バーマンさんは居るのに。 貸し切り、かぁ…。もしかしたら、あの人も…。あぁ、ダメ。やめよう。 「…はぁ」 凄く複雑な気持ちが湧いて出て、息を吐いた。 会えなくて悲しいとか会えなくて安心したとか。 このままの勢いで開けたら、どうなるんだろう。 何かが変わるのかな? 良い方向にいくなら、絶対にそうするのにな。 「…じゃあ俺買い出し行ってくるわ」 突然扉の向こうから聞こえた声と動いた鐘に、咄嗟に後ろへ引いて逃げそうになった足を何とか踏み止まった。 バーマンさんの声じゃないって、わかったからかも知れない。 「…あ」 目が合うなり驚いて目を見開くのはむらたさん。…あれ?たむらさんだったっけ? 名前を確かめようと左胸に向けようとした視線は、掴まれた手に移動した。 「冨岡ぁ!来た!来たぞ!"オレンジ"の子!」 凄く嬉しそうに店内へ笑顔を向けながら引っ張られて、何が何だかわからないまま、カウンターの中に居るバーマンさんと目が合う。 そのまま動けなくなった私を余所に、すぐに目を逸らすとカウンターの中を慌ただしく片付け始めて、グラスがぶつかる音が響いた。 「じゃ!ごゆっくり!」 そう言って閉められた扉の後で、そういえば貸し切りなのにお客さんが誰も居ない事に気が付いた。 これから来るとかそういうの、なのかな? だからバーマンさん、そんなに慌ててる? 考えてもやっぱりわかんないな。 「…ごめんなさい、いきなり…」 此処まで来たら、もう引き下がれない。伝えたい事だけ伝えて帰ろう。 「…あの」 「鍵、閉めといてくれないか?」 「え?あー、はい」 言われた通りに内鍵を動かして疑問が浮かんだ。 「あ、でもたむらさん…」 「……村田の事か?」 「そう!そうだむらたさん!」 良かった。最初ので合ってたんだ。 「良いんですか?入れなくなっちゃうけど」 「大丈夫だ。鍵を持たせてる」 「あー、そうなんですね」 何か、普通に会話してる。全然何にもなかったみたいな。 これもまた、複雑だなぁ。何とも思われてないとか、そういう事なのかも。 「何を呑む?」 そうやって右手で攫うプレートに、あ、まだそれ置いといてくれてたんだって、それは素直に嬉しくなった。 「大丈夫です。今日は「カクテルを呑みたいと思ったから来たのだろう?」」 紺碧色に見透かされて、また複雑って思う。 カクテルを呑みたい。それ以上に、貴男に会いたいと思ったから来たんだよ。なんて、言えなくなった。 「バレました?」 大人しく特等席に座って、隣の席に鞄を置く。 今まで当たり前だったその行動が、今は何だか懐かしい。 景色が違って見えるのは、私の心が変わってしまったからなのかな? 「あ、でも今日って貸し切りじゃ…?」 「新しいカクテルを試作するためそうしている。不定期に休業が続くと折角付き始めた客の足が遠のくと、鱗滝さんに言われた」 「そうなんですか」 だから連絡も来なかったのかな?それじゃもう、仕方ないよね、なんて自然とその言葉が浮かんだ。 バーマンさんにとって、カクテルが一番なのはもうずっと前から知ってたし、正直それが変わってない事が知れて、嬉しいって思う。 私はやっぱり、その瞳の中には映ってないのかも。 「どうして何も言わず帰った?」 そう思えば突然核心に触れてくるし、バーマンさんってやっぱり良くわからない。 だけど、何か全然動じてない自分が居る。 「そうなんです!それ謝ろうと思って今日は来たんです!看板描く約束破っちゃって、あと邪魔しちゃってごめんなさい!」 ついぐっと両手を握り締めてしまった。 何て言おうか、此処に来るまでの間でずっと考えてたけど、多分全部口に出す前に涙が溢れてしまうから出来るだけ、短く伝えよう。 「私、やっぱりバーマンさんの作ったカクテル呑みたいなって思いました!だからこれからもお客さんとして通わせてください!」 そのままの勢いに任せて頭を下げた。 ずっと考えたけど、結局私の答えはこれだけ。 バーマンさんに彼女が居て、それで二番目とか言われても、それで良いと思える程、大人じゃないし、独り占めしたくて仕方なくなっちゃう。 バーマンさんとの距離が縮めば縮む程、Calmに通えなくなるのなら、だったら1人の客として、今まで通り1杯カクテルを呑んでたまに話をしてその姿を見て幸せだなって思っていた方が、それだけで良いやって思った。 「わざわざ頭を下げなくても、来たい時に来れば良い」 その言葉に顔を上げて、上手く笑えないけど笑ってみる。 「やった!」 「…何を呑む?」 「あー、今日のカクテルは?」 「考えてない」 「じゃあ、バーマンさんのお任せで!」 「承知した」 バックバーに向かう背中を見ながら、その言葉、初めて掛けられたなぁって考えた。 どうしてか、私には言ってくれないから、1回だけでも良いから言われてみたいなって思ってたんだ。"承知した"って。 これからはずっと、聴けるのかな。 シェイカーを振る動きを、ただただ眺める。 好きだなって思う。思うだけなら良いよね。 私は童話のお姫様じゃないから、やっぱり"普通"を選ぶんだ。 傷付かない、普通の道を。 これで良かったなんて今は思えないけど、思えるように頑張ろう。 本当は引き留めて欲しかったなんて、期待してたなんて、そんな事言えない。 差し出されたカクテルグラスに満ちた白色と告げられたカクテル名に、尚更そう思う。 「美味しそう…」 「アルコールは少量にしてある」 「…ありがとうございます」 笑顔を向けてから、傾けたグラスから感じるラムの苦みとレモンの酸味と、それを調和するような甘みに顔が綻んでいく。 「おいしっ」 カクテル言葉と違って、すごく優しい味。 シンプルですごく呑みやすいのに、捉え所がないそのカクテルは何だか、バーマンさんみたいだなって、そんな事を思った。 X・Y・Z これで終わり ← |