Welcome to Bar Calm | ナノ
「愛想がないバーテンって居る意味ある?」

カウンターを任されるようになって、少し経った頃だったと記憶している。
酒に呑まれた人間にそんな類の台詞を吐き捨てられ、当たり前に返答に困った。
愛想がないバーテンをこちらの事だと称するならば、俺は見ず知らずの人間に存在意義を問われている事になる。
しかもそこに"意味"をも求められるという、何とも難儀なものだった。
相対している相手の主観に合わせ、何かしらを提示しなくてはならないため、一概に"ある"か"ない"かでは答えられない。
では、その質問を投げ掛けた事に、それこそ何の意味が在るのか。思考を進めた所で
「話にならない」
一蹴され、会話は終わる。

話にならないのではなく、最初からしようとしていないのではないか。

少なくともこちらは提示された問いに関し、考察はした。
答えが出ないと結果に至って尚、それでは納得をしないであろうと更に言葉の裏側を探してはみたが、その間を待たず、諦めたのはそちらだ。

俺に非がないとは言わないが、投げ掛けるだけ投げ掛けておいて、自分の得たい答えを望む時間で得られなかったら放棄するというのは、それこそ何の意味がある?

しかしそれを口にすると問題が起きるというのは、自覚もしていたから受け流す事も覚えた。
この世界で生きるには、そうやって呑み込んでいかなければならないのだと、何よりも経験が俺に告げていた。

愛想は、良くなれない。言葉を、武器にも出来ない。

だからせめて腕だけは、バーマンとしての技術だけは、誰にも何も言わせまいと、それだけは誇れるように、努力を惜しまなかった。

元々強くはない酒は、継続的に摂取し続ける事で簡単には左右されない程にはなったし、まともに皮すら剥けなかったリンゴは、数えるのも憚れる程の個数を消費し漸く、目を閉じていてもミリ単位の調節が出来るまでには向上した。

だからといって、バーマンとしての価値が高まった訳じゃない。

鱗滝さんは言った。
錆兎の作るカクテルは普遍性、対して俺のカクテルは流動性だと。
それ以上は言葉にしなかったが、何となく、真意は理解出来た。

要は万人受けを"する"か"しない"か。

それはカクテルだけではなく、バーマンとしてもそうだった。
俺と錆兎の大きな違いはそこにある。
どう足掻いても埋まらない差。
何度も立ちはだかった壁には、俺には俺にしか作れないカクテルがあるのだと、自分に言い聞かすようにした。

どうやっても、俺は誰かにはなれない。
俺でしか在れないのであれば、またそこには俺自身でしか見出せない価値や意義も存在する。

何処かで誰かが、打算も利害も関係ない次元で、俺の作ったカクテルを認める時が来るなら、それが努力を蓄積した結果なのだと考えるようにした。

いつか、誰かが──…

「おいしっ」

その声を聴いたのは、そんな想いが強くなっていた時だったと、思う。


Welcome to Bar Calm


考えている事がこれ程までに顔に出る人間は、正直初めて見た。
Barに入ってきた時から怯えに満ちたその表情は、俺を見るなり更に強くなって縮こまるものだから、未成年が迷い込んできたのかと思いもしたが、一緒に居る人間に連れて来られたのだろうと会話の内容で察した。
困惑していたままの顔が、マティーニを作り進めていくにつれ"好奇心"
その3文字に変化していくのをありありと感じ、頭にはアンジェロの名が浮かぶ。
しかし人生初のカクテルとするには、少々味わいが複雑な上、アルコール度数が高いと意識的に外した。
選択したのはテキーラ・サンライズ。
テキーラとオレンジジュース、グレナデン・シロップの3つで構成されているシンプルさ故に、テキーラの独特な風味が出やすいが、これも熟成期間が短いものを選べば、それ程強く作用はしない。
本当はスライスしたオレンジとチェリーを飾りたかったが、いちからカットをし出すとその間にマティーニの風味が大きく損なわれるため、そこは断念した。
その代わり、シロップを調整し濃淡が知覚出来るよう色変わりを起こしたが、それが気に入ったらしい。
大袈裟ではないかと言いたくなる程、輝かせた瞳に、わかりやすいのは憂惧だけではないだと知った。

それからというもの、カクテルに魅了されたと、毎回期待に満ちた表情で、Calmの扉を開けるようになった。
俺の言動に一喜一憂する表情は、見ていて面白いと思うように、いや、思うようにではなく、それは最初から、思っていた気がする。

俺が作ったカクテルを褒める言葉も、美味しいと微笑う表情も、何一つとして嘘がない。
本人も言うように全部が顔に出るから、嘘も誤魔化しも出来ないのだろうという、その点での安心感はあった。
カクテルが気に入っただけなら、他のBarにも足を運べばいいものを、それをしようとしない。

それどころか業績の心配までしたかと思えば、Bar Calmのためにと躍起になって奔走している姿に、俺は何処か自分が認められた。
心の中で、密かにそんな喜びを感じていたのも確かだ。

寄せられる想いにも気が付いていたから、余計にそう感じたのかも知れない。
あれだけ全ての感情が顔に出るのだから、嫌でも伝わってくる。
それでも本人は必死に隠そうとしているし、あくまで客としてのスタンスを崩そうとはして来ないから、わざわざ遠ざけようとはしなかった。
慕われる事も悪くないと、そう思えたのは確実に名前だからだ。

しかしそうなると、何も考えず作ったテキーラ・サンライズのカクテル言葉を知られるのは少々分が悪い気もすると思うようにもなる。
幸いカクテルの事は調べても、まだそこまでには至っていないようだったので、知らないままで良いと、上司がカルフォルニア・レモネードの意味を告げる前に、無言で制止をした。
Calmの業務に携わっている事を隠させたのも、その上司が何かとついてくるようになる可能性が高くなりそうだったのが、煩わしかったと言える。

この時から既に、俺の中でも変化はあったのだろうか。

フローズン・マルガリータをノンアルコールだと偽ったのは、いつまでもカクテル言葉に気が付かず無邪気に楽しむその姿を、少しばかり驚かせたい。仕掛けた真意を探らせたい。
あとは単純に、口には出来ないその言葉を、カクテルに託したのもある。
ただそうした事で、店に訪れなくなった事実に僅かながら感情が揺さぶられたのは間違いない。
直接好きと言われた訳でもないのに、カクテル言葉で意思を伝えるなど、面倒くさいと感じたのか。それともただ単にカクテルに対する興味が失せたのか。
考えた所でわかる筈もないのに、来なくなった理由ばかりを考え続けていた。
それがまさか、夜通し新作を試作するのに夢中になっていたため頭が回らない、しかも早朝にその姿と出くわすとは思わない。
俺は平静を装えない程に戸惑ったというのに、その嬉しそうな表情はいつもと何も変わらないものだから、心底安堵したと共に、少し憤りもした。
今思えば、試作を重ねても完成しなかったカクテルに対する八つ当たりに近い。
ただこの時は、抱き始めた感情は不確かなものだったとも考える。

同期だという男を連れてきた時、驚きはあったが、それほど焦燥を感じなかったためだ。
焦燥する程の関係でもないとすぐに気が付いたため、というべきか。

いつもとは打って変わって、全面で嫌悪を示すその表情に臆する事なく、隣に並べる男の精神力について、ある意味では感心した。
席を立ったその瞳から、今にも涙が零れそうなのに気が付きはしたものの、恐らく職場の関係上、強く出られないのだろうというのは容易に察せられるから、俺は馴染みの店のバーマンとして徹した方が、その身に迷惑も掛からないだろうと判断した。

「今女の子のグラスに何か、入れてたような気がするんだけど…」

掛けられたその言葉で唐突に、奥底でふつふつと湧き上がり続けていた気持ちがはっきり形を成した。

だからこそ、冷静にならなければならない。
瞬時に考えを巡らせ、今この場では何も知らぬ素振りを貫くのが最善だと事故を装い、カクテルを零すだけに留めた。

後日、2人になった時、詳細を話そう。そう思った矢先だ。
Calmの扉の前に立ち尽くしている背中に声を掛けた瞬間に

「すごく好き」

返ってきたその言葉に、動きを止めた。
これは、告白をされていると受け取って良いのか。

返答を考える前に振り向いたその表情は笑ってしまいそうになる程の驚きようで、俺に向かって言っていたのではないと知り、頬に力を入れた。

詳細を話す。
そうは思っても上手く説明を出来る自信など、ある筈がなかった。
ただでさえ何度もその表情を曇らせているというのに、疑惑と共に俺が余計な事を言えば、もう此処には来なくなるかも知れない。
クラッシュドアイスを作りながら、思考を働かせ続ける。
何も昨日の今日で、確信を得ていない情報を伝える必要はないのではないか。しかしまた何処かで同じ事が起きる可能性は否定出来ない。
態度から見るに、同期の男への好意は一切ないと言える。それなら疑惑であろうが此処で伝えなければ尚更名前が傷付くだけだ。
早急に何かしらの策を講じなければならない。

その同期の前だけで良い。
俺が恋人だという事にすれば良いのではないか。

思い立ったのは、丁度クラッシュドアイスが満杯になった時だった。

しかしそれだけでは根本的な解決にはならないと早々に選択肢から消す。
それにこんな提案をして断られてみろ。正直気まずい所の話じゃない。
碌な考えが浮かばない自分の思考に嫌気がさして、鱗滝さんから提示された課題を考える方へ頭を切り替えようとウィスキーとリキュールが並ぶ棚を見つめる。

30分経っても味が劣らないハンター。
重要なのは選定と製法。
まずウィスキーとリキュールの種類を決めてからだと考え、手に取った所で振って湧いた。

もしも名前と恋人になったら、きっといつも、俺の作ったカクテルを美味そうに呑んでくれるのだろう、と。

わざわざ頭を働かせずとも自然と浮かんでくる情景に、弛んでいく頬を自覚して堪えた。
そんな人の気も知らず、嬉々として写真を撮っていく姿は無邪気なもので、ただただ俺の手元ばかり見つめている。
好きなのは"俺"ではなく"俺の作るカクテル"なのだろうかと、そんな事を考えた瞬間に至近距離で向き合った顔。
わかりやすく驚きに満ちた表情の後、逸らそうとする瞳を逃したくなくて口唇を重ねていた。
自分でも想定外の行動に出たのは、ハンターのカクテル言葉が頭の隅に過ぎったからかも知れない。

"予期せぬ出来事"に面を食らった名前は顔が離れた後、身動ぎひとつしなくなって、小さく笑った俺の事も認識出来ていないようだった。
そのままの流れで告白でもしてしまおうかと開いた口は、停止したまま潤み始めた瞳に止めざるを得ず、何事もなかったように振る舞った事で漸く我に返る。

この時、思った。
名前はカクテルへの興味や慕情を、作り出している俺に対してのものだと、勘違いをしているのではないかと。
俺の名を知って尚、呼ばないのも、距離を縮めて来ようとしないのもそこが基因だとしたら?

真剣な表情でコロネーションを頼まれた時は揺らぎもしたが、それが"あなたを知りたい"ではなく"カクテルを作っているあなたを知りたい"だと考えれば、今までの態度も確信が持てた。
本当に俺に気があるのなら、男を連れてくるという止むに止まれぬ事情があったとしても、今この2人の場では、何かしら弁解をしようとする。
しかし名前は謝るだけで、それ以上何も言わず、キスにしても俺の本心を訊ねてこようとはしない。

笑顔になるのはカクテルの事だけ。

それならば、俺は尚更"バーマン"でなければいけない。

卑怯なのはわかっていても、俺の違和感に気付いた錆兎に同期の件を託し、物を作るという共通点を通して"同志"という関係性に名を付けて満足する事にした。

"ホール・イン・ワン"のような奇跡が、起こらないのはわかっているからだ。

"バーマンさん"として慕われていれば、それで良い。
"同志"として繋がりがあれば、それで良い。

カウンター越しで、その包み隠す事なく変わり続ける表情を向けられれば満足だった。
カクテルを呑んで「おいしっ」と少し肩を竦めて微笑ってくれればそれだけで、乾いた心は癒された。

それが何をどうして、俺の前でも感情を隠そうとし始めたかと思えば、突然自棄を起こしてシェリー酒を頼んでくる。
挙句の果てには

「私、バーマンさんが好きです」

真剣にそんな事を言い放った後、困惑する俺を余所に1人で酷くスッキリした表情をするものだから、冷静に思考を再開させるのに時間を要してしまった。

どういう意味なのか。
考える隙もない程そのままの言葉なのに、そうではない可能性を無意識に探したのは、また浮かれたまま触れて、泣かれてしまっては溜まったものじゃないからだ。

だが、この突然すぎる告白をなかった事に出来る程の話術も奇特さも持ち合わせていない。
ひとまずシェリーの誘いを受けるのはバーマンとしては恥だという話を咄嗟に作り、全面的には受け入れないという意思は示した。
冷静さを取り戻しても自分が出した言葉を取り消そうとはしないどころか、俺に振られたという名前の表情にその本気さを垣間見る。
だから敢えて、マルガリータで返した。
スマホの画面からあげた瞳は驚きで満ちていて、堪えきれず綻んだ笑顔は"俺が作ったカクテル"ではなく"俺"に向けられている。
そう確信してから、抑えていた筈の気持ちが抑え切れていなかった事も自覚した。

もう一度その驚きと喜びに満ちた表情を見たくて仕掛けたバレンシアは予想を遥かに上回り、耳まで紅潮させるものだから

愛おしい

ただ、素直にそう感じる。

その後の展開に、下心が全くなかった訳じゃない。
けれど、懸命に目を擦りながらも0時を迎える前に机へ突っ伏した姿に、頬は弛まる一方だった。
その身体を抱えて部屋まで運ぶ時でさえ
「…おいしっ」
そう呟いていて、カクテルを呑んでる夢を見ているかも知れないと思うと、それだけで胸が熱くなる。
そっとベッドの上に寝かせて、無防備な寝顔を指背で撫でれば、それが思ったより柔くてつい執拗に触る俺にその口唇からはっきりと笑い声が零れた。
それもすぐ穏やかな寝息に変わった事で、口唇を撫でる。
そのまま押し付けたくなる自分の口唇はグッと結んで耐えて、このまま暫くは起きないであろうと判断し、一度Calmへと戻った。

通常の倍近い客を捌き続ける事を優先していたため、溜まりに溜まったグラスを洗ってから、珍しく乱れたバックバーのボトルを直していく。
習慣で手にしたブルーキュラソーとグレナデン・シロップに、今日はひとりではないのだという事実に気が付き、笑みを零してから棚へ戻した。

代わりにテキーラとカルーアを作業台へと置く。
氷を入れたロックグラスに目分量でテキーラを3分の2、カルーアを3分の1加え、人差し指で軽く掻き混ぜる。

ブレイブ・ブル

そのカクテルは、正直余り好みではなかった。

琥珀色に濡れる指先を舐め取って、やはり好まないと自嘲する。
名前が呑んだら、名前からは想像しがたい甘さに驚くかも知れない。いや、度数の強さに顔を顰めるのが先か。
グラスを片手にCalmの鍵を締め、一度地上へ出てからエレベーターで最上階へ上がる。
念のため掛けていた外鍵を開けて部屋に入れば、気持ち良さそうに眠っている姿に顔が綻んだ。
起こさぬようベッドの縁に腰を掛けたつもりが、思ったより軋んだ音が響く。
「…ん〜」
小さく唸る姿にほんの僅か、瞳が合う事も期待はしたが、また深い眠りに入っていく寝息を聴きながら、グラスを傾けた。

カランッ

音を立てた氷の後、

「バーマンさん…」

鮮明に聴こえた呼び名に心臓が跳ねたが、それが寝言という事にもすぐに気が付く。

閉じられたままの瞳に、俺はどう、映っているのだろう。
常に羨望の眼差しで向けてくるから、随分格好を付けてきたように思うが、実はそうでもないと知ったら、失望するかも知れない。
それでも懸命に拳を握り締めて、持論を力説するだろうか。

「バーマンさんはバーマンさんで良いんですよ!」

唐突に響いた声を噛み締めるように、ゆっくり目を閉じて開く。


今、名前が


打算も利害も関係ない次元で、俺が作ったカクテルじゃなく、俺自身をも認めてくれる時が来て、それが今まで生きてきた証と、これから生きていく指針になるのだと知った。

どうやっても、俺は、誰かにはなれない。
俺でしか在れないのであれば、またそこに俺自身に価値や意義を見出してくれる存在も居る。

「俺は、お前の止まり木になりたい」

ポツリと呟いた声に、何も反応はない。
それでも傾けたグラスと氷の音には一気に眉根が寄って、寝ている時もわかりやすく表情が動くのかと小さく笑った。
半分程残っている中身を一気に呑み干して、立ち上がろうした瞬間にベストの裾をしっかりと捉まれていくのに気付く。
自然と上がってしまう口の端を隠す事なくその柔らかくて温かい頬を撫でた。
スヤスヤと眠りながらも、弛む事のない指の力に放す気配がないと早々に諦め、グラスを床に置く。
ネクタイとエプロンを音を立てないよう外してから、粗雑にハンガーラックへと投げた。
規則正しい寝息に誘われるように腕を組むと目を閉じる。
眠るつもりではなかったのに程良く回ったアルコールのせいか、そのまま心地好い眠りに落ちていた。

BraveBull
勇敢