Drink at Bar Calm | ナノ
ピルスナー・ゴブレットの中で混ざり合うマンダリンオレンジとディープブルーを見つめながら、あー、やっぱり綺麗だなって顔が綻んでいくし、綺麗な層を作っていたプースカフェは時間が経つにつれ徐々に徐々に7色が溶けていって、それも綺麗だなって、どっちも交互に見やってしまう。
その先に居るバーマンさん改め義勇さんは、涼しい顔で洗い物をしていて、その醸し出される色気にもニヤニヤが止まらない。
でもいつまでもだらしない顔で見てる訳にもいかないし、弛んだままの頬を引き締めようとグラスを口へ運んだ。

「おいしっ」

尚更締まりがなくなってしまった顔を自覚した時には、義勇さんの口角も上がってて、あ、喜んでくれてるのかなって考える。
でもこちらを向く事はないから、静かにグラスを置いて考えた。
そういえば今日、誰も居ないなって。
週の始めだし、すぐにお客さんが来ないのはわかるんだけど。

「今日は、村田さんお休みなんですか?」

質問を投げ掛けた事で紺碧色の瞳と見つめ合ったけどすぐに逸らされて、その流し目好きだなって自然とそう考える。
「20時から出勤だ」
「へー、そっか。確かに平日の混雑は落ち着きましたもんね」
「村田に何か用があるのか?」
「え?ないです。最近会わないなって思った、だけ…」
またちょっと顔が怖くなった、気がする。
「村田が居ると余計な情報をお前に喋る」
「あ、もしかしてこの間の事まだ怒って…、ますね」
思わず苦笑いが洩れる。

この間、1週間前位かな?最後に村田さんに会ったのって。
「バーマンさんと村田さんってお友達なんですか?」って訊ねた私に、村田さんは凄い細かく自分がCascadeで働き始めた時の事色々教えてくれて、その流れで義勇さんがドミノ崩しさながら、盛大にバックバーの瓶を薙ぎ倒したっていう話を始めた。
でもその瞬間、さっきも、そして今も比じゃない位、すっごい無言の圧力が強くなって、村田さんが固まったまま冷や汗掻いてた。
そういえば、そこから会ってない。
私が帰った後、怒られたりしたのかな?だとしたらちょっと悪い気もする。

「…そういう話なら、知りたいけどな」

独り言みたいに聞こえたら良いなって位、小さくポツリと呟いたのは、そういう知られたくない失敗談とかあるのも、わかってるから。
私だってバラされたくない恥ずかしい事なんかたくさんある。だから妹を連れてくるの絶対やだって昨日思ったばかりだし。
だから、ちょっと過去を聞けて嬉しかったよって、全然気にしてないのになっていう、さりげないアピール。
伝わるかどうかはわかんないけど。

動きを止めた義勇さんと向き合うのが急に恥ずかしくなって、下を向いたままグラスへ手を伸ばす。

「それなら、俺も名前を知りたい」

触れたのは冷たくて硬い脚部分じゃなくて、あったかくて柔らかい指。
「ほぇあっ!」
顔を上げた時には口唇を塞がれてて、あれ?またいつの間にって考える暇もなく入ってくるヌルッとした感触にきつく目を閉じる。
何か、バーマンさん今日凄い積極的っていうか、冷静じゃないっていうか
「…っん」
絡んでくる指があったかいっていうか、熱い。その表現が似合う位に力強くて、つい息を呑もうとしたけど喉を動かせない事に気付いた事で変な風に鳴った食道らへんに、ものすごく息苦しくなった。
「…んん゛っ」
凄い野太い声が出ちゃって、離れてく口唇に謝るより早く盛大に堰き込む。
「…ゲホッ!…エホッ」
「大丈夫か?」
「…げほっ」
声が出ない代わりに何度も頷くけど、大丈夫じゃないかも知れないってくらい喉が痛い。
しかも恥ずかしい。キスの途中で堰き込むとか雰囲気最悪すぎる。
暫く上げられなかった顔を、漸く発作が落ち着いてきた頃に勇気を出して向ければ、パッと逸らされた顔。
あ、もしかして怒ってるのかもって湧き上がった不安は
「キスで噎せるのか…」
震えた声が笑いを堪えてるとわかった途端に消えたけど、代わりに恥ずかしさから居た堪れなくなって、また俯くしかなくなった。


Drink at Bar Calm


変調についていける余裕が欲しい。

今凄く、切実にそう思う。

ハンターの時から思ってたけど、キスされるタイミングがわかんない。
多分、バーマンさん、じゃなかった義勇さんの中では何かあるんだろうけど、私には全く掴めなくて正直凄くビックリする。抱き締められたのもそうだけど。
嬉しいけどちょっと、っていうかだいぶ心臓に悪すぎる。
色気がどうのとか高望みしてる場合じゃない。
せめて変な悲鳴を上げないとか堰き込まないとか、そういう最低限の落ち着きが欲しい。
今は義勇さんも笑ってくれてるけど、これがずっと続いたらめんどくさいなってなるかも知れないし。
そんな事思わないって思いたいけど、でも大丈夫とは言い切れない。

それに多分、やっぱり勘違い、されてるから。

カームを呑み干してお会計をした後、カウンターから出てきた姿。
他にお客さんが居ないからそこまで見送ってくれるのかなって思ってたんだけど、開けようとした扉を勢い良く止められて、鐘が凄い音で揺れたのを聞いた。
背中に触れそうで触れない体温を感じながら、そのまま止まるしか出来なくなった私に
「今も連絡は取ってるのか?」
そう言われて、誰と?って暫く考えてから
「取ってない、です」
素直に答えたら、頭の上で息を吐くのを感じて、それが安心からくるものだってわかった。

やっぱり義勇さんと私の中で認識の違いが起こってるなって、それで確信してる。
あの時、言葉に詰まったから余計に勘違いさせちゃったのかも。
過去の恋愛っていっても、そんなに経験がある訳じゃない。っていうか、ない。
何にもないって訳じゃないけど、多分バーマンさんが思う彼氏彼女とかとは違うっていうか。
だって1週間でフラれたし。
思い出してから、もしかしてこれって恋愛経験には入らないやつなんじゃって思い直した。
そしたら余計な事言わなきゃ良かったかも。

でも、その勘違いであんなに嫉妬っていうか、気にしてくれるのが嬉しいっていうか、いっつも余裕そうだから、意外な一面が見られたのも

「苗字ちゃん?さっきから手が止まってるわよ」
「ひっ!!」

いつの間にか横にある主任の呆れ顔に、変な悲鳴を出せなかった。
驚きすぎると声を出すんじゃなくて吸っちゃうものなのかも知れない。

「何よ〜人をお化けみたいに」

苦笑いをしながら腰に手を当てる動作がカッコイイ。主任だからサマになるんだよなぁ。

「すみませんっ!考え事してました!」

いけない。今は集中しなくちゃ。
いくら主任が優しいっていっても、仕事はちゃんとやらなきゃ…

「バーマンくんの事でしょ〜?」

全部見透かされる。ほんと主任って凄い。
「…えっと、そうです…」
否定しても絶対嘘だってバレちゃうから認めるしかない。
「なーに?また愛の障害物でも出来たの?」
「…障害物っていうか…」
そういうのとはちょっと違うかなって思ったけど、あ、でも、そうなのかも知れない。って思い直す。

「主任!色気ってどうしたら出ます!?」

グッと握り締めた両手は、一斉に向けられた視線で弛めるしか出来なかった。

* * *

「そういうのって、出そうと思って出すものじゃないと思うわよ」

さっき言われた言葉を思い出しながら、トボトボと帰り道を歩く。
主任はやっぱり主任で、人生の先輩だから、凄く的確なアドバイスをくれた。そうは思う。

「バーマンくんは、苗字ちゃんに色気を求めてるワケじゃないでしょ?」

もう本当にその通りだなって、ぐぅの音も出なかった。
でもやっぱりちょっとくらい、そういう余裕があるのに憧れる。

手っ取り早くって考えて、主任みたいなデキる女みたいな恰好を真似してみようと思ったけど、現実的に私には似合わないし、高いヒールも痛くて履けない。
多分家出てからバスに乗るまでの間でギブアップすると思う。
あとは何だろう。良い匂いのする香水とか?って考えても、Calmにニオイを籠らせたくないし、単純に自分が酔いそうで無理。そんなんで満員電車なんか乗ったら迷惑以外の何物でもないし。

それに多分、義勇さんってそういうの好きじゃなさそう。

だから私が無理してそんな事しても、喜ばないどころか怒るだろうな。
そういうのは何となく、ちょっとずつわかってきた。
でもなって考えたところで、カラン、コロンって音で我に返った。

Calmの扉だって気付いた時には一歩踏み入れてて、開店前特有の無音空間に
「…こんばんは〜」
念のために声を掛けてみる。
鍵が開いてるから居ると思うんだけど、姿は見えないから裏かな?

「…バ、義勇さーん?」

いつもなら、結構すぐ姿を現すのに、今日はちょっと待ってみても全然反応がない。
勝手に座っても良いものかを考えながら、近付いたバーカウンター。

「…はっ」

奥から短い息継ぎみたいなのが聞こえて一瞬ドキッとした。
多分今の、義勇さんの声だと思う。
その後ドンッて何かが床に置かれたような音がして、あ、やっぱり奥に居るんだって、ちょっと迷ったけど、そっちに向かってみる。

「こんばんは…」

いきなり現れたらビックリするだろうから、もう1回挨拶をしながら覗いた裏方。
積まれた段ボールを抱えてる姿は、いつものカッチリとした制服じゃないってわかった瞬間、また心臓が跳ねた。
黒のスラックスとワイシャツだけなのは、初めて見たかも。
あと、ちょっと息が上がってるところも。

「…もうそんな時間、か」

私を見る紺碧色は驚いてて、その場に置かれた段ボールに、あ、さっきと同じ音だっていうのも気が付いた。
ふぅって吐いた息の後、拭う額には汗が滲んでる。
この間まで積まれてたその箱が少なくなってるから、片付けしてたんだろうなっていうのは何となく把握出来た。

「手伝いますっ」

だからすぐにその言葉を出せたし、義勇さんも
「助かる」
って言ってくれて、何だか嬉しくなる。

「あとこれだけ片付けたい」
2つ分の段ボールを示されて、頷いた。
「了解です!」
同じタイミングで屈んで、それぞれの蓋を開けていく。

何が入ってるんだろう?

ワクワクした心は、敷き詰められた布にハテナに変わった。
恐る恐る引き出してみてから、それが服だって事を知る。
ベストとワイシャツと、あとエプロン。あ、でもこれCalmの制服じゃない。
似てるけど、胸元に何か英語の刺繍が入ってるから、多分違うと思う。
それにこれ、前のお店の荷物だって言ってたし。

「バーマンさん、あ」

呼び掛けてから気付いた私に、ちょっと眉が寄ったけど
「何だ?」
返事を返してくれた。
「えっと、これ。制服、みたいですけど、どうすれば良いですか?」
「捨てて構わない」
「わかりました」
渡されたゴミ袋に何枚かそれを入れてから手が止まる。
光沢のある生地に、独特な花の模様に、もしかしてって考えながら広げてみた。
やっぱり、チャイナドレスだ。

「へー、かわいい」

初めて見たかも。しかも結構造りがちゃんとしてる。
でも何でBarでチャイナドレスなんだろう?
これも捨てて良いのかな?

一応訊こうとして、義勇さんと目が合う。

「あ、これ「いちいち中は確認しなくて良い。そのまま全部袋に入れてくれ」」

あれ、何かまた不機嫌に、なってる?
バーマンさんって呼んじゃったからかな。

「でも、服以外が入ってたら…」
「それならこれを頼む。こっちはほぼ台帳だ。紙しか入ってない」

不機嫌っていうか、焦ってるような。何でかはわかんないけど。
「了解です」
わかんないから言う通りに義勇さんと入れ替わり、そっちへと移動する。
途端に箱ごと抱えると、ひっくり返して袋へ投入していく姿に、義勇さんって意外と豪快なんだなって考えた。
口縛っちゃってるけど、中身確認しなくて大丈夫なのかな?って心配にはなる。
分別出来てないって収集してくれなかったら二度手間だから。

でもそこで私が突っ込んで言うのもまた違うから、大人しく目の前の箱に集中しよう。
賃金台帳を何冊かゴミ袋へ入れたところで発掘された色々に、ようやく義勇さんの行動の意味がわかった。
思わず動きを止めたけど、このまま眺めてる訳にもいかない。

「…あのー、これは、どうすれば…?」

訊き辛いなって思ったのは、そのまま伝わったみたいで、すぐにそこを覗き込む瞳が険しくなっていく。
溜め息が聞こえてきた気もした。

「このまま置いといて良い。あとで処分しておく」
「え?でもまだ時間あるし分別くらい「触らなくて良い」」

強い口調なのは、私の事考えてくれてるからなんだろうな。だから、嬉しくなる。

「別に大丈夫ですよ!こういうお店もあるって聞いた事ありますし!」

さっきのチャイナドレスと、今ここで目にしてる小物類で、何となく予測が出来た。
このウサギの黒い耳とか、白い帽子とか、何でかわかんないけど鞭とか、そういうコスプレみたいなのを売りにしてたBarなんだって。
だから、さっきの中身も今の小道具も触れさせないようにしてるんだってわかった。
でもそこまで世間知らずじゃないし、大丈夫。

「何とも思いませんから!そんな潔癖でも免疫ない訳でもないし!パパッと片付けちゃいましょう!」

ドキドキしてる心臓を誤魔化すのに必死だったから、正直自分でも何言ってるんだかわかってなくて、気が付いた時にはキスされた後だった。

瞬きをする暇もないまま

「免疫がある、と言いたいのか?」

不機嫌な紺碧色に見つめられて、その意味に焦ってしまう。
「あー、いえ!ちが」
答える前に塞がれた口唇は凄く強引で、これは怒ってるって感じた。
一度ちゃんと謝ろうって後ろに引いた瞬間、背中が何かにぶつかる。

バサバサッ

落ちてきた紙の束がバーマンさんの書いたレシピの数々だって知った。

「…っあ、ごめ、んぅっ!?」

強く絡んでくる舌に応える事も出来なくて、ただされるがまま目を瞑る。
次に開いた先には目の前にその頭があって
「バーマンさん!?」
ビックリして声を上げたけど、返ってきたのは首に走るチリッとした痛み。
「…え!?バーマンさっだめ!」
服に手を掛けるのに気が付いて、逃げようと動かした背中で起きた2度目のレシピの崩落は、ヒラリと1枚の紙を運んできた。
そのお陰で出来た距離にちょっと安心して溜め息を吐いたけれど、それを手にした後、バーマンさんはせせら笑った、そんな気がする。

「今日のカクテルが決まった」

何か思いついたのかなって訊こうとした時には押し倒されていて、え?何で?って思ってる間に塞がれた口。
目を閉じようとする直前、投げ捨てたレシピが床に落ちて、その名前をぼんやりと見た。


BrandyBlazer
心に火がついた




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