天狗の面をつけた鱗滝左近次さんというおじいさんの家に来て、三日が経ちました。 三日といえば三日坊主なんて言葉がありますが、私はそんな短期間で飽きたり諦めたりはしない、ええ、それはもうとても粘り強い人間なので事あるごとに「家に帰れ」と言ってくる鱗滝さんに逆らって、未だにお世話になっています。 三日も経てばその天狗の面から零れるのは溜め息だけで、これぞ粘り勝ちってやつなんだって思いました。 でも、何というんでしょうか? これは飽きるとか諦めるとか、飽きさせるとか諦めさせるとかの次元を超えたといっても過言ではないんですよ。 「……うーん」 目の前に置かれたお椀を見て唸る私をよそに、天狗の面は動きません。 まぁ、そうですよね。お面ですから。動いたら驚き桃の木山椒の木です。 そういえばそのお面の下を拝見したことがないのですが、鱗滝さんってどんな顔をしていらっしゃるのでしょう? それも気になるのですが、今はこの目の前にある代物が問題です。 「……あのぅ」 「何だ?」 「これは…?」 「茄子の味噌汁だ」 ガーン。 そんな音がしました頭の中で。 本当に本当です。もう頭を打ち付けたのと同じ衝撃がしました。 「ひっくり返るほど嫌いなのか…」 「そうですよ!最初に言いましたよね!?私!」 二日間この天敵を目にすることがなかったから理解してくれてると思ってたのに。 しかもよりによってお味噌汁だなんてそんな全面に茄子を強調した献立を出してきやがるとは…! 「文句があるなら家に帰るがいい」 そういうこと!これは嫌がらせをして私を追い出す作戦ですね!? 「違う。今日たまたま使える食材がそれだっただけだ。お前の我儘で献立を決められるほど裕福ではないのでな」 あー、そういうことですね! 「って鱗滝さん、私の心が読めるんですか?」 「読めるはずなかろう」 「じゃあ何で答えられたんですか?今」 「自覚がないのか……。全部口に出ていた」 「うっそ!」 思わず口を塞いでみたけれど、気のせいか天狗のお面が睨んでる気がします。 これはちょっと、いや結構まずい。茄子と同じくらいまずい。いや、もしかしたらそれ以上かもしれません。 「居候の身ですもんね!そうだ!茄子くらい食べれないと!」 どうにかこの天敵をやっつけて鱗滝さんに見直してもらわなくては! お椀は持った!持ちましたよ! あとは呑む!呑むだけ!丸呑みすれば食感も味も対してわからないはず! 行け!頑張れ!私! 覚悟を決めてそれを傾けようとしたところで玄関の開く音と 「鱗滝さん、ただいま戻りました」 声が響いて、思わずそちらを見る。 途端にバシャッて音と膝に感じる熱さに「ギャーッ!」って木霊した悲鳴は勿論私のでした。 「わざとじゃなかったんです。ごめんなさい」 しくしくと泣きながら頭を下げる先には、天狗の面です。 「そこまで謝らずとも故意でないのは儂でもわかる」 「本当なんですよ。ビクッとしたらズルッて手が滑って…。まさか天敵をこの身に浴びる羽目になるとは思いませんでした。あ、でも食べるよりはマシかなって一瞬思ったんですけどでもわざとじゃないんです。零した瞬間、あ、食べなくても良くなったとかそんなこと一切思ったりしてません本当です」 「お主は口を開くと墓穴を掘る性分だな」 すごく重い溜め息が聞こえたのは、私の反省度が伝わったからでしょうか。 そうですよね。そうに違いない。 「しょうがないですよね!事故ですもん!あははっ」 何となく重たいような空気を変えようと意識して大きく笑ってみたのに、 「開き直るな」 ちょっと低めの声で言われて、咄嗟に出たのはもう土下座です。 「はい!すいません!!」 ゴツンッと思いっ切り音がしましたが、それより気になることが今の私にはあります。 「……あのぅ。時に質問なんですけど」 「何だ」 「そこにいらっしゃる方々は鱗滝さんとはどういったご関係の方でしょう?」 今まで怖くて向けられなかった目線をそちらに向けて、また天狗へ戻しました。 最初は怖いと思っていたそれももう慣れたもので、今は見知らぬ人達の視線が痛くて怖いです。 「儂の弟子だ」 「弟子!?ということは子天狗さん達ですか!」 「儂は面を着けているだけであって天狗ではない」 「そうですね!!子天狗さん達はお面被ってないですし!鱗滝さんが本当の天狗じゃないことももう知ってます!」 はあって溜め息が聞こえました。 天狗の面からじゃなくて、隣にいる子天狗さんから。 「鱗滝さん、こんな失礼な奴の質問なんか律儀に答えなくてもいいんじゃないですか?」 ちょっと荒々しいっていうか、苛々した口調に言ったのは宍色の髪をした人でした。 口の端から右頬にかけてすごく痛々しい傷痕が目立ちます。 「というか、誰なんですか?この子」 小さく首を傾げたのはその隣の小柄な女の子でした。 お花のお着物が可愛いって一瞬思いましたが、着物というより羽織り、でしょうか? 中にはかっちりとした制服みたいな真っ黒の上下を着ています。 そういえばさっきの男の人も同じような服装だけど、ボタンの色が違いますね。 女の子は灰色っぽいけど、男の人は黄色…っていうか黄金で、これって性別によって変えてるんでしょうか? 「知らん」 「知らんってひどいっ!!私を孫としてここに置いてくれるという約束はどうしたんですか!?」 「そんなことは一言も言っておらん。お主、だいぶ思い込みが激しいな」 「人間思い込みは生きるために必要だってどっかの誰かが言ってました!」 「…何だよどっかの誰かって」 鱗滝さんの代わりに、宍色の男の人が溜め息を吐いたと同時です。 「確かにそれも一理ある」 聞き慣れない声に目を向けました。 さっきからずっと正座をしたまま動かなかった黒髪さん。 置物かと思うくらい微動だにしないので存在を忘れてました。 よくよく見るとこの人も同じような制服で、でもボタンは灰…、あ、銀色に見えます。 うーん、男女で分けているようではなさそうです。 この人多分髪の毛長いし綺麗な顔してるけれど、見た目的に多分男の人ですし。 臙脂色の羽織りが目立ちますね。うん。 「義勇、こんな得体の知れない奴の言うことなんか鵜呑みにするな」 へー、ぎゆうさんっていうんですね。 って思った瞬間、その青い目に見つめられてドギマギしています。 開いた口唇から何か声が出てくると思ったのに、ずっと無言なのにもドギマギしています。 まぁ、そうです。ドギマギもします。 なんせまだここに来て三日ですし、何も把握してないんですよ。 この人達が誰とか、どういう人達なのかとか、知らなくて当然なんですよ。 まだ三日なんでね。 「それより、突然訊ねてきたがどうした?」 鱗滝さんの言葉につい視線が動いてから、 「得体の知れないとは、少し言い過ぎだと思う」 ぽつりと呟いたのが辛うじて聞こえました。 え?って訊き返す前にはもう宍色の髪の人が話し出していて、どうしていいか右往左往しています。私。 あの、ぎゆうさんって人無視されてませんか? これは助け舟をって思うけど、私もどうしていいかわかりません。わからなすぎてこれは逆にわかる気がしてきましたよ。この状況。 三日坊主にもなりたくなる [mokuji] [しおりを挟む] ← |