good boy | ナノ

「…以上が、此処、キメツ学園の教育理念と方針となります。…次に…」
…何だっけ、と動かしていたアイブロウを止めて、折立ミラーから傍らの紙へ視線を向ける。
次に、学園の主な年間行事の説明だ。
"キメツ学園新入学生徒保護者説明会進行表、及び原稿"と書かれた文字に小さく溜め息を吐いて鏡へ顔を戻す。
毎年この時期になると、どの学校でも始まる説明会。
私にとってキメツ学園では初となるそれは、教務主任という立場から、体育館の壇上で司会進行、及び学園の概要等を文字通り"説明"する事になってしまった。
校長が「苗字教務主任の腕に掛かっています」なんて期待するものだから、大勢の保護者の前でとちってはいけないと、それを読み込んではいるが、不安は拭えないし出来る事ならこんな大役から降りたい。
そう思いながら迎えた今日。
今更逃げ道なんてある筈もなく、これ以上眺めていても意味を成さない資料を閉じて、準備に集中する方へ切り替えた。

こういうイベント事でしか余り着る機会がないスーツを出そうとクローゼットを開けようとした所で、ふと例の存在を思い出す。
「誰に見せなくても可愛いの身につけるだけでその日の気分が全然違うじゃないですか〜」
蘇ってきたその笑顔に、いつか着けてみようと水通ししておいただけの下着を意を決して取り出した。


good boy


洗面所の鏡を見つめながら、心の中で小さく頷く。
これは確かにテンションが上がるかも知れない、と。
全体的に透け気味なのは気にはなるが、そのデザインと着け心地は流石高級メーカーと言わざるを得ない。
ついでにいつもはつけない少し濃い目のリップを塗った事でさっきまで憂鬱だった気持ちも幾分か軽くなった。
ブラウスを羽織ろうとして、ネイビーはこのままでは響くかとキャミソールを一枚挟もうと寝室に戻った所で、2回鳴ったチャイムに自然と眉が動く。
こんな朝から玄関のチャイムを押す人物なんて考えなくてもわかってる。
モニターを確認すると同時に通話ボタンを押した。
「おはようございます。どうしました?」
どうせあと数時間後には学校で顔を合わせるというのに、わざわざ訪ねてくるなんて余程の何かがあったのか。
『頼みがある』
短く言う姿は、いつものジャージではなくワイシャツと黒いスラックス。
心臓が脈打ったのは、何となく見慣れないからか、それともモニター越しとは言え下着姿の自分に気付いたからか、どっちかはわからない。
「ちょっと待っててください」
モニターを切ると急いでキャミソールとブラウスを身に着けボタンを留めながら玄関へ向かう。

開けた先には、眠たそうに半分瞳を開けた冨岡先生。
「…何ですか?」
短く訊けば左手を差し出された。
「これを締めて欲しい」
見ればそこには青みがかったネクタイが握り締められている。
突然の要求に、つい受け取ってしまいそうになった手を止めた。
「…冨岡先生、ご自分で締められますよね?」
訝し気に答えたのは、始業式でも勉強会でも、その首にはきちんとネクタイが装着されていたのが記憶にあるからだ。
何が狙いなのかとつい警戒してしまう。
「自分で締められるが今日に限って全く上手くいかない。諦めて名前に締めて貰う事にした」
「勝手に決めないでいただけませんか?頼まれても私には無理ですよ。男の人のネクタイなんて締めた事ないんで」
「…ないのか」
「驚いてるんですか?その表情。何か変な顔になってますけど」
「驚きと喜びが共存している。今年初、ネクタイを締める称号を狙ったつもりがまさか名前の人生初を獲得出来るとは思わなかった」
「全部確定的に言ってますけど、私が断ってるのは聞こえてます?嫌だという気持ち面の拒否じゃなく、無理です出来ないという物理的な問題で引き受けかねるって言ってるんですよ。この大きな違い、わかりますか?」
「上手くいくまで何度失敗しても構わない。名前が納得出来るまで挑戦すれば良い。俺はいつまでも見守っている」
「効いてないのはもはや諦めがつくんですけど、凄い良い事言ってる風なのは腹立ちますね」
寝惚けてるから余計にぶっ飛んでるなこの人。
此処で追い返してもハウスする筈もないだろうし、仕方がない。
「…どうぞ」
短く答えてからダイニングの椅子を移動させると向き合う形へと変える。
目をキラキラさせながら大人しく腰を下ろす冨岡先生を横目に
「ちょっと待っててください」
そう声を掛けて炬燵の上に置いたままだったスマホを掴んだ。
"ネクタイ 締め方 動画"
そう検索を掛けても、本人が結ぶ映像だけで、目当てのものは出て来ない。
「冨岡先生、これ見てやってみれば良いんじゃないですか?わかりやすそうですよ」
「嫌だ。名前に締めて貰えないなら説明会には出ない」
また駄々っ子が始まった。
溜め息と共に椅子に座ると今度は"ネクタイ 締め方 相手"と打てば、ネクタイを結んであげる方法という動画を見つけ再生ボタンを押す。
2分足らずのその動画はわかりやすく作られているせいか、意外と難しさを感じず、一度戻すと、まずクロスさせる所で一時停止を押した。
「貸してください」
渡されたネクタイの裏表を確認してから停止された画を確認しつつ、その首元へ視線を向ける。
外されたままの第一ボタンに口を開いた。
「ボタン留めて襟立てても良いですか?」
「あぁ。お前が望むなら一度脱がしてからでも構わない」
「脱がす必要は何処にもないんで大丈夫です」
「名前は服を着たまましたい方か。俺はどちらでも「冨岡先生、私が常人で良かったですね。狂人だったら今すぐにもコレで絞め上げてますよ」」
寝惚けたこの人に本気で怒っても仕方ないと襟を立てるとネクタイを当てていく。
「絞首か。なかなかSっ気が強い。やはり悪女の素質を持っている」
「はい?何でそこからまた悪女が出てくるんですか?そんな素質ありませんから。勝手に決めないでください」
「しかしお前は絞め上げたいと言っていた。そういうプレ…っ…!」
「あぁすみません。勢い余って絞め過ぎました。加減が難しいですねネクタイって」
「やはり悪女が似合う…」
まだ言うか。
「とりあえず見よう見まねでやってみましたけど、どうですか?」
その言葉に自分の首元へ触れると伸びたネクタイへ指を滑らせていく。
「完璧だ。たった一度で此処まで仕上げるとはやはり名前は器用だな」
「動画のお陰だと思います。あんまりゆっくりしてると遅刻しますよ。私もまだ準備があるんでまたあとで…」
早々に部屋に帰って貰おうと立ち上がった瞬間、伸びてきた右手が胸へ触れて、思い切り眉が寄った。
「まだ寝惚けてるんですか?いい加減怒りますよ」
「お前の愛に溢れる絞首で目は覚めた。目の前に出されたら触りたくなる」
「どちらかと言えば怒りしかなかったんですけど。完全に性犯罪者の言い分ですよね。普通の人間はその欲を抑えて生きていってるんですよ。欲望そのままで突っ走るのは冨岡先生と変質者くらいです」
「俺はお前にしか触れていないため問題ない。それに今の俺にはこの胸に触る権利がある」
「…はい?何ですか権利って」
手首を掴んでも柔柔と動く指が止める気配はない。

「俺が贈った下着を着けているだろう?」

思わず心臓だけじゃなく肩まで跳ねてしまった。
いつか気が付かれるだろうとは思ったけども、まさかそんな言い方をしてくるとは思わなかった。
「良く気が付きました。って言いたい所ですけど冨岡先生にしては遅いですね。てっきり見た瞬間気付くであろうと予見してたんですけど」
「お前の姿を見た時から気が付いてはいたが、ネクタイを締めて貰うという目的を果たすまで機嫌を損ねてはならないと口に出さなかっただけだ。見くびられては困る」
「本当ですか?あの半分飛んでた意識で気が付いてたかどうか怪しい所ですし機嫌を損ねるような事散々言ってましたけど…まぁ、そういう事にしときましょうね」
会話を終わらせようと後ろへ引いた途端、勢い良く立ち上がった冨岡先生の圧に押され椅子へ座り込む。
太腿の間に挟むその左膝と覗き込んでくる顔にこれ以上引きようのない身体を引いた。
「口唇の色が違う事もとっくに気付いていた」
「そうですか、凄いですね。…で、きつくないですか?その体勢」
「名前の下着姿が見たい」
「私今日説明会で司会進行しなきゃいけないんで出来るだけ早く行って準備したいんですよ」
「俺が選んだ下着を着けてる名前を見たい」
「冨岡先生も生活指導担当として挨拶するんですよね?原稿とか書きました?」
「俺のものになった名前を見たい。そして抱きたい」
「壇上で話すのってそれなりに緊張しません?強靱な狂人はそういう時も強いんですかね?強そうですよね。冨岡先生が緊張する所とか想像出来ないですし」
「…それ以上誤魔化そうとするなら説明会に出席出来ない程、滅茶苦茶に乱れさせる」
「すみません、それは本当にご勘弁いただきたいです。いや、でも本当、緊張しませんか?真面目な話」
「しない。俺が緊張する時があるとしたらそれはお前の全てが手に入る瞬間くらいだ」
「…そうですか。強靱な狂人の世界は羨ましい限りです」
「冗談は抜きにして、お前はどんな時でも堂々としているが今日ほど弱気なのは珍しいな」
若干上がった眉が、驚いているというのを伝えてる。
というか冗談だったのか。
ほんとこの人真顔で言い放つものだから冗談と本音の区別が付きづらい。
「堂々としているんじゃなくて堂々としているように見えるだけなんです。内心は人前に立ちたくないってずっと考えてますよ。生徒達ならまだしも、今日みたいな全く知らない人間の前は特に嫌です」
「…そうか」
短く答えた右手がブラウスのボタンを外していくのに気付いて息を止めた。
「…何し「俺もお前を人前に立たせたくない。舐めるような視線を浴びせられるのは耐えられない」」
この人と話してると何かもう、悩みとか不安とか全てがどうでも良くなってくるな。
もしかしたらそれが狙いなのかもしれないけど、と考えながら右手に抵抗したのも束の間
「緊張しない願を掛けてやる」
その言葉につい力を緩めてしまったものの
「何だこれは…」
明らかに落胆した声色でキャミソールの襟元に掛ける人差し指に力を込め直した。
「何って何がですか」
「邪魔だ。折角の下着が見えない」
早々にブラウスごと肩紐を下ろそうとする両手を掴む。
それが刹那的な時間稼ぎだったとしてもだ。
「そもそも誰が見て良いって許可しました?」
「俺には見る権利がある」
「ないです。そんな権利は何処にもないです」
「焦らずともこの目に入れるだけだ。残念ながら今はお前を堪能するだけの時間がない」
「その認識があるなら今すぐ離して欲しいんですが」
「お前が抵抗しなければすぐに終わる」
「無理です。抵抗しないと受け入れてると勘違いされそうなんで全力で抗っていきます」
「それはそれで俺を興奮させるだけだ」
抵抗も虚しく二の腕まで下ろされた肩紐に気付いてまた襟元を引っ張る指に顔を背けた。
「良い眺めだ。予想通り名前にはこれが似合う」
「…それはどうもありがとうございます。それが確認出来たならもう離していただきたいんですが」
「まだ願掛けをしていない」
あぁ、そんな事言ってたっけ、確か。
どうせ私の気を逸らすために適当な事を言ってるのだと思ったけど。
「何ですかその願掛…」
言い終わる前に首筋に噛み付く口唇に先程とは比べ物にならない程心臓が跳ねた。
「冨岡先生!?駄目ですよほんとに!見える所に付けないでください!?」
いつもならストールで誤魔化せるけれど今日この日だけはそうもいかない。
必死に訴えれば上げられたその顔がしてやったりという表情をした。
「見えない所なら良いんだな?」
返事をする前に左胸の膨らみに落とされた口唇に全身が震える。
その頭と肩を押し返そうにもビクともせず、その口唇が離れる時をただ待った。
暫くしてリップ音を立てて解放された事に安堵するも、今度は右胸へ移動するのを気付いてその頭を押し返す。
「何が願掛けですか。罠だったんですね。まんまと騙されました」
「騙してはいない。立派な願掛け兼魔除け兼護符だ」
「何が願掛けで何が魔除けで何が護符なのか懇切丁寧な説明を求めたいんですが」
「まず俺に下着姿を披露した名前には人前で立つだけという行為に恐怖がなくなる。それが願掛けだ」
「…願掛けって言葉の意味はご存知ですか?」
「知っている。要はまじないだろう?」
「…まぁ、間違ってはないんですけど…」
「魔除けはお前を見た人間が惚れないようにというものだ」
それは絶対必要ないと思うんだけども。
触れるとまた長くなりそうなので割愛しよう。
「護符というのは?」
純粋に疑問を出した私にその群青色の瞳が伏せたかと思えば、先程と同じ場所にキスを落としたものだから、肩が震えた。
そうして顔を上げるその姿は、故意的に近距離で私の顔を覗き込んでいて、目を逸らすしかない。
「お前が心細く不安になった時には俺が居るという護符、これがその証だ」
今しがた付けた痕へ人差し指が触れた。
「名前なら出来る、そう願も掛けた」
キャミソールの肩紐を直してからブラウスのボタンを留めていく両手を見つめるしか出来ない。
そうして部屋を出て行こうとする背中に、何か言わなくてはと瞬時に考えた言葉を口にする。
「私…もう少しで家出ますけど、冨岡先生は?」
わかり辛いであろうのは重々承知していたのに、僅かに瞳孔を開いたその目は
「すぐにでも出られる」
皆まで言わずとも私の意図を明らかに理解していて、その回転の良さに感服するしかなかった。



その願掛けは最強に近い


(髪纏めてきますね)
(その手持ち無沙汰の間、名前の身体を堪能したい)
(やっぱり一回ハウスしましょうか)


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