good boy | ナノ
本気で動物と住むことを考えてみようか。人語を喋る大型犬じゃなくて。
そう検討したくなったのは

「力で勝った方が名前を貰い受けるということか」
「だからッ!ちげェわァ!」

狂人に真っ向から向かっていく不器用な常人を遠目に見ているからだ。

犬猫は禁止だから、うさぎハムスター小鳥あたりが妥当か。リスなんてのもいいかもしれない。

「お前の今考えてること全部間違ってっからなァ!?そもそも俺と苗字とどうこうなんざあるワケねェだろうがァ!!」

全く以てその通りです、不死川先生。あぁ、ハリネズミとかも可愛いかもしれない。
渇き始めたことで跳ねていく髪の毛を視界に入れたためか、そんなことが思い浮かんだ。

「あるわけないと断言をできる根拠は何だ?」
「それはッ……!」

常人が困っていらっしゃる。やっぱりこういう時に冨岡先生って強いんだな。狂人だから。

でも何となく、わかる。

"あるわけない"そう言い切れる漠然とした自信。

"男女の仲に友情なんて存在しない"なんて言うけれど、それはどちらかが"恋愛対象"として意識した場合だ。

単純な友情と少し形は違うかもしれないけれど、意識をしない関係性は存在する。

不死川先生とは、それに近い。要は類似点が多いんだ。常人として。

何というか"異性として見られない"。

包み隠さず言えばそうなる。

お互いにそれを感じているから気兼ねなく話もできるけれど、今ここでそれを言うのを憚っているのは、不死川先生なりの思いやりなんだろうな。

「言い淀むのは違うからだろう」

これでもかと畳み掛けようとする冨岡先生は、少し飲酒量が多いせいかもしれない。

「アァッ!ウゼェな!大体そーやって惚れた女のことも信じらんねェんならさっさと別れちまえェ!」
「それが不死川の本心か」

これはキリがない。全く以て非生産的だ。

「帰って「駄目だ。責任を持ってお前が何とかしろ」」

伊黒先生の真っ当なお叱りを受けたところで、そっと近づいてきた宇髄先生から渡されるのは、先程川遊びで使っていた水鉄砲。

眉を顰める私と違いまるで釈迦のような微笑みに、あぁなるほどと全てを悟った。


good boy


頭を冷やさせろ。そうおっしゃっていられる。

照準を定めたのは言い争いが続く狂人と常人。
胸倉を掴んだ傷だらけの腕に、早々に決着をつけなければと構えた。

青みがかった髪で見えないこめかみへ引き金を引けば、思ったより強い水圧を放つそれに驚いたのは私だけじゃない。

一身に浴びた冨岡先生と、それを目の前にしている不死川先生も目を丸くしていた。

「おまっ…、大丈夫かァ!?」

こういう時に咄嗟に気遣える不死川先生は本当に良い人だ。こちらを向いた途端の呆れ顔には何となくこう、長男気質を垣間見る。

「すいません、頭を冷やせとお達しがきたもので」
「いや、今確実殺りに「冷静になりましたか?冨岡先生」」

びっしょりと濡れた姿にやり過ぎた感は否めなくても、敢えて態度には出さず訊いた。

「不死川の助太刀をするのか」

参った。これはまだネガティブ方面にスイッチが入ったまま戻ってこられないらしい。

「助太刀も何も…」

説明をしようにも、余りにもくだらないものだから先に溜め息が出てしまう。

「ホントにたかが夢くらいで、ですよ。そんなもの強靱な狂人の前では歯も立たないはずでは?何をそんなに怯えてるんですか?そこまで酷い夢だったなら、尚更口にした方がいいですよ」

まただんまりを決め込もうとする姿に吐きそうになった溜め息は、

「うむ!悪夢は人に話すことで正夢にならないという話を聞いたことがある!!」

威勢のいい声で止まった。

「それ、私も聞いたことあるわ〜」
「逆に吉夢は人に話さない方が実現するとも言われているな」

さらりと助け舟を出してくれる胡蝶先生と悲鳴嶼先生に感謝しつつ、その瞳が揺らぐのを見つめる。

「黙ってねェでさっさと吐けやァ」

言葉自体は乱暴でも、それが優しさだってことは本人にも伝わっているだろう。

「もしかしてお前、不死川と苗字が「宇髄先生」」

何を言おうとしていたのか定かではないけれど、確実に嫌な予感しかしないので銃口を向けてみればわかりやすく口笛を吹き出すものだから能面になる。
どんな状況でも楽しむ気概を忘れないのは尊敬するところだけど、楽しみすぎる節があるので厄介だ。

「冨岡」

伊黒先生の呼び掛けに呼応するように、ゆっくりと口が開かれる。
音もなく落ちた水滴を自然と目で追っていた。

「名前が…」

ドキッとしたのは多分、それがすごく哀しそうだったから。

「突然、不死川の方がいいと…」
「でェ?」
「俺の前で……」

まさかそういう生々しいシーンまで見てしまったのか。
途端にピンと張り詰めた空気が辺りを包んでいく。

次の言葉を固唾を飲んで待ったのは、私だけじゃない。

「…それで?」

いつの間にか宇髄先生も真剣な表情になっている。

暫しの沈黙のあと、観念したように顔を上げたことで群青色がはっきりと見えた。

「名前と不死川が、笑顔で仲良く手を繋いでいた」

そうしてはっきりとした発言に、また空気が固まる。

「……でェ?」
「以上だ」
「…はァ?」

まぁ、そうなりますよね不死川先生。

「これほどになく衝撃的だった。まさか2人があんなに楽しそうに…」
「あぁ…、まァ、だろうな」

納得するのもわかる気がした。想像をすると正直自分でも恐ろしいものがある。

「いや…、でもお前ェそれくらいであんな荒ぶってたのかよォ?」
「それくらいじゃない。俺にとっては史上最低の悪夢だ」

言い切った冨岡先生に、そういえばこの人はこういう人だったと唐突に思い出して脱力した。

「帰っていいですか?」

三度目の正直でそう訊ねれば、舌打ちのあと、

「あのバカも一緒に連れて帰れ」

また厳しいお言葉をいただいて、苦笑いが出た。





拍子抜けだ。何がって全てが。

結局、不死川先生がふっかけた喧嘩は、どうにも様子がおかしい冨岡先生を心配した面々が立てた作戦だったというのは、あとから胡蝶先生達に聞いた話。

最初こそ何があったのかストレートに訊ねようとしたらしいが、私まで冨岡先生に気を遣っていることで、さらにややこしくしてしまった。

「一大事かと思ったらすげー地味だったな」

つまらないといった表情でまたお酒を呑み始める宇髄先生の表情は何だか安心しても見えたので、素直にお礼はしておいた。

解決するまででもなかった今回の話。

それでも溜め息が出てしまうのは、少し後ろからついてくるジャージ姿によってだ。
未だに納得がいっていないらしいその姿からはまだ落ち込んでいる雰囲気が漂っている。

「冨岡先生」

振り向いた先、重くなった髪に申し訳なさを感じた。そういえばきちんと謝ってもなかったと続ける。

「さっきはすみませんでした」
「不死川の味方をしたことか」
「水鉄砲で打ったことです」
「それは……、いい。いや、なかなか良かった」

何が?という疑問は口に出さないでおこう。多分これは性癖な何かに近い。

「まだ怒ってるんですか?」
「怒ってるわけじゃない。お前が不死川が好き「それ、本気で言ってます?」」

さっきまでは胡蝶先生達の手前、我慢はできていたけれど2人になった今、沸々と怒りは増していく一方だ。

「見たくないものを見てしまってショックだった。そのお気持ちはわかりますが、だからといってまるで現実の私がそうしたと錯覚されるのはさすがに心外です。しかも不死川先生を選ぶとか正直有り得ないですよ」

俯いている冨岡先生も、わかってはいるんだろうとは思う。
タイミングが悪かった。それで解決するには、頭の中で拗らせてしまったんだということも何となく伝わる。

「逆に伺いますが、もし冨岡先生が不死川先生の立場として、そして例え万が一好きになったとしても、その相手とどうにかなろう、取ろうとか思いますか?」
「……微塵も思わない」
「でしょうね」

溜め息が出たのは呆れではない。価値観が似ているという事実で得た安心だ。

「それこそ倫理観の話になりますが、似てるんですよ。キメツ学園の教師陣は」

争うことがないというのは美徳。仲良くとはまた違うかもしれないけれど、うまくバランスが保ててるのは確かだ。

趣味嗜好も違うけれど相手の価値観を否定しなければ、好きなものを尊重できる。それはとても貴重な関係だ。

「だから冨岡先生もそこに居場所を見出したのではなかったのですか?」

誰にも手に負えなかった。

だからこそ、その輪の中にいるこの人を微笑ましいどころか、愛しくも感じていたというのに。

俯いては黙り込む姿に、溜め息は出てしまう。

「夢に負けるようじゃ強靱な狂人もまだまだですね」

だけど笑ってしまうのはどうしてだろう。

他の人と手を繋ぐ。

それだけでもこんなに精神的ダメージを受けてしまうこの人が、どれだけ私のことを好いてくれているのか実感できることは、また皮肉な話だ。

「さっきは言わなかったが」
「何ですか…?」

真剣な表情に、また息を呑む。
いや、でも冨岡先生のことだからそんなに大したものでな

「ホテルに入っていた」

とてつもなく大したものだった。

「……それは、ショックですね」

正直それ以外、言えなくなってしまう。
いや、夢なんだからといえばそうなんだけど、それはショックだ。もうこの世の終わりくらいに落ち込むのもわかる。想像しただけでもすごく良くわかる。
私でさえそんな夢を見た暁には立ち直れなさそうだ。

「口にすれば、正夢にならないのだろう?」

そうやって俯く姿に、罪悪感が込み上げて胸が痛んだ。いや、私は何もしてないんだけど。

「……そうですね。正夢になんてなりませんよ」

そうは言っても気休めにすらならない。どうすればこの消沈を取り除けるのか。

まだ少し重い髪を見止めて、閃きに近いものを得た。

「冨岡先生、行きますよ」

なかば強引に手を引けば、余り軽くはない足取りでついてくる。

こうなったら武力行使しかない。

「濡れたまま電車に乗ると冷房で風邪引きそうですから、乾かしてからにしましょうね」
「どこでだ?」
「決まってます」

まさか自分からこんなことを言う日がくるとは思わなかった。
本当にこの人といると新鮮なことばかりが起きる。

「ホテルで休憩しましょう」

驚いているのが掴んだ手から伝わってくるから振り向かず歩き続ける。はずだったのに、思いっ切り引かれた手に驚いている間に小脇に抱えられていた。

「冨岡先生…!?」
「そう言うのを待っていた。さすが名前だ」
「まさか……、罠だったんですね!?」
「罠じゃない。駅に着いた時思い出した」

駅に着いて?思い出した?
何か話が噛み合ってないような気がする。

「駅前には個性的な造形をしたホテルがある。名前も見ただろう?」
「それは、見ましたけど」

改札を出たところに佇む洋風な城のような建物に何かと気になったけれど、外に掲げられた看板でそれがラブホテルであることを知ってそのまま素通りはした。
気が付かれているとは思わなかったけれど、だからまさか…?

「夢見たって嘘吐いたってことですか!?」
「ホテルに入る夢を見たのは本当だ。だが今日じゃない。それに入ったのは俺とだ」
「…ってことは」
「一連の事象を利用すればお前から誘ってくると踏んだ」
「やっぱり罠だったんじゃないですか!」

まさかのこんな作戦に引っ掛かるとは。

「俺のことを"要らない"と言った報復だ」
「いや、現実の私は言ってないですし」

抵抗も虚しく着いた洋館に、逃げ場がないと悟って溜め息が出る。
怒りより呆れの方が強いのは、そんな夢を見てなくて良かったという安堵もあるからか。いや、夢は見たらしいけど、とにかく不必要に傷付くことがなくて良かった。と思う辺りどうにも甘い。

「ずっと行ってみたいと思っていた」

チラリと見上げた先の瞳はキラキラしてる。見ているのはラブホテルだけど。

「すいません、感動してるところ悪いんですけど降ろしていただけませんか?すごく周りの目が痛いので」
「降ろしたら逃げるだろう」
「冨岡先生から逃げられるとお思いで?」

例え全速で走ったとしても秒で捕まるのは目に見えてる。寧ろ走り出す前に拘束されるだろう。

「聞き分けがいいな」
「負け戦は嫌いなので」

ここはもう大人しく従うに限る。でないと更に酷い目に遭いそうだからだ。

ゆっくり降ろしてくれる腕は優しいんだけど、手を繋ぐ力は強い。

「行くぞ」

気合いを入れている横顔に、どういう顔をすればいいのかわからないままふと思った。


どうあろうが正夢に変えてくる



(もはや執念ですね…)
(何か言ったか?)
(いえ、なんでもないです)


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