Drink at Bar Calm | ナノ
勢いって、やっぱり大事。

ぼんやりとコバルトブルーの天井を眺めて、そんなことを考えてる。

瞬きを忘れてたせいか、滲むオレンジの灯りは本当に"黄昏"みたいで綺麗だなって思った。

「名前」

耳元で聞いた吐息混じりの声を思い出して、心臓は簡単に跳ねる。

なのに、どうしてダメなんだろう?

中途半端にはだけてる服を手繰り寄せて、ふかふかな布団を頭まですっぽり覆った。

「名前」

今度は遠くから聞こえた本当の呼び声に、今度は胸が痛む。

「風呂が出来た」

どんな顔をしたらいいのかわかんなくて、そのまま動けずにいる。

「…寝たのか?」
ちょっとだけ落ちたトーンは優しくて、鼻の奥がツンと痛くなった。
「寝て、ないです」
「眠いか?」

その質問には、どうにか首を振って否定する。

「…ごめんなさい」

震える身体にそっと手が触れたのを布団越しに感じた。

「謝らなくていいと、さっきも言った」
「……でもっ」
「気にしなくていい。急ぎすぎた」

あやすように撫でてくれる手も、優しい声も、今はすごく哀しくて申し訳なくて、抑えていた涙が溢れる。

シェリー酒で程よくボーッとなった頭で、よくわからないまま雪崩れ込んだベッドには、その雰囲気しかなかった。

でも、ついにするんだ、って思ったら、急に頭の中がサァッて冴えて、身体は硬直していって、私の変化を、義勇さんが気が付かないはずもなくて、
「やっぱり、やめておこう」
そう言うから、急いで
「大丈夫っ!」
返した声は震えてて、強がっているのもすぐに伝わってしまった。

「俺が大丈夫じゃない」

勝手に傷付いたのも顔に出してしまったから撫でてくれる手は、あったかくて

「性欲を満たしたいから一緒にいるわけじゃない」

言い切った表情はすごく優しかった。

謝るしかできない私にお風呂の用意をしてくれたのは、それこそ気遣いなんだってわかってたから泣かないようにしてたのに、心に沁みていって勝手に涙が出続けてる。

情けない。こんな自分が。

撫でていた手が止まって、また心臓が痛くなる。

「泡風呂なんだが……」

それでも言いづらそうに出された言葉に耳を傾けた。

「失敗した」

纏う雰囲気が変わったのは、多分気のせいじゃない。

「全く泡立たない」

どんどんか細い声になっていく声も。

「悪い」

思わず布団から顔を出した先には消沈している表情があって、でもそれもそんなにわかりやすいものじゃないんだけど、とにかく落ち込んでいるのがわかった時、一瞬にして笑いが零れた。

「何故笑う…」
「ごめっ、なさい…。だってこの世の終わりみたいな謝り方するから!」

もう顔を見ただけで笑えてしまう。

でも、安心したみたいに細まった瞳には、また心臓が高鳴った。

「冷めないうちに入った方がいい」
「…あ、はいっ」

勢いだけで起き上がった手前、また布団に潜ることもできなくなって、大人しく浴室へと向かうしかなくなる。

これも義勇さんの"気遣い"なんだって思うと、今度は哀しいより嬉しくなった。

ダメだったことを、いつまでも引き摺っていられない。

私ひとりならそこでウジウジしてればいいけど、今はそうじゃない。義勇さんのためにも、気持ちは切り替えよう。

でないと、ほんとに全てがダメになってしまいそう。

勢いだけで服を脱いで、シャワーで全身を流す。

たっぷり溜まった湯船は、失敗したって言ってた通り、全然泡立ってなくて何でなんだろう?って考えた。
ガラスの扉を開けて、ゴミ箱に捨てられた袋を手に取ってみる。
さっきは途中だった説明書きの続きを見てから、
「あ、そっか」
納得が口を突いて出た。

すぐに浴室に戻って、シャワーを全開にしてみる。
温度はこれくらい?わからないけどそれを浴槽へ入れた。できるだけ、水流が大きくなるように。
そうすることで一気に泡立っていく表面。

「できたぁ!泡風呂!」

これはすぐに報告しなくちゃ。失敗したんじゃなかったって。義勇さんが悪かったわけじゃないって。一言でも。

そしたらきっと、安心してくれる。

っていっても裸のままはさすがに無理。洗面所にバスローブもかかってたけど、ちょっと、というかだいぶ恥ずかしい。だからもうこれは即行で洗って出る。
そう決めてシャンプーを手に取った。


Drink at Bar Calm


「義勇さんっ」

我ながらなかなかの最短記録で出られたと思う。呼んだ瞬間、まさかもう出てくるとはって顔してるし。

「早いな」
「そっこーで洗ってきました!」
「急ぐ必要はない。ゆっくり入ってくればいい」
「泡風呂!できたんです!」」

グッと握り締めた手を弛めて、洗面所へ指を向けた。

「見てください!あわあわですよ!」

何度か瞬きをした義勇さんは、おもむろに立ち上がってそちらに進んでくれるから後ろをついていく。

「……泡だな」
「泡ですよね!あ、でもちょっと少なくなっちゃったけど…」

時間が経ったから、細かくて真っ白い泡はところどころ透明のキメの荒いものになってる。

「どうやって作った?」
「シャワーの水流です。これほんとはお湯溜める前に入浴剤入れなきゃいけなかったみたいで…」
「良く気付いたな」
「…あー、書いて、ありました。袋の説明に」

ちょっと気まずくなったのは、また義勇さんが何とも言えない顔をするからで、でも今はそれも可愛いと思える。

慣れてないって、こういうことなんだなって。

「入ってないのか?」
「え?」
「泡風呂だ」
「…入って、ないです」

そうだ。忘れてた。伝えるのに必死で。

「あ、でももう!出ちゃったから義勇さんどうぞ!」

私がここにいたら入れないから、とにかく部屋へ戻ろう。
そう決めて足を動かした瞬間に聞いた

「一緒に入るか?」

その声に心臓が止まるより早く

「冗談だ」

小さく笑う義勇さんに胸が痛んだ。

「部屋にいていい。眠かったら寝てても構わない」

すごく優しく言うから、何にも返せないまま頷くだけで精一杯。

まだバクバクいう心臓を抑えつつ、ソファに腰掛けた。
少ししてから微かに聞こえるシャワーの音で、落ち着かない身体を丸める。


義勇さんはああ言ってくれたけど、どうしてなのかなって、ずっと考えてる。

好きならしたいって、思うんじゃないのかな。

私、義勇さんのこと、そんなに好きじゃないってこと?

そんなわけないじゃんってすぐに否定できたけど、じゃあ何で?ってまた疑問に戻る。

怖い、んだ。

ずっと認めないようにしてたけど、怖い。

今まで何となく、現実じゃなかったというか。義勇さんのこと好きだって思っても、実際に付き合ってみても、どこか自分のことのようじゃなく思えてたんだと思う。

だけど最近、すごくリアルになったのを感じてる。そういうことをするって。

だから、怖い。

多分これって、私が自分で乗り越えなきゃいけないって何となくわかってたけど、正直ここまで来ても無理なら、無理なんじゃないかな…。

完全に弱気になってしまった思考で見つめたのはシェリー酒。
ワイングラスに半分ほど残ってるその琥珀色に勢いだけで告白した日を思い出した。

そっか。勢いって、大事なんだ。それで多分、失敗しても。無理だって諦めるより絶対にいい。

そう、そうだよ。そうやって諦めたくないから頑張ってたんだ。

なんで、忘れちゃってたんだろ。

ワイングラスを傾けて、一気に呑み干す。

結末なんて考えたってわからないなら、後悔しないように進むんだ。


勢いだけに身を任せて、服を脱ぎ捨てて、バスタオルを身に纏う。
シャワーの音は聞こえないから、そのままガラス戸を叩いた。

「一緒に入っていいですか!?」

返事を聞く前に開けた先、泡風呂の中ですごく驚いてる表情を見る。

「…どうした?」
「失礼します!」

バスタオルを取る勇気は出ないから、止められる前に湯船に滑り込んだ。

バシャッて大きな音がした気がする。

また少し増えた泡で、浴槽の中は見えないからちょっと安心した。

「そんなに泡風呂に入りたかったのか?」

冷静に訊いてはいるけど、動揺してるって何となく伝わってくる。

「…あー、えっと!義勇さんと一緒に入りたいなって!あのっ」

今この状況を理解したら恥ずかしさでどうにかなりそうだから考えない。それだけは考えないで考える。どうやって伝えようって。

「あと!話したい!こともあって…!あの、私…」

頑張って。ちゃんと伝える。大丈夫。

「高校の時に、付き合ってたって言ったじゃない、ですか?それでフラれたって」
「……。あぁ」

紺碧色の瞳を見るのは怖いから、泡だけを見つめた。

「何でフラれたかって言うとですね…」

多分、ずっと心の底に隠してた出来事。忘れたフリをして、いつだかほんとに忘れるようになってた。
そこまで大袈裟なものじゃないって、自分に言い聞かせて。
でも今になって知った。

「処女、だったからなんです」

私はすごく、傷付いてたんだって。

「それ、勇気出して言ったら、最悪、マグロかよって…。それっきり無視されるように、なりました」

どういう意味か、全然わかんなかった。
友達に話して、ようやく意味を知って、あー、そうなんだって。
でもそれを知った周りは私のために怒ってくれて、相手が有り得ないとか言ってくれたし、でもそういうのって結構あるよねってそういうのも聞いたから、そんなものなんだな、とも思った。
私が特別、酷い目に遭ったわけじゃない。けれど、多分それで、男の人に対するイメージは決められた。

「だから、怖くて……。でも義勇さんは大丈夫って、思ってたんです。今も、思ってて、でも何でダメなのかって、思っちゃうんだろうって、さっき気付きました。私」

ちゃんと考えてわかった。ずっと隠してた、自分の気持ち。

「もし、義勇さんに同じこと、言われたら…思われたら、もう立ち直れないって」
「俺がそんなことをすると思うか?」
「しないです!それはわかってるんです!わかってるから、もしっそうなったらって怖いんです。不安なんです…っ」

滲んでいく泡に、あぁ、また泣きたくないのにって思っても、止まらない。

「義勇さんのこと好きだからっ、嫌われたくないって…!すごく思うから、怖くてっ」

今、私今までで一番酷い顔してる。しかもこんな明るい場所で。
だから顔を覆って隠したのにそれも払われて、ずっと見られなかった紺碧色がすぐ近くにあった。

「だから、お前はいつも」

怒ってる?って思ったのは一瞬で、すごく切なく笑うから心臓が軋む。

「本末転倒だと言ってる」

でもその瞳がすごく熱っぽくて、良くわからないけど、自分の中で何かが沸き上がっていくのを感じた。

最初から激しいキスについていくのに精一杯で、外されたバスタオルの先のことは、正直あんまり良く、覚えてない。

すごくたくさんの所に触れられて、たくさんの場所にキスされて、その度に泡立つお風呂は初めて見た光景だった。

逆上せたせいか立ち上がれない私を抱えてくれた義勇さんの表情は男らしくて、でもベッドに寝かせてくれた両腕は優しくて、その後は、圧迫感と痛みが走った。そこまではぼんやりと記憶がある。


「大丈夫か?」

掛けられた布団と優しい声に、大丈夫ですって返そうとして、喉が枯れてるのに気が付いた。
すぐには出そうにないのを感じて、小さく頷く。

「服、取ってくる」

その言葉にもまた頷いて、さっきと同じように天井を眺めた。

でも今は、見えている風景が全然違う。

残る違和感とかダルさとか、今まで感じたことのない身体の感覚で、じわじわと実感していく。

したんだ。っていうか、できたんだって。

しがみつくのに必死で、全然、何が起きてるのかわかんなかった。

勝手に出た声は、多分すごい変だったと思う。いつ息したらいいかとかも掴めなかったから、どうしよう、野太い声とか出てたら。

しかもかなり、不格好だった。

何が正解なんてわかんないのに、でも絶対そうだって確信があって、恥ずかしさから布団に包まった。

「服、着ないのか?」

近くに腰を下ろしたのが振動で伝わって、ドキッとする。

「き、着ますっ」
「ここに置いておく」

離れていきそうな気配がして、布団から顔だけ出した。
もうすでにスウェット姿の義勇さんは見慣れてるはずなのにまたドキドキしてる。

「あのっ」
「何だ?」
「へ、変じゃなかったですか?私っ…なんか、ヘマとか…っ」

訊いてから熱くなっていく顔を少し布団へ戻した。
何その訊き方って自分でも思う。義勇さん、呆れた顔してるし…。
また布団の中へ戻っていきたくなる衝動に駆られた手を動かそうとした時には、その顔が耳元にあった。

「可愛かった」

悲鳴を上げたくなるほどの囁きは、何もかもを吹き飛ばしてしまうには十分すぎる威力で、もう布団を防具に隠れるしかなくなる。

「からかって、ますね!?」
「からかってはない。事実を伝えただけだ。何故卑屈になる?」
「だって、私っ、絶対ぎこちなくて…」
「それが可愛いと言った」

それが、可愛い?

頭の中で繰り返してる内に、剥がされた布団に身構えた。

「価値観はそれぞれだが、俺は、まだ何ものにも染まらない名前がいいと思っている」

それって、つまり―…?

「身一つで泡風呂に飛び込んでくる姿にはさすがに驚いたが…」
一瞬にして思い出してしまったから、苦い顔になってしまう。
「それは…、もう、ごめんなさい忘れてください」
勢いだけに任せたけど、今思うと何てことしちゃったんだろうって自分で自分に引く。

だけど義勇さんは穏やかな表情をしてて、あの時の選択は間違ってなかったのかなって思った。でもあれは、さすがにほんと強引すぎたけど。

「痛かったか?」
「…え?」

瞬きする間に撫でられる頭に、さっきのことを思い出す。

「できる限り加減はしたつもりだが自信はない」
「…あー、えっと…」

こういう時って、どう答えるのが正解なんだろう?って思い掛けて、やめた。

正解を選ぼうとするんじゃなくて、素直にそのままを伝えるんだって。

「……。痛かった、です」

嘘は吐けない。だけど…

「でも、それよりすごく、嬉しかった、かな」

それも心の底からの本音。

何がなんだか、正直良くわからなかったけど、それでも思った。

今まで見たことなかった表情とか、抱き寄せてくれた力強い手とか、初めて肌で感じた感触とか、全部があったかいって。
だから、涙が出そうになった。

好きだって。もう何も考えられなくなるくらい、大好きだって。

身体から、心から、沸き上がる抑え切れないものがあるんだって初めて知ったから、

「…っんぅ!」

脈絡もないキスの意味も、少し、わかるようになった。

義勇さんはきっと、いつもそうやって溢れる感情を伝えるために、そうしてくれてたんだって。
だから、逃げようとするんじゃなくて、必死でかっこ悪くても受け入れて、応えようって思えた。

離れた口唇が、もう1回その先を望むなら、私は―…

「空腹だろう?何か頼もう」
「……へ?」
「腹、減ってないのか?」
「……あー…」

言われてから、ぐーっと低く鳴るお腹を押さえる。

「ご飯、あるんですか?」
「ルームサービスメニューがそこにあった」
視線だけで示すのはテーブル。
「へー、そうなんですね」
驚いている間に持ってくる冊子に、何とか身を起こした。

「すごっ。本格的」

メニューを見た瞬間に出た言葉に、紺碧色が細まっていくのが目の端で見える。

「好きなものを頼んでいい。カクテルもある」
「え?そうなんですか?」

パラパラと捲る手が止まったけど、ワクワクは加速してく。
だってほとんどが見たことのあるカクテル名で、それがわかるっていうのも、何だか嬉しくなる。

「どうしようかな……」

呑んだことのないカクテルは義勇さんが作ってくれるのを最初に呑みたいし、シェリー酒呑んでるからあんまり度数の高くないものを選んだ方が…

一通り考えて、ページを捲った。
瞳だけで疑問を示す義勇さんに、苦笑いを向けてみる。

「やっぱり、カクテルはやめときます」
「遠慮しなくていい」

多分、勘違いさせてるのかな。値段を見てやめたと思われてるみたい。

「そうじゃないですっ」

今までに知ってるカクテルも、知らないカクテルも、結局どうして呑みたいかって考えたら

「やっぱり、義勇さんが作ったカクテルがいいなって思って」

きっと他のカクテルがどんなに美味しくても、私には義勇さんが作るものが一番で、揺るがないただひとつなんだってこと。

「あ、でもご飯は頼んでいいですか?お腹すごい空いちゃ」

添えられた手にメニューから上げた視線は紺碧色の瞳で止まって、心臓はドクドクいってるのに、どこか冷静に考えた。

キス、したいなって。

言葉にはしてないのに、まるで答えてくれたみたいに重なった口唇に目を閉じる。

背中に回る腕は逞しくて、あったかくて、嬉しくて、この気持ちをどうにか伝えたくなって、私もその広い背中にしがみついた。

「…っ、ん」

苦しくて我慢ができなくなった頃に離れた口唇。
それでも息をする暇もなくベッドに沈んだ。

「……義勇、さんっ」

首に這ってくる口唇から熱い吐息が伝わって、勝手に鳥肌が立っていく。
行き場のない両手はそのまましがみつくしかなくて、ぎゅっと手を握った。

暫くして上げられた顔は色っぽい。

でも、固まるしかできない私に気が付いたのか、目を細めると髪を撫でてくれた。

徐々に湧き上がってた緊張はそれで落ち着いたけど、離れていく身体には動揺してる。

「何を食べる?」
「……え?」
「飯だ」

差し出されたメニューを迷いながら受け取ったけど、いいのかな…?
しそうな雰囲気だって感じたんだけど、そんなこと自分から口に出せなくてメニューを見た。

ハンバーグとかパスタとかあるし、美味しそうだけどそんなガッツリ食べられるほどお腹は空いてないかもしれない。
鳴るくらいには空いてるんだけど、気持ち的に。なんかもう、心がいっぱいっていうか…。

「義勇さん、何食べたいですか?」
「……そうだな」

同じように覗き込む顔が近くなって、今更だけど自分がまだ裸だって気付いた。
ここで急に恥ずかしがるのも変だから、肩まで隠れるように、自然なふりで布団を手繰り寄せる。

「俺はなんでもいい」
「お腹空いてないんですか?」
「そこまでじゃない」
「…うーん、じゃあ半分ことか、します?」
「名前は空いてるんじゃないのか?」
「私もそんなに、というか空いてはいるんだけど…、胸がいっぱいで」

何言ってんだろって、苦笑いが出たけど、

「俺もそうだ」

なんて、例え冗談でも言ってくれる義勇さんが好き。

ほんとに、そのあったかい目も、優しい声も、全部大好き。

「あ、じゃあこれ!どうですか?」

でもやっぱり恥ずかしいからはぐらかしてメニューを指差す。

「……ピザか」
「これなら2人で食べられるし、しかも本格石窯って書いてあります」
「美味そうだな。これでいい」
「了解です!じゃあ注文…」

って、どうするんだろう?電話とか?

部屋を見回す私に、義勇さんはメニューを攫っていく。

「備え付けのタブレットがあるらしい」
「そうなんですか?」
「ここに書いてあった。頼んでくる」

わざわざ一言付け加えてくれるのは、私がまた余計なことを考えないようにって考えてくれてのことなんだろうな。
そうやって有無を言わさずテーブルに向かうのも、すぐには動けない私を気遣ってくれてるんだと思う。

あったかいな、って、何度も何度も感じる。

ずっとこうして、止まり木で羽根を休めるみたいにじっとしていたいけど、そうも言っていられないから、置いといてくれた服へと手を伸ばす。

義勇さんが背を向けてる間にって急いで下着を着けてから、服を着ようとしたところで振り向かれて、
「…ほぁ!すいませんっ!」
良くわからないけど、とっさに叫んで布団を被っていた。

何だろう、すいませんって。もう見られてるはずなのに……。

多分、全部。

そう実感した瞬間、ブワッて顔が熱くなってく。

でも、布団越しにポンポン、と叩かれた手と、
「トイレに行ってくる。ついでに風呂の湯も抜いてくるから、ゆっくり着ればいい」
またあったかい声に嬉しくて、ただ頷いた。


服を着たはいいけど、足の、というか下半身の違和感がすごくて、ぎこちない歩き方しかできないと知ったのは、ベッドからソファまでの短い道のりを進んだ時。
義勇さんがテーブルの上を片付けてくれてるから、私もって思ったんだけど、移動するだけで精一杯だった。

「まだ休んでていい」

そんな小鹿みたいな私を見て、そう言ってくれたからお礼を返したけど、せめて何かしようと伸ばした手は綺麗に交わされて、しかもそれだけじゃない。

ふわって、軽く持ち上げられたかと思えば、ゆっくりソファに沈んでてビックリしてる。

「寝てろ」

そっと撫でてくれた手に抵抗する間もなく、目蓋を閉じてしまうのが、まるで魔法にかけられてるみたいだって感じた。

疲れてたのかもしれない。

そのまま眠ってしまっていたのを知ったのはカチャカチャと擦れる食器の音で目覚めてからで、似ても似つかない背中が一瞬、母親に見えてしまった。

「…起きたか」
「…は、い」
謝るよりも早く
「丁度良かった。今起こそうと思っていた」
変わらない優しさが嬉しいから、ごめんなさいは口に出さないことにする。
代わりに並べられてくお皿とかフォークとかでするべき行動に移した。
「やります!」
「いや、あらかた終わった。あとはこれだけだ」

手にするロックグラスには、氷だけが入ってる。

何を、するんだろう?

高まっていく期待を抑えながら、動き出す手を見つめた。

「ウォッカとグレープフルーツがあると知って、頼んだ」

説明しながらその2つを注ぎ込んでいくあと混ぜるのはティースプーンで、少し珍しい。

でも場所が変わっても、道具が違っても、義勇さんの所作ってほんとに綺麗。

カランッ。

氷が音を立てて、目の前に置かれたそれと一緒に、

「ブルドックだ」

告げられるカクテルの名前に、反射的に「あ!」って声が出た。

「知ってます、ブルドック!」

犬種の名前だって思って印象深かったのもそうだけど、同じ犬を名前にしてるソルティ・ドッグとすごく似ていて、それで…

「カクテル言葉は知ってるか?」
「知って、ます」

それがどういう意味かわかった時には、涙が出そうになった。

何でかって、私も思ってたから。

でもそれはずっとじゃない。カクテルを作る義勇さんの真剣な表情を見て、急に強く思った。

「……。これは、俺が言うことではないのは承知しているが」

言葉を詰まらせた姿で、無理矢理にでも涙を引っ込める。
その先は、何となく、そう、何となくわかった。

義勇さんって、人に何かを伝えるのが苦手だから、傷付けるってわかってる時ほど、そうやって立ち止まってしまう。

「…義勇さん」

だから、私にできることって、その言葉を口にさせるんじゃなくて、

「明日には、家に戻ろうと思ってます」

先回りして、汲み取ること。

驚いたような、でも安心したような、そういう顔。好きだなって思う。
だってこれまで知る限りでは、私にしか見せたことないから。

この関係が、この空間が、ずっと続くように願う。
何かが邪魔したとか、そんなので諦めたくない。

「急がなくても気持ちが落ち着いたらいい」
「…はいっ。あー、でももう、落ち着いたかなって…」

苦笑いしてしまったのは、自分でも単純だからって自覚があるから。

「私多分、母親に反抗したかったんだろうなって、思いました。でも、そう思ったのは…」

やっぱり、きっと…。

「義勇さんと一緒にいたいって思った時にいられないっていうのが、苦しかったんだなって」

今、こうして時間も距離も制限なく会える位置にいられて、これ以上にないほど満たされてる。

満たされたから、思うことがある。

「一緒にいられることって、当たり前じゃないんですよね」

だったら今やることは、この場限りじゃなくて、その場しのぎじゃなくて、ずっと続いていくような、そんな努力をしたい。

「私は、義勇さんと一緒にいたい。ずっと。だから…、帰ります」

ちゃんと顔を見て笑えた。
できるだけ冷静にも伝えたつもり。

でも、流れる涙はどうしてかはわからない。

「俺もだ」

拙い言葉を、深く考察しなくたって撫でられた手からも、涙を拭う指先からも感じてる。

同じ気持ちなんだって。

だから、このカクテルを作ってくれたんだって。

そう思ったら、余計に涙が溢れて止まらなくなった。


Bull-Dog
守りたい




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