「なんつーかよォ。こういうのを青天の霹靂って言うんだろうなァ」 背後から聞こえる感慨深げな声に、箸へ落としていた視線を上げる。 振り返る間に、卵焼きを頬張るジャージ姿が見えた。 仁王立ちしたまま何とも言えない表情で見下ろしている不死川先生によって意識はそちらの一点へと向かう。 「お疲れ様です。大丈夫でしたか?」 「おー。とりあえずコレは没収してきたわァ」 そう言いながら人差し指でクルクルと回されるのは見覚えのある猪頭。 「…大丈夫なんですか?」 もう一度同じ問いを繰り返してしまうのは、その下の怒り顔を自然と思い出してしまったからだろう。 「返して欲しかったら昼休みに職員室来いっつってあんから問題ねェ」 そう前置きをしてからかいつまんだ報告をした後、自分のデスクへ粗雑にそれを投げてから椅子に座る。 恨めしそうにこちらを見つめる猪の眼は、確かに威圧感があるなと思いながら苦笑いを零した。 先程、女子生徒が着替えをしていた所に不審者が入り込んだという騒ぎが起こり、その犯人というのがこの猪頭を愛用している人物。 中庭で授業をサボっていたという嘴平くんはこの時期特有の暖かさにすっかり寝入ってしまったらしく、目が覚めたのは4限目を終えた頃。 これはマズイとショートカットのため窓から入り込んだ教室が、丁度女子生徒が着替えている所だったという。 しかし本人がいつも言っている通り猪突猛進な彼はそんな事にも目もくれず颯爽と走り抜けていったため、生徒達は誰かを認識し、悲鳴を上げる間もなかった。 その後すぐに"痴漢"だの"盗撮"だの騒然となった時、チラホラと"あれ人間じゃなかった"や"獣?"、"山の主ではないか"と言った声が上がった事から、不死川先生が聞き取り調査に向かい、結果本人が認めたため、こうして猪頭を没収してきたというのが経緯だ。 今回の一件は、不慮の事故として納得と解決はしたらしい。 嘴平くんの性格を考えれば、素直に謝罪をするような人物でもないので、恐らく不死川先生が上手く間を取り持ってくれたのだろう。 しかしそう考えると、先程しみじみ言っていた通り 「生徒達にとっては正に青天の霹靂かも知れませんね」 苦笑いで呟いてからデスクへ向き直そうとした所で、おもむろに振り返る不死川先生と目が合った。 「や、俺が言ってんのは嘴平達じゃなくてお前らの方」 「…私達、ですか?」 動く視線を追った事で冨岡先生へ行き着いたので、それが誰を指しているのかは訊かずともわかったけれど、言葉の意味までは窺い知れない。 咀嚼している様は相変わらず静かなもので、その口元にはブロッコリーに付けた筈のマヨネーズが付着している。 「冨岡先生、口」 「ん」 「まさかお前らが人目も憚らず仲良く揃いの弁当食べる日が来るなんざなァ」 俄かには信じられないといった表情でまじまじと見ながら腕を組む不死川先生に 「別に仲良く食べてるつもりはないんですけど…」 苦笑いのまま返したけれど、まぁ確かに、その反応も頷けるかと納得もしてしまう。 全力で拒否してたもんな、今までの私は。 そう考えるとますます苦笑いが強くなってしまう。 「苗字が折れるのは時間の問題だろうなァってのは思ってたけどよォ。にしてもそこまで冨岡に対して過保護になるのは意外だよなっつー」 「過保護にしてるつもりもないんですけど…」 「お前ソレェ、今の自分の行動わかってて言ってんのかァ?」 笑っているような呆れているような、そんな表情から自分の手元へ目をやれば、いつの間にか冨岡先生の口周りを拭いていて動きを止めた。 しまった。差し出されたものだからつい。 「これはあれですね。完全に飼い犬への庇護本能とかそういうものですね」 「要は過保護っつー事だろォ」 不死川先生の声を聞きつつ使い捨てのおしぼりを袋の中に入れた。 自分の箸を持とうとした所で 「こーなっから頑なに好きだって認めたがらなかったんだなァ」 またしみじみと言い放つものだから、もう一度振り向こうとしたけれど、その前に背を向けられた気配に止めざるを得ない。 此処で私が深追いしても、また呆れたように笑われるだけだろうし、手作り弁当を職場で食べるという、初めての催しを心の底から堪能している冨岡先生が暴走しないとも限らないので、余計な事は言わない方が身のためだ。 そうして、卵焼きを口に運びながら、思う。 強い否定は出来ないな、と。 過保護、というのはまた違うけれども、どうしても放っておけないという気持ちは先立ってしまう。 それは多分、好きとか嫌いとか関係ない次元でずっと前から抱いていたもの。 冨岡先生は本能でそれを察知していたから、多少強引だろうが私の傍を離れようとしなかったのかも知れない。 そう思うとやっぱりこれは成るべくしてなった結果という事か。 もしかして全部、策略だった? 私は冨岡先生の掌で転がされていただけだったのかも知れない。 そんな事を考えながらふと目端で捉えた右横。 今しがた綺麗にしたばかりの口元にはご飯粒を付いていて、呆れなんだが笑いなんだが良くわからない溜め息がまた出てしまう。 「冨岡先生」 人差し指だけで自分の顎を示せば、瞬きで返されたものの、意味は理解したらしい。 手首を攫われたと気付いた瞬間には、指がご飯粒を掬ってその口に収まっていた。 「何っ!するんですか…!」 思わず手を振り解いてしまったし声も荒げてしまっていた。 途端にしゅんと下がる眉にも焦るは焦るんだけども、それとこれとはまた話が違う。 出来るだけ声を抑えながら口を開いた。 「冨岡先生、そういうのは「嫌だ」」 最近、駄々っ子になるタイミングが全くわからない気がする。 いや、前も的確に把握している訳ではなかったけれど。 「外ではやめてくださいって言いましたよね?」 「それは不特定多数に見られる場合に限りだろう?俺達の事は此処では既に周知の事実だ。問題ない」 普段声量が小さいのに、今この場では声を張り上げるものだからこれはまたマズイと辺りを見回す。気が付いた時には周りの視線を一身に浴びていた。 その中には事務方の冷ややかな視線、ではなく、不死川先生と同じような、呆れてはいるものの、温かさがある眼差しに羞恥より驚きの方が勝る。 明らかに私に対する空気が違う。しかし研究授業の時は冷たかったのは覚えている。 そこから何かしたかと考えても、私は何もしていない。じゃあ一体何があってその雰囲気が 「俺は名前の飼い犬兼彼氏だ。これ位の事は日常茶飯事だと周りの人間には慣れて貰わなければ困る」 その言葉にごっそりと思考が持っていかれた。 「すっげーアホな事、本気で宣言してやがらァ」 小さく噴き出す不死川先生にこちらは何をどう返して良いか考えが纏まらない。 「…慣れて貰ったら私が困るんですけど…」 どんなに考えても情けない事に、その場ではそれしか返せなかった。 good boy 放課後、生徒がまばらになった廊下を真新しい教科書が入った段ボールを抱えて歩く。 同じように細腕で箱を支えている姿が教室へ入っていくのに続きながら、揺れる度に光沢ある髪が相変わらず綺麗だなと思った。 「此処で最後ね」 屈託のない笑顔を向けられたのはひと間、すぐに生徒達が使う机の中へと教材一式を入れていく胡蝶先生に倣い、私も反対側へ回るとその束を空洞に押し込んでいく。 その合間にも伏し目がちになったかと思えば、前を見据える睫毛の動きをどうにも視線が追ってしまう。 可愛い。それしか出てこない。 私はこれまで単純にその外見が好みなのだろうと軽く考えてきたけれども、こうして見ると 「苗字先生、本当に冨岡先生とお付き合いを始めたのよね?」 視線を向けられた事と、言葉の意味に心臓がドキッと脈打った。 「おめでとう」 「……。ありがとうございます」 一瞬言葉に詰まったのは、これまでずっと複雑に感じていたその一言が、今この場では素直に"嬉しい"そう思う自分に気付いたから。 思い返すと、胡蝶先生には本当に多大なるご迷惑をお掛けしたと思う。 「すみません、色々と…」 「良いのよ〜。私で役に立てたなら嬉しいわ」 にっこりと微笑んで単調な作業を続けていくのを横目に、こちらも手を動かす。 胡蝶先生は、私達の事をどう見ていたのだろう? 表情が変わらないから読めないけれど、全くと言って良い程驚いていないのは確かだ。 まるでこうなるのがわかっていたような 「あ、でも気軽に呑みに誘えなくなっちゃうわね」 それだけは少し寂しそうに眉を下げるものだから、考えていた事が吹き飛んでしまった。 「いえ、それはいつでも大丈夫です!胡蝶先生が良ければ!」 「そう?でも冨岡先生に許可取らなくちゃ。苗字先生が怒られちゃうから…ふふっ」 何かを思い出したのだろう。 小さく笑うと口元を押さえる仕草が可愛い。 「冨岡先生って凄いのね」 「…何がでしょう?」 つい身構えてしまうのはこれまでの経験だ。 「この間、苗字先生、職員室で怒った時があったでしょう?」 「…はい」 そういえばあの時も胡蝶先生、全く驚いてなかったな。 「あの後、事務の方で余り良くない噂が流れ始めちゃったんだけど、それを止めたのが冨岡先生なのよ〜」 涼し気な顔で言う胡蝶先生とは真逆に、こちらは動きが停止してしまった。 「…冨岡先生が?」 名前を反復するしか出来ない。 確かに私への風当たりの強さは感じていたと思う。寧ろ気が付かない筈がない。 けれどそれを気にしたような素振りは全くなかった。 「正確には、冨岡先生に頼まれた煉獄先生なのだけれど。大声で、"あの一連の流れは苗字先生が問題解決のために自ら犠牲になった作戦だ"って"自分はそれに一役買った"って言ったら皆凄く納得していたわ」 「…そう、だったんですね」 それは、何というか、意外だった。 確かに煉獄先生がそう断言すれば、表立って後ろ指を指す人間は居なくなる。 私がそれを全く把握していないという事は席を外している時を狙った。それも冨岡先生の策だろうな。 「冨岡先生、苗字先生の事大好きだものね〜」 全く悪意のない笑顔に、こちらもついそれに倣ってしまう。 「…そう、ですね」 肯定するのは何だか気恥ずかしいけれども否定は出来ない。 「でも同じ位、苗字先生も冨岡先生を大好きでしょう?」 そう問い掛けられるとは思わなかった。 一瞬思考が止まったので、言葉もすぐには出ないだろうと予見したのにも関わらず気が付いた時には 「そうですね」 先程よりしっかりした口調で返していた。 * * * 翌週に使う職員会議用の資料をUSBから移してマウスを動かす。 ひとまず今日中にやらなくてはいけない事はこれで一段落するので、一緒に帰りたいという作成者の望みはどうにか叶えられそうだ。 「あの、苗字先生」 右斜め上から声を掛けられて、顔ごとそちらに向ける。 事務方の先生にこうして話し掛けられるのは凄く久し振りだ。 明らかに避けられたもんな。 「はい」 「今年度の教員紹介についてご相談があるんですけど、良いですか?」 「大丈夫です」 そう言って席を立とうとした所で 「あ、そのままで!すぐに終わるので…」 軽く手を振られ、その場に座り直した。 「苗字先生、覚えてますか?去年4月のPTA広報誌」 「…すみません、赴任したてだったので正直断片的な記憶しかありません」 「そうですよね。お忙しそうだったので私達も勝手に進めちゃったんですけど、教員紹介の仕方でちょっと去年揉めまして…あ、これなんですけど」 そう言って差し出された教員全員の名前を顔写真が載った広報誌。 あぁ、確かにこんなのもあったな、と若干の記憶が蘇る。 個人情報がどうこう言われている時代に、まだこんな事をやっているのかと驚きもあったけれど、何よりその写真を撮られるのが嫌だったという覚えがある。 「そういえばこれも賛否両論ありましたね」 「あ、覚えてましたか?」 「えぇ、何となく思い出しました」 確かにこうして見るとわかりやすくはあるけども、私のように自分の写真を載せるのを渋っている教師は一定数居た。 これまでも何度か、個人情報保護の観点から、写真を掲載するのはやめるべきではないかと議題に上がってはいたらしいが、それでも当時のPTA広報役員が敢行した、というのは後になって聞いた話だ。 「今年はどうなりました?」 「今年もやっぱりこのまま継続って話にはなってたんですけど、先日、本部の会長さんからご連絡を頂いたそうで、先生達の意向を汲んで今年から顔写真はやめよう、という話になったそうです」 「そうですか」 鶴の一声というものか。私にとってはかなり有難い提案だけれど。 「それで、写真を載せる代わりに軽い質問コーナーみたいなのを作ろうってなったんですけど私達じゃ纏まらなくて、苗字先生に訊いてみようってなって…」 「質問コーナー、ですか。わかりました。少し考えてみます」 「お願いします。これ一応去年の広報誌、お渡ししますので」 「ありがとうございます」 軽く頭を下げれば、自分のデスクへ帰っていく背中を見送ってから、さてどうしようかと広報誌に目を落とした。 冨岡義勇の4文字の上、仏頂面ながらも、若干口角が上がっているように見える当時でいうとただの同僚。 この時はまだ手に負えなかった時期だった筈なので、大人しく写真に収まるのは珍しいなと思いつつ右を目端で捉える。 日誌を書いている横顔は真剣なので、邪魔はしないでおこうかとそれをデスクへ置こうとした時だった。 「…懐かしいな」 独り言にも似た呟きにそちらへ顔を動かす。 「広報誌ですか?」 「あぁ、まだ此処にしまってある」 そう言って一番上の引き出しへ触れる手が愛おしそうで、その態度から何か思い入れがあるのは伝わってきた。 「冨岡先生にしては珍しいですね」 「…覚えてないのか?」 寂し気な群青色に見つめられて、そう言われてもさっき事務方に言った通り赴任したてで、全ての記憶が余り鮮明ではない。 そうは思っても、冨岡先生がこれだけ大事にしている位だ。恐らくは写真を撮るのに渋っていたであろうこの人に私が何か言ったか、もしくは何かをしたか。 あぁ、そうだ。 「これ、撮ったの私でしたね。そういえば」 「そうだ。名前が俺を初めて撮った記念のものとなる」 だから今見ると、少し嬉しそうというか、気恥ずかしそうなのか。 事務方の先生が撮ろうとした時は嫌がって大変だったもんな。 写真と比べて見た目の変化はそれほどないけれど、随分とあれから変わったように思う。 中身だけではなく関係も。 「今年も名前が撮るのだろう?」 「あ、いえ」 閉じられた日誌に、恐らくそちらに集中していて、先程の話は耳に入っていなかったんだろうな。 「今年から個人写真はナシになったそうです」 「なくなった…!?」 「何でそんなに驚くんですか?」 「名前の写真を楽しみにしていた。去年は疲れた表情をしていたが、今年は違うだろうと…何なら俺が名前を撮ろうと思って、いたのに…」 「…それは、ありがとうございます」 その言葉につい自分の写真を確認してしまって、確かにだいぶお疲れではあるなと苦笑いが零れた。 「去年と今年の違いを比べつつ保管するつもりでいた…俺の楽しみが…」 「そんなに落ち込まなくても…。こんな小さな写真じゃそんなに違いもわからない気がしますけど」 「いや、わかる」 「…そうですか」 断言されてしまうと、それしか返しようがない。 教員紹介を此処まで楽しみにしている教師なんてこの人位だろうな。理由は偏ってはいるけど。 「写真、撮って貰います?」 少し考えてから出した質問は、当然すぐには理解はされない。 だからそのまま続けた。 「我妻くんにお願いして。折角の記念ですし」 「…良いのか?」 「冨岡先生が構「撮りたい」」 相変わらず迷いが全くない人だな、と今度は笑いが零れる。 「じゃあ明日、撮って貰いましょうね」 「在校生は休みじゃないのか?」 「我妻くんには入学式の撮影をお願いしてるんですよ」 キラキラとしていく瞳にその髪を撫でたくなる衝動に駆られて、確かに私は過保護の部類に入るかも知れない、なんて考えてしまった。 思ったより溺愛してる (流石名前だ。用意が良い) (そのために呼んだ訳じゃないですけどね) (折角だからウェディングドレ(絶対嫌です)) [ 130/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
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