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「ナマエさんの当て馬体質を、僕に治させて頂けませんか?」
「え、それって……」

 相手の真剣な表情に、ナマエはどくり、と鼓動を速くさせた。ぽぽ、と頬を赤くする彼女に、ジェイドは目尻を下げる。

「はい。僕ナマエさんと……」



 他校の男子生徒と夜カフェ。普段の彼女なら、テンション上がりまくり案件のはず。だが、彼女はなんとも言えない顔で紅茶とスコーンを見つめていた。なんとも言えない顔を目の前にして、ジェイドは顎に手を添えて考える。彼女の、この表情……なんて言うんでしたっけ。ああ、そうだ……チベスナ顔。

 もちろん。彼女がチベスナ顔になってしまった原因は、ジェイドである。
ジェイドの狙いを聞いたときから、彼女は気になっていたことがあった。

「ジェイドさん、あの聞いてもいいですか?」
「僕にお答えできることなら、なんでも」

 どうぞ、とジェイドは上品に微笑んだ。NRC内の評判を知らない彼女はジェイドの言葉に、素直に甘えて尋ねる。

「ジェイドさんはどうして、本当の恋が知りたいんですか?」
「そうですね……少し長くなるかもしれませんが」
「大丈夫です!気になります!」

 彼女は食い気味で頷いた。表面上の情報だけなら、ジェイドが恋愛で困ることは無さそうだと彼女は思っていた。背も高く、知的な容姿。柔らかい物腰に、丁寧な言葉遣い。そして、極め付けに二大魔法士養成学校のひとつのNRCの生徒。ジェイド自身の中身は分からないが、ここまでの情報で悪いところはない。

 ジェイドは彼女の様子に、眉を寄せて困ったように笑う。

「そんなに期待されても、面白みのない話ですが……」
「お願いします!」



 ジェイド・リーチはとても好奇心旺盛な男だった。興味を持ったことに対して、全力を尽くす。行動を起こすフットワークの軽さも、情報収集の正確さも、試行錯誤する器用さも、忍耐強さも。全て持ち合わせていた。ハマったらとことん極める性質のジェイドの趣味はどこまでも続いていく。そんなジェイドでも、分からないことがあった。行動を起こして、情報収集もして、試行錯誤もした。それでも、分からなかった。ジェイド・リーチは一度も、恋をしたことがなかった。

「僕一度も恋をしたことがなくて……」
「ジェイドさんも、恋人いない=自分の年齢ですか!?」
「いえ、恋人が居たことはありますよ」
「……」

 彼女は頭上に、クエスチョンマークを浮かべて、首を傾げる。

「え、恋人居たんですよね?」
「はい」

 ジェイドが頷く。彼女も、頷いた。

「恋人って、好きな人ってことですよね?」
「いえ?好きではなかったですね」
「え?……ええ?好きだから恋人になるんじゃないですか!?」

 彼女が若干引きながらそう言うと、ジェイドは目を丸くした。静かに瞬きを繰り返して、口元に手を添える。視線を下に向けたかと思えば、何か思い出したようにジェイドは納得していた。

「ジェイドさん……?」
「ああ、すみません。僕は今まで誰かを好きになってから、お付き合いをしたことがないなと思い出しまして」
「は!?じゃ、じゃあ、逆にどうやって今まで恋人出来てたんですか!?」
「どうって……」

 先ほど彼女も思っていた通り、ジェイドは高身長高学歴高収入(?)を兼ね備えるスーパー男子。むしろ、彼女はまだジェイドのモテない要素をあまり知らない。手段を選ばないような強引さは、今のところ少女漫画に出てくる悪い男的な感じで、かなりいい風に解釈されている。

 そう、ジェイドはモテる。言い方を選ばなければ、ジェイドは女に困ったことがない。その証拠に、ジェイドは今まで一度も自分から女の子に告白をしたことがない。そもそも、連絡先を聞いたり、声を掛けたりすることすらも、自らやったことがない。

 NRCは男子校だが、ジェイドは他の生徒よりも、女性と接する機会に多く恵まれていた。幼馴染が経営しているモストロ・ラウンジのおかげである。モストロ・ラウンジは定期的に一般公開される。その日は、賢者の島の住民の女性、彼女が通う学校の女子生徒、何かしらのイベントに乗じて来た観光客と様々な客が訪れるのだ。

 その中には、もちろん常連客がいる。そう、その常連客が主にジェイドの元カノたちである。

「え、つまりジェイドさんはバイト先のお客さんに手を出してるってことですか?」
「そんな誰とでも付き合うわけでは無いですよ。ある程度節度の持った方とお付き合いしています」

 自分のつまらないミスで、モストロ・ラウンジの評判を落とすわけにはいかない。

「それに、モストロ・ラウンジのお客様以外の方ともお付き合いしたことあります」
「ええ?本当ですか?……って、今モストロ・ラウンジって言いました?」
「はい、言いました」

 ジェイドは驚愕した表情で自分をガン見する彼女に首を傾げる。彼女はわなわな身体を震わせて、口を開いた。

「ジェイドさん”あの”モストロ・ラウンジで働いてるんですか!」
「あの……?」

 彼女は言う。麓の町にも、魅力的なお店は沢山ある。それでも、田舎であることには変わりない。そんな中、登場したモストロ・ラウンジは学生の救いでもあった。田舎に唯一出来たショッピングセンターのような存在だった。彼女はいつかモストロ・ラウンジに行くことが憧れだったらしい。まさか、たまたま絡んできたヤバいお兄さんが憧れのお店で働いてるとは思ってもみなかった。

「うん?もしかして、ジェイドさんの幼馴染ってアズールさんのことですか?」
「ナマエさん、アズールのことをご存知だったんですか?」
「シンシア……友達がお礼?に、モストロ・ラウンジに招待されたって話を聞いて」
「……なるほど」

 ジェイドは一人で納得した。先日、片割れがパルクール中に、人身事故を起こしたのだ。その被害者の少女は、彼女と同じ学校の生徒だった。偶然にも、彼女はその被害者の少女と友人関係にあるらしい。シンシアさんと、フロイドの被害者の少女(現在は恋人)、そしてナマエさん。世の中は狭いと言ったものですね……。ジェイドが情報を整理している側で、彼女も情報を整理していた。

 ジェイドさんはモストロ・ラウンジで働いてるらしい。ワンチャン私も、あの子(フロイドの恋人)みたいに、恋人ができるのでは!?まさに、ジェイドさんが運命の相手?彼女はジェイドを見上げる。ジェイドは読めない顔で、にこにこと笑っていた。うっ、かっこいい。でも、やっぱり、ちょっと怖い。勢いのまま暴走しそうな感情を落ち着かせて、彼女は話を元に戻すことにした。

「だから、私もいつかモストロ・ラウンジ行ってみたいなぁって。あはは……話逸れちゃって、すみません」
「大丈夫ですよ。是非、今度モストロ・ラウンジへいらしてください。
 精一杯給仕しますので」
「ありがとうございます!えっと……何の話だったけ。
 そうだ!モストロ・ラウンジのお客様以外とどうやってお付き合いを!?」

 彼女の質問に、ジェイドは面接慣れしている就活生のように答える。

「はい。
 麓の街で一目惚れしましたと声をかけられて、お付き合いしたことあります」
「……」
「あとは……」
「も、もう!もういいです!分かりました!」
「そうですか?」
「ジェイドさんがおモテになるのは分かりました」
「……」

 チベスナ顔になってしまった彼女に、ジェイドは少し困ったように笑った。

「別に僕はモテませんよ」
「……」

 彼女が目を細める。某黄色のクマのような目つきだった。

「だって、僕がいつもフラれる側なので」
「ええ、うそ」
「本当です。僕恋人と長続きしないんです」

 そう言ってティーカップに口をつけるジェイドの表情はどこか寂しそうだった。彼女は、そのとき初めてジェイドに親近感を抱いた。何度も悲しい経験することは辛く寂しいことだ。普段自分の当て馬体質をネタにしている彼女だが、心の底では本当にこの体質が嫌で仕方ない。

「だから、本当の恋に憧れるって言ってたんですね」
「はい。ナマエさんも憧れませんか?本当の恋」
「それは……」

 ジェイドが視線を上げる。彼女は思わずジェイドの目から、逃げそうになった。図星だとバレそうだったから。そんなの憧れているに決まっている。こっちだって、好きで他人が目の前で好きになっていく光景を見ているのではない。

「でも……」
「でも?」
「ジェイドさんが本当の恋を見つけたいって言うのは分かったんですけど。私の体質と何か関係があるようには思えなくて……」
「そうですね」

 ジェイドは言う。彼女は自分の体質のことを、当て馬体質だと言うが、その人が恋すべき相手を見つける体質だとも言い換えられないかと。ジェイドの言葉に、彼女はどういうこと?と首を傾げた。

「ナマエさんのおかげで幸せになった方たちは、元々お相手の方が身近にいたとか」
「そうなんです。幼馴染とか、仲のいい男友達とか……え?なんで知ってるんですか?」
「ふふ」

 彼女の疑問に、ジェイドは上品に笑うだけ。その言い知れぬ恐怖を覚える笑顔に、彼女は聞かなかったことにしようと、視線を落とそうとした。そのとき、顔面にいい匂いをさせたスコーンが迫って来ていた。

「むぐ」
「僕のつまらない長話をしている間に、冷めそうだったので」
「んんっ……あ、美味しい」
「ね、ここのスコーン美味しいですよね」

 嬉しそうに笑うジェイドにつられて、彼女も笑顔になる。もぐもぐとスコーンを食べ進めて、彼女はハッと気付いた。

「ジェイドさん、力を貸すって」
「はい」
「私の体質を使って、ジェイドさんの好きな人を見つけるってことですか?」

 ジェイドが今日一番の笑顔を見せる。ジェイドの求める回答だったらしい。

「僕たち良いお付き合いできると思いませんか?」
「エッ」

 お付き合い!?まさかの言葉に、彼女は味わっていたスコーンを飲み込んでしまった。

「ナマエさんは誰かを幸せにする恋ではなく、自分が幸せになる恋を求めていますよね」
「求めてます!切実に!」
「そして、僕も本当の恋を見つけたいと思っています。」

 強く頷く彼女に、ジェイドが畳み掛ける。ジェイドはナマエの唇についているスコーンをとってやった。彼女の頬がぽわっと赤くなる。ジェイドがにっこりと笑った。

「僕がナマエさんの当て馬体質を治します」
「!?
 本当デスカ!?」

 シンシアですら匙を投げるのに。それって、もしかして、ジェイドさんが私の運命の……

「二人で検証を重ねて、明らかにしましょうね」
「えっ?」

 呆然とする彼女に、ジェイドはニコッと笑った。その綺麗な微笑みが言っている。ジェイドの言う"良いお付き合い”は『恋』ではなく『ビジネスパートナー』という意味だと理解して、彼女はしょんぼりと肩を落とした。ジェイドが彼女を呼ぶ。彼女はのろのろと顔を上げる。

「むぐっ」
「このカフェ……ジャムも、美味しいんですよ」
「!」

 彼女の口の中に甘酸っぱい苺の甘さが広がる。彼女は目を輝かせて、大きく頷いた。にこにこと笑顔で、スコーンを食べる彼女にジェイドは内心眉を下げていた。ナマエさん、思ったよりチョロい方ですね。僕、ちょっと心配になって来ました。





「あれ?ナマエちゃんお出かけ?」
「うん!今日男の子紹介して貰うんだ!」
「へえ……え!?」
「行ってきます!」



 歩くたびに、ふわりとお気に入りのヘアオイルの香りが鼻を擽ぐる。どうしよう、付け過ぎちゃったかも。彼女は心配になりながらも、せかせかと歩いてしまう。時間には余裕がある。でも、やっぱり、不安で早歩きになる。

 スタイルが良く見えるように、いつもより高いヒールに、上品マーメイドスカートを合わせてみた。トップスはデコルテが綺麗に見えるニット。コートを着ているから最初は見えないけれど、カフェに着いたら脱ぐ予定だし。それに、最初会ったときよりも、変化がある方がいいって雑誌に書いてあった気がする、多分。

 麓の街の中でも、賑わっている通りを抜けて、待ち合わせ場所の広場へ。何処にでもあるような噴水に、噴水を囲むようにあるベンチ。その一つのベンチの前で、見覚えのある姿を見つけて、彼女は駆け寄った。

「ジェイドさん」

 ジェイドは後ろから聞こえて来た軽い足音に振り返る。以前会ったときよりも、視線が近い彼女がいた。ジェイドは内心少しテンションが上がった。これは中々良いチョイスですね。平均よりも遥かに背が高いジェイドは、デコルテ以上の絶景が見えそうだった。妙にニコニコと笑っているジェイドに、彼女は小首を傾げる。

「ジェイドさん?」
「あ、すみません。少しぼーっとしていました」
「大丈夫ですか?」

 大丈夫です、とジェイドが答える前に、ジェイドの後ろから、ひょっこり顔が出て来た。紫色の髪は癖っ毛なのかぴょんぴょんと跳ねて、可愛らしい。少し長い前髪から、三白眼気味の目が覗いた。

「副寮長、この女性は?」
「噂のアテ・ウマコさんですよ」
「え!この子が!?」

 彼女は食い気味に見つめられて、困惑してしまう。眉を下げて首を傾げる彼女に、ジェイドは寮生に視線を投げる。

「あ、すみません。俺プル・モサンブって言います」
「わ、私は……むっ」

 癖っ毛の男の子……プルに名乗られて、彼女も名乗ろうとするが、大きな手に邪魔されてしまう。何をするんだ!と彼女に見上げられても、大きいな手の主のジェイドは涼しい顔で微笑むだけ。何か企んでいるらしい。

「では、行きましょうか」

 そう言って、ジェイドは歩き始める。では!?私まだ挨拶もしてないのに。彼女が困惑しても、ジェイドの言葉にプルは頷いて歩いていく。嘘、私本当にアテ・ウマコっていう名前だと思われてる?そっか。だから、さっきこの子がって納得してたのか。いやいや、納得しないで。誤解とかせて!前を歩くデカい背中を睨むと、その背中が振り返る。

「アテ・ウマコさん置いて行っちゃいますよ」
「あ、ま、待ってください!」



「かしこまりました。少々お待ちください」

 店員は愛嬌のある笑顔を三人に向けて、カウンターへ戻っていく。彼女は店員を見送って、改めてジェイドとプルに向き合った。ジェイドは相変らずニコニコと読めない笑顔で、プルはどこか恥ずかしそうにソワソワしていた。彼女は察した。この表情、今まで何回も見て来た。

「今日はプルさんのご相談に乗って頂こうと思って、この場を用意しました」
「プルさんの相談って……」

 ジェイドは満面の笑みで、答える。

「もちろん。恋のお悩みです」

 ですよね!ジェイドさんのウソつき!今日男の子紹介してくれるって言ったじゃん!もしかして、私に未来の恋人となる男の子を紹介するんじゃなくて、恋の悩みがある男の子を紹介するってこと!?彼女が頭上にびっくりマークを出して、ジェイドを見上げると、ジェイドはニヤッと眉を寄せて笑っていた。

 騙された!

「あの……?」

 無言のナゾの攻防に、プルが首を傾げる。彼女はハッと我に返って、気にしないでくれと首を横に振った。

「プルさん、今恋してるんですか?」
「えっ」
「あ、すみません。いきなり……」
「いや、えっと……」

 プルは彼女の言葉に、頬を薄らと赤くして、若干俯いてしまう。そんなプルに、彼女の胸がキュン、とトキめいた。恋する男の子の可愛らしさに、惚れやすい彼女のスイッチが入る瞬間だった。プルはチラッと、彼女を伺う。彼女はNRC生とは違い、本当に人の良さそうな笑みを浮かべていた。プルが話出すタイミングを待ってくれているようだった。

「実は今好きな子がいて……」
「おぉ!いいじゃないですか!」
「でも、俺が一方的に知ってるだけなんです」
「一目惚れとかですか?」
「あ、えっと……多分、そうです。笑顔が可愛いなって思って」
「わあ、素敵です」
「さっきも言った通り、俺まだその子と知り合いでもないから……どうすればいいか分からなくて」
「知り合えばいいんじゃないですか?」
「えっ」

 彼女の脳筋発言に、プルは固まって、ジェイドは微笑みを保ったまま吹き出した。ふたりのリアクションに、彼女は顔を青くする。違う!プルさんはきっと知り合う過程を私に相談したかったんだ!彼女は必死に脳内で情報を掻き集める。自分の当て馬体質があっても、どうにか恋人を作ろうと奮起した時期があった。その頃はネットに転がっているエッセイ、ピンク色の恋愛書籍、友達の話等と色々と読み漁っていた。

「え、えーっと、まず挨拶する仲になってみるとか!」
「あいさつ……?」

 怪訝な顔するプルに、彼女は努めて冷静に話すフリをする。早口になると説得力がなくなってしまう。

「やっぱり、恋愛に関係なく人間関係は挨拶が基本だと思うんです!プルさんとお相手の方の関係は分かんないけど、挨拶ならいきなりしてもおかしくないかなって!」
「……」
「そ、それに挨拶するのが当たり前になれば、世間話も出来るようになります!いきなり他人から告白されて、受け入れるケースはレアだと思うし!……何より、いきなり告白して上手く行くにはかなり……諸々のレベルが高くないと難しいかと……」

 彼女はチラッと斜め前を見る。プルも、横を見た。ジェイドは二人から見つめられて、首を傾げる。黒髪のメッシュと共に、ピアスが揺れた。一々仕草が様に見える男だ。プルと彼女は目を合わせて、心を一つにした。

「我々は一歩ずつ行くタイプの人間かと……」
「そうですね、我々は一歩ずつ行きましょう」
「頑張りましょう、プルさん!」
「は、はい……」

 彼女のガッツポーズに、プルは小さく頷いた。そんな二人に、明るい声が聞こえて来た。

「お待たせしました。テラアートのお客様……」
「は、はい」

 プルは胸の前で控えめに手を上げる。店員はありがとうございます、と笑って、可愛らしい犬が描かれたテラアートをプルの前に置いた。次に、季節の紅茶を頼んだジェイドと彼女の分を置いて、店員はカウンターへ戻ろうとした。そのとき、プルが呼び止めた。

「あ、あの……」
「はい?」
「……いつも素敵なテラアートありがとう、ございます」
「そう言って頂けて、すごく嬉しいです!
 お客様も、いつも来て下さって嬉しいです!では、ごゆっくりお過ごしください」

 店員は満面の笑みを浮かべて、嬉しそうな足取りで店長の元へと向かう。頬を赤くして、プルに褒められたことを報告しているようだった。プルは思わずその様子を見つめてしまって、ふたりは目が合う。恥ずかしくなって、プルは視線を逸らしかけたが、店員が手を振ってくれたので、控えめに振り返していた。

 その一部始終を見ていた彼女は、紅茶を口から垂れ流しそうになった。

「ジェイドさん……」
「はい」
「展開早くないですか?」
「ふふ、そうですね。僕も、予想より早くてビックリしています」

 絶対ウソだろ。彼女はハンカチで口元を拭いながら、ジェイドをジト目で睨んだ。ジェイドは楽しそうにニコニコしていた。つまり、プルの意中の相手は、あの店員さん。しかも、会話から見て、プルはかなりこのカフェに通っているようだった。彼女は首を捻って、ジェイドに小声で尋ねる。

「これ私要らなくないですか?時間の問題で、ふたりくっ付きそうですよ」
「いえ、それはないですね」
「えー?」
「ふふ、見れてば分かりますよ」



「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、あまりお役に立てず……」
「いや、すごく助かりました!
 僕お店に通って一年経つんですけど、
 今日初めて……あの子に声かけることが、できました」
「え」

 プルは赤い頬で、眉を下げて笑う。どうやらプルはかなりの恥ずかしがり屋で、引っ込み思案らしい。プルの言葉に、彼女が驚いて、ジェイドを見上げる。ジェイドの返事は、茶目っ気たっぷりのウィンクだった。

「そうだ。プルさん、今日のお会計お願いできますか?」
「はい、分かりましたって、副寮長、あの、これ」
「ふふ。これはほんの御礼ですので、お気になさらないで」
「わ、分かりました……」

 プルはジェイドからマドルを受け取って、いそいそとレジへと向かう。丁度、レジを担当していた店員はプルの意中の子だった。彼女はプルさんがんばれ!と後ろから念を送るように、両手を無意味に動かしていた。

「なんですか、ソレ」
「は、ハンドパワー的な感じです。プルさんが勇気を出せますようにって」
「では、僕も」

 プルの意中の店員は、くすり、と小さく笑った。トレイにお金を出していたプルは、不思議そうに首を傾げる。

「あ、すみません。後ろのお二人が可愛らしくて……」
「え?」

 プルが後ろを振り向くと、両手を急いで隠すアテ・ウマコさんと、にこやかに片手をあげるジェイドの姿があるだけだった。 



「マジで効果ありましたね」
「驚きですね、これは」

 プルは会計後、店の外で待っていたふたりの元へ興奮気味に戻って来た。そして、スマホをふたりの顔面に押し付ける勢いで見せて、嬉しそうに言った。

「あの子と連絡先!交換できました!
 アテ・ウマコさん!本当にありがとうございました!」

 丁寧に頭を深く下げて、プルは街へと消えていく。どうやら、今度あの子とカフェ巡りに行くらしく、そのデート用の服を買うのだとか。

「ちゃっかりデートまで漕ぎ着けてますね……プルさん」
「本当に予想以上の効果ですね……」
「って、あっ!」
「?」
「プルさんに、アテ・ウマコじゃないって誤解といてない!」
「ふふ、いいじゃないですか。恋のお悩みは解決しましたし」
「まあ、それもそうですね」

 彼女はプルの嬉しそうな顔を思い出して、眉を下げた。まあ、役に立ったなら、いいか。少しだけ傷んだり、寂しいと感じる心は見ないフリをして、彼女はジェイドを見上げる。

「ジェイドさん、これがいつもの私の流れなんですけど」
「なるほど」
「参考になりました?」
「ええ、とても。実証は大事ですからね」

 ジェイドは真剣な顔で、そう言う。その横顔はどこかワクワクしているように見えた。彼女は自分にとってはいつもの流れで、それ以上でもそれ以下でもない。でも、今日は相談者だけでなく、ジェイドの役にも立てたらしい。

「検証の役にも立てたなら、よかったです」

 へへ、と眉を下げて笑うナマエに、ジェイドは眉を寄せて歯を見せた。

「ナマエさんはお人よしですね。騙されそうです」
「うぐっ」
「そんな気の毒なナマエさんには、僕がご褒美をあげましょう」
「ご褒美?」
「デートしましょうか」
「え!なんで!」 
「せっかくおめかししたのに、こんな終わり方ではイヤでしょう?」

 ジェイドが彼女の顔を覗き込む。そして、彼女の格好を優しく見つめて、笑った。

「今日の格好……ナマエさんに似合っていて、素敵だと思いますよ」
「……ジェイドさん」

 彼女はジェイドの言葉に、どくっと胸が高鳴った。ほんのりと頬を桃色にして、ジェイドを見つめる。

「それに、実験のモルモット……コホン。
 検証に協力してくれてるナマエさんのアフターケアは大事ですから」
「言い方!」

 彼女はジェイドの言い直す気のない言葉に、酷い!とツッコミながらも笑っていた。普段なら凹んで終わるだけなのに、今はジェイドがいる。それだけで、不思議と心強い気持ちになった。検証が上手くいって、私の当て馬体質治るといいな!





 初の検証を終えて、彼女はジェイドに向き合った。まだ日が沈むまでは余裕がある。麓の町も賑やかな時間帯だ。検証のご褒美に、ジェイドはどこに連れて行ってくれるのだろうか。街道を行き交う地元の人や、自分と同じであろう学生を横目に、彼女はそんなことを考える。

「あの、デートってどこ行くんですか?」
「ナマエさんが喜ぶところです」
「私が?」
「はい。
 ナマエさん、今から僕にエスコートさせて頂けませんか?」
「……」

 ジェイドはそう言って、右手を彼女に向かって差し出した。彼女の目が点になる。瞬きを大きく三回繰り返して、ジェイドの手と顔を彼女の視線が行き交う。ハッと、彼女は気付いて、自分の手を見つめて、またジェイドを見上げる。彼女がこれ?と手を上げると、それですと言うように、ジェイドは頬の内側を噛みながら頷いた。

「お、お願いします」
「ナマエさんが楽しめるように、頑張りますね」
「慣れてないんですよ。いいですよ、我慢しなくても」
「……では、少々時間を頂きますね」

 ジェイドはご丁寧に彼女に断ると、顔だけ背けて湧き上がる感情を発散させる。小刻みに震える両肩を見上げて、彼女はちぇっと小石を蹴るフリをした。どうせ経験豊富なジェイドさんには、滑稽でしょうよ。

「ふぅ、すみません。落ち着きました」
「落ち着いたなら、良かったです」

 彼女のチベスナ顔が再来していた。ジェイドは彼女の顔を覗き込んで、眉を寄せる。美人の困り顔。彼女の弱点だった。加勢するように、ジェイドは声も魅力的だった。

「そんなに拗ねないで。
 ナマエさんの初々しさがあまりにも、微笑ましかったので……」
「物は言いよう!」

 元気なツッコミに、ジェイドはついに耐えきれず、思い切り吹き出した。美人は顔面が崩れても、あどけなく可愛らしくなるだけらしい。彼女はジェイドの破面の破壊力に、戦慄した。あ、これ嫌な予感する。どくどく、と胸の高鳴りがうるさくなってきた。

「ハハ。ナマエさん本当にツッコミがお上手ですね」
「う、嬉しくないです」
「会話が盛り上がるので、ナマエさんの魅力の一つですよ」

 ジェイドは目尻の涙を拭って、彼女の手を軽く引っ張る。あ、そう言えば、ずっと手繋いだままだった。大きな手のひらが彼女の手を優しく包む。あっ、待って、これ、やばい。彼女が初めてのスキンシップに瀕死状態になっているにも関わらず、ジェイドは軽い足取りで目的地へ向かった。



「も、モストロ・ラウンジ!」

 小さな歓声がジェイドの耳に届く。彼女はNRCの校内に入った時点で、かなり興あ奮していたが、モストロ・ラウンジに到着して、彼女のテンションは最高潮を迎えた。オクタヴィネル寮へと続く鏡に入って、目を開けたときから、ずっと彼女の瞳はキラキラと輝き続けていた。

「ジェイドさんの寮は海の中にあるんですね!?」
「オクタヴィネル寮は、海の魔女の慈悲の精神に基づく寮ですから」
「なるほど」

 彼女はきょろきょろとあたりを見回して、すごいすごいと言葉を繰り返した。するり、とジェイドから手を離して、彼女は興味が惹かれるままに足を進める。色鮮やかな海の世界。それは想像もつかないほどの美しさで、文字通り彼女は目を奪われていた。ジェイドは興味のままに歩く彼女を後ろから見つめて、目を細める。やはり、ナマエさんの体質は……

「ナマエさん」
「は、はいっ」
「入り口はこちらですよ」
「……」

 目の前を通っていく熱帯魚に、彼女の視線も付いてく。そして、そのまま彼女の足も付いていきそうになる。

「わっ」
「困った人ですねぇ……」

 腕を引っ張られて、彼女は後ろへ倒れ込む。ぽん、と壁に頭が当たった。彼女は視線を上にあげて、へらっと笑った。ジェイドの怖いほど美しい笑顔は、逆さまになっても迫力が衰えることはなかった。

10

「ナマエさんは小さな稚魚のようですね。目を離したら、すぐ何処かに行ってしまう」
「す、すみません」

 テーブルの向こうで、ニコニコと笑うジェイドに彼女は三回目の謝罪をする。今も、彼女はモストロ・ラウンジの内装を見渡したくて仕方がない。だが、先ほどソファから身を乗り出して、給仕中のNRC生にぶつかりそうになってしまったので、大人しくしている。しゅん、と小さくなった彼女の隣に、誰かが座って来た。ジェイドだ。

「じぇ、ジェイドさん?」
「今日はナマエさんを楽しめるように、エスコートさせて頂くと言ったでしょう?」

 ジェイドは彼女の肩に手を添えて、ぐるっと回れ右をさせる。彼女の目に、先ほど以上に美しい光景が入って来て、彼女は大きく目を見開いた。透明感のあふれた海ような水槽。その透明感を損なわない色とりどり魚や珊瑚礁。そして、その透明感をさらに引き立てるためか。モストロ・ラウンジの内装は高級感が溢れながらも、シックでシンプルな造りだった。

 一瞬で笑顔になる彼女の単純さに、ジェイドは片眉を上げる。本当にナマエさんは扱いやすい方ですねぇ。ふと、彼女がジェイドの方を振り返る。

「ジェイドさん今日はありがとうございました」
「おやおや。まだメインも来ていませんよ」
「お食事も楽しみですけど、ずっと来たかったモストロ・ラウンジに来れて嬉しいんですよ!」
「……」

 ジェイドが彼女へのご褒美に、モストロ・ラウンジへの招待を選んだ理由は単純だ。理に叶っている。それだけだった。彼女が行きたいと言っていた場所だし、ジェイドにとってはモストロ・ラウンジは特別でも何でもない、身近な存在かつ職場。こんなことで喜ぶなら、お安い御用。

 そんなジェイドの事情も知らない彼女は、本当に嬉しそうに笑う。自分の体質で、幸せになっていく恋人たちを見守る笑顔とは違う笑顔。心からの、彼女が彼女のためだけに笑っている顔。その顔に、ジェイドはなぜか元カノたちを思い出した。そう言えば、あの方たちも最初はこうやって喜んでくれて居ましたね。

 ジェイドが元カノたちの告白を受け入れたとき。ジェイドと初めてデートをしたとき。ジェイドに、デートの格好を褒められたとき。そんなとき、元カノたちは、目の前の彼女のように心の底から嬉しそうにしていたし、幸せそうだった。でも、その幸せも長くは続かなかった。

「ジェイドさん……?」
「すみません。少し考え事をしていました」
「次の検証についてですか?」
「いえ、ナマエさんのお手軽さについてです」
「私のお手軽さ!?」
「モストロ・ラウンジは、僕にとって日常的に過ごす場所ですので」
「……」

 ジェイドの言葉に、彼女は普段動かさない思考回路を起動させた。あ、私今ジェイドさんにバカにされてるな?

「私はジェイドさんみたいに狡賢くないし、意地悪でもないです」
「いきなり悪口ですか?」
「したがって、私はジェイドさんが何を考えてるか分かりません。
 それでも……」

 日常会話で、したがってって言う方、初めて見ましたね。ジェイドの場違いな感想を他所に、彼女はやっぱりにこっと笑っていた。

「今日私はジェイドさんと一緒にいて楽しかったし、モストロ・ラウンジに連れて来てくれたことも嬉しかったです。それはジェイドさんが腹の中で何を考えていようと、変わらない私の気持ちです」
「……」
「だから、今日はありがとうございました」
「……こちらこそ。
 ところで、ナマエさん」
「はい?」
「ジェイドさん……なんて、他人行儀だと思いませんか?僕たち同い年ですし」

 唐突に話題を変えるジェイドに、彼女は首を傾げる。やっぱり、ジェイドさんは何を考えているか分からない。そう思った瞬間、ジェイドの後ろでジェイドと同じ顔をした男の子を見つけた。その男の子が、自分の首元を長い指先でトントンと叩く。彼女はジェイドの首筋に、視線を向ける。

「ぎゃあ」
「すみません。不埒な視線を感じたもので……」
「し、失礼!」

 彼女はジェイドの大きな手のひらの熱さに、口元を緩めた。ジェイドさん意外と可愛らしいところあるのかも。ジェイドは気恥ずかしくなると、首筋が赤くなるらしい。ヤバくて美人なお兄さんのジェイドが、初めて同級生の男の子だなと実感して、彼女はジェイドに親しみを覚えた。

11

「分かった!じゃあ、これからジェイドくんって呼ぶね!」
「はい、よろしくお願いします。ナマエさん」
「あれ?私のことさん付けで呼」
「すみません。僕は基本人を呼び捨てにしない質でして……」
「……」


12

「今度こそ、男の子紹介してくれるんだよね!?」
「ええ、もちろん」
「絶対だよ?」
「はい、絶対です」

11

 二回目の検証の待ち合わせは、麓の街で一番賑わっている商店街だった。正しく言うと、商店街の入り口の場所である。商店街の入り口には、地元に馴染み深いナゾのキャラクターの像がある。丸くて大きな耳が特徴のキャラクター。ネズミなのか、クマなのか、それとも別の生き物なのか。その真実は地元民でさえも、知らないのだとか。彼女はナゾの像の隣に立って、ジェイドとのやり取りをスマホで見返していた。

 ふと、スマホの画面が暗くなる。顔を上げると、ラフな格好をした男の子が立っていた。

「君が、ジェイドくんが言ってた子?」
「そ、そうです!」
「俺はラギー・ブッチっス。今日はよろしく」
「ナマエです。よろしくお願いします!」

 ニコッと愛想良く笑うラギーに、彼女はかわいい!と内心荒ぶった。恐らく手触りがふわふわだろう大きな耳がピコピコと動く。大きな耳も確かに可愛いけど、何より顔の造形が可愛らしい。声も、大きな耳も、垂れ目も全部かわいい。

 ラギーは彼女の堅苦しい挨拶に、キョトンとして、彼女の顔を覗き込む。

「あれ?ジェイドくんから、同い年って聞いたんだけど、違った?」
「え、あ、私も高校二年です、はい」
「そうっスよね。だから、ナマエサンじゃなくて……ナマエちゃんっスね!」
「ちゃ、ちゃん……」
「あ、ちゃん付け苦手?」

 こてん、とラギーは首を傾げて、耳をピコピコと揺らした。眉を寄せてションボリ、とした顔をするラギーに、彼女は慌てて首を横に振る。

「に、苦手じゃない、です!」
「なら、良かったっス!じゃあ、ナマエちゃん行きましょ!」
「は、はい」

 ラギーはごく自然に手を差し出した。彼女は目を丸くしつつも、そっとラギーの手に、自分の手を乗せる。警戒というよりも、慣れてないと言った態度の彼女に、ラギーは悪い顔が出そうになる。だが、耐えねば。今日のラギーは好青年という設定なのだから。

「可愛い手っスね
「え、ふ、普通ですよ」
「え?小さくて、柔らかくて、かわいー手だよ」

 何の苦労もしたことがない、綺麗な手。好青年のラギーは恥じらう彼女に、甘い言葉を吐いて、にこっと笑う。彼女はラギーの言葉に、タジタジと視線を彷徨わせた。そして、逃げるように、ラギーに問いかける。

「え、えっと……今日ジェイドくんも来るって聞いてたんですけど」
「ジェイドくんはちょっと用事あるから、途中から合流するって」
「あ、そうなんですか」
「そ。だから、それまで二人で楽しみましょ」
「は、はい!」

13

 ラギーにとりあえず昼飯でも食べよ、と言われて、彼女はラギーの馴染みの店に行くことになった。ハンバーグやからあげといった肉料理が中心のメニューのご飯屋さん。王道メニューはメインを頼めば、ライスにスープ、そしてサラダまで付いてくるランチセット。肉料理が多めだが、量は個人に合わせてくれるらしく、店内の男女比は同じくらいだった。

 店内はカジュアルな内装で、ラギーのラフな格好とよく似合っていた。

「ナマエちゃん何にする?」

 ラギーは彼女にソファ席を譲って、椅子に腰を下ろすと、早速テーブルにメニューを広げる。美味しそうな写真が台形に切り取られて、ポップにレイアウトされていた。彼女はモストロ・ラウンジとはかなり雰囲気が異なるメニュー表に、ジェイドを思い出した。ジェイドくん、いつ来るんだろう。

「ナマエちゃん?」
「あ、えっと、どれも美味しそうで迷っちゃうな……ラギーくんは?」
「俺はもちろん、ステーキセット!」

 ラギーはニカッと笑って、どーん!と真ん中に載っている豪華なステーキの写真を指でさした。食べ盛りの男の子には魅力的なメニューに違いない。彼女は確かにステーキセットも美味しそうだなぁ、と眺めている隣に、見つけたメニューに口元が緩んだ。

「ナマエちゃんメニュー決まった?」
「うん。決まった」
「じゃあ、店員さん呼ぶっスよー……すみませーん!」

14

「ナマエちゃんのハンバーグセット美味しそうっスね」
「ラギーくんも食べる?」
「え?いいの?」
「うん」

 彼女はラギーの方へお皿を寄せて、どうぞと笑った。うわナマエちゃんサバンナだったら、最初に食べられちゃう子だな。そう思いながらも、ラギーは遠慮なく彼女のハンバーグにナイフを差し込む。本当に遠慮を忘れて、予想よりも大きく一口を切ってしまった。やば。素が出過ぎた。ラギーはへらっと笑いながら、彼女を伺い見る。彼女はキョトン、としてから、ラギーと目が合うと、呑気に頬を緩めた。

「やっぱり、男の子っていっぱい食べるんだね」
「……」
「ご、ごめんなさい。気に障ったかな」

 ラギーは大きく開いていた口を閉じて、への字にした。ラギーの表情に、彼女は顔を青くして、あわあわと意味もなく両手を動かした。その両手にするり、と自分より大きな手が絡んできた。

「そうっスよ。俺ナマエちゃんと違って、男の子だから」
「……」

 彼女はラギーの可愛さだけではない魅力に、白目を剥きそうになった。ジェイドくん、早く来て!助けて!

15

 ふたりはお腹を満たして、商店街をのんびりと歩いて居た。古着屋さんを見たり、別腹のアイスを食べたり、デートは順調に進んでいた。ラギーはあるアクセサリーショップで足を止めて、彼女を呼ぶ。それほど大きくもないアクセサリーショップはこじんまりとした店内に、アクセサリーがぎっしりと並べられていた。

「ラギーくん?」
「ここのお店ちょっと見てもいい?」
「うん。ラギーくんアクセサリーとか好きなの?」
「うーん。俺自身はそんなだけど……」

 ラギーはそう言いながら、適当にチラッとイヤリングを見て、一つ手にとった。そして、そのイヤリングをラギーと同じように商品を見つめて居た彼女の耳元へ、もっていく。彼女は目を丸くして、ラギーを見上げる。ラギーは彼女とイヤリングを見比べて、二回頷いて笑った。

「ナマエちゃんの雰囲気にぴったりっスね」
「え、ええ、私?」
「そうっスよ今のナマエちゃんもいいけど、耳元もなんか付けたら良さそうだなって」

 俺あんまりオシャレなこと分かんないけどね。ラギーは肩をすくめる。ラギーがもっていたイヤリングは彼女の肌馴染みに良さそうな色で、シンプルなパールが揺れているものだった。

「これ買おうかな」
「だーめ」
「え」

 彼女はラギーの手からイヤリングを受け取ろうとして、失敗した。ラギーは手を高くあげて、優しく笑った。

「今日のデートの記念に、俺からナマエちゃんにプレゼントさせて?」
「ヒエッ」
「ね?」

 なにが、ね?だ。気持ち悪い。甘ったるい。あり得ない。ラギーは小首を傾げながら、砂糖すら通り越して砂を吐きそうになる衝動に必死に耐えた。耐えないと、毒を吐きそうだ。そうでないと、自分の中の均衡が取れなくなる。

 ラギーの甘い表情に、彼女は大人しく頷くことしか出来なかった。

16

 ランチ、ウィンドウショッピングを終えて、二人は休憩中だった。小綺麗なカフェで、ラギーは一杯600マドルするカフェラッテを飲みながら、チラッと店内の時計を見た。タイムリミットが近づいていた。パンケーキでも頼もうかな。ラギーがそんなことを迷っている前で、彼女は自分の経験の乏しさ(主に恋愛に関する)に震えていた。ジェイドくんと言い、ラギーくんと言い、NRC生レベル高過ぎでは?怖い。

 何と言うか、ラギーは何もかも慣れていた。喋りやすく、気遣い上手。おまけに、他人のパーソナルスペースに入ることがとても上手い。危ないっスよと声も掛けてくれるし、時に言わんこっちゃないと優しく腕も引かれた。

「……ら、ラギーさんも、ジェイドくんみたいにモテるんだろうね」
「え?俺が?」
「はい」

 彼女が何故か小さくなって頷くと、ラギーはニシシと口に手を当てて笑った。その仕草ですら、かわいい。

「俺はジェイドくんの比べモンにならないっスよ」
「え、え?謙遜しなくても」
「まあ。でも、ナマエちゃんにそう見えてるなら、嬉しいかなぁ」

 ラギーが彼女を見つめて、薄く笑う。どこか妖艶さを含む笑顔に、彼女は顔を真っ赤にした。じぇ、ジェイドくんー!早く来て!助けて!彼女が心から叫んだとき、カフェの時計は丁度十五時を指していた。

17

「あ、ジェイドくんもうすぐ来るって」
「本当?ジェイドくん結構遅かったね」
「ね。ちょっと道に迷ってるみたいだから、俺迎えに行ってくるっス。
 ナマエちゃんはここで待ってて」
「う、うん。ラギーくん気をつけて」

 頷く彼女に、ラギーは笑って店を出て行った。ジェイドくん、大丈夫かな。あのジェイドくんでも、迷うことあるんだなぁ。もしかして、方向音痴だったりして。意外な弱点だったりするのだろうか。彼女は地図アプリを上手く使えずに、スマホごと傾けているジェイドを想像してクスクスと笑いそうになった。

「おやおや、やけに楽しそうですね。ナマエさん」
「じぇ、ジェイドくん!」

 彼女が振り返ると、ジェイドがニコニコといつもの読めない笑顔で立っていた。彼女はあれ、と首を傾げる。ジェイドを迎えに行ったはずのラギーの姿が見えない。困惑する彼女に、ジェイドは眉を下げて説明してやった。

「ラギーさんはどうしても外せない用事が出来てしまったようで……」
「あ、そうなんだ」
「残念ですか?」

 ジェイドがずいっと、彼女の視界に入って来た。ち、近い。異なる色の両目に見つめられながら、彼女は答える。 

「え?うん、今日のお礼まだ言えてなかったし……」
「……それだけ、ですか?」
「う、うん」

 戸惑いつつ頷く彼女に、ジェイドは目を細めた。何か思案している表情だった。置いてきぼりの彼女はジェイドくん、と遠慮気味にジェイドを呼ぶ。ジェイドは彼女に視線を戻して、いつものように笑った。

「すみません。ナマエさんの反応が興味深かったもので」
「え、検証うまくいってるってこと!?」
「まあ、のんびり確認していきましょう」

 そう言うジェイドに、彼女は椅子から立ち上がって迫ってしまう。だって、やっとこの当て馬体質から解放されるヒントがあるかもしれない。彼女が口を開こうとしたとき、気の抜ける音に邪魔されてしまった。

「すみません。僕お腹が空いてしまって……」



18

「ふう、ごちそうさまでした」
「ここのパンケーキ美味しかったね、ふわふわしてた」
「そうですね。ふわふわしてましたね」

 ジェイドは彼女の擬音を繰り返して、笑顔を深めた。彼女はジェイドにバカにされている気配を察して、チベスナ顔になる。ジェイドくん笑ってるとき、絶対あんまり良くないこと考えてるよなぁ。私はジェイドくんの考えてること全然分からないけど、ジェイドくんは私の考えることなんて、手に取るように分かりそう。

 その証拠に、目の前の男はのんびりと、食後の紅茶を味わっていた。一息つくと、ジェイドはティーカップを置いて、彼女に向き合った。

「さて、今日の検証について確認しましょうか」
「はい」

 彼女は思わず敬語に戻る。検証の確認はまるで、病院で検査結果を聞くときのような緊張感があった。ジェイドは医者のように落ち着いた声で、彼女の質問をする。問診タイムだ。

「今日のデートは楽しかったですか?」
「楽しかったです」

 即答。彼女はラギーと過ごした一日を思い出しているのか、ニコニコとご機嫌な表情になった。だが、ジェイドは彼女の笑顔に違和感を覚える。彼女の言葉に頷いて、ジェイドは核心となる次の質問をした。

「では、ラギーさんに恋をしましたか?」
「それは……」

 ジェイドの質問に、彼女は言葉を詰まらせる。先ほどまでの楽しい笑顔も引っ込んで、静かな表情になった。いつもの情に弱く、流されやすい彼女の様子は無い。彼女自身も、自分の気持ちに戸惑っているように見えた。

「ラギーさんは素敵だと思います。実際一日一緒にいて、楽しかったし……」
「見た目がタイプでないとか」
「見た目も、声も!ちょっと悪戯っぽいところも!素敵だなって思いました!
 でも、なんだろう……」

 彼女は喋りながら、必死に考える。ラギーと居て楽しかった。ラギー自身も、魅力的だと思う。でも、いつもと違う。いつもと違うことは分かるのに、その違い“何か”分からない。ただ、完全に分からないわけではない。もう少しで説明出来そうな気がする。彼女は額に拳を当てて、うーんうーんと唸り続けた。ジェイドはそんな彼女を静かに見つめていた。

 いつもと違う何か。彼女は最初の検証の協力者を思い出した。プルだ。プルは恋をしていた。一見プルは三白眼気味で、少し無愛想に見える。実際話すと、かなりシャイな可愛らしい男の子だ。ラギーとは異なる可愛らしさの持ち主。彼女は首を捻る。でも、正直好みのタイプだけで言うなら、どちらかと言えばラギーくんの方が好きだし。うーん?私はプルくんのどこに惹かれそうなっ……あ。

 彼女は目を見開いた。閃いた彼女の表情に、ジェイドは少し身を乗り出した。

「キュンって、しなかった」
「キュン?ですか?」
「いつもは胸がキュンってなって……、
 ときめくと言うか、惹かれる感覚があるんですけど……」
「今日は“ソレ”が無かった?」
「はい」

 彼女はゆっくりと頷いた。ジェイドは残念な顔をして、口を開いた。

「なるほど。ラギーさんの魅力不足だと……」
「わー違います!違います!」
「ふふ」
「もう、ジェイドくん!今真剣なところですよ!」

 眉を釣り上げる彼女に、ジェイドは歯を見せて笑う。確信犯の顔だ。

「予想通りでしたね」
「え?」
「今回の検証と、前回の検証。
 実は決定的に違う点があるんですが、ナマエさんは気付いていますか?」
「……」

 ジェイドの言葉に、彼女は再びうーんうーんと唸り始める。とんとん、と拳で額を叩いて、検証を思い出していく。一目の検証は、プルの恋の悩みの相談会。二回目の検証は、手慣れたラギーとデート。相談会と、デートではかなりシチュエーションが異なる。

「ジェイドくんがいるか、いないか?」
「……」

 返事は読めない笑顔。どうやら、この回答はハズレらしい。えー、なに、違いってなに。彼女はさっき自分で言った言葉を思い出した。

「キュンって、しなかった」
「いつもは胸がキュンってなって……、
 ときめくと言うか、惹かれる感覚があるんですけど……」

 あれ?私がいつも好きになる相手って……。彼女は今までの当て馬体質の出来事を思い返して、改めて、検証の二人のことを考えた。恋するプルと、恐らく自分を口説いていたラギー。この二人だったら、普通ラギーくんのこと好きになるはずでは?

 彼女は顔を青くして、ジェイドを見上げる。ジェイドはまたはギザギザの歯を覗かせて、笑っていた。恐ろしい笑顔だった。でも、彼女はそれ以上に恐ろしい事実に気付いてしまった。

「はい。ラギーさんは現在恋人も、恋をしている方もいないそうです」
「……」
「ナマエさんが胸がキュン、となる。
 つまり、惹かれる方は……」

 彼女はジェイドと初めてカフェに来た日を、思い出した。

「ナマエさんのおかげで幸せになった方たちは、元々お相手の方が身近にいたとか」

 ジェイドの言わんとすることに、彼女は無意識のうちに首を横に振っていた。そんな抵抗も虚しく、ジェイドは残酷な事実を告げる。

「つまり、ナマエさんは好きな人がいる方にしか惹かれない……。
 寝取り体質の可能性が高いと」
「イヤー!」

 彼女は悲鳴が店内に響いた。


19

「浮気ダメゼッタイ」

 彼女は両手で頭を抱えて、繰り返し呟いていた。ジェイドに呼ばれても、ぶるぶると首を横に振ることに彼女は忙しく、まともな言葉は返ってこない。私今で悪いことしないで、生きて来たのに。真っ当に生きて来たのに。どうして、こんなことに。

「ナマエさん、失礼」
「ギャッ」

 パチン、といきなり猫騙しを食らった。ジェイドは背がデカい。ゆえに、手のひらもデカい。目の前で、パチンと両手を合わせられるだけで、かなり破壊力がある。彼女は悪夢から覚めた顔をして、呆けていた。

 彼女の奇行に飽きたジェイドは、コホンと咳払いをひとつ。ナマエさんを揶揄い過ぎると、話が脱線してしまいますね。今後気を付けて、揶揄わなくては。

「ナマエさん、あくまで可能性の話です。現時点で、断定した訳ではありません」
「……」
「まだ僕たちは仮説に対して、実証が終わった段階です。
 嘆くのは照合を終えてからでも、遅くありません」

 彼女はのろのろと視線を上げる。ジェイドは優しく微笑んでいた。めげずに禁煙を頑張りましょう、と応援してくる主治医のような笑顔だった。彼女はジェイドの“仮説”という言葉に、また過去のジェイドの言葉を思い出した。

 以前、ジェイドは彼女の体質について、当て馬体質ではなく、“その人が恋すべき相手を見つける体質”とも捉えられないかと言った。彼女は引っ掛かりを覚えた。これでは矛盾している気がする。私の当て馬体質は、恋をしている誰かにしか効果が出ないって分かった。だって、私が相手に惚れないと、意味ないし。だから、ジェイドくんが誰かに恋してないと意味なくない?仮説を立てたってことは、その可能性をジェイドくんは分かっていたはずだし。なのに、どうして矛盾してることを言って来たのか……まさか。

 彼女の顔つきが、ジェイドと初めて出会った頃に戻った。彼女のジェイドへの認識が振り出しに戻ってきた。主治医から、スピリチュアルなヤバいお兄さんになってしまった。

「ジェイドくん……」
「はい、なんでしょう」

 ジェイドはいつもと変わらない涼しい顔だった。ジェイドは彼女に警戒されようが、ドン引かれようが、何もどこも痛くないらしい。

「もしかして、私に話持ちかけるためにウソついてた?」
「ウソはついてません」

 シンプルな答え。ニッコリ胡散臭い笑顔。彼女はガクッと項垂れた。詐欺師の手口だ。絶対詐欺師の手口みたいに、法律のグレーゾーン掻い潜ってるヤツだよ。チベスナ顔を通り越して、途方に暮れた顔をする彼女の唇に、ジェイドはサクランボを押し付けた。

 彼女は唐突な甘酸っぱさを味わいながら、驚いた。え?いつ間に?彼女が驚いて顔を上げると、ジェイドはクリームソーダのアイスを突いているではないか。え?いつ頼んだ?いつ運ばれて来た?てか、さっきパンケーキ食べてたよね?目を白黒させる彼女に、ジェイドは微笑む。今度は冷たい甘さが口の中でとろけた。

「……」
「ナマエさんに協力して貰いたかったので、ナマエさんが納得しやすい言葉を選んだのは事実です。
 ですが、ナマエさんの当て馬体質を直したいって思う気持ちも、本当ですよ」
「……本当の恋がしたいって、気持ちも?」
「はい、それも本当です」
「まあ、それなら……」

 彼女は渋々頷いた。そんな彼女に、ジェイドは眉を寄せて笑った。懲りてない笑顔だ。

「ナマエさんは本当にお人好しの甘ちゃんですね。人生損しないように気を付けてくださいね」
「それジェイドくんが言う!?」

 元気いっぱいのツッコミに、ジェイドは目尻を下げた。

「ナマエさんも調子を取り戻したことですし。
 本来の仮説と、実証のお話をしましょうか」
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