Welcome to Bar Calm | ナノ
会社から駅までの道程をトボトボと1人で歩く。
通り過ぎた地下へ続く階段にとても、それはもうとてつもなく後ろ髪を引かれたけど、般若より怖い母親の顔が頭に浮かんでトボトボと歩き続けた。

Calm行きたい。仕事したくない。バーマンさんに会いたい。仕事辞めたい。カクテル呑みたい。

ここ何日か、ずっとそう考えてる。
何日かっていうか丸4日。
プレリュード・フィズを頼もうと決めた次の日、金曜は残業で、休日のうち土曜は家族で外食するからって行けなくて、日曜はCalmが休業、そして月曜の今日も残業。
4日間、Calmに一歩も足を踏み入れてない。
そう考えるとますます行きたくなるのに、現実はそうもいかない。

「…はぁ」
溜め息を吐きながらスマホを手にした所でLINEを開いた。
"ごめんなさい。やっぱり遅くなっちゃったんで帰ります"
頭を下げる絵文字を付けてから送ったところで
"わかった"
返ってきた四文字に嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちが募る。
すぐに返信出来る程お店暇なのかな、とかそれもちょっと心配になってしまう。

流石にあの後すぐ間を空けるのは変に思われるかもと、日曜の朝に勇気を振り絞って
"残業と、家族で出掛けてたので行けませんでした!今日は行きます!"
そうLINEを送った。
でも返ってきたのは、カクテルの試験があるから今日は休業するっていう内容。
一瞬肩を落とした私に"月曜は来られるか?"って続けざまに訊いてくれて、試験の結果も聞きたかったからすぐに"行きます!"と返したのに、それも無理だった。
終バスを考えなきゃ30分くらい居られるんだけどなぁ。
「はぁ…」
また重い溜め息が出た。
やっぱり免許欲しいかも。あ、でもそしたらカクテル呑めなくなっちゃうんだ。
そしたらこの辺に住みたい。毎日カクテル呑みに行ける。
なんて希望だけを考えてから、無理だよなぁと肩を落とす。

今こうしてBarに通えるのは、少し遠いといっても実家に住んでるからだ。
もし1人暮らしを始めた日には、家に入れてる額の比べ物にならない位、お金が出てく。
カクテルを呑みに行くなんてそんな余裕もなくなってしまうのがわかってる。
わかってるんだけど。

「…会いたいなぁ」

空を見上げて、ただただ願うように呟いた。

結局カルーア・ミルクを台無しにしてしまったお詫びも、助けてくれたお礼もまだ言えてない。

何にも、理由なんてなくても会いたいって言えて、会いたい時に会えるような、そんな関係になれたら良いのに。


Welcome to Bar Calm


待ち望んで、本当にやっと、やっっと訪れる事が出来たBar Calm。
開店5分後の店内には変わらず誰も居ないけど、ボトルを整理してる後ろ姿も変わらなくて、凄く嬉しくなった。
「バーマンさん!聞いてください!出来たんです!看板とホームページ!」
挨拶もそこそこに詳細を喋り始めた私に
「…ひとまず座ったらどうだ」
笑ったような呆れたような、そんな顔で言う。
それだけで、嬉しい。
「それでですね!これなんです!」
カウンターの上に置いた自作の看板に、目の前のバーマンさんはちょっと驚いた顔で洗っていた手を止めた、と思う。
「どうですか?」
バーマンさんが持つイメージと要望を、最大限とは言えないけど、最低限は表現出来た、と思いたい。
無言で向ける視線に私も同じくそれを見る。

看板の土台は、名札とリンクしたイメージでブラックで塗り潰した。
"Bar"の三文字はオレンジ、"Calm"は勿論ディープブルー、と言いたい所だけど、地下の扉の前、ブラケットライトひとつだけの灯りでは濃い色は見えづらいから、少し明るめのコバルトブルーになるよう調整した。
あのライトに照らされて、ディープブルーに見えるのを狙って着色してたりもする。
多分誰も気付かないだろうけど、密かなこだわり。

「閉店時間を入れると入れないのでは全体の統一感が違うな」
「あ、やっぱ思いますよね!」

バーマンさんが見つめるのは店名の下に配置した"Open 18:00"と"Closed 2:00"の文字。
最初訊ねた時に閉店時間は決めてないと言ってたから、時間はそのまま空白で造ろうと思ったんだけど、色をつけていくにつれて右側の数字がないのがどうしても違和感しかなくて、ひとまず形だけでも閉店時間を決めませんか?とLINEで相談した。
そしてバーマンさんが決めたのが2時という時間。

「色的には?もし気に入らなかったらそこだけ塗り直しも出来るか「いや。これで良い」」

遮ってまでそう言ってくれたのは多分バーマンさんなりの優しさで、小さく頷きを返した。

選んだのはシルバーに近い薄グレーの文字。
この色は本当に凄く悩んで、何度もイメージ図を描いては消しての繰り返しだった。
バーマンさんは最初、全部の文字を青とオレンジで統一したいって言ってたから、それを優先させたくて頑張ってはみた。
だけど、配色の組み合わせを何通り作ってもどうにも上手く纏まらなくて、唯一しっくり来たのがこのシルバーグレー。
でも依頼主の希望とは違うから、自分の意見は何にも言わないで何通りかのイメージ画像を送ってみた所、バーマンさんもこれが気に入ってくれて、ちょっと嬉しかったのを思い出す。
そして今、とてもホッとした。

「良かった〜。画像と実際見るのは違うから、イメージと全然違ってたらどうしようって…」
水が流れる音と動く腕は多分手を擦ってるんだろうな。
「変えたのか?」
「…えーと…?」
「この間までは木材で作成していた筈だ」
ペーパータオルで水を拭き取った後、それを持ち上げた瞬間に驚いたみたいで眉を上げてる。
「見た目より軽いって思いました?」
「……。思った」
「やった!大成功!」
グッと両手でガッツポーズを作る私に、バーマンさんは当たり前にわけがわからないって顔をしてて、説明する為に口を開いた。
「これ、この間見せた木材に色塗っただけなんです。だけって言っても木目消したりとか加工はしてるけど」
角度を変えながらまじまじと見つめるバーマンさんの瞳がこっちには向かなくても、耳を傾けてるのは何となく伝わってくる。
「本当はアイアンとか金属とか重めの素材の方がCalmのイメージに合ってたんですけど。でも、値段が全然違うし壁に付けるなら軽い方が良いなぁって、土台は木材だけど出来るだけ質感を高級な感じに近付けてみました!」

自分が造った物を自信満々に披露する、なんて出来ないけど、今この場だけはバーマンさんに喜んで貰いたいから、胸を張ってみる。
胸を張りたいからこれでいっかって思うような細かい、それこそ取り付けたら見えないような裏も側面も一切手を抜かなかった。
上手い下手はともかくとして、頑張ったから、頑張ったという、そこだけは自信を持つ事にする。

「この光沢は何だ?鏡面磨きの技術に近い」
持ち上げると下から裏側を覗き込むバーマンさんに、手を抜かなくて良かった、と心の底から思った。
「それクリヤーフラットっていうツヤ加工出来る塗料を使ってるんです。これを仕上げに塗ると見た目も持ちも全然違って…あ、そうだ!ビスも造ってきたんです。って言っても市販のやつアイアン風に着色しただけなんだけど」
一旦言葉を止めて、鞄から掌サイズのジッパー袋を取り出す。
「一応、ブルー、オレンジ、シルバー、ブラックの4種類持ってきました。これは実物じゃないとイメージ出来ないかなって」
「見せてくれ」
差し出された右手の上に小さなビスを乗せる時、ちょっとドキドキしてしまった。
看板をカウンターへ置くとビスの組み合わせを何度か変えて選んでいく伏し目がちの表情が凄く真剣で、頬が弛みそうになってしまう。
「名前はどれが良い?」
「え!?私、ですか?」
「…何故そんなに驚く?一緒に考えてたんじゃないのか?」
「あ、えーと…」
どうしよう。
多分ずっと見てたから同じように悩んでたんだと勘違いしてる。
これはもう、ちゃんと謝ろう。
「考えてませんでした!ごめんなさい!」
途端に返事もなく逸らされる視線に、喉が詰まってしまいそうになった。
でもちゃんと言わなくちゃ。
「自分が造った物、こんなに凄く真剣に悩みながら選んでくれるって嬉しいんだなぁって」
ニヤけそうになったのは、勿論それだけじゃないけど。でもそう思ったのは嘘じゃない。
また向けられた視線はちょっと柔らかくなってる、気がする。
「Calmの大事な看板だから真剣になるのは当たり前なのもわかってるし、色塗っただけのビスとか造った内にも入らないけど…でも持ってきて良かったなぁとか、そんな自分の事ばっかり考えちゃって…だから何色が良いとかそういうの今完全に頭になかったです!」
「…いつも思うんだが」
「はい」
「思考が本末転倒だ」
口調は変わらないけど、口元が少し上がってるからそれが悪い意味じゃないっていうのがわかる。
すいませんと言いそうになったけど、ビスを見つめる瞳がとても優しくて口に出すのをやめた。
「この看板も、カクテルと一緒なんだろうな」
ポツリと零したバーマンさんに返事が思いつかなくて瞬きを返す。
話が続くのかなって思ったけど何も言わなくなってしまって、ただ看板の四隅の穴にシルバーのビスを嵌めていく右手を眺めた。
4つ並べてからじっと見つめる表情に、ふと、意味がわかった気がした。

そっか。そうだ。
自分が誰かに造った物を認めて貰えるって、こんなに嬉しい事なんだ。
だからカクテルも、看板も同じだって…。

それなのに…。

「ごめんなさい!」
いつも静かな空間が余計に静まり返った気がして、店内のBGMが余計に耳に響いてくる。
「…突然どうした?」
ちょっと呆気に取られた口調に目を開けてから、頭を下げていた事に気付いて慌てて上げる。
不思議そうな顔はしてるけど、優しい紺碧色に何だか涙が出てきそうになったのを堪えた。
「この間…カルーア・ミルク、台無しにしちゃったから…」
「……。錆兎に聞いたか」
「…はい」
また完全にしん、としてしまう前に言葉を続ける。
「それと…助けてくれて、ありがとうございました!でもやっぱり、ごめんなさい…」
「お前が謝る事じゃない」
ビスを取っては嵌めてを繰り返してた右手が一度止まって、また動いていく。
このまま話を終わらせて良いのか迷っていた所で、オレンジ色が左上と左下へ嵌っていくのが見えた。
バーマンさん、それが気に入ったのかなと思えば、今度は右上と左下に置かれるのはオレンジではなくてブルー。
「…あ」
小さく声を上げた私に、バーマンさんの視線が注がれた。
「この配置はどうだ?」
「良いと思います!対角線になってるとか面白い!」

凄く新鮮だし、1色で纏めるよりビビット感と遊び心が出てて、初めてのお客さんもちょっと入ってみようかなってなりそう。

「名前が言っていた"補色"で思い付いた」
残ったビスを返してくる動作に、反射的に掌を差し出す。
少し温かくなったビスがバーマンさんの体温を伝えてるみたいで勝手に頬が弛みそうになったのを抑えた。

「お前は不思議だ。最近、良くそう思う」

抑えたのに、優しい笑顔を向けられてしまっては、ニヤけ顔が更に酷くなってしまいそう。

「日曜の試験も、その助言から得た発想で及第点に届いた」
「え?そうなんですか!?」
「そうだ」

私そんな凄い事言ってたんだ…。
役に立てたっていう嬉しさで完全に締まりのなくなってしまった顔を下を向いて隠しながら、どうにか落ち着こうと深呼吸をしようした。

「奇怪な事に名前に出会ってから、以前の俺では到底思い付かないような構想が思い浮かぶようになっている。それが何故なのかずっと考えていたが、久々にこうして話した事で確信した。…俺はお前を」

ちょっと、待って。え?もしかして…
一度そこで言葉を止められたものだから、余計に高鳴っていく胸が止まらない。
だってこれ、バーマンさんの続く言葉は絶対

「同志だと思っている」

どうしだと、おもっている…?

頭の中で繰り返してから、あぁ、同志か!って意味がわかってスッキリしたのは一瞬だけ。

「分野は違えど、何かを作るというカテゴリにおいては同じなのだと気付いた。そう考えると、俺は名前の感性に近いものに触れ、触発されていると言える」

…あ、そういう事。そう、だよね。

何か今、自分が凄い恥ずかしい。
完璧に告白されるって勘違いしてた。
やだ、自意識過剰過ぎる!めちゃくちゃ恥ずかしい…!

「…同志!そうですね!そうかも!じゃあ同志として試験合格のお祝いさせてください!こういう時ってどんなカクテルでお祝いするんですか?」
気が動転してるのを悟られないようにしたいのに捲し立ててしまう口調が止められなくてすぐ後悔が押し寄せる。
それでもバーマンさんは涼しい顔のまま少し考えた後、もう一度手を洗い始めた。
「ホール・イン・ワンはどうだ?レモンジュースとオレンジシュースの配合を増やせば名前でも呑めるだろう」
「あ、じゃあそれでお願いします!バーマンさんも呑みましょうよ!折角だからご馳走させてください」
「……」
え、あれ?何か凄い不思議な顔されてる。
誘っちゃいけなかった…?
「…1杯、貰おう」
あ、違う。これ喜んでくれてる。
良かった。誘ってみて。
バックバーからボトルを取る姿にワクワクしながらスマホを手に取ってカクテル名を調べる。
ホール・イン・ワン…あ、やっぱりゴルフにちなんだ由来なんだ。
"ミラクルショットを打った時と掛け合わせて、お祝いの食前酒として振る舞われる。"
へー、と心の中で呟いてからスクロールした手を止めた。

そっか。そうだね。
同志って言って貰えたんだよ?
ただのカクテル好きからはちょっと昇格した筈。

スマホを消すと心地良いリズムでシェイカーを振り出したバーマンさんを綻んでしまう顔を隠さず見つめた。

こうして会える。その姿を見つめていられる。
今はそれだけで幸せだって思おう。


Hole・In・One
奇跡を信じて