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思えば、いつもそうだった。 ちっちゃい頃から何となく、目の前にあるものを自分で選んだ気になってた。 無理なものは無理だって割り切る方が何かと楽だったし、諦める事自体も辛くなかった。 唯一大事にしてたのは"造るとか、描くとか、そういう仕事に就きたい"っていう、何とも曖昧な夢。 それも短大に通った時、現実を知った。 私より凄い人は世の中には数え切れない程たくさん居るから、私じゃなくても良い。 そこに追い付こうとか、必死に努力するとか、そんな風にも思えなくて、いつの間にか、あれだけ好きだった何かを"創ろうとする事"もやめた。 就職してからはますます"普通"じゃなきゃいけない気がして、他人にムカつく事を言われてもヘラヘラした顔で返した。 それも別にそんなに辛い事じゃなくて、そうやって皆何かしら我慢してるからそんなものなんだろうって、疑いもしなかった。 キラキラした特別なものに憧れて、"普通"という現実を生きていく。 それが私なんだ。 それが身の丈に合った生き方なんだ。 普通だから、普通に生きていかなきゃいけない。 そんな風にずっと、言い聞かせたんだと思う。 だけど今は違う。 「私、バーマンさんが好きです」 何もしないで上手くいくなんて、そんな都合の良い物語、何処にもない。 シンデレラだってガラスの靴を落とさなかったら王子様と再会出来てなかったかも知れない。 だったら"普通"の私がバーマンさんを振り向かせる可能性だって、ゼロじゃない。 Welcome to Bar Calm 凄く長い時間、無言のまま固まってた気がする。お互いに。 それでも視線だけは逸らしちゃいけないって、何を考えてるか読めないその紺碧色を見つめ続けた。 こうなったら返事を聞くまで合わせていようと目を顰めたのに、呆気なく逸らされて背を向けられる。 バックバーの上段へ伸ばす手を眺めながら、今の今まで瞬きをするのを忘れてたのに気付いた。 そういえば、いつの間にか涙も止まってる。 小さく鼻を啜った私に、ボトルを1本手にしたまま 「寒いか?」 なんて訊いてくるバーマンさんはちょっと何ていうか、そういうとこ抜けてるって思う。 それとも誤魔化すためわざと? 私の一世一代の告白はなかった事にしようとされてる? 嘘でしょ?そんなのやだ。 だったらはっきりフラれた方がまだ救いがあるよ。 こうなったらもう一度ダメ押しを… 「バーマンさ」 身を乗り出そうとした所で、その姿が消えた。消えたっていうか、私からは見えなくなっただけでガシャガシャと音を立てる氷で、そこに居るのは感じる。 もしかしてバーマンさん、カクテル作ろうとしてる? 私が頼んだシェリー酒もなかった事にされた? それとも今から作るカクテルがその返事ですっていう、そういうBar独特なオシャレな… ちょっと待って。カクテル言葉ってポジティブな内容ばかりじゃない。 この間見た、何だっけ。頼まないようにしようと思ったの。 …そうだ。えーと、そう、ギムレット。 カクテル言葉は"長いお別れ"と"遠い人を思う"。 そういえば、あれもライムがガーニッシュだ。 …どうしよう。無言でギムレットなんか出されたら…。 「表情が良く変わるな」 「‥うわ!」 いつの間にか私を見下ろしてるバーマンさんに野太い声が出てしまった。 呆れてるんだか目を細めながらカウンターに置いたのは、シルバーのバケツみたいな器。 まさかこの中身が全部ギムレットとか? 行動が謎過ぎて、有り得ない事まで浮かんできちゃった…。 一応確かめるため恐る恐る中を覗こうと身を乗り出す直前でザクッと音を立てて投入された1本の瓶に目を丸くした。 …見た事ある。これ、テレビとかで良く見るやつだ。ワインクーラーだっけ?氷入れて冷やすんだよね。それ位は知ってる。 ん?ワインって事は…。 弾かれたように顔を上げた所でバーマンさんと目が合った。 でもすぐに逸らした瞳が、取り出した懐中時計を見つめる。 「このまま呑み頃になるまで待つ」 「…え?良いんですか?呑んで…」 それって、だって 「要望に応えるのがバーマンの仕事だ。注文を断りはしない。だが全面的に受け入れた訳でもない。そこは勘違いするな」 …あ、そっか。そういう意味。 あくまでバーマンさんは、仕事の延長線で私の相手をしただけって事、だよね。 緩くなる涙腺を誤魔化すように鼻を啜る。 「空調を上げてくる」 「え?あ、違います!さっき泣いたから…鼻が詰まってるだけ!」 「…寒くはないのか?」 「あー、えっと、大丈夫です。どっちかと言えば丁度良い、かな?」 「…そうか。それなら3分…いや2分延ばすか…」 ポソリと呟いた意味がわからず、首を傾げてみるけどボトルに向けられてる視線に、首を戻した。 「寒いと何か変わるんですか?」 「呑み口が大きく変わる。このシェリー酒は冷やし過ぎると風味が損なわれるため、体感を加味した温度調整は必要不可欠だ。お前が寒気を感じていると冷却時間をやや短めに目算したが、それは誤りだったらしい」 もう一度懐中時計を開く瞳は真剣そのもので、笑顔が零れた。 バーマンさんは、本当にカクテルの事になると良く喋ってくれる。 凄く嬉しいけど、ちょっと寂しくもなる。 私に勝ち目所か、入る隙もないって感じ。 こうやってシェリー酒を利用してバーマンさんに近付こうとした卑怯な私にさえ、一番美味しい状態を模索してくれてるとか、完全戦わずして負けた。それしか言えない。 でもカクテルに負けるなら、仕方ないのかも。 だってそのカクテルに向けられる愛情も情熱も全部、好きなんだもん。 真下に落とした視線には、すっかり溶け切ってしまったアイス。 これだけは何となく残したくなくて、スプーンへ手を伸ばしたのに、それを制するように攫っていってしまうバーマンさんの手に顔を上げた。 「新しいのを用意する」 「…え?良いです大丈夫っ!勿体ないから!それ残しといて他のお客さんの分も取るのはちょっと…申し訳なさすぎます」 どうしてか、また不思議そうな顔をしてる。 私も疑問に満ちた表情になる前に 「名前のために作った物だ。他の客には提供しない」 その言葉に、今までにない位心臓が動いた。 「…わかりました。私わかってきました。バーマンさんって天然中の天然です。天然記念物!」 動揺し過ぎて良くわからない事を言ってしまったけど、でも本当、そうだと思う。 だって告白は見事にバッサリ切っておいて、そんな期待を持たすような事言うんだよ? しかもバーマンさんにとって、そういう認識じゃないのが究極過ぎる。 私、かなり難儀な恋をしたんじゃないかって、今凄く実感した。 まぁ、それももう、終わっちゃったんだけど。 考えてた所で、ふと俯きだしたのに気付いて、あれ、もしかして今の傷付けた?って焦ったけど 「それ位で狼狽えるのに、良くシェリーをオーダーしたな…」 震えてる声で笑いを堪えてるんだと知った。 「…あ、バーマンさん!からかいました!?」 「からかってはいない。事実を言ったまでだ」 冷静な声に戻ったのが何だか悔しくて、険しい顔を作ろうとしたのに、まだ上がってる口元を憎み切れないでいる。 ダメだなぁ。私、バーマンさんの笑顔に弱いみたい。 こうやって笑ってくれるなら馬鹿にされても良いって思える位に好きなのに。 大好き、なのにな。 どうしてダメだったんだろう? キスまで、してくれたのに…ううん、やめよ。 勝手に好きになって勝手に盛り上がって勝手に告白したくせに恨み節みたいな事、心の中だけでも思いたくない。 「すっごい勇気振り絞ったんですからね!バーマンさんにとっては迷惑でしかなかっただろうけど!」 こうやって、笑って終わりにする。 フラれたって好きな気持ちはすぐ忘れられないし、此処を出た瞬間に大泣きする予感しかないけど、バーマンさんと出逢って、Calmに通う事が出来て、たくさんのカクテルを呑めた事、哀しい思い出にはしたくないから。 笑顔でさよならを。とか、そういう事考えると泣きそうになっちゃうな。 やっぱりギムレット頼めば良かったかも。 でも最後なら、やっぱりテキーラ・サンライズをもう一度呑みたい。 ボトルを取り出すと水滴を拭き取っていくバーマンさんを眺めながら、ぼんやり思う。 こんな時でもカッコイイなって思うし、右手に持った銀色の道具は何だろう?ってワクワクした。 最後なんだしもう遠慮しなくていっかと質問しようと開いた口は 「迷惑などとは一言も言ってない」 少し低くなった声とキャップを開けていく動きで止まった。 これもきっと、バーマンさんの優しさなのかな? シェリーを断られた時に諦めていれば、告白なんてしなければ、ずっとその優しさに触れられてたのかな? 後悔はしてないけど。 ウソ。ちょっとはしてる。ほんのちょっと。 「そうでした、確かに言われてません!ははっ」 コルクが抜かれた後、ワイングラスに注がれていくシェリー酒。 バーマンさんは白ワインって言ってたけど、一瞬、赤ワインと見間違いそうな色の濃さにちょっと驚いた。 あ、でも赤ワインよりは濃くないかも。 ウィスキーよりちょっと褐色が強い感じ。 置かれる2枚目のコースターを見ながら、そうだ、折角だからこれも思い出として貰って帰ろうかなと思いつく。 「極甘口でアルコール度数が一番低いものを選んだが、ひとまずこれだけにしておけ。酔い潰れても業務中に介抱は出来ない」 「了解です。大丈夫!流石に帰れなくなるのは困るし分は弁えてます!」 そんな事言って、分を弁えてなかった結果がこれなんだけどって考えたのは一瞬 「帰るのか…?」 何度か瞬きをするバーマンさんにつられて瞬きを繰り返す。 「…え?」 「さっきは帰りたくないと言っていた」 「あー…、あれはもう、あははっ忘れてください!流石にフラれたのに居座る程心強くないですよ!」 出来るだけあっけらかんと答えたのに、途端にバーマンさんから伝わる雰囲気が重いものになった。 「何故その解釈に至る?俺がいつ名前を振った?」 「…え?だってバーマンさん、私の事受け入れないってはっきり…」 「お前とは言っていない。カクテル言葉は受け入れられないという意味だ」 「え、っと?」 って事は…? でも結局、それって私の事をそういう目では見てないっていうか見れないって事になる、よね? 「わからないのか?」 「わかんないです」 即答した私に目を細めてるけど、これは私が悪いんじゃない。そう思う。 また何も言わないままバックバーの方に向いちゃってるし。 テキーラと小さめな瓶を置くと、シェイカーを持ち上げるのまでは見えた。 「シェリー酒が持つ深意は、周知度が高い。それ故に一時期、カクテルに精通しているバーマンがシェリーの誘いに乗るのは、知識と技術不足をしているようなものとされた時代があった。故に、その背景を知るバーマンは、ストレートに乗ったりはしない」 そう、だったんだ。 「私…凄く失礼な事してたんですね…。ごめんなさい」 バーマンさんは、あしらおうとしてる訳じゃなかった。 私ってもうほんと、自分の事ばっかりだな。 「…あ、でも…」 ワイングラスに視線を向けたのはほんの僅かで、シェイカーを動かす両腕に視線を戻した。 振り終えると下を向いて作業しだす手元を見えないのに見つめてしまう。 「俺が選んだシェリー酒が良い。そう言ったからだ」 目も合わないけど、それは凄く穏やかな表情。このあったかい空気、今まで何度か感じた事がある。 「単純にカクテル言葉だけでオーダーした訳じゃないだろう?何処か強い意志を感じた」 …今日の私、全部バーマンさんに見抜かれてるかも。 「…実は…シェリー酒、呑んでみたいなって思ってたんです。この前コロネーションを呑んでも正直、どれがシェリー酒の味なのか全然わからなかったから。でも、カクテル言葉を知ったら、頼めなくなっちゃって…」 嬉しいんだか恥ずかしいんだか、ぎこちない笑顔をしてしまった。 「だから、さっきのは勢いのままっていうか…」 勢い余り過ぎて、告白しちゃった訳なんだけど…。 「勢いだろうが俺はシェリーの誘いは受け入れない」 「…それはあの…。そうですよね。ごめんなさい」 「受け入れない代わりに」 逆三角形のグラスが差し出された時、紺碧の瞳と自然に見つめ合った。 「こうして別のカクテルを作る」 何で、だろう。 一気に心臓が速くなってく。 スライスされたライムにも一瞬ドキッとしたけど、ギムレットじゃないのはグラスの淵に積もったみたいな塩でわかった。 ソルティドッグかなって思ったけど、ライムは使わないから違う。 それに同じイエローでも少しグリーンがかってるし、透明度も高い。 「…これ、は?」 「マルガリータ」 バーマンさんの右手がワイングラスを持ち上げて、反射的に声を上げそうになってしまったけれど、少し位置をズラしただけで、安心から小さく溜め息が出た。 「名前がこれを呑み終わった後、出すつもりでいた。マルガリータのカクテル言葉は知ってるか?」 「……。えーと、元気を出して?」 「違う。それはフローズン・マルガリータに限ったカクテル言葉だ」 「へー。同じマルガリータでも種類が違うと言葉も違うんだ…」 何度か頷いた後、続く言葉を待ったのに、ボトルを片付け始める後ろ姿に 「…え!?」 つい素っ頓狂な声が出てしまった。 バーマンさん?カクテル言葉、教えてくれないの? 「気になるなら調べれば良い」 まるで心の中を読まれたみたいでドキッとしたけど、その背中から視線を剥がしてスマホを手に取る。 "マルガリータ カクテル言葉" すぐに出てきた結果をタップした途端、息を呑んだ。 これって… 振り向いた視線と、上げた顔が丁度重なる。 それもいつもみたいにすぐ逸らされたけれど 「夜は長い。好きな方から呑めば良い」 そう言った表情は、いつもより温かくて優しかった。 Margarita 無言の愛 ← |