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カウンターに並べられた6つのグラスには、それぞれハンター・カクテルが並々と注がれていて、それを鋭い目つきで眺め続けるのは作った張本人のバーマンさん。 何をそんなに見比べてるんだろう? 疑問が沸いたけど、何となく訊ける雰囲気じゃなくて目の前のタブレットに視線を戻した。 違いが何かって言ったら、私にはその微妙な色合いしかわからない。 おおまかに言えば全部赤みが強めな茶色だけど、ウィスキーの種類と配分が違うみたいで、微々たる色の濃淡は見て取れた。 「分離が早いな…」 そう呟いた口唇を見つめてしまったせいで、さっきの感触が鮮明に蘇ってくる。 嬉しいようなビックリしたような、複雑な気持ちが顔に出てしまいそうで、タブレットを持ち上げて隠そうとした時だった。 「それ、貸してくれないか?」 その言葉と一緒に指された人差し指の先を追ってから、両手を差し出す。 「タブレットですか?」 受け取ろうとした手が迷ったように止まった事で首を傾げた。 「…いや、違う。これじゃない。名前がいつもメモに使っているというやつだ」 「あー、電子ノート?ちょっと待ってください」 一度タブレットをカウンターの上に置いて鞄からそれを取り出す。 何か書き留めるのかな? 一応電源を入れて、付属のペンも出してから手渡した。 「このまますぐに書けます」 「助かる」 すぐにペンを走らせていく表情は真剣で、邪魔をしないように私もホームページの作成に取り掛かる。 けれどさっきから、全然考えが纏まらない。 だってキス、しちゃったんだよ? どうして、バーマンさんが私にそうしたのかは正直な所今もわからないまま。 口唇が離れた後、どうしたら良いのかわからなくて動けなくなった私に、その表情はいつもと変わる事なく 「写真はもう良いのか?」 そう訊いてきた。 凄い素っ頓狂な声を上げながら大丈夫だという意思を示した。と思う多分。 そこからはこうしてカクテルを作り出す事に没頭し始めたから、どうして?なんて訊けないでいる。 今も全然、気にしてる素振りもないから気まぐれだったのかも知れない。 バーマンさんにとって、もしかしたらキスは挨拶代わりとか、そんなフランクな感じなのかな、とか考える事で、放っておいたら高鳴ってしまいそうな鼓動を無理矢理抑えてる。 キスしたからって男の人にその気があるかって言えば、そうでもない事を今までの経験で何となくわかってるから。 本気にするだけ、馬鹿らしいっていうか…。 いや、でも、バーマンさんとのキスは素直に嬉しいしそれで馬鹿を見ても良いかなって思えるんだけど。 それは完全に私だけの気持ちで、バーマンさんの気持ちは全然、これっぽっちもわかんない。 ただ、嫌われてはないんだなって事だけ。 それだけは、多分だけど確実。 Welcome to Bar Calm 暫くして、コト、と小さく音を立てるとカウンターへ置かれた電子ノート。 何を書いたんだろう? タブレット越しに覗き込んでみたけれど、数字と英語…とにかくアルファベットの羅列に全然何を書いてるのか読めない。 こういうの何て言うんだっけ? うーんと、あ、そうだ。お医者さんが書くカルテみたい。 短大に通っていた頃、大型の美術品を作成中に脚立から落ちてお世話になった整形外科をふと思い出した。 これはカルテじゃなくてきっとレシピなんだろうな、と思いながらバーマンさんの紹介ページを作ろうと文字を打つ。 あんまり大々的なのは嫌がられるだろうし、トップページの下部にちょこっと、さりげなく載せた方がバーマンさんらしいのかな。 もう一度顔を上げた所で、作ったハンター・カクテルを口に運んでる姿にちょっと驚いた。 「…纏まりがない」 ボソッと呟いてから電子ノートに書き込んで、次は隣のグラスを傾ける。 休む暇なく繰り返していくのをただ眺めた。 新しいカクテルを試みてるのかな? 一通り呑み終えてペンを動かした後、合ってしまった視線同士。 逸らそうか迷って狼狽えてしまった私とは違って、バーマンさんの態度は何も変わらない。 「これをコピーか、もしくはスマホに送る事は出来るか?」 差し出された電子ノートの画面をちゃんと見てみても、やっぱり何が書かれてるのかは全然読み取れなかった。 「どっちも大丈夫です。Bluetoothで繋ぐからスマホならすぐに転送出来るしコピーは…うーんとコピー機があれば…」 「ひとまずこれに送ってくれないか?」 次に差し出されたのはスマホ。 渡してくる前にロック解除してたし、多分バーマンさんの私物だと思う。 …触っちゃって、良いのかな? そう思いながら恐る恐る両手で受け取る。 「あーえと、Bluetooth繋ぐ画面出しても?」 「好きに操作して構わない」 「了解です」 返事してからスマホの設定を開いて電子ノートを操作した所で重要な事に気付いた。 「…そうだこれ、専用アプリ入れなきゃいけないんだ」 しかもそのアプリを入れると同期されるから、今まで私が描いた落書きがバーマンさんのスマホに全部送られてしまう。 別に変な事は全然、そんなのは全く描いてないけど、それはやっぱりちょっと恥ずかしい。 「画像だけで良いなら私のスマホ経由で送れるんですけど…編集とかしたい感じですか?」 「いや?文字が読めればそれで良い」 「じゃあ、LINE教えて貰えれば送ります」 何の気なしに口にしてから、自分が何を言ってるのかを理解して一瞬止まってしまった。 「えーと、LINEじゃなくてもメールとか、とりあえずデータが送れれば何でも!」 これで断られたらどうしようって考えると慌ててしまう。 そんな私とは対照的にバーマンさんは不思議な顔をしたまま 「LINEの方が面倒じゃないだろう?」 当たり前のように言うから、嬉しいんだか驚きなんだか、また良くわかんない表情になってしまいそうになった。 「じゃあ一回返して…」 「そのまま登録までしといてくれないか?」 「…あー、はい。了解です」 これもまた大人しく受け入れたのは、手を洗う動作と水道が流れる音が聞こえたから。 バーマンさんって、凄い警戒心強そうに見えたけど実はそうでもないのかも。 LINEのQRコードを読み込ませながら、チラリとカウンター内を盗み見た。 もしかして、っていうかもしかしなくてもバーマンさんって女性の扱いにかなり慣れてる? いきなり名前で呼んだり、さりげなくカクテル言葉を掛けてきたり、突然キスしてきたり。 喋るのが嫌いって言ってたのは、だから態度で示すとか、そういう意味だったり? 見た目からしてモテない訳がないもん。 これは多分、実はかなり遊んでるのでは? なんて、そんな深読みをしてしまう。 でも、何だろう。嫌じゃないのは。 私がバーマンさんを好きだからそうなんだろうけど。でもそうじゃなくて。 言動が全部、わざとらしくなくて自然なの。 それが凄い、不思議。 他人のパーソナルスペースに入り込むのが上手っていうか、何か気付いたらさりげなくそこに居るって感じがする。 でもそう考えると、尚更さっきのキスも気まぐれ以外の何物でもなかった。 そういう風にも思えてくる。 「登録完了ですっ。此処置いときますね〜。画像も忘れない内に送っておきます」 「あぁ」 短い返事を聞きながら、電子ノートと連動してるアプリを開いた。 気まぐれだろうがもうこの際何でも良いやって思っちゃうのは、きっと惚れたもん負けってやつ。 さっき登録したばかりのバーマンさんとのトークを開くとまだ真っ新なままの画面へ選択した画像を送る。 同時に音もなく通知だけを告げるバーマンさんのスマホ画面に、少しこそばゆい感覚がした。 「何を呑む?」 脈絡もない質問に意味を理解するのに時間を掛けてしまったけど、とにかく返事をする。 「あー…えっと、どうしようかな…」 ふと並べられたままのロックグラスに目を留める。 「これは呑んじゃダメなんですか?」 指で示した瞬間、その眉が若干中央に寄った。 「ハンターはシンプルにウィスキーとリキュールのみで構成されているカクテルだ。故にアルコール度数も今までお前が呑んだものとは比にならない程高くなっている。美味いと感じない上にすぐに潰れるだろう」 何か凄い、説得力があるなぁって思った。 「それにこれはまだ試作段階だ。とても呑ませられるような代物じゃない」 「…へー、そうなんですね…」 確かに見た目からして、ザ・カクテルって感じ。 こういうのを涼しい顔で呑めるようになったら、大人の女性みたいになれるのかな? なんて、そんな事も考えた。 それにしてもカクテルの話題になるとバーマンさんって、ほんと饒舌になる。 「私がお酒強かったらなぁ…」 「強くなりたいのか?」 「…まぁ、はい。そしたら試飲とか役に立てるんじゃないかなぁって」 例えばそう。主任みたいに知識も経験も豊富だったらすっごい的確な助言とか出来るし、目に見える戦力になれるのに。 「お前にそんな事は期待してない」 ピシャリと言いのけたバーマンさんに下を向いたまま動けなくなってしまった。 期待してない、か。 「あははっ、ですよね。私がお酒すっごい呑めても細かい味の違いなんてわかんないだろうし意味ないですよね。どうしよっかな〜何呑もう?」 無理矢理に笑顔を作って目の前に電子ノートを構える。 じゃないと顔が引き攣ってしまいそう。 「悪い。違う」 言葉と一緒に掴まれた右手首に、その顔を見ざるを得なくなった。 「違うんだ。そういう意味で言ったんじゃない。お前は…」 少し詰まらせた言葉で焦ってるのを感じる。 「俺の作ったカクテルを呑んでいればそれで良い」 身体中で"ドクッ!"って音がした。 まるで全身が心臓になってしまったみたい。 鼓動が速くなり過ぎて、そのまま止まってしまいそう。 でも、次に続いた 「…無理してまで協力しようとしなくて良い。そう、言ったつもりだった」 湿った声を聞いて冷静に考えた。 言葉が足りなくて、言い過ぎちゃうって、こういう事なんだなって。 手首を掴んでいた手を放すと完全に黙り込んでしまった姿は消沈していて、ただただ狼狽えてしまう。 とにかく早く何か言わなきゃと口を開いた。 「あ、えーと、あ!そうなんですね!ごめんなさい私早とちりして…!えっとちょっと正直言うとビックリしたし傷ついたけど大丈夫です!その後が凄い嬉しかったから!」 何にも考えないで言葉にしたせいで心の内が全部出てしまった気がする。 これは口にして良かったのかなって考えた瞬間、冷や汗が出てきてしまった。 「言葉って難しいですよね!今ので私もバーマンさんの事傷付けてたらごめんなさい!悪気はないんです!ないからって何言っても良いんじゃないのはわかってるんですけど、でもこう、勘違いしても話してわかっていけば良いんじゃないかな!って…」 こちらを見上げる紺碧色に、言葉を止める。 「……」 何か、違和感。 いつの間にか立ち上がってたのは今我に返って気付いた。 けどバーマンさんが私を見上げるなんて、いつもなら絶対に有り得ない。 カウンターの外と中に段差はないし、バーマンさんは比べるまでもなく私より余裕で背が高い。 じゃあ、何で? 「…急に背が高くなったな」 口元を右手で隠すその表情にまた心臓が高鳴り出した。 バランスを崩しそうになった事で漸く椅子の足置きに乗ってしまってたのを知る。 「…わっ!すいません!」 お、折れてたりとかしてないよね…? 急いで降りてから、恐る恐る椅子の下を覗き込んで大丈夫な事を確認した。 「気にするな。乗った位では折れたりしない」 「…そうみたいですね。良かった…」 小さく安堵の溜め息を吐いて、椅子に座り直す。 「…お前は、面白いな」 辺りを包む柔らかい空気が心地良くて、どういう意味なのかを訊くのを止めた。 それが例えどんな意味でも、バーマンさんがこうやって笑ってくれるならそれだけで、他の事はどうでも良い。 嬉しさから弛んでしまう頬を、今度はタブレットで隠した。 これ以上バーマンさんの事を見ていると、余計な事を口走ってしまいそう。 例えば、"好き"とか。 それはダメ。此処で断られた日には立ち直れないしコンサルだってまだ途中だもん。 フラれた後でも何食わぬ顔で続けられる程、そこまで面の皮は厚く出来てない。 フラれるって前提じゃないけど、でももう少し、もうちょっと。 「そういえば呑んでみたいカクテルあったんです!」 思い付いてその画面をタップする。 「…聞こう」 短い返事を耳に入れながら"カクテル言葉"で検索を掛けてスクロールの手を速めた。 目にした一文に指を止める。 そうだこれ。この言葉が良い。 材料を確認してから、何だろうこの名前、と首を傾げてしまう。 でもだからこそ丁度良いのかも知れない。 「えーと、コロネーションっていうカクテルです」 「…絶妙な所をチョイスしてくるな」 その反応から察するに、あんまり有名ではないのかな? 勿論、私も今名前を知ったばかりなんだけど。 「シェリー酒がベースって書いてあるから、何だろうって思って」 「簡素的に言うと白ワインだ」 「ワイン!ワインを使ったカクテルまだ呑んだ事ないんで呑んでみたいです!」 また身を乗り出してしまったのを今度はすぐに気付いて引っ込める。 ついワクワクしていくのを全面に出してしまった。 目的はそれじゃない。 「私ちょっとまたカクテルの事勉強したんです!カクテルにも花みたいにそれぞれのカクテル言葉っていうのがあるんですね」 さり気なくそれを話題にしたのは、この間のフローズン・マルガリータの意味に気付いたという意思表示。 そして、コロネーションを頼んだ真意に気付いて貰うため。 バーマンさんは少し眉を寄せた後、次に見せたのは驚いた表情。 「……。今作る。…少し、待ってろ」 たどたどしい台詞に、絶対それを理解したと確信した。 そして私のオーダーを受けたのは、多分それがイエスだという意味だって事。 Coronation あなたを知りたい ← |