棚にズラリと並んだ種々様々なお弁当箱から、右横へ視線を動かす。 「どれにします?」 目が合ったのは一瞬で、その群青色が棚を見つめた事で私もそちらへ戻した。 「こうも種類があるとどれが良いかわからない」 小さな呟きに、確かに、という頷きは心の中だけで返す。 「冨岡先生なら大きさ的にこの辺が丁度良いんじゃないですか?」 無難に男性向けのコーナーを指差しながら、機能性の特化について考えようとした所で 「やはり名前は俺の事を熟知している。流石だ」 関心しているものだから苦笑いが零れた。 「別にそこまで褒め「このナカも俺の大き」ぶっ飛ばしますよ」 どさくさに紛れて触ってこようとする右手を叩き落として距離を取る。 「照れてるのか?可愛いな」 「照れてません。外ではホントに止めてください」 「わかった」 随分と聞き分けが良いなと思いながら横目で窺えば 「…外では制御しているが2人になると…これがギャップ萌えというやつか…最高だ…」 ブツブツ言い始めていて、何でこの人と付き合う選択をしてしまったのだろうと遠い目をしてしまった。 世間では春休み最後の日曜日。 そんなものも教員の私達には関係ある筈もなく、漸く1日休みを取れたこの日、冨岡先生と約束していたスマホの機種変更を終え、その足で明日から使うお弁当用品の類を選びに来た。 普通に考えたらデートだろう。しかも付き合って初めての。 だからこそ冨岡先生のはしゃぎようは凄まじい。 ドッグランを全力で駆け抜けていく犬並みのテンションだ。 「…あ」 小さく声を上げた先には見慣れた仏頂面。 へぇ、この犬、お弁当箱も出てるんだ。可愛いかも。 「冨岡先生、これどうですか?」 「…今日こそ俺が贈った下着を…いや、名前がシャワーを浴びるまで"待て"が出来るどうかが問題になってくるな。一度…いやそうすると…」 心の声をダダ漏れにしながら本気で悩んでいる横顔に私まで犬と同じく仏頂面になってしまった。 このまま置いて帰ろうかな。報復が恐ろしいので思うだけで留めるけれど。 とりあえず自分の世界から帰還するまでは放っておこうと決めて、もう一度棚に視線を向けた。 お弁当箱と箸、犬シリーズで纏めようとすれば出来なくもないか。 給湯室に電子レンジもあるからわざわざ保温機能を重視する必要もないし、レンジ対応もしてる。 あぁ、でも冨岡先生の場合ランチバッグみたいな物も必要になってくるな。流石に直持ちは 「悪女下着はやはり最後のメインディッシュとして…その後のデザートに名前が選んだ下着というのも悪くない」 見つめているのはお弁当関連の物なのに、何を真剣に考えているんだろうかこの人はホントに。 真面目に悩んでるこちらが馬鹿らしくなってくる。 いっそ弁当箱に下着を詰めてやろうかとも考えるけれど、自爆行為なのでしない。というか出来ない。 そんな事をした日には不死川先生辺りに本気で入院を勧められそうだ。 冨岡先生へのささやかな仕返しにしては失う物が大きすぎる。 だからといってこのままでは悔しい。 「それならもう着けてますけどね」 悔しいのでしれっとした顔で爆弾を投下すれば、凄い勢いでこちらを向かれた。 反射神経の良さは相変わらず流石としか言いようがない。 「…どれをだ?」 上から下まで動かされる視線に口を開こうとした所で 「誕生花の下着か」 何の迷いもなく答えに辿り着いた察知能力に若干の恐怖を覚えた。 「…良くわかりましたね」 「消去法だ。紺色の下着なら一度着けているためすぐにわかる。となると残りは2択となるが悪女下着を自分から着ける訳がないし万が一着けていたとしても今この場で公言はしない」 「…まぁ、そうです」 「見たい」 「駄目です」 「少しで良い。今は隙間から覗くだけ我慢する」 「嫌ですよ。さっきも外ではやめてくださいって言いませんでした?」 「餌をぶら下げておいての"待て"か。良いだろう。完璧な忠犬になってやる。その代わりマンションに入った途端、狂犬に変貌してやるから覚悟しておけ」 「冨岡先生って悪役の台詞似合いますよね。せめて玄関までは頑張ってくださると助かります」 ランチョンマットは要るだろうか。可愛いけども。 この人今でさえデスクをパン屑まみれにしてるから必要と言えば必要か。でも此処まで犬で揃えるならランチバッグも揃えたい気もする。 しかし見た所、此処にはそれらしき物がないから、入荷していないのか、それともそもそも製造されていないのか。 「駄目だ。やはり我慢出来ない」 覆い被さってこようとする気配を感じて 「義勇、待て」 その言葉と共に右手で制せばピタリと動きを止めて、ホントに忠犬みたいだなと笑ってしまった。 good boy 生活雑貨店を後にして、エスカレーターを下る。 その間、無言で差し出された右手に意味を考えてから今しがた買ったばかりのお弁当用品一式が入った紙袋を渡した。 「明日から名前の手作り弁当が食べられるのか」 呟いた後ろ姿が何処か嬉しそうで、こちらも自然と頬が弛んでしまう。 「好きなおかずとかあります?」 「それなら名前一択だ。お前以外をオカ「そういう意味ではなくて」」 また仏頂面になってしまった。ある意味表情筋が鍛えられて良いのかも知れない。もの凄く疲れるけれど。 「あ、冨岡先生」 続けてエスカレーターを降りようとするジャージを軽く掴む。 「どうした?」 「ちょっと寄りたい所があるんですけど、良いですか?」 私の言葉と共に上の案内板を見てすぐに納得をしたらしい。 「下着売り場か。わかった」 そうして二つ返事をする頭の回転の速さは相変わらず凄い。素直にそう思った。 「あっれ〜?名前さん達だ〜」 真っ赤な下着を畳みながら、目を丸くする人物に会うのは、研究授業以来なので約10日振りか。 「こんにちは」 「またデートですか〜?」 「そうだ」 間髪入れず答えるのは冨岡先生。 反射的に口を突いて出そうになった反論も、今は必要ないのか、と考えると不思議な感じがした。 「良いな〜ラブラブで。デート記念に何か買ってってくださいよ〜。新作入荷したんでけっこーキワドイの揃ってますよ〜?」 「この紐みたいなのは下着なのか?」 「これはガーターベルトで〜す。ストッキングと一緒に着けるんですけど…、これだけじゃあイメージ湧かないかな〜」 うーんと小さく唸る表情からこちらを見る群青色の瞳に、嫌な予感がしたと同時 「名前に着けてみても良いか?」 「あ、良いですよ〜!今試着し「すみません断固拒否します」」 勝手に進んでいってしまう前に会話を遮る。 わかりやすく残念そうにしている表情をどちらにも向けられて、言葉に詰まりそうになった。 そういえば混ぜるな危険だったこの2人。 「その後、変化はありましたか?」 早々に会話を終わらせるために口火を切ったため、主語が飛んだけれど、趣旨は伝わったらしい。 「…あ、妹とですか?今度一緒に温泉行きますよ〜。昨日予約しました」 嬉しそうな笑顔は良好な関係を取り戻しつつある事から来ているものなのだろうと、こちらも安堵の笑顔を作ろうとするも、さりげなくガーターベルトを冨岡先生に渡す商売根性にまた眉を寄せそうになってしまった。 このままだとまた買うだの何だの言い出しかねない。 「母親とも最近すんごい喧嘩してるって言ってました〜。多分もう大丈夫じゃないかな〜?」 「…そうですか。それを聞けて安心しました」 「で、どうですか〜?このガーターベル「大丈夫です。ありがとうございます」」 不満そうに口を曲げるその表情も可愛らしいと思う。 可愛らしいけれど、それとこれとは話は別だ。 ガーターベルトなんて買った所で、それこそ冨岡先生の観賞用にされるだけなのが目に見えてわかるので此処は阻止しなくてはならない。 「今日は手強いな〜。あ、じゃあスタンプカード貸してくださ〜い。この間の分押すんで」 ケラケラと笑いながらも差し出される右掌に、あぁそうだ、忘れてた、と瞬きを返してから鞄から財布を取り出す。 「ジャージ先生はゆっくり見てて良いですよ〜」 そう言うとポイントカードを出した手ごと誘導されて、少し心臓が跳ねた。 「ちょっと待っててくださいね〜」 レジ前まで移動すると慣れた手つきでハンコを押していく動作を眺めながら、可愛いなぁと考える。 「妹から聞きましたよ〜。名前さんとジャージ先生の事」 それにも少し、ドキッとした。 「邪魔しようとしたんですよね?あの子。ほんとごめんなさい」 真面目な口調で頭を下げられて、どう返して良いのか迷ってしまう。 「…いえ、お姉さんが謝る事ではないです」 寧ろそのお陰で私は自分の気持ちにきちんと向き合えた訳で、彼女に感謝こそすれ、恨むなんて有り得ない。 「でも何か、やっぱすごいな〜って思いました」 返されたポイントカードを受け取りながら、屈託ない笑顔の意味を考える。 「実は最初ジャージ先生が来た時、ちょっとな〜、この人に売るのはな〜って思ったんですよ〜流石に」 「そうなんですか?」 思わず目を丸くしてしまった。 それは確かに意外かも知れない。 それこそお客さんには平等に接している節が窺えたし、商売っ気の強さから、正直良いカモが来た。そんな風に思ってもおかしくはないのに。 「だって話聞いてると絶対脈ナシだなぁって。それなのにクリスマスに下着なんか贈ったらドン引きどころの騒ぎじゃないですか〜?」 「確かに、そうですね…」 思い出すと苦笑いになってしまう。 「しかもすっごい本気で選んでるから、これで完璧にフラれちゃったら可哀想だなぁとか思って〜、下着じゃなくても良いんじゃないですか〜?って言ったらジャージ先生…」 言葉を切ると楽しそうに笑い出す表情に、また何か良からぬ事を言ったのかと身構えてしまうも 「名前はどちらが良いと思う?」 後ろからぬっと出てきた姿に心臓が跳ねた。 「…ビックリ、した…!何ですか急に…っ」 「ガーターベルトとやらだ。色で悩んでいる」 両手に持つネイビーとブラックに眉を寄せながらも、一応考えようとしてしまうのはそれも私の職業病に近い癖だろう。 「クリスマスに贈った下着にはこれが合うが個人的には名前の肌に映えるこの真っ黒も捨て難い。そうするとこれだけではなく上下も揃えたくなる」 「何真面目に考え「ブラックならこっちにめちゃくちゃ可愛いのありますよ〜」」 さらりと誘導しようとする動きに、これではまた買って貰うようになってしまうと口を開きかけて、ふわりと漂う良い香りに鼻を動かした。 それが店員さんのものだと理解した時には耳元に口唇があって 「名前を全部、俺色で染めたい」 そんな事を囁くものだから、余計に息が止まってしまう。 「って超真面目に言ったんですよ〜。だから良いんじゃないですか〜?どんどん買って貰っちゃえば〜!」 ケラケラと笑いながら離れていく背中に、店員さんとの距離の近さなのか、冨岡先生の言葉によるものか、速くなっていく心臓にただ熱くなった耳を押さえた。 * * * 1つ増えた紙袋を手にマンションまでの道のりを歩く。半歩先を進む冨岡先生の斜め顔は満足そうだ。 あの場で、混ぜるな危険の2人を制御出来る筈もなく、ガーターベルトの良さについて享受する店員さんの話を聞く冨岡先生を遠くから見つめるしかない私に 「でもほんと、付き合ってないのに下着贈って上手くいったのなんて今まで初めて見たかも〜」 そう言って、少しばかり驚かれたけれど 「名前は俺の事を全て受け入れる度量があるからな」 何故か凄く自慢げに返していて、この人ってもしかして顔が似てるから胡蝶先生に勝った気で居るんじゃ?と訝しい気持ちになってしまった。 まぁでも、度量云々は抜きにして、その言葉はあながち間違いでもないのかも、と考える。 確かにあの時はかなり予想外の贈り物に驚きはしたものの、冨岡先生ならやりかねない、仕方がない、何処かそう思っていた気もする。 多分一番最初の告白と共に下着を贈られていてもそこまでドン引きはしていなかったかも知れない。 いや、それは流石にないか。ドン引きはしていたな。ホントにそれは流石にない。 しかしそんな事を考えてしまう辺り、"慣れ"とは恐ろしいものだと苦笑いが零れた。 傾いてきた陽が眩しいと目を細くすると同時に、吹き付けた風に若干の肌寒さを感じて 「少し寒いですね」 そう呟いて手を摩る。 立ち止まると振り返った冨岡先生の表情はやっぱり何処か嬉しそうで、更に目を細める。 おもむろに差し出された右手と 「手を繋ぎたい」 こちらの思考を察知して尚、自分の要求として通そうとするから、あぁ、だから結局は赦してしまうのかも知れないと考察する。 答えの代わりに左手を乗せれば、すぐに絡んでくる指は温かくて、とても優しい。 2つ分の少し短くなったように感じる影を眺めながら、くぅ、と小さく鳴った胃に笑顔が零れた。 「そういえばお腹空きましたね」 「もうこんな時間か。名前と居ると1日が早い」 「楽しい時間はあっという間って言いますしね」 「…名前は俺と居て楽しいか?」 「楽しいですよ。でなきゃわざわざ貴重な休日を使って一緒に出掛けたりしません」 その心には1ミリの翳も出来ないように願いを込めてそう言えば、嬉しそうに上がっていく口角は、他の人にはわからない変化なのだろう。 ふと耳元で鈴が鳴るような声を思い出して目を細めたのに、西日が眩しい、なんて、そんな事を考えてしまった。 その色に染まるのも良いかも (夕飯、うちで食べます?) (食べる。その前に名前を食べたい) (出来ればその後でお願いしたいんですけど) [ 128/220 ] [*prev] [next#] [mokuji] [しおりを挟む] [back] ← ×
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