good boy | ナノ
場内からちらほらと笑い声が聞こえてきて眉を寄せるも、こちらを向く冨岡先生はしてやったりという顔をしてる。
私が止めるであろうというのを予見していて、詳細を話す気など最初からなかったのだというのが窺えた。

「といった風に同僚の悪ふざけにも真摯に応えるのが苗字教務主任だ」

話を再開させた横顔に出したくなる言葉をグッと飲み込む。

「何故優秀なのか。それは常に変動しない公平さにある。人間が万人に好かれる事は正直言って皆無だ。それは此処に居る人間、そしてこれから入学してくる生徒にも当て嵌まる。だが、この苗字教務は万人に於いて隔たりなく同等の態度で接する事が出来る。それは何故か。答えてみろ」
「…え?」
最前列に座る男性が指を差された事で明らかに狼狽えているのが伝わって止めようと口を開くも
「…優しいから、とか、ですか?」
恐る恐る出した返答に眉を寄せるだけにした。
というかこれ保護者説明会だから明らかに私達より人生経験が豊富な方々しか居ないんだけど、わかっててやってるなこの人。
「それは大前提だ。なかなか良い所を突いている」
ホッとしている男性を眺めつつ、何かいつの間にか授業みたいになってるなと、ふとそう思った。


good boy


「そういう質疑応答みたいなのどうでも良いから進めてよ!こっちは時間割いて来てんだからさ!」

その言葉に空気が一変する。
何処から飛んできたのかはわからない。
けれど保護者の誰かだというのは確実でマイクを上げるも
「そう思うのならば帰って貰って構わない」
冨岡先生の台詞に何で此処で喧嘩を吹っ掛けるのかと立ち上がり掛けたのを止めたのは
「対話をする。それがこのキメツ学園及び苗字教務が重きを置いている事柄だ。それは生徒だけじゃない。此処に居る保護者も含まれている」
冷静に続ける横顔を、もう少し見守りたくなったから。
「子供だろうが1人の意思を持つ人間だ。親の言いなりにも教師の思い通りにもならない。だからこそ対話をし、感情に寄り添い、その上で公平に答えを導き出す。此処に居る苗字教務はそれを出来る人間だ。嘘だと思うのなら、此処に通わせてみると良い。後悔はさせないと言い切れる」
鎮まり返った場は、完全に冨岡先生の独壇場で、この人って本当はその気を出せばもの凄い演説向きな人なんじゃないかと思う。
「生活指導担当としての話は此処までだ。あとは苗字教務、宜しく頼む」
私へ視線を送るとマイクを置いて演台を後にする背中を見送りながら、明らかに変化した空気に息を呑んだ。
先程までは話半分で緩い空気を纏っていた保護者達が、私へ眼差しを向けていて、無駄にハードル高くなってない?とたじろぎながらも演台へ向かう。

「ただいま、ご紹介に預かり…これ預かったんですかね?投げっぱなしにされた気がするんですが…」
つい疑問が湧いて出て前列の保護者が小さく笑うのを視界に入れた。
「このキメツ学園で教務主任を務めております苗字と申します」
頭を下げてから、数日前から念入りに考えた挨拶を認めたメモがポケットの中に入りっぱなしなのに気付いたが、この流れで形式的な事を喋るのも出来なくなってしまったと早々にそれを諦める事にする。
胡蝶先生がニコニコしながら握った両手を頑張れと言うように動かしていて、可愛いなぁと思いながら口を開いた。
先程声がした方は下手側だった気がする。
「お時間を縫ってのご出席、誠にありがとうございます。先程は大変、失礼いたしました。」
一度頭を下げてから真っ直ぐ前を向き直した。
「正直、期待をされる程の力量は私にはない。そう考えております」
一瞬、また冷ややかに変わろうとした空気は
「そんな事はない!!苗字先生は立派な教師だっ!!!」
また全体が揺れる程の声量に、離れているのに何故かマイクがハウリングを起こしてる。
「煉獄先生、声抑えめでお願いします」
「すまん!!」
冷静に指摘してから、漂う雰囲気が温かくなっているのに気付く。

「キメツ学園は…、何というか、こんな感じです」

もう考えてた事とかどうでも良くなってしまった。
「私は優秀ではありません。周りの方々に助けられているから此処でこうして保護者の方々にお話し出来る機会を作っていただいております」
自分の席に戻った冨岡先生と目が合って、その瞳が僅かに細くなったのを確認する。
「どうにも頭が堅苦しいので、今日も本当は、皆様に心から納得していただけるよう立派で厳かな挨拶を考えてきてたんです。3日掛けた大作だったんですけど、そんなものを読む雰囲気じゃなくなってしまいましたね」
苦笑いをするしかなくなって、胸元に指先を当てた。
「しかしそのお陰で、いつものキメツ学園の空気に触れていただけたのではないでしょうか?どんな時も変わらない。それがこの教師陣の一番の良さだと私は感じております」
ふと動かした視線の先、入口から覗き見る悲鳴嶼先生、不死川先生、伊黒先生が見えて、仕事サボってるなと思いながらも頬が弛んでしまう。
「生徒や保護者の皆様を、どんな時も変わらずサポート出来るよう最高の教師が布陣を組んでいる。この言葉が真実か、どうぞその厳しい目で精査してご判断いただきたい。今この場限りで飾り立てた言葉より、この先の行動で示してまいります」
短く吐いた息がどういう意味を持つか自分でもわからない。
「皆様がこれまで大事に育ててきた、かけがえのないお子様ひとりひとりが、一度しかない学生時代を笑って過ごせる未来を、教師一同、心よりお祈り申し上げております」
深く下げた頭のすぐ後、
「ヨッ!!苗字ッ!!」
宇髄先生の掛け声と響く拍手にいたたまれず顔を上げる。
歌舞伎じゃないんだから…と言い掛けたが、つられるように一部の保護者が拍手を送ってくれていて、それどころじゃなくなってしまった。
すぐにもう一度頭を下げてから司会席へと戻る。
「次に校長から皆様へご挨拶です。校長は比較的まともな方なので凄く真面目に良い事をおっしゃってくれると思います」
自然と出てきた言葉に、クスクスと笑い声が聞こえた。
「苗字先生、こちらのハードルも上げましたね…」
そう呟いた校長の本当に真面目で深い挨拶を聞きながら、また小さく息を吐く。
どれが正解かは、正直全くわからない。
きっと冨岡先生から此処までの流れを身内の悪ふざけだと嫌煙する保護者も中には居るだろう。
だけどこれが、ありのままの姿な訳で隠す必要など何処にもない。
いくらスーツに身を包んだって中身が立派になる訳でもないし、こんな所で御託を並べても、結局やる事はこれからもこれまでも変わらないのだと。
万人に好かれる事が皆無なら、もう振り切ってしまった方が強みになるんじゃないか。
そう気付かされた。

他の誰でもない。冨岡先生に。
また、助けられてる、と自覚せざるを得ない。

私がそう感じているのをわかってるんだかわかってないんだか、その存在はこちらをずっと見つめていて、離れていてもすぐそこに感じる圧から逃れるように視線を反対側に向けると気が付いていないフリをした。

* * *

「お疲れー」
「お疲れ様です」
自分のデスクに向かえば書類を作っているであろう不死川先生が軽く手を上げた。
「かなり評判良かったってよ。お前らの挨拶。良くあんなん出来んなァ」
振り返った視線が冨岡先生と私を捉えた事で眉を寄せてしまう。
「私達と言うよりほぼ冨岡先生ですよ」
「名前なら俺が作った空気を必ず良い方向に持って行くと信じていた」
「たまたま上手くいったから良かったものの、失敗してたらどうするんですか。気が気じゃなかったですよ。特に帰れなんて言い出した時なんか終わったって本気で思いましたからね」
だからこそ破れかぶれになれたのもあるんだけど。
「結果的にあの野次が良いスパイスになった」
「まぁ、それはそうなんですけど…。冨岡先生って凄いギリギリな綱の上を堂々と駆けていきますよね。いつか落ちますよ」
「その時は名前が居る。何も心配はない」
「いや、私受け止め切れないんで無理です。不死川先生、よろしくお願いします」
「だからオメェ俺を巻き込むなって何回…」
「そういえばさっき覗きに来てましたよね?」
「あ?ソレだよソレ。冨岡が遂に暴走し始めたって覗き見してた生徒が俺らに告げに来たんだよ。で、そりゃヤベェって見に行ったワケ」
「あぁ、そういう事だったんですか」
小さく頷きながら動かした視線の先、校長が手招きしていて
「ちょっと失礼します」
2人に声を掛けてからそちらへ向かった。
「どうしました?何か問題でも…?」
「問題です大問題です…」
一気に浮かぶネガティブな考えは校長の
「説明会後の辞退者がゼロなんです…!」
震える声に思考を止めてしまう。
「それは、まぁ…でも終わったばかりですし…そこまで喜ぶ事でもないかと思うんですが…」
「違うんです…。毎年説明会が終わると教師陣がヤバイと辞退者が続出だったんです…。それが今年は…教師陣が仲良くて…感じがよさそうだと…うぅ…」
歓喜から泣き出す校長に思わず引いた。
これまでのキメツ学園ってほんとに大変だったんだな、と。
良くまともな神経で校長を務めていられたか、尊敬に近い感情が湧いてくる。
「これも苗字先生が教務として指揮を取ってくれるようになってからです…ありがとうございます…」
未だ泣き続けながらも声を振り絞る校長に、少しこそばゆくなって苦笑いだけを返した。



女子職員専用の更衣室。
余り使う事がないその鍵で扉を開けて閉める。
内鍵を掛けてから、自分の名前の書かれたスチールロッカーを開けた。

窮屈なスーツを脱いで出勤時に持参していたいつもの服に着替えながら、今後の事を考えると此処に一着くらいスーツを常備しとくのも手か、と考える。
でも此処でわざわざ着替えるよりか、家で着てきてしまった方が気持ち的には何となく楽な気がする。
今日みたく通常授業とイベント事が被るのなんて説明会くらいしか今の所思い付かないので、とりあえず皺にならないようスーツをハンガーに掛けるとロッカーを閉めた。
帰りに回収するのを忘れないようにどこかにメモしておこうと内鍵を回してから消灯した事を確認し扉を開けた瞬間、ガンッ!と何かにぶつかった音を聞く。
もしかして誰か居た…?
「すみません…って…何してるんですか冨岡先生」
額を押さえてる姿に眉を寄せるしか出来ない。
「胡蝶から此処に居ると聞いた」
「何かありました?」
「お前宛に電話があった。入学について相談があるという内容だ。あとで折り返すと名前と番号を訊いておいたので渡しておく」
「わかりました。ありがとうございます」
差し出された紙を受け取るとポケットへしまう。
「恐らくだが、その電話の主は俺に野次を飛ばしてきた人間だ」
「…何でわかるんですか?」
「声が同じだった。そして俺だと知ると若干声が動揺していた。確証はないが確信をしている」
「…成程。冨岡先生の勘は鋭いですから、きっとそうでしょうね」
あの時声を上げたのは、何かしらの不安を抱えていたからなのか。
相談という事はこちらに対して敵意を向けようとしている訳じゃないのは窺える。
とにかく今日中に時間を作って折り返そう。
そうして更衣室の鍵を差し込もうとした手を群青の瞳がじっと見つめているのに気付いた。
「今度は何ですか?」
「その鍵は1つしかないのか?」
「えぇ、まぁ。スペアは私が保管しているんで実質職員が使うのはこれだけ…」
言い終わらない内に手を掴まれたかと認識した時には更衣室の中に放り込まれていた。
「…そうか。学校の中にもこんな死角…いや、完全な密室があったのか」
カチッと施錠された音を聞いて、眉を寄せたものの、遮光カーテンのせいかほぼ完全な暗闇でぼんやりとした影しか見えない。
近付いてくる気配に後ずさりをするしかなくなってしまった。
「ちょっと…、何考えてるんですか?」
「名前の事を考えている。今日のお前はかなりエロイ。正直何度か暴走しかけた」
「仕事中は仕事の事を考えていただきたいんですが。何で今日に限ってそんな荒ぶってるんですか?」
「俺にとってお前が仕事している姿そのものが性癖なのだと気が付いた。淡々とこなしていくその顔を乱して啼か「電気を点けましょう!まず電気を点けてから話し合いをしましょうね」」
「人間は視覚情報を奪われると余計興奮すると聞いた事がある」
何処からともなく伸びてきた手に捕まって、簡単に壁…いや、多分音的にロッカーに押し付けられる。
これは参った。
力の加減から察するに結構本気の部類に入ってる。
慎重に言葉を選ばないと最悪な事態になりそうだ。
「冨岡先生は視覚情報がなくて良いんですか?」
「心配は無用だ。お前が抵抗出来なくなる程攻めてから明るくする算段をつけている」
「それめちゃくちゃ卑怯な手ですね」
「何とでも言うが良い」
太腿を弄る手に身体が跳ねる。
続けて耳を這う舌に肩が竦んだ。
確かに相手が何をしてくるか全く視界で捉えられない分身構えが出来ない事で反応も大きくなってしまう。
「…そういえば冨岡先生はジャージに着替えないんですか?」
「俺は良い。お前が初めて締めたネクタイをまだ外したくない」
「矛盾してません?」
「ネクタイを外さずとも抱ける」
「そうですかわかりました」
会話を終わらせると手探りで身体へ両手を這わす。
多分これは胸板だと思う。
「その気になったか?」
耳元で囁く声は無視して首元、朝作ったばかりの結び目に触れた所で指を掛けた。
「解放しないなら今すぐこれ解きますからね」


交渉は脅迫が強い


(……その手で来たか)
(本気ですよ。どうします?)
(…わかった。解放しよう)


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