Drink at Bar Calm | ナノ
ワード・エイトのレシピは、バーボン・ウィスキー、オレンジジュースとレモンジュースにグレナデンシロップ。そして手法はシェイク。

義勇さんからそう聞いたのは、妹があっけらかんと「作って」って言ったあとすぐ後。

当たり前に道具もないし、グレナデンシロップなんて特殊なものが一般家庭にあるはずがないって考えなくてもわかるはずなのに、妹は悪びれるどころか「ウィスキーならお父さんのがあるじゃん。呑んでないし開けちゃっていいんじゃない?」とか言い出すから、収拾に時間がかかったけど、何とか今日はこれでって無理矢理終わりにさせた。

それでも、もう2時間近く経ってる。

「あの、大丈夫ですか?お店…」

義勇さんを見送るため開けた玄関のあと、恐る恐る訊いた。

「連絡がないから、多分大丈夫だ」

おもむろにスマホを見たあと、それをしまう姿が好きだなって唐突に感じた。

「ここでいい」
「でも…、あー、もうちょっとだけ、一緒に、いたいなって…」

歯切れが悪い言い方しちゃったけど何も返すことなく背を向けるから、これっていいってことなのかなって悩みながらそれに続く。

すぐそばに停めてある車までなんて、数歩もしない距離だからあんまり変わらないんだけど。

でも何となく、これだけはちゃんと面を向かって伝えたくて意を決する。

「あの、義勇さん」

振り向いた顔を見る前に頭を下げた。

「ありがとうございますっ」

正直、義勇さんがいなかったらこんなに穏やかに終わらなかった。そう確信してる。
きっと私はまた途中で感情的になって、母親は呆れて、平行線を辿ったまま、というかそれより悪化してたかもしれない。

話したいこととか、訊きたいこともたくさんあるんだけど、今は引き留めたくはないからそれだけを伝えたい。

「……。何もしてない」
「しましたよ!たくさん!母親があんなに素直に話聞くのとか、話するのとか、初めて見ましたもん!それに約束まで!」

今この場ではカクテルを作るのは無理だって判断した後、義勇さんはすごく自然と言った。

「今度、呑みに来てください」って。

そしたら母親は少し考えてから、

「楽しみにしてます」って少しだけ笑った。

そんなこと今まで一度もなかったから暫く放心してたけど、今噛み締めてる。

これって義勇さんのこと、認められたってことなんじゃないかな。

「約束を取り付けたとはいえ、重要なのは今後だ」

しっかりと地に足ついてる義勇さんは、やっぱり大人だなって思う。

「…そうですね」

私も気を引き締め直さなきゃ。

これで全部解決したわけじゃないし、家に戻ったらお説教は待ってると思うからそこは甘んじて受け入れる。

車に乗り込む姿に寂しさは感じたけど、顔には出さないように頑張った。

「気を付けてっ」

低い音を立ててかかったエンジンに、邪魔にならないよう後退ったところで開けられる窓。

「明日は来られるか?」

掻き消されてしまいそうな声を何とか拾って考える。

「あー、はいっ!行きます!」

そういえば2日間、Calmに行ってないんだって思ったら急に恋しくなった。

やっぱり私、あの場所が好きなんだなぁ。

込み上げてくる嬉しさでニヤケそうになった口元は、じっと見つめられてるから何とか堪える。

「……ん?」

今、何か口が動いたけど何も聞こえなかった。

「あの、ごめんなさいもう一回…」

また同じように動いたけど、全然、全く聞こえない。

義勇さんってこんなに声ちっちゃかったっけ?

業を煮やしてすぐ傍まで近付いて身を乗り出す。

「ごめんなさい!聞こえっ」

ぱくっ。

そんな音が聞こえた。実際はしてないんだけど、そんな気がする。

だって今、ほんとに食べられたみたいにキスされた。

目の前の紺碧色の瞳が楽しそうって気が付いたのは、完全に顔が離れてから。

「相変わらず表情が良く変わる」
「…あっ!まさかわざと!」
「そのまさかだ」

おかしいと思った。だってエンジンの音がしてるからって全く聞こえないなんてそんなの

「母親とは距離を作るのではなく、対話をした方がいい」

突然のアドバイスに、迷いながら頷いた。

「……はい」

どういう、意味なんだろう。

考えている間に乗り出してくる身体。
反射的に後退りするより早く口唇が重なる。

「……んっ」

容赦なく絡みつく舌で込み上げてくる何かに逃げ出したくなって、でもずっとこうしてたいって、自分でも説明がつかないけど、正反対のことを同時に思った。


Drink at Bar Calm


車が見えなくなってから下ろした手は少し寂しいのに、さっきまでキスを交わしてたから心臓はまだ速くて、落ち着くために深呼吸をひとつ。

出来るだけ平静を装ってから家に入って、真っ直ぐリビングへと向かったけど、さっきまで囲んでたテーブルはもぬけの殻。
だけど台所から聞こえる音に導かれるようにそっちに向かった。

「何してるの?」

タンブラーグラスに似たグラスにはクリームイエローのような液体。それをマドラーでクルクルと混ぜているのは勿論母親で、その表情はいつもより柔らかく見える。

「カクテル作り」

マドラーを抜いたあと、グラスの縁に散りばめられていくのが塩だって気付いた。

「お母さんっ、カクテル作れるの!?」

期待も声も大きくなったあとの回答は、

「作れるわけないでしょ?」

案外冷たいもので、息を呑む。

「…じゃあ、それは?」
「ソルティ・ドッグもどき」
「もどき?」
「ウォッカなんてないから焼酎で代用したの。呑む?」
「……。え?」
「何その引き攣った顔」
「だって…」

それってただのグレープフルーツサワーじゃんって言うより早く握らされたコップ。

「暇ならお母さんに付き合いなさい」

もう1杯作り始める姿に、それを持ったまま小さく頷いた。


「あー、おいしっ」

ぐいっと傾けた母親を見ながら、ちびちびと口をつけてみる。

「ん、おいしっ!」

ビックリした。

焼酎って聞いた瞬間、嫌な記憶が蘇ってきたけどあのツンと嫌な感じじゃなくて、すごくフルーティーで呑みやすい。
それに塩気も利いてて、粒も荒いから口に残る感触も味わえて楽しい。

「あんたならそう言うと思った」

目が合った瞬間に微笑むのは何ていうか、私の知ってる"お母さん"で、何でだろう?すごく安心した。

「随分、大人になったね」

カランッて音を立てた氷は、いつもなら心地好かったり、ワクワクしたりするはずなのに、今は違う。

こんな風にお酒を片手に、面と向かって話すことなかったって思うと、嬉しいとかじゃなくて、寂しい。

私、お母さんのこと、何にも知らないんだ。

ううん、違う。今まで、知ろうとしてこなかった。

だから、上手く話も噛み合わなくて、いつも言い争いになってしまってたんだ。

「ねぇ、お母さん」

またグイッてグラスを傾けたあとで向けられた顔を真っ直ぐ見る。

「ごめんね」

一瞬、また意味を訊かれるかなって身構えた。
けど返ってきたのは小さな溜め息と、

「もういいよ」

呆れたような、でも優しい声。

それだけで終わった会話は嬉しくて、またお手製のソルティ・ドッグを一口呑む。

「お母さんもBarに通ってたことあるんだねっ」

ワクワクする気持ちを隠せないまま、身を乗り出した。

「……。だから何?」
「ううん、嬉しいなって思って。ひとりで通ってたの?どんなカクテル呑んでた?鱗滝さんってどんな人?」
「いっぺんに訊かないでくれる?」
「だって気になるじゃんっ」

私が嫌だなって思って傷付いたのは、母親の過去じゃなくて、それを知らないっていう、子供の我儘みたいなもの。

でも。

お母さんが嫌だなって傷付いたのは、私の未来じゃなくて、それを知らないっていう、親の我儘みたいなもの。

それを想像出来たのは、義勇さんのアドバイス以外何ものでもない。

「せめてひとつずつ質問してくれない?」

その言葉に、ちゃんと考えたのもきっと、義勇さんのお陰。

「じゃあさ」

義勇さんに出会わなければ、私はこんなことを口に出すことはなかったんじゃないかな。
与えられた"普通"を"普通"として何ひとつ疑うことなく生きてた。

「お父さんと結婚して、私達を産んで、後悔してない?」

"お母さん"が"お母さん"じゃなくて、ひとりの人間として生きてきたことも気付かないまま生きてた。

美味しいご飯があることも、ふかふかのベッドで眠れることも、何も考えず着替えを選べることもそう。
言葉にしなくても気付いてくれること、気付かれたくないと思うことを気が付かないふりしてくれることも、当たり前じゃないんだって知った。

だから、その問いで返ってくる答えがどっちだろうと受け入れようと決めた。

少し驚いた表情をしたあと、グラスを空にすると立ち上がって向ける背中を見る。

「くだらないこと訊かないで頂戴。それだけでもう酔ったの?お酒弱いね」

冷たく言い放たれたのに、それは私の知ってるお母さんで、やっぱり安心してる。

「酔ってないし!」
「次お風呂入っちゃいなよ」

次?って思った瞬間には、

「あー!何か2人とも呑んでる〜!」

タオルを頭からかけた妹が顔を出してきて、あ、そういうことかって納得した。

* * *

「は〜、気持ちい〜」

湯船に浸かって、思いっ切り出た声。

何でかっていうのは上手く説明できないのに、すごく心が満たされてるのを感じてた。

母親に訊きたいことはたくさんあって、多分あっちも訊きたいことたくさんあるんだろうけど、今はこれでいいって、お互いに思えた気がする。

これからは、ちゃんと隠さないでお母さんに話そう。色々なこと。

そう思えたから、家出して良かった。

それに、義勇さんとも―…。

お湯の中でも見える赤い斑点に、顔が熱くなる。

思い出すだけで、恥ずかしいけど嬉しくなっていく。

「…会いたいな」

さっきまで一緒にいて、離れて何時間も経ってないのに、そう思う自分が不思議。

きっともっとずっと一緒にいても、足りないんだろうな。

膝を抱えて考えてたせいで、瞑りかけた目を自覚した。

いけないいけない。昨日あんまり寝てなかったしお酒呑んだから眠気がすごい。

どうにか重い身体を動かしてお風呂から出たのはいいけど、ロクに髪も乾かさないままベッドに倒れたような記憶がある。

だから、朝起きた時の絶望感は半端なかった。

見事に爆発した髪の毛を直すのにほぼ全部の時間を費やして、一息吐く間もなく家を出たからスマホを忘れたって気付いたのは、電車に乗り込んでからだった。

義勇さんに連絡したかったのに。
もしかしたら連絡きてたかもしれないし。

でも今日はCalmに行くってちゃんと約束してるからいっか。

そんな軽く考えて、ただただ流れていく景色をボーッと眺めた。


約束があるから、今日1日は割と早く感じた気がする。
仕事もそれなりの量があったけど忙しくもなく、難しい案件も大きな失敗もなかったことで充実感を抱きながら地下の階段を下りたから、自然とワクワクしていく。

Closedの文字を目端で捉えながら、静かに扉を開ける。

「こんばんは〜」

当たり前に閑散としたお店の中、カウンターの中に義勇さんを見つけて嬉しくなった。
だけどスマホに落としてる視線は何ていうか、少し寂しそう…?

「来たのか」
「はいっ」

あ、でも気のせいかな?
向き合った表情はいつもと変わってない。

考えてるうちにカウンターから出てくる義勇さんに「あ」と声を上げた。

「看板ですねっ」

会えたのが嬉しくてすっかり忘れてた。
隅に立て掛けられてるそれを手にする。

「"今日のカクテル"は何ですか?」

コンチータのままだったイラストを消しながら訊いてみても、答えは返ってこなくて顔を上げた。

…あれ?
何か、今度は険しい顔してる…?

「……考えてなかった」
「あー、じゃあ決まったら教えてください」

忙しかったのかな?
そうだよね。わざわざ家まで訪ねてきてくれて、その後はお店に戻って深夜までお店開けてれば、疲れてないはずがないだろうし。
とりあえず消すだけ消しておこう。

こういう時、こんなカクテルどうですか?ってアイデアとか出せたらいいんだけど、私の知ってるカクテルなんてほんの一部だし、それも好みのものばかりだから偏ってるもんなぁ。

カツカツッて革靴特有の足音が後ろで聞こえて、義勇さんがカウンターの中へ戻っていったのを悟った。
そうかと思えばすぐにクラッシュドアイスを作り始める音が響く。

機械音が止んで、細かくなった氷を移し始めるタイミングを見計らってカウンター越しに話しかけてみた。

「…あの、もしかして忙しかった、ですか?」

向けられた視線が、一瞬だけどちょっと怖いなって身構える。

「見てないだろう」
「へ?」
「スマホ」
「…あっ!」

そうだ。存在すら忘れてた。
何だろう?もしかして大事な用があったとか?じゃないとこんなに不機嫌になったりしてないよね…?

声を上げたこの瞬間にも、すごくじとっとした目をしてる。

「ごめんなさい!朝からバタバタしててっあの、スマホ家に忘れてきちゃって…!」
「昨日の夜からも連絡していた」
「え!?どうしたんですか!?」
「どうもしてない。ただLINEを入れただけだ」

フイッと逸らされる顔はやっぱりどう見ても怒っていて、どう返していいか考えてるうちに冷や汗が出てきた。

「あー、えっと!あの!昨日お風呂入ったらすごく眠くなっちゃって…、自分でも覚えてないんですけどいつの間にか寝てて!そしたらもう髪の毛がすごいことになっててですね!直すのに必死で…!だって今日義勇さんと会えるしって思って…!だから!」

支離滅裂になってるのが嫌でもわかるから、頭を下げる。

「ごめんなさいっ!」

そのまま少しの間が空いたあと、

「昨日Cascadeでシェイカーの練習をしたらしいな」

返ってきた全然違う話題に目が点になったまま顔を上げる。
そこにはいつもと変わらない優しい表情があった。

「真菰が言っていた。筋がいいと」
「…え!?そんなことないです!すぐ疲れちゃったし全然ほんとにダメで!」

そうだ、真菰ちゃん。
お風呂から上がったらLINEしようと思ってたのにそれも出来てない。家に帰ったらすぐ連絡しなきゃ。
あ、もしかしたら義勇さん、だから連絡してくれたのかな?
昨日のうちに"その日の出来事"を話したかったのかもしれない。

「俺は見てないからいいとも悪いとも言えない」

その言葉には、もしかして義勇さんもその場にいたかったのかも、なんて思ったから、

「やってみてくれないか?」

右手で差し出されたシェイカーに、考えるより早く頷いていた。


氷と水が入ったそれを渡されて、困惑したのはどうやってやるんだっけ?って考えたのもそうだけど、今いるその場所が大きな原因。

カウンターの中に立つのは、やっぱりまだ慣れない。

それでも義勇さんは横でじっと見つめたままだから、とにかくやらなきゃって昨日教えられた通りに指を動かした。

えっと、薬指と小指はシェイカーに添えるようにして…。

「こう、かな…」

横に8の字を描くって、真菰ちゃんは言ってた。
ゆっくりにしかできないから、不格好だけど。

「腰で支えないと軸がブレる」

力強く掴まれた腰で、一気に緊張が走る。

「へ!?あ、はい!」
「氷の音が聞こえるか?強弱の差があればあるほどカクテルの味にムラが生じる」
「…はいっ」

良くわかんないまま返事して、そのまま続けるけれど掴まれた手にまたドキッとした。

「遠くに振り過ぎだ。大きく動かせばその分戻す反動で筋肉が疲労する」
「はいっ!」

シェイカーの中で鳴る氷の音が、少しだけ義勇さんや真菰ちゃんに近付いたのを嬉しく思いながら、義勇さんってこんなに熱心に教えてくれるんだって考える。

ちょっと、嬉しいかも。

「肘が下がってる」
「はい!」

必死に言う通りにするけど、今の状況をふと気付いてしまった。

背中にぴったりくっつく義勇さんの体温と、腰を掴んでる右手と、手に添えられてる左手と、あと、それと…

「どうした?」

耳に掛かる吐息混じりの声。

どうしよう。誤魔化せないくらいに心臓がバクバクいってる。

「あのっ…」

しかも何か、変な感じ。

ただ緊張してるってだけじゃなくて、もっとくっつきたいなとか、そんなこと考えてる。

「もっ!もう大丈夫です!バーマンさん!開店準備しないとっ!」

逃げ出したくて前に掛けたはずの体重が、どこでどうなったかわからない。

「俺が大丈夫じゃない」

気付いたら覆いかぶさるようにその腕の中に収まっていて、心音は倍以上になってる。

「バーマッ」

首に感じる感触に鳥肌が立った。

「…っど、どうしたんですか!?」
「あの後突然一切の連絡が途絶えれば、何かあったのではないかと考える」
「…だから、あのっそれは!」

言い訳を考えるけど、それは確かにそうだなって思った。

胸に触れる手にビクッとしたけど、どうにか頭を動かす。

「あのっホテルで!」

咄嗟とはいえ、すごく勘違いされそうな言葉を出したのはさすがに自分でもわかったから、息を吐く間もなく続けた。

「義勇さんの寝顔見たり!今みたいにっ抱き締めてくれたりしたから!嬉しくて眠れなくなっちゃって…!だから、昨日は寝ちゃって…っ!」

強くなった抱き締めに息を吸ったのも束の間、

「昨日、俺は眠れなかった」

縋り付くみたいに身を寄せる義勇さんに、息を止めた。

どうして?

私が連絡しなかったから?

覗き込んでくる顔が近いって思った時には口唇が押し当てられていて、頭が真っ白になった。

「んっ!」

どうしよう…。きっと怒ってる。

そう考えてしまった瞬間、手から滑り落ちたシェイカーが音を立てて床に落ちた。

「…あっ、ごめ」

声が出せたのは一瞬だけ。
カウンターに押し付けられる反動で硬く目を瞑った。

服の中に入ってくる指に気が付いて、咄嗟にそれを掴もうとしたけど、手が震えて上手くいかない。

「…っ、あのっ、待って…っ」

耳元から聴こえる吐息も、胸を触る荒々しい手も、何だか義勇さんが義勇さんじゃないみたいに思えた。

「…待っ…て、くださいっ」

腰を抱える腕に触れたのはやっとのこと。
それでかはわかんないけど、動きが止まった。
でも、何にも喋ってくれない。
振り向けば顔は見られるけど、その勇気が出ない。

だって―…

「…義勇さん…、怖い…っ」

勝手に溢れてくる涙を我慢してるのに、ぼやける視界に目の前に広がるのはCalmの客席。ただぼうっとその光景を見つめた。

「…悪い。感情に身を任せ過ぎた…」

こういう時、なんて答えたらいいんだろう?

大丈夫ですって笑えるほどすぐに気持ちは切り替えられなくて、ただ涙が零れないように鼻を啜った。

「泣いてるのか?」
「…違っ」

言うより早く反転した身体。

ぼやけて見える紺碧色も、綺麗だって思った。

「悪い」
「…あ、いや!違うんです!ビックリしたからで!そのっ!」

涙を拭ったあとに落ちてくるキスは触れるだけで、とても優しい。

「すまなかった」

さっきより鮮明になった視界で見るのは、すごく申し訳なさそうな顔。

「…だい、じょうぶです!」
「俺が大丈夫じゃない」

頬を撫でる指も今度は目に触れる口唇も、さっきとは打って変わって優しくて、

「えへへ」

勝手に笑ってしまってる自分がいた。

少しだけ見開いた瞳からはてっきり、どうして笑ってるのかのを訊かれると思ったのに、また優しく細まる。

「初めてお前と会った時、何故、テキーラ・サンライズが浮かんだかわかった気がする」
「へ?何でですか?」
「"熱烈な恋"」

それって、カクテル言葉―…

「今まで俺には無縁なものだったが、あの時既に予感してたんだろうな」

髪を撫でる手がまた頬に添えられて、瞬きを繰り返すしかなくなった。

「自分を見失いそうになるほど、誰かを愛しいと思ったのは初めてだ」

微笑んでいるのにどこか寂しそうな表情は綺麗で、でもそれでいて儚げで、何故か思った。

"居なくならないで"って。

どうか、私の前から消えてしまわないでって。そんな風に。

だから、わかった。

義勇さんの気持ち。

それこそ全部じゃないけど、多分でも―…。

「義勇さんでも、不安になる時とか、あるんですね…」

当たり前なんだけど、でも、何だか嬉しい。

私なんか、いつもアタフタしていつ義勇さんに飽きられて嫌われてしまわないか不安ばかりだけど、義勇さんでもそんな風に思ってくれることがあるんだって、それってとても、すごいことだと思う。

「ある。悪いか?」

少しだけへの字に曲がった口に慌てて否定しようとした私を抱き締めてくれた力は優しくて、あったかい。

「"今日のカクテル"が決まった」

耳元で囁く声には、また心臓が一気に動くけれど、

「…何ですか?」

湧いてくる興味に勝てなくて、訊いてた。

「テキーラ・サンセット」

…サンセット。って夕陽?

「カクテル言葉は」

ドクドク高鳴っていく心臓で全く動けなくなったままで声を聞く。


「      」


一際大きくなった鼓動も、見つめてくる紺碧色の瞳が徐々に伏せられていくのに従って、自然と目を閉じていた。


TequilaSunset
なぐさめて




×