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本当のことを言えば、大事にされていなかったわけじゃない。

義勇は義勇なりに、考えてくれていた。

満足しなかったのは、私。

それに気が付いてしまった時、明確化した終わりを見てしまった。

とどのつまり、平行線を辿るばかりだということ。

今まで私ばかりが我慢している気でいた。

その事実はもう、この関係を終わらすべきだと伝えてる。


「じゃあ行くね」


荷物を全部車に積んでから、作った笑顔に帰ってくるのはいつもの無表情。

「名前」

久しぶりに呼ばれた名前に胸が締め付けられて、早々に不死川くんが待つ車へ乗り込んだ。

助手席のドアを閉めてから、

「ごめんね休みなのに。お願いします」

潤む目を隠すように頭を下げる。

「おぉ」

短い返事のあとで発進する車から遠くなる義勇の姿は見ないまま、景色を眺めた。
本当なら、今までありがとうとか、後腐れない挨拶を交わしたかったけど、やっぱりどうにも無理だった。

泣かないだけで精一杯。なんて情けない最後だろう。

「お前らさ」

ようやく気持ちが落ち着いた頃、聞こえた呼び掛けに顔を上げる。

「何で別れたんだァ?」
「義勇から聞いてないの?」
「聞いたがどうにも要領を得ないんだよなァ」
「それ、多分わかってないからかもね」

多分とかかもじゃなくて、絶対にそう。
正直私だって、正確な"何か"は良くわかってない。

「そんなんで別れていいのかよ」
「どうなんだろうね」

いいとも悪いとも、それもはっきり言えない。

「お前らはそのままでいると思ってたわァ」
「ごめんね。期待に応えられなくて」

苦笑いしかできないまま、到着した新居。
当たり前のように部屋の中まで全ての荷物を運んでくれた不死川くんにお礼を言って、財布からお札を取り出した。

「ありがとう、これ少ないけど…」
「あ?要らねぇ。やめろォ」
「でもガソリン代とかもあるし一日手伝って貰ったから」
「そんなら冨岡に払わせんわァ」

本気じゃない発言と、手を払う仕草に思わず笑ってしまう。

「義勇のこと、よろしくね」
「…知らねぇ。じゃあなァ」

ぶっきらぼうに吐き捨てた割りに車へ乗り込む前、

「お前がいなくなったら荒れんぞォ、アイツ」

なんて呟くから、へたくそな笑顔でしか返せなかった。


未来をしよう


「フンフンフ〜ン♪」

何を口ずさんでるのかはわからないけど、ご機嫌で濃い目のグロスを塗る姿を書類作成の合間に見やる。
最近、この子はデスクに座って元気にニコニコしてるのが仕事のような気がしてきた。

「お、今日もご機嫌だね」

少なくとも部署の雰囲気は穏やかだし、機嫌の良さはおっさん達にも感染していってる。

「今日初めてのデートなんですよぉ。だから気合い入れないとっ」

婚約破棄という、人生では結構重いであろう経験をしたばかりなのに、その打たれ強さは素直に羨ましい。

私なんか正直なところ、"ひとり"に慣れるのが精一杯だ。

柄にもなく、夜中目が覚めて寂しくなったりしてしまってる。

それだけ義勇と過ごした日々が当たり前で長かったことを痛感した。

でもきっとそれも今だけで、今度はこれからがすぐ日常になるんだろうな。

少しは彼女の前向きさを見習ってみようなんて考えた矢先だ。

「苗字さんも早く彼氏作った方がいいですよ〜。ひからびちゃう」

今までの私なら青筋を立てるのは充分すぎるものだったのに、

「うっさい小娘。今の方が潤ってるわ」

軽口で返せるようになったのは、少しの成長かもしれない。


"別れ"という道を選んだからこそ見えるものもあった。


少なくとも無駄なことじゃなかったと思えるようになったのは、それから1週間も経たないうちだ。

社内で義勇と鉢合わせても笑顔で挨拶できるようになったし、もうめっきり寂しいと思うことも減って、私ってちょっと薄情かな、なんてのも思う。

だけど終わったことをいつまでも引き摺ってても仕方がないし、ひとりになっても私は私だ。

仕事の合間に家事をこなして、時間が空いたら古本屋に行って本を読み漁る。
店主のおじいさんの痴呆はあれから良くなっていないけど、酷くもなってない。

全く、何にも変わらない。

きっとこのままひとりで、のらりくらり生きていくんだろうな。

そんなことを薄々思い始めたのは、30歳を目前に控えた頃だった。

一応節目の歳をひとりで迎えるというちょっとした衝撃は置いといて、女性は30過ぎるとガタがくるなんて類のことを良く聞いたな、なんて思い出してる。

どうにも体調が良くない。

そうはいっても頭が痛いとか熱があるとか、そういう明確なものではなくて"どこが"というより、全体的に調子が上がらない。

そんな抽象的なものだから仕事は休めないし、大体まだ30になってないんだから気が早いよ、なんて自虐に近いことを思いながら出社したところで後輩にギョッとされた。

「めっちゃ顔色悪いですよ!?」

その言葉に何だなんだと集まってくるおっさん達も人の顔を見るなり驚いてる。

「ほんとだ…」
「真っ青だぞ?大丈夫か?」

真っ青ってことは血が足りてないのかも。
そういえば、つい最近まで月のものが来てたし、その割には食が適当になってた。
いくつも思い当たる節はある。

「大丈夫ですよ」

手っ取り早く鉄分補給できるものでも買おうかな。帰りに。覚えてたら。

「…無理するなよ?」
「はい」

私がそこまで重要視してないからか、心配しながらも引き下がっていくおっさん達にはちょっと感謝してる。

「苗字さん、そーゆー時こそ糖分ですよ」

真剣な顔で言いながら、いつだかと同じラムネをくれる後輩にも。

「ありがと」

包みを開けて口へ放り込んだその味で、少し元気になった気がした。

そこからは何となく不調も感じなくなって、迎えた休憩時間。

「お昼行きましょ〜!」

ワクワクしながら席を立ったかと思えば、椅子の背もたれを軽く引かれて画面から顔を動かす。

「ほらぁ、苗字さんも行きますよ〜!」
「いや、私これ終わってか「ダメですぅ〜!ちゃんとご飯食べないとダメなんですぅ」」

何がダメなのかと訊いたところで、ちゃんとした答えは返ってこなさそうだ。

「早く早く〜!」

ガンガンと揺すってくる振動に、若干気持ち悪くなってそれを止める。

「わかったわかった」

保存をクリックしてから立ち上がったところで、嬉しそうな笑顔を見たのは憶えてる。だけどそれが驚きに変わっていって、突然真っ暗になった視界のあとの記憶はない。

* * *

目が覚めた時には、病院のベッドだった。

「苗字さん、目を覚まされました」

淡いピンクの制服に身を包んだのが看護士というのも、その人が無線で誰かに伝えているというのも、なんとなくぼうっとした頭で理解してる。

「……あの」

自分の腕に繋がれる管、そこから繋がった透明な液体に一抹の不安を覚えた。

「大丈夫ですよ〜。今先生来ますからね。少しお待ちください」

言われた通り、真っ白い天井を眺めながら待つ時間は、どこか長く感じたのに、扉が開いて白衣姿を見てからは、あっという間に時が進んだ気がする。


処方された薬を片手に家路につきながら、ようやく確認したスマホには係長の番号からメッセージが届いていた。

"苗字さん!無事だったらLINEください!"

記載されたIDで検索したところで、ようやくそれが後輩であることを知る。

"苗字です。心配かけてごめんね。救急車呼んでくれたって聞いた。ありがとう"

短めにしたメッセージを送った瞬間につく既読。

"大丈夫ですか!?"
"今病院ですか!?"
"病名わかりました!?"

次々とくる文に苦笑いをしながらも、自然と出た溜め息。

打った文字を送る前に消して、新しく入力する。

"そんな大したものじゃなかったよ大丈夫"

また次から次へとくるメッセージに返信しようとした画面は、音声通話を告げるものへと変わって一瞬ドキッとした。

──義勇だ…。

「…もしもし」

出ようか迷ったものの、かけてきた目的は何となく予想がついたから少し声に覇気があるように張り上げる。

『やっと繋がった…』

機械越しにでも聞こえた溜め息に、泣きたくなる衝動をどうにか抑えた。

「どうしたの?」
『どうしたのじゃない。無事か?』

あっけらかんと訊いたものだから、少しだけ怒気を含んだ声には、ちょっと笑ってしまう。

「大丈夫だよ〜」
『……。それならいい』
「もしかして、結構大事になった?」
『結構どころかかなりの大事だ。会社中騒然としていた』
「あはは、ごめんごめん」

まぁ、だろうな。突然倒れたらしいし、救急搬送なんてなかなかあるものじゃない。
だから、こうして連絡くれたんだろうな。
一応まぁ、元カノだし。

『原因は何だった?』

核心を突いてくるその質問には、躊躇ってしまった。

「…うん、ちょっと貧血?点滴してもらって薬も貰ったから大丈夫」
『それだけか?』

それにすらすぐに答えられないのは、多分またそうやって、期待をしてしまってるからだって知ってる。

「それだけ。大丈夫大丈夫〜」

途端に黙り込んだ向こう側が、どんな顔をしているのか想像もできないのが、また悲しくなった。

「ごめんね〜迷惑かけて。じゃあ、忙しいから切るね」
『めっ』

何か言い掛けたのはわかったけど、そのまま画面をタップする。
一方的に終わらせた会話を、また再開させるために義勇は掛けてはこないって知ってるからそのままカバンにしまった。


「子宮筋腫ってご存知ですか?」


唐突に思い出したのは、医者からの一言。

搬送された時の状態と血液検査の結果から、著しく貧血の症状が出てるって説明を受けてから、精密検査を勧められて、言われるがまま調べて貰った結果、そう言われた。

簡単に言うと、子宮に腫れものが出来てる状態で、それ自体はそんなに珍しいものじゃないし悪性のものじゃないらしい。

「でも苗字さんの場合、大きさが大きさなので手術した方が安心かなと思うんですね」

そう言って見せられたMRI画像だというそれを、どうにも飲み込めないまま眺めてた。

このままにしておくと他の臓器を圧迫していくのと、数万人に一人、だったか、そういう稀な病気に進行するというのは、何とか理解できた。

「子宮を全て切除するわけではありませんので、今後お子さんを望むこともできますし」

だけどそのまま続いていく説明に、きっと今後なんてないんだろうなって思ってしまったし、

「手術に付き添われる方は?」
「いません」

即答できる今の自分は独りで、本当に何もないのを実感して、虚しくなった。


大袈裟にならぬように
ずっと避けてたあなたは何度
愛を 雑に扱って 壊して
一人と独りを履き違えた



SUPER BEAVER
"証明"より抄出


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