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勢いって大事だけど、勢いだけじゃどうにもならない事もあるって、今凄く頭を抱えてる。 藁にも縋る思いで送った緑のメッセージも、すぐに返ってきた "ちょっとそれは無理だわ〜 ごめんね" 汗を飛ばしながら頭を下げるクマの絵文字にガックシと肩を落とした。 これで頼れる、そしてすぐに返事が返ってきそうな友達は全滅。 あと誰か居ないかな、とスクロールしていく手を止めた。 くだらない事でいつもやりとりしてる身内にさえ頼むのを躊躇ったしその結果ダメだったんだから、必要最低限の連絡しかしない人達が私の頼みを引き受けてくれる訳がない。 "母親へのアリバイ工作に名前使わせて"なんて。 盛大な溜め息を吐きそうになったのは、カウンター越しのバーマンさんを見つめて何とか耐えた。 ふと上げられた眼差しと目が合う事はなくて、カットされたオレンジが添えられたロックグラスを手に反対側へ向かう姿を目だけで追う。 私より少し後から入ってきた年配の男の人の前 「バレンシアだ」 今日のカクテルを告げながらそれを置いた。 「美味しそうだなぁ。写真を撮っても良いですか?」 「…構わない」 「ありがとう」 スマホで撮影した後小さく頭を下げてからグラスを傾ける姿に、おじいさん、凄く美味しそうに呑んでるなぁって思いながら、私も最後の一口になったバレンシアを味わう。 うん、おいしっ。 いつもなら声に出す「ごちそうさまでした」も一緒に心の中で呟いて、片付けやすいようにカウンターの内側に寄せた。 "無言の愛" 不意に思い出したカクテル言葉に、ニヤける口元をスマホで隠す。 昨日、マルガリータを呑み終わるのと同時に掛かってきた電話で帰らなくちゃいけなくなったから、バーマンさんの真意は直接確かめられてないけど、そういう事って受け取って良い、んだよね? "無言"だから調べろって言ったんだ、よね? 全然わかんないよ。 最後にハテナなんてつけなくて良くなる位、もう少しちゃんと伝えて欲しい。 そんな事を思いながら足を運んだCalm。 今日こそ気持ちを確かめようって意気込みながらバレンシアのイラストを描いていた私に、バーマンさんは明日が休みか訊いてきたから、そうですって答えた。 何でそんな事訊くんだろうと思ったけど 「0時には店じまいをする。それまで起きていられるか?」 その言葉に冗談抜きで一瞬心臓が止まった。 子供じゃないし起きてられます!ってすぐに返したけど、言葉とは裏腹に弛んだ口元はバレてたと思う。 今も弛みっぱなしな頬に気付いて力を入れた。 ニヤニヤしてる場合じゃない。 立ちはだかる"過保護な母親"という難関をどうにか越えなきゃ。 母親だって鬼じゃないんだし正直に話せばわかってくれるって考えてすぐにないなって思い直した。 怒涛の質問攻めからバーマンさんへの挨拶という名の面談が始まる。 ダメ。絶対言えない。 いきなり電話で挨拶なんて無理そうだし、うまく喋れないバーマンさんに母親が畳み掛けるのも想像出来る。 絶対無理。 だから友達も皆、名前使われるの嫌がったんだもん。 考えながらも無意識にその姿を目で追ってたみたい。 紺碧の瞳と視線が合って、慌ててスマホの画面へ移した。 Welcome to Bar Calm バーマンさんにも言えない。 だって重いじゃん。 20歳過ぎていちいち親の許可が必要とか。 しかもそれが付き合い始めたばっかりで…って、付き合うって勝手に思っちゃってるのそこも良いのかなって思うけど、とにかくそういうので面倒とか思われたくない。 そこをバーマンさんが気にするか気にしないかじゃなくて、私が嫌だ。 もう一度アリバイ工作を頼める人は居ないか画面をスクロールしながら時間を確認した。 今の所、母親には残業してるってLINEは送ってあるから、あと2時間は此処に居られる。 でもそれまでに何とか理由を作らないと。 ダメだったらもう、バーマンさんに親が厳しいって正直に話して、今日も大人しく帰るしかない。 むしろそっちの方が良いのかも。いきなり無理するよりは、多分。 でも… 音もなく差し出されたワイングラスに顔を上げた。 見覚えのある赤褐色にそれが何なのかすぐに理解が出来て目を丸くする。 「…これ」 「昨日、呑み損ねただろう?」 見つめる瞳から優しさが伝わってきて、抑えた筈の頬の弛まりが誤魔化せなくなった。 凄いバタバタして帰ったから何にも言わなかったっていうか、言えなかったのにバーマンさん、気にしてくれてたんだ。 「…いただきます」 やっぱり、一緒に居たい。 やっと想いが届いて、通じたんだもん。 別に朝までなんて言わないから、もう少し、こうしてバーマンさんと同じ空間に居て、出来る事なら独り占めもしたい。 そう考えると閉店まで待つしかないんだよね。仕事の邪魔はしたくないし。 そしたら母親には連絡しないとっていう振り出しに戻っちゃう。 ひとまず考えるのを一旦やめよう。 グラスを持ち上げて口元に近付けただけで甘い香りが漂ってきた。 最初に鼻で楽しむ、とか言うのを思い出して意識して息を深く吸ってみる。 ワインって今までツンとくる、鋭いようなイメージだったけど、このシェリーは凄く落ち着いたというか角がない、優しい感じがする。 こういうのを"芳醇な香り"とか表現するのかな? 口に含んだ瞬間、 「…ん!」 呑み込む前に美味しいと言いそうになって、ちょっと咽そうになってしまった。 「バーマンさん、これ凄い甘いです!ワインじゃない!」 ついいつもの勢いで話してしまったと気付いて後悔したのは、小さく噴き出す音が聞こえたから。 クスクスと笑うおじいさんに恥ずかしさで居たたまれなくなった。 「…あ、ごめんなさい。うるさかったですね…」 「いいえ。お気になさらず」 凄く優しい笑顔を向けてくれたけど、どういう表情をして良いかわかんないまま、とにかく頭を下げた。 「甘過ぎたか?」 すぐに飛んできたバーマンさんの静かな声に顔を上げる。 「んーと、大丈夫です!」 あぁ、また大きな声出しちゃった…。抑えなきゃ。 「もっと酸っぱいのかなって思ったからビックリしただけ。美味しいしこれ位甘い方が好きです」 「…そうか」 少し安心したようにグラスを拭くと、定位置に戻す動作を、またニヤけそうになりながら見つめた。 でもあんまり顔に出しちゃダメだってシェリー酒を呑んで隠すけど、美味しくてまた口元が上がってしまう。 「お嬢さん、それは何のワインですか?」 「…え!?あ、シェリー酒です」 ビックリ、した。 話し掛けられたのもそうだけど、"お嬢さん"なんて呼ばれたの初めて。 お嬢ちゃん、ならあるけど。高校生の時に。 「…あぁ、シェリーかぁ。スペインが原産国でしたよね?」 目を細めて微笑まれたけど私にはわからないからバーマンさんに視線で訴えるけどコクッと小さく頷くだけ。 そうだ、誰かが居ると全然喋ってくれなくなるんだった。 さっきまで普通に返してくれたからすっかり忘れてた。 このまま私が黙れば無視する事になっちゃうし苦し紛れで返すしかない。 「そうみたい、ですね」 このおじいさん、凄いカクテルの事好きそうだし詳しそう。雰囲気的に。 バーマンさんが話してくれないと、話題を振られてもついていけないと思う。 「甘いとおっしゃっていたから品種はモスカテルかペドロ・ヒメネスかな?」 思うじゃなくて絶対についていけない。 どうしようって思ってるのに裏へ引っ込んでいくバーマンさんに何で今!?っていうのも口に出せない。 言葉のニュアンスが恐竜の名前みたいだなって焦りながらちょっと思った。 「あ、あのごめんなさい。そんなに…っていうか全然、詳しくなくて…。あの…」 しどろもどろになる私に、おじいさんは少し驚いたような顔をしてからすぐに笑う。 「…ははは、こちらの方こそすまないね。お嬢さんが美味しそうに呑んでいるものだからつい。迷惑でしたね」 「え?いや!迷惑じゃないです…!…親近感!そう親近感ですよね?わかります!私もさっき、おじいさんが美味しそうにバレンシア呑んでたの見て話し掛けたくなったから!」 「おや、見られてましたか」 「こっそり見てました。すいません」 何でかわかんないけど、同じカクテル好き同士通じ合えた気がして、嬉しいやら照れるやらで笑い合った。 「此処には良く来られるんですか?」 「はい。職場が近いんです。ほんとにすぐそこで。おじいさんは?…って失礼ですよねこの呼び方!」 「いえいえ、おじいさんと呼んでください。私は今日初めてです。通りの看板に描かれたカクテルが美味しそうで気が付いたら階段を下りてました」 「…あ、そうなんですか」 精一杯、出来るだけ冷静に返事したけど、嬉しさが溢れてくる。 でも隠さなきゃ。 Barじゃなくても、こういう小さなお店で顔見知り以外誰も居ないっていうのは新しい顧客に繋がりにくいって前に習った。 でも普通の顔を意識すると余計変な所に力が入っちゃってダメ。 「あの看板はお嬢さんが描いたのかな?」 「…え!?あ…えーと、はい…」 何でわかったんだろう…。そんな顔に出てたかな? とにかく印象がマイナスになる前にカバーしなくちゃ。 「ここ開店したばかりなんです!私もたまたま来て知って…バーマンさん…あ、さっきの男性1人で経営してるから美味しいカクテルのお礼っていうか何か手伝いたいなぁって思って」 早口になってしまったけど、何とか伝えたい事は伝えられたと思う。 「そうかぁ。確かに、こんな美味しいバレンシアを呑んだら、私もお手伝いしたくなるなぁ」 そう言って微笑むおじいさんにハッとした。 これはもしかしなくても、常連さんゲットのフラグ! 肝心のバーマンさんは何してるんだろう、とカウンターの奥へ目を向けるけど、全然戻ってくる気配がない。 こうなったらまた来たいって思えるような雰囲気を作らなくちゃ。 「美味しいですよね!これ市販のオレンジジュースじゃなくて、バーマンさんが絞ったものなんです」 「…ほぉ、それは凄い。昔と違って製法に拘るバーマンは減る一方だというのに…。お若いのに立派ですなぁ」 やっぱりこのおじいさん、カクテルだけじゃなくてBar自体に凄い詳しいと思う。 だってバーマンってほんとに自然に… ガンッ!ドサドサッ…! 突然奥から響いた音に立ち上がる。 「バーマンさん!?」 カウンターから身を乗り出しても様子を窺えないのはわかってるけど、動かずにいられない。 だって凄い音した。 何かが崩れたような… 「おやおや…。大丈夫かな?」 おじいさんも驚いたように目を丸くしてそっちを見てる。 それでもすぐ戻ってきた姿に無事だと安心する前に、埃まみれの制服にギョッとしてしまった。 * * * 適当な長さに切ったガムテープでペタペタと音を立てながら肩から胸を軽く叩いた。 カウンターの椅子に座るバーマンさんの表情はいつもと全然変わらない。 「キレイに取れるかな…」 「大体で良い」 「大体なんてダメです。飲食店って清潔感が凄く重要なんだから」 黙ってしまったバーマンさんの後ろ、さっきまでおじいさんが座っていた席を見る。 片付けをしていたと言うバーマンさんに苦笑いしてから、すぐにバレンシアを呑み干すと財布を出したから、嫌な印象を与えてしまったって一瞬慌てた。 しかも置いたのは1万円札で、バーマンさんがお釣りを用意するのすら待たずに帰ろうするから、それにも慌てて必死に止めたんだけど、 「開店祝いという事で」 そう言ってにっこりと笑ってくれたから、気分を悪くした訳じゃないのはわかった。 でもそんな大金を受け取れないとバーマンさんも流石に食い下がったけど、耳元で何かを囁かれて納得してたのを思い出す。 その後おじいさんは私を見ると 「可愛らしいお嬢さんともお話させて貰えて楽しかったよ」 晴れやかな笑顔でそう言って、Calmを出ていった。 「あのおじいさん、常連さんになってくれたら良いなぁ」 「本人はそのつもりでいる」 「え?そうなんですか?やりましたね!」 ついガッツポーズをしたけど、バーマンさんの顔はそんなに嬉しそうじゃなくて首を傾げてしまう。 「…どうしてわかるんですか?勘?」 「直接言われた。カクテルの前払いすると」 「…あ、だから…」 良かった。埃まみれのバーマンさんにはちょっと焦ったけど、ちゃんと次に繋がってる。 でも何でいきなり裏の掃除なんて始めちゃったんだろう? バーマンさんの行動ってほんと、良くわかんない。 「座るスペースは確保した。奥に居ろ」 …あ、そっか。そうだ。 良くわかってなかったのは私、だ。 いくらバーマンさんが優しいって言っても、そこはちゃんとしなきゃいけなかったのに。 「わかりました。ごめんなさい」 また、自分の事ばっか考えてた。また失敗だ…。 小さく息を吐く前に掴まれる手首の強さに心臓がドキッとした。 わかんない、けど、ちょっと怒ってる? 「夜が更けるにつれカウンター席は単独客で埋まる傾向が強い。そこに名前が居ればどうなる?」 「席が無駄になります!すいません気付かなくて!」 「………」 「…え?」 すっごい呆れた顔されてるんだけど、間違った事言った? 「何故バレンシアを今日のカクテルにしたかわかるか?」 いきなりそんな事訊かれても…。 眉を顰めるバーマンさんがちょっと怖い。 「私がオレンジ系のカクテルが好きだから?とか、まさかそんなのじゃ「そのまさかだ」」 …ちょっと待って。落ち着いて。心臓が止まりそう。 そういえばこんなにバーマンさんと近い 「バレンシアのカクテル言葉は何だと思う?」 「…わかんない、です」 何かバーマンさんさっきから質問攻めで考えが全然 「 」 耳元で囁かれた言葉に息を止める。 バーマンさんの気持ちと、不機嫌な理由が明らかになって今度は一瞬じゃなくて、確実に心臓が止まった。 Valencia お気に入り ← |