Welcome to Bar Calm | ナノ
あぁ、あったかいなって。あと、何かふわふわする。
身体が浮いてるみたいで気持ち良い。
頬に何かが触れた気がして、それが凄くくすぐったい。
「…あはは」
自分の笑い声が響いて聞こえて、あれ?そういえば此処どこなんだろうって疑問が湧いた。

宙に浮いてた感覚は、座り慣れたちょっと高めの椅子の感触に変わっていて、何でだろうって思う前に差し出されたグラスで、あぁそうだ私Calmに居るんだったって思い出す。
でもさっきまでラムコーク呑んでたと思うんだけど、いつ呑み終わったっけ?

「これは?」
「アフィニティ」
「へー、ん、おいしっ」
「カクテル言葉は"触れ合いたい"」

え?って言う前に何でか、ほんとに何でかわかんないけどベッドに移ってて、目の前にはバーマンさんの顔があって、あれ?何コレちょっと待ってって
「名前…」
艶っぽい表情してるのにきゅんとしたんだけど、でもこれはやっぱりちょっと何かオカシくない?
何で急にベッドに座ってるの?
考えてる間にも軋む音がして、バーマンさんが迫ってきて今にも口唇が触れそう。

どうしよう、どうしよう。

嫌じゃないけど心の準備がまだ全然出来てない。下着も見せられるものじゃない。
でも抵抗するのもちょっと違うから、キスは目を閉じて受け入れたけど、掛けられる体重に倒れていく身体がベッドに沈んでいく、筈なのに真っ逆さまに落ちてく感覚に必死で両手を伸ばすしか出来ない。

「わあっ!ちょっと待って!!バーマンさん!!」

ガバッ!

それが勢い良く起き上がった音だって知ったのは、掛けられた見知らぬ布団と

「何だ?」

落ち着いた声が返ってきてからだった。


Welcome to Bar Calm


「…あれ?」

前を向いても見知らぬ、部屋。部屋っていうか、コンクリートで覆われてて普通の家とかじゃない。
何処?
そう思いながら、声がした方へ顔を向けてみた。
そこに居るのはそれはもう、穴が開く程見続けたから見慣れたバーマンさんなんだけど、ネクタイとエプロンは外されてて、それだけでドキッとする。
目線の先では、1口のガスコンロに置かれた銀色のヤカンが蒸気を立てていて、首を捻るしか出来なかった。

「…あのー、此処は?」
「俺が住んでる部屋だ」
「え!?バーマンさんち!?」
「家じゃない」
「あ、そっか。そうですね…」
そういえばビルの最上階に住んでるって言ってたっけ。だから家っぽくないって思ったんだ。
「私、此処に来たっていう記憶が…ないです」
しかも多分、これバーマンさんのベッドを占領しちゃってる。周りを見回してもこれしかないから多分じゃなくて間違いない。
「睡眠時の記憶は普通、ないものじゃないか?」
「あー、やっぱりそうですよね。私寝てたんだ。あはは」
意味もなく笑ってから、コポコポと音を立ててお湯をカップに注ぐ間で、事の重大さに気付いた。
「寝てました!?いつから!?ってかこのベッドも!!すいません!!」
良くわからないままとにかくそこからは降りようと布団を捲った所で、無言のまま差し出されたマグカップ。
美味しそうな匂いに、つい鼻が動いた。
「腹が減っただろう」
「…え?あ、ありがとう、ございます」
両手でそれを受け取って、次に渡された割り箸でその中身がラーメンだというのを知った。
せめて布団の中からは出ようと足を床に下ろした所には、私の靴が揃えて置かれてる。
視線をバーマンさんへ向けようとした途中で、カップに浮くパンダのカマボコと目が合って、瞬きを繰り返す。
「あ、可愛い」
隣に腰を下ろすバーマンさんが持ってるマグカップの中身も同じなのかなって覗き見るけど、そっちは無色透明でそれにも瞬きが多くなった。
「あれ?バーマンさん食べないんですか?」
「俺は良い。この時間は大体食べない」
一口飲むのは、お水かな?あ、でもさっきヤカンのお湯入れてた気がする。
「…今、何時ですか?」
そう、恐る恐る訊ねてみた。
何で恐る恐るかって、何となくわかるから。
正確ではないけど、ブラインドが閉まった窓一面からでも時々差し込む明るさで、大体は。

多分、寝たまま朝を迎えたんだろうなって。

答えを示すように、ポケットから懐中時計を取り出すと視線を向ける横顔がカッコイイ。
その心臓の高鳴りも
「7時9分だ」
予想していた事実に項垂れてしまう。
「…ごめんなさい」
「何故謝る?」
「寝ちゃった、から」
いつまで記憶があるかって言ったら、ラムコークが3分の1残ってた時位まで。
それが何時かわかんないけど、多分その後すぐに意識を飛ばしたんだと思う。
って事はバーマンさんはあの地下の階段から、此処まで私を運んだって事だよね。
どうしよう。申し訳なさすぎて顔を上げられなくなってしまった。
それに
「…0時まで起きてられるって言ったのに」
折角バーマンさんと一緒に居られる時間だったのに。なのに寝ちゃうとか、ほんと馬鹿。
カップの中でパンダがくったりしていくのをただ見つめるしか出来ない。
「しかもベッド、占領しちゃって、ごめんなさい…」
見る限り、持ち運び出来るように簡易的なもので普通のベッドより狭いから、バーマンさん、私のせいで眠れなかったんだろうな。

「食べないのか?」
それでも全然怒る所かこうやって気を遣ってくれるの、好きだなぁって思う。
「……。食べます」
こんなに迷惑掛けてるのに、要らないなんて言える筈ない。
少しずつ麺を啜りながら、その温かさで涙が出そうになるのを堪えた。
「…ズズッ」
「寒いか?」
「大丈夫、です…」
此処で泣くのはダメ。それこそ何だこいつって話になっちゃう。
もうしてしまった失敗は取り返せないから、これから名誉挽回しよう。
そう、これからこれから。
…その、これからがあれば、だけど。
優しいし表情は全然変わんないけど、きっと心の中では呆れてるよね。だって
「その様子では記憶にないのかも知れないが、お前は0時まで起きていた」
静かな、ほんとに静かで落ち着いた声に、鼻を啜りそうになったのを止める。
「へ?」
「閉店間際に来た団体客がなかなか帰ろうとしなかったため、閉店時間が伸びる旨を伝えた所、大丈夫だと笑っていた」
「…え?そうなんですか?」
「そうだ。結局完全に店を閉められた時刻は正確ではないが、0時半は確実に過ぎていただろう」
そう、だったんだ。全然、これっぽっちも覚えてない。
「だから、気に病む必要も、謝る必要もない」
少したどたどしくなった口調が、その不器用な優しさを伝えてくれてる。
「でも…そのせいでバーマンさん眠れてないし」
「その点においても問題はない。名前と共に少し眠った」
「へぇ!?」
すっごい間抜けな声出しちゃった。え?だってそれって
「一緒に?」
「そうだ」
「私イビキとかやばくなかったですか!?」
「そういえば、うわ言は言っていたな」
「嘘!?何て!?」
「"美味しい"と」
白湯を飲むバーマンさんの動きに釣られて、スープを啜った。
じっとしてると恥ずかしさに耐えられない。
あ、でも多分それって…
「バーマンさんが作ってくれたカクテル呑んでたのかなぁ?最近良く見るから」
さっきも見たし。ってあの内容は流石にちょっと、言えない。それもそれで恥ずかしい。
誤魔化すように麺を口に運んだ所で
「恐らくそうだろうな」
ふって、思い出したように静かに笑うから、何かやっぱり余計な事を言ってしまったのかと考えて咽そうになった。
「わ、たし何か、それ以外に言ってました…?」
「いや、その一言だけだ。だが言い方が、いつも聴いているものと同じだったから、そうではないかと」
一呼吸置いてから続く言葉を聴いてから、私、多分ほんとにずっと固まってた。

「そうで在れば良いと思った」

聴いてから?多分そう。違うかな。その笑顔が向けられてから?
今までにない、本当に、凄く優しくてあったかい笑顔。
私だけに向けて欲しいってあれほど思ってた筈なのに、いざ向けられると眩しすぎて、瞬きひとつ出来ないままで動けない。
近付いてくる顔に気が付いた時には、バーマンさんの口唇と重なっていて、割って入ってくるぬるっとした感触に目を瞑った。
「…んっ…」
絡まってくる舌に応えるのに必死になっていたせいで、カップが滑り落ちていきそうになったのを右手に支えられる。
必然的に左手を包み込まれる形になって、初めてこうやって、手に触れたかもってぼんやり考えた。

ずっと、こうしたかった。

そんな事も、思った。

深く深い接吻けは、全然強引じゃなくて優しくて、やっぱりあったかい。
気持ちが流れ込んでくるみたいで、溢れてくる嬉しさが涙になっていく。
それでも、今泣いたら変に思われちゃいそうで、グッと堪えた。

チュッと短い音を立てて離れた目の前には、バーマンさんの柔らかい表情があって、途端にけたたましく鳴り出す心臓も
「伸びるぞ」
その一言で我に返る。
「…あ、はい…!」
答えた時にはもうその顔も手も距離を作られていて、もう少し触れ合っていたかった。なんてちょっと残念に思った。
でもそう。ラーメンは食べよう。勿体ないから。もう若干伸びてるけど。
とにかく麺を啜りはじめる私に、バーマンさんは全く表情を変えないまま白湯を飲んでいて、前もこうだったなって考える。
てっきりそのまま、もっと進むのかなって期待はあったんだけど、今の雰囲気的にそういうのもなさそう。
キスの感触を思い出してしまう前に、また麺を啜った。

「食べ終わったら付き合ってくれないか?」

びっくり、した。また急にそんな事って思ったけど、違うよね。その言葉の足りなささは少し考えればわかる。
詳しい意味合いまでは良くわかんないけど、そういう恋愛的な"付き合う"っていう意味じゃないって。
「何にですか?…あー、うーん?何処に?の方が良いのかな?」
「家具屋に行きたい」
その言葉に、やった合ってたって心の中でガッツポーズした。
ちょっとバーマンさんの事詳しくなったみたいで嬉しい。
顎を動かす間で、ちょっとその先も考えてみる。
家具って事は、もしかしなくてもCalmの備品とか、そういうのだろうな。でもそれ以上はわかんない。
「何買うんですか?」
「バーチェア」
店内配置を想像すると、カウンターの席はもう増やせないから、テーブルの方に置くのはすぐにわかった。
「テーブルに2脚ずつ設置したい」
やっぱりって思ってから考える。でもそれって
「大丈夫、ですか?」
思わず訊いてしまったのは、今までの立席スタイルを維持した方が良いんじゃないかって思ってたせい。
というのも、Calmは本当にバーマンさん1人で回してるから、正直カウンターの6席が埋まるだけでもかなりの負担になる。
それに加えて4つのテーブルに2脚ずつ置いたら、実質的にバーマンさんは注文を聞く、カクテルを運ぶ、お会計をする、単純に考えてもその3回の往復移動が増えてしまう。
だから一般的に小さいお店では、敢えて立ち飲みにして、お客さんの回転数を上げる工夫をしている所が多い。
そうする事で馴染みのお客さん達はセルフサービスなんて言って店主が忙しそうにしていたら、自分達がカウンターに注文しに来てくれたり、使ったお皿を下げてくれたりする事が多くなる。
そういうのを"助け合い"って言うんだって習った。
Calmもそうすれば、バーマンさんの負担がぐんと減るって思ったから、集客には繋がりにくい立席スタイルを敢えて残しておいたんだけど。

「昨日、実際にテーブルを囲む客を見て思った。Barに慣れている人間以外、立席ではカクテルを味わうまでの精神状態に至らない」

そう言って遠くを真っ直ぐ見つめるバーマンさんの瞳には、きっとこれから先のビジョンが、たくさん見えてるんだろうな。
そこに私が、ずっと居られたら良いなってちょっと、ううん。凄く思った。

でも、この件に関してだけは釘を刺したい。Calmのコンサル担当として。

「バーマンさん、正直めちゃくちゃ大変になりますよ?理想を貫きたいんだったら、誰かの力を借りた方が良いです」

生意気だってわかってるけど、これだけはほんとにそう。
バーマンさんだからじゃなくて、実際コンサルの現場を聞いて、見て、感じた経験からの印象。
たった1人で14席を捌くのは無理。絶対に無理。

私が強く言い切ったから驚きの目を向けられたのかと一瞬考えたけど
「同じ事を、前に鱗滝さんにも言われた」
そういう意味で驚いているんだっていうのを知る。
流石、バーマンさんの師匠だなぁ。私がわざわざ言う必要なんてなかったかも。

今度は下を向いて黙り込んでしまった横顔は、何を考えているんだろう?
理想と現実の違いに悲しくなってしまってるのかな?
私が手伝えたら良いんだけど、それも現実的に無理だし。
ほんと、口だけで全然役に立てないや。

箸を止めたままだった事に気が付いて動かそうとマグカップを覗く。
暢気なパンダと目が合って、尚更悲しくなってしまった。

「従業員を雇うというのは正直悩んでいたが、名前が言うのなら、その方向で検討してみよう」

勢い良く顔を上げた先、紺碧の瞳と見つめ合って今度は嬉しくなる。
私、意外にコンサルタントとして信頼されてるのかも、なんて。
それだけじゃないって思いたいけど、でも今はそうかなっていう自信。そう、自信は大事。
「良いと思います!そしたらバーマンさんもカクテル作りに専念出来るし!」
ぐっと握ろうとした両手はカップと箸で上手く出来なかったけど、勢いだけは伝わったと思いたい。

笑顔、とまではいかないけど柔らかい表情をしたバーマンさんは、カップの中身をぐいっと飲み干すと立ち上がる。
「食べ終わったか?」
「あ、はい!あー、待って。パンダがまだ居た」
「パンダ?」
底に沈むカマボコを箸で掬ってからバーマンさんに見せた。
「ほら、パン」
言い終わる前にその口に収まる箸先。
当たり前に固まる私に
「相変わらず味がない」
そう呟いたと思えばそのままカップと割り箸を攫っていく手に、どう反応して良いかわからないまま背中を見つめる。
さっき使ってたコンロの横に置かれていくカップ達に、そういえばどうやって洗うんだろうと疑問を持ったと同じタイミングだった。
「昨日の盛況は名前のお陰だ」
そう言って戻ってくるバーマンさんにまた首を捻るしか出来ない。
「皆が言っていた。ネットで見たと」
「そうなんですか?」
「あぁ」
短い返事を聞いても、全然実感がない。
だって昨日の昼間も見たけど、正直ホームページのアクセス数はそうでもなかった。
あれから少しは伸びたのかな?って確かめようとして気付く。
そうだスマホ、何処やったっけ?
辺りを見回す私に戻ってきたバーマンさんが不思議な顔してる。
「捜し物か?」
「はい、スマホっていうかかば」
んという前に背を向けたと思えば、ハンガーラックの前で立ち止まって手にしたのは見慣れたバッグ。
そこにあったんだ。全然気が付かなかった。
戻ってくるバーマンさんから視線を外して、また辺りを見回す。

起きた時から思ってたけど、この部屋、ほんと必要最低限しか物がないなって。
見た所冷蔵庫もないし、いつもどうしてるんだろう?
Calmがあるから困らないのかな?地下から最上階じゃエレベーターでも移動は大変そうだけど。
そのただでさえ大変な距離を運ばせてしまった、と思い返すと申し訳なさすぎる。

「相変わらず表情が良く変わる」

いつの間にか目の前に居たバーマンさんはまた優しく微笑っていて、凄い好きだなって気持ちが勝手に沸き上がった。
それもすぐに
「スマホも中に入れておいた」
その言葉に申し訳ない気持ちが勝っていく。
「すいません…。ありがとうございます」
小さく頭を下げながら受け取って、スマホを出す間に離れていくバーマンさん。
「着替えてくる」
「あ、はい」
向けられる背中で、やっぱりバーマンさん、寝てないんだろうなって確信した。
だって、制服に皺ひとつ付いてないから。
もし少しでも横になってたらそれなりに縒れてる筈だもん。会社の仮眠室から帰ってきた営業の人がそれで良く困ってるの見てたから知ってる。
そうやって、優しい嘘吐いてくれるのも好きだなぁ。って私、結局全部好きなんだろうな。
でも私がひとりで寝こけてる間、何してたんだろう?寝言もバッチリ聞かれてたし、寝顔とか、それはもう嫌って位見られたんだろうな。どうしよう、実は凄い変な顔してたとかだったら恥ずかしい所の騒ぎじゃない。
そんな事を考えながら無意識に開いたLINEの画面に息を止めた。

「…へ?」

は?え?どういう、事?

状況が把握出来ないままタップした先、また出てきた新しい事実を呑み込むだけで精一杯。
だけど
「…バーマンさん!ちょっと待って!」
出て行こうとするその背中だけは辛うじて制止出来た。
それでも画面から視線が剥がせない。

これは、だって、そうだよね。確かに間違いない。間違いないようがない。

「…どうした?」
「これ!」
勢い良く顔を上げた所で思ったよりも近いその距離に一瞬息を飲んだ。
バーマンさんってほんと気配がしないっていうか、静かすぎてたまに怖い。
でも今はそうじゃなくて、問題は

「主任から連絡来てて!Calmの事が紹介されてるって!」

画面を見せれば、僅かに紺碧色が揺れてる。
私の手ごと持っていく動作にドキッと心臓が跳ねたけど、今はそれも気にしてる場合じゃない。

「Bar好きの間では結構有名人のブログらしいです!」

SNSがこれだけ主流になってる今、何でブログ?なんて思ったけど、この人かなり前から訪れたBarで呑んだカクテルを紹介し続けてて、ざっと見た閲覧数やいいねだけでもかなりの人が来てる。

スクロールしていく手が止まった瞬間、珍しい位に驚いてるのが目の開き具合で伝わってきた。

「…俺が作った、バレンシアだ」

まるで噛み締めるみたいにゆっくりと出された言葉。

「やっぱりそうですよね!?」

店名も場所も、詳しい事は伏せられてるから、"本日の1杯"と称された写真でしか推測出来ないけど、これは間違いなくバーマンさんが作ったカクテルだって私も確信してる。
だってカットオレンジもグラスも、コースターの色も形だって全部一緒だし。
ついでに言うならカウンターもまるっきり同じ。
こんなにそっくりなのに、違うなんて事ある筈ない。
昨日見て、呑んだばっかりだから尚更そう言い切れる。

画面を見つめ続ける瞳が、すごく嬉しそうで瞬きを繰り返す。
「もしかしてバーマンさんもこのブログ、知ってるんですか?」
「知っている所じゃない。これを書いている人物はただ呑んだカクテルを紹介しているだけではなく、一定の基準を満たし、かつ自分が認めたものしか載せない。故にバーマンの中にはこのブログで記事にされるためだけに技術を研磨している者も少なくないと聞く。それ程に有名な存在だ」
あ、だから主任も凄いテンション高かったのかな?文章からだけでも嬉しそうなのが伝わってきてた。
「でもそんなに有名な人なら来たらわかるんじゃ…?」
「自分の名も姿も一切明かさないため、こうして写真を上げられた後で皆その事実を知る。他の客に紛れ、特定されぬよう細心の注意を払っているのだろう。実際Cascadeにも来たが、どの人物だったか鱗滝さんでさえ見抜けなかった」
「…え!Cascadeにも来た事あるんですか!?」
「ある。鱗滝さんの時は俺がまだバーマンになる以前の話だが、錆兎の時もこうして突然記事になってから知った」
鱗滝さんと錆兎さんが作ったカクテルも紹介されてるんだ。
じゃあバーマンさん、きっと凄くすごく、嬉しいんだろうなぁ。
自然と綻んでいく顔は

「まさかあの老人がこれを書いていたとは…」

その言葉で止まった。

「バーマンさん、誰かわかったんですか!?」
「昨日バレンシアを頼み、写真を撮っていた人物は1人しか思い付かない。名前も覚えている筈だ」
「…えーと」
一応間違ってないかって下を向いて考えてみたけど、すぐにその人物が思い浮かぶ。確かに1人しか居ない。
あの穏やかで優しそうなおじいさん。
言われてみればバーマン呼びもしっくり来てたし、カクテルの製法とかまですごく詳しかった。
って事は、すごい人に気に入って貰えたって事!?バーマンさんのカクテルが!

その事実に驚きと嬉しさで顔を上げた先、画面をスクロールしながら綻ばせてる表情に涙が出そうになった。

頑張ってきた事が誰かに認められる。
それが結果として形に残る。

こんなに嬉しくて誇れる事、そうそうない。

良かった。ほんとに良かった。

何度もそう思いながら、ただバーマンさんを見つめる。
「…ふ」
それが突然、小さく笑ったから何だろうって首を傾げる私に
「名前の事が書かれてる」
そう言って向けてくる画面が見えた瞬間、息を止めた。
「…これ、私が書いた外看板…」
映し出される画像にはチョークアートで書いたバレンシア。上手く角度を変えて店名とかは映らないようになってるけど、見る人が見たらCalmだってすぐにわかるようにしたんだと思う。
その後には
"イラストは常連さんが描いたもの。その人は、すごく美味しそうにカクテルを呑んでいたので、ついつい話し掛けてしまいました。カクテル好きな方とお話するのは久しぶりだったので、とても楽しい時間でしたね。"
そう綴られていて、あ、やっぱりあのおじいさんだって顔を思い出した瞬間、笑顔が零れた。
でも次の言葉にはまた驚いて
「バーマンさん!続き!」
未だ握られてる手と反対の人差し指でスマホを指差す。
「次に呑みたいカクテル、って!」
少しだけ見開いた目がまた画面へと向かって、納得したようなそれでいて誇らしげに笑うから、きっとこれもおじいさんからバーマンさんへのメッセージなんだろうなって思うと私まで嬉しくなった。


Mai-Tai
賞賛