"なぐさめて" その言葉の意味を理解した後も、何をどうしたらいいかわからないままの私に義勇さんは長くて甘いキスのあと、まるで壊れ物に触れるみたいに優しく包み込んでくれた。 でもそのまま動かなくなってしまって、ちょっと考える。 もしかして、これが"なぐさめて"ることになるのかな? 戸惑ってるうちにギュッと強くなった両腕に、身を縮めた。 そういえば、私も小さい頃こうやって抱き締めてもらった時、上手く説明できないけど安心したっけ。 「……は」 小さく吐いた息は何ていうか悲しそうで、胸の前で固まったままだった両手を動かした。 広い背中には届き切らないけど、どうにか包みたいって指の先まで精一杯伸ばす。 「震え、止まったな」 小さく呟く義勇さんにちょっと、というかだいぶ焦った。 「あれはっ!勝手に身体がっ!」 怖い、なんてつい勢いに任せて言ってしまったことにも今すごく後悔してる。 「……。ごめんなさい」 「お前が謝ることじゃないだろう」 「……でもっ」 強くなった腕の力に、また声が詰まった。 義勇さんの存在を近くに感じる度に加速していく心臓が、このままじゃもたなくなりそう。 そう思ったのも束の間、頭に何かが乗っかる感覚がした。 「悪かった。もう感情に任せて怖がらせるような真似はしない」 声がすぐ上で聞こえるから、多分義勇さんの顔。 そう言ったきりその体勢のまま動かなくなってしまって、私もしばらく止まってた。 でもこれじゃあ私が"なぐさめられてる"みたいだなって思った瞬間、何かしなきゃって手を動かす。 あんまりうまくできないけど。 「何してる?」 「……あ、えーっと、こう、背中を摩ってますっ」 こうすると何か落ち着くかなって思ったからなんだけど、また強くなった締め付けと、 「子供じゃないんだが……」 呆れてる声にそれをすぐ止めた。 「ごめんなさいっ…!嫌でした!?」 やっぱりよくわかってないな、私。義勇さんのこと。 「嫌じゃない。ただ少し……」 頭の上で吐かれたのが呆れの溜め息じゃないと知ったのは、 「慣れていないから、照れくさいものがある」 その一言を聞いたあと。 何だかすごく嬉しくなって、止めていた手を再開させてた。 ほんと、私ってよくわかってない。 「大丈夫です!誰もいないですし!」 男の人は見栄を張りたがるものだって、いつだったか主任から聞いた。 本当は甘えたいとか、弱音を吐きたいとか、そういう時に限って強がるんだって。 だからそれを汲み取るのが女性の……、何だっけな、何とかだって言ってた。 「こうしてくっついてると安心する時ってありますよね」 全部はわからない。汲み取るなんてできないけど、でも、 「義勇さんがそう思えるならいつだってこうしたいです!」 嘘じゃないから、伝わってほしい。 ほんの少しでもいいから。 「だからいつでもウェルカムですよっ」 今だけでもいいから義勇さんの止まり木になりたいとか、そこまではどうしても烏滸がましくて言えないけれど。 「さっきは怖がっていたが?」 少し顔を上げたのが頭越しに伝わって、うって言葉に詰まる。 「そ、それは、ですね…」 どう言葉にしようと言い訳にしかならないから、また冷や汗が出た。 「……冗談だ」 それでも短く笑ったあとで今度は深く頭に埋める顔に、大きな背中を摩る。 どうにか少しでも、寂しくないようにって。 そう思うのにどうしてだろう。 とくん、とくんって聞こえる心音に、私が癒されてる。 あったかくて、あぁ、独りじゃないんだって思う。 「……いいか?」 「…へ!?」 いけないいけない。目すら瞑ってしまってたから完全に聞き逃してしまった。 「ごめんなさい、何ですか?」 「首につけていいか?」 「へ?首に?何を……」 身体が引き剥がされたと気が付いた時には、紺碧色の瞳が目の前にあって、 「名前が俺のものだという証だ」 真っ直ぐで熱が籠もった視線に、一気に心臓が加速していく。 そんなこと、初めて言われた……。 「……。は、い」 ようやく答えられたのはそれだけで、しかも勝手に身体は震えてて、でもそれは怖いとかじゃないから一生懸命伝わるように背中を摩り続けた。 服をずらしていく左手の熱さを顔にまで感じた気がする。 ゆっくり近付いてくる口元が肌に触れた瞬間、身体がビクッとした。 「……っ」 義勇さんが少し笑った気もする。どうしてかはわからないけど。 それしか聞こえないってくらいうるさくなった心臓を、身動きできないままで聞いた。 少しの圧迫感の間をどうしていいかもう全然わからなくて、ただただしがみついてたって気が付いたのは、その瞳と見つめ合って、 「随分力が入ってるな」 って言われてからだった。 摩ってたつもりだった手は、もうこれでもかってくらいに背広を掴んでて、急に恥ずかしくなる。 「あ、ごめんなさっ」 咄嗟に離れようとしたのに、ぐんっと近付いた顔が何でだろうって思う前に口唇が重なって、広い背中に回されていく自分の手が掴まれてることにも気付く。 優しく啄んでくる口唇が何故か無性に愛しく感じてそのまましがみつけば、応えてくれるように深くなる口付けに、嬉しくて嬉しくて、ずっとこうしていたいって思った。 Drink at Bar Calm "Tequila・Sunset" 流れるような柔らかい字体を意識して書き上げたそれを、最終的にスペルが間違ってないかを確認する。 「よし」 できたって呟こうとしたのと同じタイミングで、 「カクテルができた」 カウンターの中から響く声で顔を上げた。 「あ、じゃあこれ表に出してきますね」 描くことに夢中で放っておきっぱなしだったチョークをケースの中に戻してる間に、革靴の音がすぐそこまでやってきててちょっとビックリしてる。 「俺が出しておく。座ってろ」 返事を訊くより早く看板を持ち上げるから、素直に甘えることにした。 「ありがとうございます」 鐘の音を立てて閉まった扉を見つめたけれど、、このままここで動かないとそれこそ呆れられてしまいそうだから、誰もいないカウンターの定位置に腰掛ける。 目の前に置かれてるグラスには、ちょっと驚いた。 テキーラ・サンセットって、こんなに綺麗なルビーみたいな色なんだって。 てっきりテキーラ・サンライズみたいにオレンジなのかなって最初は思ってて、でも看板に描くために調べてみたらピンクに近いんだって知ってそれも驚きだったんだけど、義勇さんの作ったテキーラ・サンセットはすごく深い色をしてて、温かみがある感じがする。 マドラーにクルクルと巻かれたスライスレモンがまたアクセントになってて、何だか、徐々に沈んでいく夕陽をワクワクして見つめるような……、全然上手く言えないけれど、そんな感じがする。 勝手に呑んでいいのかな? じっと見つめているのに耐え切れなくなって、両手を伸ばしてみる。 いただきます。 心の中で挨拶してから、ゆっくりと口を近付けた。 「ん、おいしっ」 喉と鼻を抜けていくレモンの匂いと程よい酸味に、つい背筋がシャキッとする。 テキーラ・サンライズはどちらかと言えばまったりしてるけど、このサンセットはスッキリしてるかも。 頑張った1日を終えたあとのご褒美みたい。 もう一口呑もうか迷ってたところで鳴った鐘に、後ろを振り向く。 「……もう呑んでたのか」 少し驚いた表情に、おかえりなさいと言おうとした口を慌てて動かした。 「え!?駄目でした!?」 「駄目じゃないが……」 そう言いながらカウンターの中に入っていく義勇さんはどことなく歯切れが悪い。 「ごめんなさい、美味しそうで、つい…!」 そうだ。座ってろって言われただけで呑んでいいとは一言も言われてなかった。 もしかしてまだ完成じゃなかったのかな? 手を洗っているであろう動作に、恐る恐る横顔を窺ってみるけれど、やっぱり表情は読み取れない。 「気にしなくていい。呑んだ直後の感想を聴きたかっただけだ」 「え!?そうなんですか?……でも、感想なんて美味しいしか」 「それが聴きたかった」 被せ気味に答えられて、ちょっと言葉の強さを感じた。 だから義勇さんにとって、それが大事なものだっていうのも伝わってきてる。 「ちょっと待ってくださいねっ」 掌を向けた意味はそんなにないなんだけど、とにかく、そう。 ちゃんと聞いてほしいからもう一度ゆっくり喉を動かしてみる。 「美味しいです!」 自分ではもう、これでもかってくらいの想いを込めて発した一言は、義勇さんの表情を曇らせていった。 「普段の言い方と違う。力みすぎだ」 「え!?嘘!?ごめんなさいっ!」 脊髄反射で謝った私を見つめた瞳は徐々に柔らかくなって、 「お前は本当に……、面白いな」 口調は呆れてるけど微笑んでくれたから嬉しくて嬉しくて、笑顔を返す。 けれどよく考えたらそれって褒められてるのかな?って、ちょっとだけ気にもなるけど、まぁいっかって久しぶりに訪れた2人だけの空間をこれでもかって堪能した。 いつもなら開店後には必ず鳴る鐘も、今日ばかりは動くことがなかったからグラスが空になるまで義勇さんを独り占めできたのがすごく嬉しい。 会話自体はそんなに弾むってわけじゃないんだけど、時々そういえばって思い付いたこと話したり、かと思えば沈黙が流れたり、でもそれも全部心地いいって感じてる。 これがきっと、義勇さんのペースなんだろうな。 穏やかな水面みたいって思ってから、あぁ、だから"凪"なのかなってしっくりきた。 「次は何を呑む?」 バックバーに並べられてるボトルを丁寧に拭いては位置を直してる背中をぼうっと見ていたから、一瞬止まってしまう。 「へ?」 あ、そっか。背中を向けてても義勇さんにはこっちのこと見えてるんだっけ。 すごく今、本当に気の抜けた顔してた。ちょっと恥ずかしい。 「どうしようかな……」 一応時間を見て、まだ大丈夫って確認した。 昨日の今日で遅くなったら収まったはずの母親との喧嘩がまた勃発しちゃうし、スマホ忘れてきたから余計にそこまで遅くなれない。 「じゃあもう1杯……」 そう言い掛けたと同時に、背後で鳴る鐘に思わず振り向いてしまった。 いつもならそんなことしない、ようにしてる。 入ってきたお客さんが他の知らない客に凝視されたら嫌だと思うし、鐘が鳴るのはいつもことだからそんなに気にしてないし。 でも今のは、いつものカランカランって感じじゃなくて、グワングワンッ!みたいな。 とにかくすごい強い音がして、驚きを隠せないでいる。 「……冨岡ぁぁ……」 扉はすごい勢いで開いたのに、次に聞こえてきたのはすごく弱々しい村田さんの声だった。 気のせいかな?少しやつれてるようにも見える。 どうしたんだろうって思う前に村田さんの後ろから伸びてきた手が扉を掴んだ。 「……テメェエ……」 すっごい、本当にもうすごいドスを利かせた声にビックリしただけじゃなくて、ぬって出てくる怖い顔に血の気が引いてく。 今村田さんが顔面蒼白してるのもこの空気のせいなんだろうな。 誰、だっけ?この人。 喫茶店でコーヒーを淹れてくれた……えっと、確か 「不死川か。早いな」 そうだ。不死川さんだ。って義勇さん全然、怖がってないのすごい。 「早いなじゃねェんだよォオ……。テメェLINEシカトしてんじゃねェエ……!何ッ回連絡したと思ってんだァア!」 あ、でも不死川さんの怒りの矛先は義勇さんなんだ……。 扉がミシミシいってるし、村田さんはその圧で意識失いそうになってる。 「返信したつもりが忘れてた」 すごく冷静に義勇さんがそう返した瞬間、ブチッて何かが切れる音、私の方まで聞こえた。気がする。 * * * 突然慌ただしくなったCalmにちょっと身を縮こませたのは、不死川さんの怒りが爆発したからじゃなくて、確かにそれもあるんだけど、とにかくのんびり椅子に座ってていいのかなっていう迷いというか、そういうもの。 鐘が鳴らないように固定されて開け放たれた扉からは、次から次へとビニールに包まれた色んな部品が運ばれてきていて、 「テメェ早く運びやがれェッ!遅ェんだよクソがァアッ!」 不死川さんの怒号も階段の上から聞こえるし、村田さんはもうすごいフラッフラになりながら地上とcalmを行き来してる。 次々と運ばれてくる物が、この間義勇さんが不死川さんに頼んだっていう椅子だっていうのは、すっごく怒ってるのと、冷静な2人の会話で知った。 なんでも今日届いたその荷物を運んでもらうって約束をしてたみたいで、でも不死川さんは自分のお店があるからCalmの開店後にしか来られないっていう、そういう話もしてたみたいなんだけど、途中で義勇さんからのLINEがぱったりと止んだからすごく怒ったみたい。 もしかしたら、それって私のせいかもって思ったら余計に気まずくて手伝いますって言おうとしたんだけど、 「お前は座ってていい」 先に義勇さんに牽制されてしまって、大人しくしてるしかなくなってしまった。 かといって私が動いたところで戦力になるかっていったらそうじゃないから、その作業を邪魔しないように見守るだけで精一杯。 「こんで全部だァ」 一際大きな荷物を運んできた不死川さんの機嫌が少しだけ直ったような気がしてホッとしたのは、私より村田さんだった。 やっと解放されるって顔に書いてあって、良かったって私も思ったんだけど、 「ボサッとしてんじゃねェ組み立てんぞォ!テメェもやれやァ」 襟元を掴まれてる村田さんの助けを求める表情はとてもじゃないけど見られなくて、カウンターの中にいる義勇さんへ向ける。 相変わらず涼しい顔で作業してる手元は見えなかった。 「……あの」 「……。何だ?」 目が合った義勇さんはちっとも気に留めてないみたい。 「やっぱり私も、手伝おうかなって、思うんですけど…」 正直すごく居た堪れない。 「違ェんだよボケがァア!こっちが上だろうがァ!ちゃんと支えとけェッ!」 「ヒィィッ!スイマセンッ!!」 後ろから電動ドライバーより大きな怒鳴り声と悲鳴が聞こえるんだもん。 それなのに義勇さんといえばそちらをチラッと見ただけでまた手元に視線を落とした。 「気にしなくていい。あれは不死川のペースだ。村田も知ってる」 「…え?そうなんですか?」 その割に村田さん、泣きそうっていうか、泣いてる気がするんだけどな……。 「他の人間が手を出すと、余計に機嫌が悪くなる」 そう言い切られると、でもって反論は湧いてこなかった。 怖がらないできちんと様子を窺えば、不死川さんは怒りながらも村田さんと協力しあってるし、村田さんははちゃんと指示に答えてる。 義勇さんみたいに冷静になってから、気が付くこともあった。 今2人が組み立ててるのって……。 「……義勇さん、あれって」 「テーブルだ」 やっぱりって思うと同時に、疑問はいくつも湧いてくる。 でもそれを私から口に出す前に、義勇さんは言葉を続けた。 「当初は既存のテーブルに合う椅子を探していたが、不死川の提案を受けテーブルも一新することにした」 「提案って…?」 後ろから響く機械音と怒鳴り声に思わず振り向きたくなるけど、義勇さんが先に視線を向けたからその表情を見るだけに留める。 「あとで話す」 それだけで手元に集中した義勇さんの意図を汲み取れないほど私も馬鹿じゃない、と思いたいから大人しくすることにした。 だけどすごく大がかりなんだろうなって心配したのは、ちょっとっていうかだいぶ予想とは外れて、 「出来たぞォ」 不死川さんがそう言ったのは30分もしないうち。 作業中にあんまりジロジロ見るのは失礼かなって敢えて見ないようにしてたから、その声を聞いた時には驚いたし、思わず振り返ってた。 その先は見慣れたCalmの店内のはずなのに、見慣れないローテーブルと2人かけのソファが新しく並べられていて、思わず声が出そうになったのを堪える。 「やっぱこの空間じゃひとテーブルつきソファ1つが限界だなァ」 ふぅ、と息を吐いた不死川さんの額にはいつの間にか汗が滲んでた。 「配置とかは知らねえからなァ。あとは自分でどうとでもしろやァ」 使い終わった工具とか大量のビニール袋とかを片付けだすから、あ、もう帰っちゃう気なんだっていうのが何となく伝わってくる。 村田さん、ホッとしてるし。でもこっそりとカウンターまで戻ってこようとしたところで、 「テメェ何やってやがんだア。まだ上に片付け残ってんだよォ……」 すっごい凄まれてて、私まで身を縮めてしまった。 その間、義勇さんはずっとシェイカーを振ってる。 「オイィ、こいつ小一時間借りっからなァ」 「構わない」 いいんだ……。村田さん、一生懸命助けてって義勇さんの方見てるけど……。 「行くぞオラァッ!」 バタンって勢い良く扉が閉まったけど、階段を上がるまで村田さんの「ギャアアアアッ」って悲鳴は木霊しててちょっと心配にもなる。 「相変わらず不死川は帰るのが早いな」 マイペースにシェイクし続ける義勇さんもちょっと、心配だけど。 「あの、良かったんですか?見送りとか……」 見つめ合ったその瞳は、珍しく罰が悪そう。 「しようと思ったんだが、間に合わなかった」 どういう意味だろう?って思った瞬間には、カウンターテーブルにお皿がのっけられてた。 「代わりに食べてくれ」 「え!?」 思わず義勇さんとそのお皿を交互に見てしまう。 これって、あんみつ、だよね? あんこが乗ってるし、フルーツも求肥もある。 もしかして義勇さん、不死川さんのためにこれ作って…… 考えてる間にもカシャカシャと心地の良い音をシェイカーが鳴らしてるから、そういえばずっと振ってるけど、それも何でだろう?って気になった。 今までこんな長い時間、義勇さんがシェイクしてるところなんて見たことない。 もしかして…… 「それも不死川さんにって思ったんですか?」 思ったままを訊ねてみれば、またちょっと眉毛が下がった気がするから、あ、やっぱりって思った。 「もう少し早くシェイクを始めるべきだった」 ようやく開けられた蓋からグラスに注がれたのは、何の変哲もないベージュに近い色味の液体。 だけどその後に足された炭酸水で真っ白な泡がグラスいっぱいに立ち込めた。 溢れそうな泡に少し焦ったけれど、注ぎ終える頃には綺麗なグラデーションが完成していて思わず、 「…綺麗」 その言葉が勝手に出てる。 これが何のカクテルとか、そのカクテル言葉とかいうのは、あとから聞いて納得したのだけど、何だがすごくカクテルそのものが不死川さんにピッタリだな、なんて自然と思った。 Ramos GIn Fizz 感謝 ← ×
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