「皿が良いならよそってくる。少し待ってろ」 ドン引きする私にそう言うとまたダイニングへと消える冨岡先生。 普通に我が物顔で使ってるその鍋もお玉も、恐らく持ってくるであろう皿も全部うちのなんだけど。 「……くっしゅ!…」 少し、思い詰め過ぎていた。 あの人が一筋縄でいかないのはわかっていた筈。 もう終わった事は切り捨てていこう。 どんなに考えたってやり直しは利かないし、この寒気も頭痛も治る訳じゃない。 今出来る最良の道を最短で探す。 余計な事に頭を使ってる場合じゃない。 冨岡先生には話すべきか。 勿論、あの人に言われた話はナシとして。 本当に謹慎が解かれないとなったらその理由は話さないといけない。 だけどやっぱり、馬鹿正直には言えない。 今回の事で過去の暴力事件が改めて教育委員会の中で問題視された、その理由で納得させるしかないと思う。 余り複雑な嘘を作りたくないのは肝心な時に身動きが取れなくなるからだ。 俯いたままだった視線の先、差し出されたお粥に顔を上げる。 いつの間にか目の前にしゃがんでいる姿につい瞬きが多くなった。 good boy 「今度は何を考えている?」 「…いえ、確かに少し楽になってるなって思っただけです。ありがとうございます」 それを受け取りながら、今それを言うべきか判断に苦しむ。 謹慎が継続するかどうかは最低でも明日の朝にならないとわからない。 万が一、あの人が口から出まかせを言っていた場合、また矛盾が生じてしまう。 前の冨岡先生ならともかく、今のこの人がそれを察知しない筈がなく、下手な誤魔化しが効く訳もない。 今はまだ何も言わない方が得策だ。 「…食べさせて欲しいのか?」 飛んできた言葉にまた俯いていたのに気付く。 「…何でそうなるんですか。大丈夫です。自分で食べられます」 武力を行使される前にスプーンを運べばじっと見つめる両目に飲み込むのに無駄に力が入ってしまった。 「…何ですか?ずっと見てられると食べ辛いんですけど…」 「美味いのかを案じている。どうだ?」 「そりゃ…」 つい思ったままを口にしようとして飲み込んだのはその瞳から伝わる期待をひしひしと感じてしまったから。 「…美味しいです」 「…そうか」 途端に上がる口の端は嬉しそうで『そりゃ温めただけですからね』なんて勢いだけの軽口を言葉にしてしまわなくて良かったと思う。 この人にとっては"たったそれだけ"の事じゃない。 「…そういえば、良いんですか?私が食べちゃって…」 「どういう意味だ?お前にしては言葉が足りない」 「…本調子じゃないんで…そこら辺は突っ込まないでくれませんか…。このお粥、冨岡先生の非常食とかじゃないんですか?って言いたかったんです」 「構わない。元々救援物資の中に入っていたものだ」 「…救援…?」 「あぁ、たまに実家から来る」 「…仕送りの事ですね」 何かこう、意外だなって思ってしまったけれど、でもそうか、と納得した。 この人も最初から1人で産まれ生きてる訳じゃないという当たり前の事実に今更気付く。 「必要ないと断り続けても送ってくるため正直溜まりに溜まってる」 「…まぁ、親なんてそんなものですよね」 苦笑いを返した私に少し眉を寄せるのが何でかはすぐにわかった。 「違う。親じゃなくて姉の方だ」 「冨岡先生、お姉さん居るんですか?」 「居る。知らなかったのか?」 「知らなかったです。2人姉弟なんですか?」 「そうだ」 こう、少しわかった気がする。 確かに末っ子気質はあるかも知れない。 産まれた順番が絶対的にその人の性格を決める訳ではないのも理解はしているけれど、この人に対しては、だから何となく放っておけなくなってしまう一面があるのかと納得してもう一口お粥を頬張った。 冨岡先生のお姉さんってどんな人なんだろう?とふと考えたが 「薬はあるのか?」 その言葉に考えていた事を止める。 「…ありますよ」 「何処だ?持ってくる」 この人まるで自分の家みたいに寛いでるな、と思ったけど、今日ばかりは単純に私の体調を憂慮している事が伝わるので完璧に無下にする事も出来ない。 出来ないが 「良いです。これ食べ終わったら自分で持ってくるので、気にしないでください」 そこまでやって貰う義理もないし正直これ以上この人のペースに乗せられるのも後々の事を考えると危険な気がする。 「言わないなら勝手に探させて貰う」 そう言って立ち上がったかと思えばすぐ近くの引き出しに手を掛けるのに気付いて声をあげようとしたのに 「…はっくしょっ!」 くしゃみで一瞬遅れ、目を開けた時には2段目まで開けられていた。 「…そこは違います!服しか入ってませんから!」 3段目だけは開けられてはなるものかと皿を置くと止めに入る。 スッと開けられるそれに半ば体当たりに近い阻止をすれば何がどうなったかはわからないけれど、その身体を押し倒していた。 「……すみません。勢い余り過ぎました」 すぐに離れようと身体を起こすも右手で掴まれた腰が反射神経で震える。 「…これはこれでなかなか良い光景だ。悪くない所か渡りに船を得るとはこういう事を言うのか」 「随分とまた難しい言い回しを知ってますね。私にとっては全然これっぽっちも望ましい状況ではない、泣き面に蜂状態なんでその手を離してください」 寧ろ泣き面に犬の方がしっくりくるか。 離れようとしてるのに片手だけで押さえ込まれてビクともしない。 初めて見下ろす真っ直ぐ私を見つめるその顔は新鮮で綺麗だと、そう思ってしまった。 いや、綺麗っていうのはその顔つきがって事でそれ以上の意味はないんだけども、なんて、そんな事を苦し紛れに思ってから、こんな状況で綺麗だの何だの考えてる時点で熱に浮かれ… 「…冨岡先生!?」 上半身を起こすとまるで小さな子供を抱くように私の身体を抱え、立ち上がる。 ひょいっという効果音が似合うそれも、実際あの体勢からの負担を考えるとおいそれと出来るものじゃない。 ベッドの縁に腰を下ろさせたかと思えば 「薬は何処だ?」 圧をかける群青色の瞳に諦めた次に、どうわかりやすく説明しようか考える。 「…ダイニングの棚わかります?リビングから出て右側…っくしゅ!」 「…あれか」 「その、食器が入ってる下の引き出しにあります」 「わかった」 ダイニングに向かう後ろ姿を眺めてから、そうだ、と思い出して置いたままだったお粥を手にし口に運ぶ。 残すのは申し訳ない。 でも、どうして冨岡先生は正直あんなにオイシイ、と私が言うのはとてつもなくどうかしてるけども、本人も言っていた通り、望ましい状況を早々に手放したのだろう。 また深く考えてしまいそうな思考を無理矢理止めてお粥を食べる。 今は違う。 その事を考えるんじゃなくて… 顔を上げた先には、一点を見つめたまま動かない冨岡先生の横顔。 右手には薬が握られている事で在処がわからず戻ってきた訳ではないと知り、どうしたのだろうと浮かんだ疑問もすぐにその視線の先でわかった。 開け放たれたままの3段目。 意味を理解したと同時に止めようと立ち上がろうと足に力を入れても、それより先にその中の下着の一枚を摘み上げる指に項垂れるしかなかった。 「…勝手に触らないでくれませんか?というか見ないでください」 「だから必死に体当たりしてきたのか…」 「納得していただけたなら良かったです。閉めてください。そして何も言わないでください。一切の記憶を消してください」 「悪くはないが俺としてはもう少し「本気で怒りますよ」」 「……」 そっとそれを戻した後、大人しく引き出しを閉める姿。 「薬を持ってきた」 「…ありがとうございます」 「これは1回何錠だ?」 パッケージを見つめる目が細くなる。 そういえば薬を持って来てもらったは良いけども、それを飲むための水がない。 僅かに残っていたお粥を口に運んでから 「ご馳走さまでした」 皿を片手に立ち上がった。 「何処に行く?」 「台所です。これ置いたら水持ってきます」 ハッとする表情に続き 「…忘れてた」 有無を言わさず私の手から皿を取り上げるとまたダイニングへ向かう背中に思わず苦笑いが零れる。 その背を追い掛けるようにダイニングへ向かった。 「…くしゅん…っ」 つい出たくしゃみに、冷蔵庫から取り出したであろう天然水をコップに注いでいた手が止まる。 「布団に入ってろ」 「…いや、流石に何回も往復させるのは申し訳ないですしさっきよりはほんとに落ち着いたので…。」 椅子に腰を下ろすと、すぐに差し出される薬と水に礼を言ってから視線を落とした。 「薬を飲んだら寝ろ。明日もまたあんなフラフラの状態で帰って来られたら俺もおちおち出掛けていられない」 「………」 反射的にすみません、と言い掛けてその言葉を止める。 どういう、意味なのかと。 すぐに記憶を遡って救急車の音に、一時停止するように記憶を止めた。 あの僅かに聞こえたサイレンは私の方からじゃない。 受話器の向こう、冨岡先生の方から聞こえてきていた。 謹慎という言葉だけで勝手に家に居るものばかりだと思っていたせいもあって、それをすぐ気付けなかった。 という事は、集合ポストに居たのは… 「…本当は、さっき冨岡先生も帰ってきた所だったんですね」 「……。そうだ。買い物に行っていた。ポストを確認した所でエントランスへ入ってくる名前を見つけたがおぼつかない足どりに声を掛ける前に手が出ていた」 「…ついでにもう一つ訊ねて良いですか?」 「何だ?」 「どうして私の居場所がわかったんですか?」 少し頭が回るようにはなったけれど、また言葉が足りなかったと気付いて、痛むこめかみをつい右手で押さえた。 「…薬を飲んで寝ろ。答えなら明日でも構わない筈だ」 「…一度気になると眠れないタチなんですよ。これだけ訊いたら大人しく冨岡先生の言う通りにします」 こればっかりは言葉の綾ではなく本当だ。 明日からはまたあの人と戦う手段を模索しなくてはならない。 出来る限りの懸念や疑問は頭の中で整理しておきたかった。 私の言葉に、冨岡先生は若干悩んだように目を細めてから口を開く。 「…名前ならば、どうするのかと考えた。お前の性格からしてあの男の連絡先を残している筈がない。ならばどうやって会いに行ったのか」 「そこは断定的なんですね」 「何の躊躇もなく俺をブロックしグループLINEも抜けるお前が思い出したくない過去をそのまま残してるとは思えない」 「…まぁ、そうですね。実際すぐに消しましたし」 「一昨日、お前の身体が冷え切っていた事で、あの男を待っていたのだというのはわかった。それが何処かを考えると選択肢は二択になる。職場か自宅か。これもわざわざお前があの男の家の前で待つなどと無警戒な事をする筈がない。それに元勤務先だった分、内情も知っている中学校で待つのが現実的だ。それが何処かは新年度に配られた学園だより、新任教師の紹介欄を見ればすぐに知る事が出来る」 「…凄いですね。全部合ってます」 正直、ものすごく驚いている。 まさか私の考えと行動パターンを此処まで正確に読んでくるとは思わなかった。 「納得したのなら早く薬を飲め。飲めないのなら俺が口移しで飲ませてやる」 「わかりました飲みます。所々、武力で脅してくるのやめてもらえませんか?」 「脅してはいない。俺なりの気遣いだ」 「また随分斜め上の気遣いをありがとうございます…」 この人の場合、もたもたしていると実際にやりかねない。 すぐに薬を水で流し込むとそれを片付けようと立ち上がろうとしたのを察知したように薬のゴミとコップをさらっていく冨岡先生に 「…ありがとうございます」 小さく礼を言うしかなかった。 「礼は良いから早く布団に入れ。俺も此処を片付けたら帰る」 「…そこまでしなくて良いです。置いといて貰えれば明日自分で片付けるんで…」 「駄目だ。鍵は掛けた後ドアポストに入れておく。心配しなくても合鍵を作ろうとは思っていない」 「…だから流石にそこまでは警戒してませんってば…」 この人のズレ方はもう多分直らないんだろうな。 あとその頑固さも。 「…わかりました。じゃあ寝ます…。ありがとうございました」 台所の鍋を洗い始める背中は何も答えない。 小さく息を吐いてダイニングからリビング、そして寝室に入りかけたその時、 ガチャンッ!! 嫌でも耳に入る破壊音に足を止めるしかなかった。 ダイニングへ戻れば固まったまま動かない冨岡先生。 「割れました…?」 「…割れた」 眉を下げる横顔につい笑ってしまいそうになった。 わかりやすく不器用なんだから (怪我はないですか?) (…ない) (そんなに落ち込まなくて大丈夫ですよ) [ 30/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
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