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「今回ベースとして使ったのはシェリー酒の中でも甘口で呑み易いとされているこのボデガス・イダルゴ・ラ・ヒターナ ペドロヒメネス・トゥリアナだ」 そう言って濃茶のボトルをラベルが見えるように持つバーマンさんに、小さく頷く。 良くそんな長い名前覚えてるし、噛まないで言えるなって感動してる。 メモを取ろうにも全然、全く追いつかなくて、ぼでがすって4文字を書いた所で諦めた。 「これは比較的アルコール度数も低いため名前に丁度良いと考えた。合わせるのは…これは少し悩んだがオレンジ・ビターを加えるため、スウィート・ベルモットの中でも呑み口が爽やかなヴェルモット ビアンコをチョイスした」 ボデガス何とかかんとかっていうシェリー酒のボトルを置くと、今度は透明なボトルに入ったちょっと緑がかった透き通った液体を手にする。 「この2種類を1対1の対比でステアするが、要になるのがオレンジ・ビターとマラスキーノの2つだ」 大きさが異なる2本の瓶を持つ右手に、そろそろ何を言ってるのか理解が追いつかなくなってきたのを感じてしまった。 小さめな瓶に入った黄色味が強いオレンジ色のが多分そのオレンジ・ビターだと思う。色がオレンジだから。 それで、さっき見せてくれたシェリー酒とベルモットとほぼ同じ大きさをした透明なボトルには、これも緑がかった液体が入ってて、それがマラスキーノかなって考える。消去法で考えて、それしかない。 「これらを1ダッシュずつ加える事で更に芳醇な香りと深い風味を持たせた。通常のコロネーションより甘く軽やかに仕上がっている筈だ。呑んでみてくれ」 説明を終えたバーマンさんの期待に満ちた瞳から、目の前に置かれた逆三角形のカクテルグラスへ視線を落とした。 装飾は一切されていないシンプルなその風貌はほんのり琥珀色をしていて、口元に近付けた瞬間、バーマンさんの言っていた"芳醇な香り"というのを理解する。 スッと抜けるバニラとオレンジを始めとしたフルーティな香りが追い掛けてくるみたいで一口含んだ瞬間、あ、呑みやすいってすぐに感じた。 コクッと動かした喉を通っていく余韻を噛み締めて笑顔が零れる。 「…おいしっ」 自然と出た一言で、バーマンさんの表情が凄く柔らかくなったのを感じて、私も更にニヤけてしまったのも一瞬の事。 「オレンジ・ビターを半量にしたため押さえられていると思うが苦味はどうだ?逆に口当たりが軽すぎたりしていないか?マラスキーノの香りに負けている可能性も考えられるがそこもどうなのか知りたい」 身体の動きこそはないけど、乗り出してきそうな勢いに、正直圧倒されてしまう。 「…あーと、えっと、凄く呑みやすくて苦くもちょっとあるけど良いアクセント…で、ちゃんとオレンジの香りもあるし味も纏まってて、凄い美味しいです」 「…そうか」 安心したように小さく息を吐くとボトルを片付け始める後ろ姿を見つめながら、もう一口それを呑んで、心の中で"美味しい"と呟いた。 Welcome to Bar Calm 「ショートカクテルは基本的に短時間で呑み終わる事を前提に作られているが、これには温度が非常に高く関係している。ショートカクテルの殆どは氷を入れる事が出来ないため、グラスへ注いだ瞬間から温度の上昇が始まり、風味は劣化していく」 今までにない位饒舌なバーマンさんを見ながら、一生懸命話を理解しようと頭の回転を意識する。 今現在、ショート、要は容量が少ないグラスで作られるカクテルについて説明をしているのは、私がコロネーションを頼んだ事と、さっき作られたハンターの試作品が関係していた。 真剣な表情で試作していた6つ分のグラスは何のためなのかと訊ねた私に、バーマンさんはこう言った。 「試験のためだ」と。 バーテンダーという職業には詳しくないけど、そういう資格みたいなものがあるのかな、と考えたけれど、話が進むにつれて、大まかな概要が把握出来た。 その試験というのは、バーマンさんの師匠が時折出す課題をクリアする、というものらしい。 そして、今回出された課題は "30分経過して尚、味が劣らないハンター・カクテルの考案"。 それがとてつもない難題というのはカクテルを齧った程度の人間でも容易にわかる、とそうもバーマンさんは言っていた。 だから真剣に見比べたりメモをしたりしてたのか、と納得したし、そのまま放置を続けてる理由も理解した。 私が呑みたいと言った時に実験をしていると言わなかったのも、バーマンさんなりの気遣いだったんだなと思うと勝手にニヤけてしまう。 「一番堅実なのはボールアイスを沈ませる事だが、これはあくまで温度の上昇を避けられるという利点のみで味の変化は止められない。30分あればカクテルではなく立派なウィスキーの水割りが出来上がる」 という事は氷は使えないっていう解釈になるのかな? 「そこを補えるような何かがあるという事か…?」 独り言のように呟いた後、並んだグラスを見つめる姿に、不謹慎かも知れないけどカッコイイと考える。 こうやって見ると、バーマンさんって、凄く器用だけど本当は不器用なんだ。そんな風に思う。 "あなたを知りたい" カクテル言葉で遠回しに伝えた私に対しても、さっきから話題はカクテルの事しかなくて、そういう意味じゃなかったんだけどな、と最初は苦笑いをしてしまった。 だけど、全く無知な私にも理解がしやすいように言葉を考えて紡いでくれる優しさが素直に嬉しいと思う。 そして何より、嬉しそうだったり楽しそうだったり、そうやって真剣に悩んだり迷ったりしてカクテルと向き合ってるその姿が、私が好きなバーマンさんなんだって気付いた。 だからこそ、カッコイイって思う。 私には何にも、目に見えるような力にはなれないけど、こうやって話を聞くだけで何かちょっとでも変わるなら、ううん、変わらなくても、ずっと聞いていたい。 それに私、呑む事ばかりで作り手側から考えてみた事なかったって気付いた。 だから尚更、耳に入れる事全てが新鮮で楽しい。 「もう一度借りて良いか?」 右手で示す電子ノートにすぐに反応出来なくてちょっと焦りながら頷いた。 「どうぞ!」 同時にペンを滑らせていくその速さを眺めながら今何分くらい経ったのかなぁと考える。 30分っていう時間制限は何でなんだろう? 「どうせ味が変わっちゃうなら最初と最後で全然味が違う、とかだったら面白いかも」 口にしてから、そんな魔法みたいな事出来る訳ないか、と思い直す。 忙しなく動いていた手が止まってこちらを見つめる紺碧の瞳に身を竦めた。 「ごめんなさい。良くわかってないくせに言うなって感じですよね…」 「…いや」 左手を顎に当てると一点を見つめたまま動かなくなってしまった姿を見るしか出来ない。 「…そうか。温度変化を利用すればそれも不可能じゃない」 それだけ呟くとさっきの倍近いスピードで溜まっていく文字に、何かヒントになるような事言えたのかな、とほんの少し嬉しくなってグラスを傾ける。 それが喉を通る前に、カランコロン、と音を立てて開いた扉。 「義勇、お前外電気点いてないぞ。これじゃ誰も入って来やしない」 飛んできた言葉に、バーマンさんの手が止まる。 「……。忘れていた」 それだけ呟くとカウンターの裏に向かう背中から声がした方へ視線を動かして、その髪に釘付けになってしまった。 真っ先に浮かんだ単語はサーモンピンク。 凄く綺麗、だと暫く見惚れてから、バーマンさんと同じ制服に身を包んでいるのに気付いた。 思わずまじまじと見てしまっていた私に、目が合うと訝しげな表情をされて、ちょっと怖くなる。 出来るだけ自然に目を逸らして、戻ってきたバーマンさんへ戻した。 「どうした?この時間に呑みに来た訳じゃないだろう?」 「まぁな。平たく言えば敵情視察ってやつだ。義勇の事だからもう考えてるんだろ?」 会話を始めた2人を交互に見ていれば、並べられたハンター・カクテルに2人の視線が止まったのに気付いた。 もしかしてその"試験"っていうのをこのサーモンピンクさんも受けるのかな? 「店は?」 「真菰が番してる。平日の開店直後なんてほぼ誰も来ないしな」 私を見てからカウンターへ近づくと手招きする動きに、バーマンさんも不思議な表情をしながら耳を傾けた。 「…お前、あの客大丈夫か?身分証とかちゃんと確認しただろうな?」 こっそりと耳打ちしてる筈なのに思いっきり、全部聞こえてる。 「問題ない。幼く見えるのは見た目と中身のせいだ」 バーマンさんの声も丸聞こえなのもわざとなの? 見た目と中身って、全部なんだけど。何のフォローにもなってないよね?あ、フォローしてるつもりがそもそもない? これは聞こえてますって言った方が良いのか悩んでる間に、今度は完全に聞こえない声でバーマンさんが何かを告げた後、2人してこちらを見るから考えるのを止めてしまった。 「…あぁ、こいつが例の…」 何か、妙に納得されてる。 例のって何?続く言葉が凄く気になるんですケド…。 でも口には出来ないままコロネーションを呑む。 右隣に腰掛けてくるピンクの人は 「いつも義勇が世話になってるらしいな。俺は錆兎。よろしく」 さっきの表情とは打って変わって人懐っこい笑顔を見せた。 「…え?あー、と!私の方こそお世話になって、あの、なりっぱなしで…」 「名前は?」 「あ!苗字です!苗字名前!」 「…名前!そーだそーだ、そんな名前だった!」 その言葉は多分、私じゃなくてバーマンさんに向けられたものだと思う。目線がそっちに向いてるから。 さびとさんという方に私の話をしてるのは間違いないんだろうけど、どんな風に伝わっているのかはわからない。 「カクテルにハマったんだって?」 その質問で、きっとこんな客が来てるとか、そんな話をしてるんだろうなっていうのは何となく想像出来た。 「はいっ。此処で初めてバーマンさんが作ってくれたテキーラ・サンライズが凄く美味しくてそれから…」 私の言葉に長い足と両腕を組んで 「成程な。だからか」 また何か納得してる表情に首を傾げそうになる。 「ってか義勇の事バーマンって呼んでるんだな」 「はい。…え?もしかしてダメですか?」 「いや、単純に珍しいよなって話。バーマン呼びは一般にはあんま浸透してないだろ?」 「あー、確かに。そうですね」 私もバーマンさんが自分の事そう言ってたからバーマンさんって呼ばせてもらってるだけで、深く考えてなかったけど、バーマンって呼び方は此処で初めて耳にした。 「普通ならバーテンさんって呼ぶのかな…?」 口を突いた言葉に、さびとさんはわかりやすく溜め息を吐いていて、これは完璧に失言をしたな、と空気で悟る。 「まぁ、そうだよなぁ。知識がなけりゃそうなる」 「あ、ごめんなさい知識がなくて!」 間髪入れずに謝罪した私に、さびとさんは小さく笑ってるしバーマンさんは目を細めて呆れた顔をしていた。 「錆兎」 「わり」 そのやりとりだけでこの2人ってきっと凄く仲良いんだろうなというのが伝わってくる。 「バーテンって呼び方は、元々差別用語なんだよ。ただ単にバーテンダーの略じゃなくそれに瘋癲(フーテン)を足したとか、もじったと言われてる」 「え!?そうなんですか…?」 でもこの間買った本には"バーテン"って呼び方で書いてあったけど…。 私の疑問が伝わったのか、さびとさんは話を続ける。 「ま、今は全く気にしないバーマンも多いけどな。コイツみたいに」 そう言って親指で指されるバーマンさん。 ハンター・カクテルを観察している瞳がゆっくりと上げられて目が合った。 「そうだ!アイツも昨日バーマンさんの事バーテンって…。すいません、知ってたら注意したのに…」 昨日の事を思い出したのもそうだけど、また知らない内に失礼な振る舞いをしてたという事実に胸が痛くなる。 「いや、それは気にしていない。それより…」 一旦言葉を切ると、何かを考えるように一点を見つめた。 「…名称に固執するよりどれだけカクテルを極められるかに思考を使いたい」 「お前、今のは遠回しに俺に喧嘩売ってるな?」 「違う。錆兎は呼称を嫌う明確な理由と志がある。俺にそこまでのものは何もない。だからカクテルを作り続けるしか「そんな真面目に否定すんな。わかってるっての」」 笑い出すさびとさんに目を細くすると黙り込むバーマンさんは怒ってる訳じゃなさそう。 それでも流れた沈黙に耐えられなくてコロネーションを運んでから口を開いた。 「さびとさんも此処ら辺でBarを経営してるんですか?」 「ん?あぁ、そうだな。義勇と同じで雇われだけど」 「錆兎のBarは激戦区と言われる駅周辺でも3本の指に入る程の実力店だ」 「へー!そうなんですか!凄い!」 「そりゃお前、元々鱗滝さんが立ち上げたんだからそうなるのは必然だろ?」 「代が移り変わっても尚人気が衰えないのは錆兎の実力だ」 その言葉を聞いて、さびとさんは何処か嬉しそうだし、バーマンさんは優しい空気を放ってる。 ただただそれを見つめる私と目が合うと照れ臭そうに笑って頭を掻いた。 「名前、さんだっけ?気が向いたらうちにも呑みに来てくれよ。真菰も会いたがってるし」 「…え?良いんですか?」 「良いだろ?義勇」 またハンター・カクテルに落としていた視線が一度こちらを見ると小さく頷く。 「錆兎は幾分の隙もなく完成度が高いカクテルを作る技術に長けている。呑んでおいて損はない。いや、呑まないと損をしていると言える。特にこの間呑んだ"バーテンダー"は格別だった」 「お前、そんな褒めそやしても今度の勝負、手加減はしないからな?」 「わかっている」 勝負、と言いながらもお互いの間に流れてるのは優しくて穏やかな空気。 話を聞いていて半分も理解出来てないけど、そのカクテル名だけは凄く耳に残った。 Bartender 聞き上手 ← |