ツメレンゲ





 彼女はアンダーウェアを脱いで、ぼんやりと考える。いつまで私はここに居るのだろう。鏡にうつる身体は紛れもなく、女性のものだ。片耳の小ぶりなピアスは、まだこの世界に来て間もない頃に、学園長が彼女にプレゼントしたものだった。騒がしい入学式から始まって夜寝るまで、その日は一日がとても長かった。彼女は身を一つでこの世界に召喚されたが、他の男子と変わらない制服に身を包んでいた。敢えて、違いを上げるならば、胸を目立たなくするアンダーウェアを着ていたことだけ、だ。彼女はNRCを元の世界の工業高校のように、男子の比率をが多いだけ、だと思っていた。それこそ、彼女が居た国は男尊女卑が蔓延っていたから、優秀な学校に進める可能性が女子よりも男子の方が高いことは不思議に思うことではなかった。むしろ、見慣れた絶望だった。

「え、男子校なんですか……?」
「そうですけど。何か問題ありました?」

 学園長が不思議そうに首を傾げる。ああ、私は今男子として見られているのか。でも、確かにこの学校の男子生徒は色んな人がいた。可愛らしい人も、かっこいい人も、大人っぽい人も、子どもっぽい人も、色んな人がいた。色んな多様性に溢れていた。そんな中に紛れ込んでも、そこまで目立たないのかもしれない。魔力がない意外は目立つことはない、どちらかというと中性的または所謂(この表現は適切でない可能性もあるが)社会的な女性性をもった男子生徒のひとり、と言ったところだろうか。彼女の周りからの印象は。

 彼女が急いで説明をすると、学園長はうーんと考え込んで、パチンと指を鳴らして、その手の平をゆっくりと開く。そして、一つのピアスを彼女へ渡した。

「これは?」
「貴方が女性だということを、隠す魔法度具です」
「そんなピンポイントなものが存在するんですね……?」
「いえ、これは魔力を注いだ者の、隠したいものを隠す、という魔法道具なんです」
「なるほど……?」

 つらつらと説明する学園長の言葉には耳慣れないものがたくさんあって、彼女は雰囲気でうんうんと頷いて聞いていた。いつ誰にバレるか分からない。既に誰かにはバレているかもしれない。それでも、表面上は特に女性だということも、バレずに彼女は学園生活を過ごしていた。

「決してバレてはいけない、ってこともないんですけどね」
「そういうもんですか?」
「はい。貴方の存在は性別うんぬんの前に、通常とは違いますからね……。むしろ、性別だけの問題の方が可愛く見えてきません?」
「たしかに?」

 また彼女は雰囲気でつい頷いてしまう。それでも、たださえ目立つ存在なので、隠したいなら隠す方向でも構わないと学園長はその話題を締め括るのだった。
 


 彼女は数少ない娯楽を前にして、頬を緩めた。新しい生活を初めて数日経ち、一度疲労がたまって熱を出してしまったとき以外は順調だった。日々のトラブルに巻き込まれることも日常になってきて、複雑な気持ちである。衣食住は全て学園長に補って貰っている身の彼女の生活は慎ましいものだった。衣服は制服と運動着は学園長から支給され、それ以外の衣服は女性だからと気を使われて、自分で買うことになった。気を使えるのか、この学園長……としみじみと思ったのはここだけの話である。

 住む場所も日々、オンボロ寮を少しずつ掃除することで、快適レベルが確実にアップしている。同時に、虫に対しての耐性も付いてきた。ギャー!と悲鳴を上げていた頃が懐かしいくらいだった。

 一番の問題は食費だった。グリムはツナ缶で特に文句は言わないが、毎日ツナ缶だけの生活は色んな意味でキツイ。ツナ缶の料理のレパートリーが日々更新されていく。元々朝食は食べない派だった彼女はお昼はエースたちと食べるが、夕食は時々抜いてしまうことがあった。たまに、子分である彼女のことを心配したグリムがツナ缶を彼女に一口分けてくれるイベントも発生したりした。彼女は何でも独り占めしそうなグリムが分け与えることを知って、なんだか感慨深いものがあった。

 そんな彼女がコツコツと貯金をして、少しだけ余裕が出てきた。その少しの余裕をグリムと彼女で、半分んこした。

「好きに使っていいのか?」
「うん、グリムが好きなもの買っていいよ」
「やったんだゾ!」

 にこー!と目を細めて喜ぶグリムの頭を撫でて、彼女も同じように目を細めた。

「名前は何買うのか決めてんのか?」
「うん」


 オンボロ寮の談話室のテーブルに並ぶのはカラフルなマニキュアだった。本当はジェルネイルが欲しかったのだが、LEDライトが高くて手が出せなかった。それでも、日々の中に少しでも楽しみが欲しかった彼女はマニキュアに手を出したのだ。彼女はノートに描かれた黒と、赤が特徴的なデザインを見つめて、腕まくりをした。それは、彼女が自分でイメージを形にしたデザインだった。ちなみに、色鉛筆はみんなのお兄さんトレイからのお古である。お菓子のデザインを考える際に使っているらしい。

「久々だけど、うまくできるといいな」

 グリムは既に夢の中で、オンボロ寮はひっそりとしていた。この広い建物のひっそりとした不気味さにも慣れてきた。彼女は爪の形を整えながら、ぼんやりと頭の中が空っぽになっていく感覚に陥る。彼女はこの感覚がとっても好きだった。落ち着いて、居心地がいい。この時間だけは、言葉にはし難い不安からも解放される気がした。

「ぎゃあ!飛び出した!」

 彼女の小さな悲鳴に心配したゴーストが彼女の元へ駆け付けたのはまた別の話である。



「名前くん丁度いいところに」

 ある日の彼女は学園長に呼び止められて、首を傾げる。そのにこやかな表情に何か面倒ごとを押し付けられるのでは?と内心少し警戒したが、なんてことない頼みごとだった。「スカラビアの寮長に、この資料を渡してほしい」とプリントを受け取って、彼女は鏡舎へ向かっていた。すっかり夕日が差す、放課後の時間帯だった。下手に学園内を探すよりも、寮の方がいる可能性が高いと考えたのだ。居なかったとしても、最悪同じ寮生に渡してほしいと頼めばいいだろう。

 ここがスカラビア寮への入り口かな?と彼女がスカラビアの寮の鏡の前でうろうろしていると、後ろから声を掛けられた。どこか警戒している声色に、彼女は肩を大きく揺らして振り返った。

「スカラビア寮に何か用か?」
「……あ」
「君は」

 入学式で色々を騒ぎを起こして、魔力がないのにNRCに入学してきた新入生……だったか。ジャミル・バイパーは、ジャミルの言葉に目を丸くする噂の新入生を、見下ろして内心首を傾げる。新入生は噂のイメージとは似ても似つかない問題児やトラブルとは無縁の雰囲気を醸し出していた。そんな風に分析されているとは思わない彼女は、じーっと目の前の寮生を見上げていた。「スカラビア寮に何か用か?」の言葉からして、このフードを被った生徒はスカラビアの寮生らしい。このフード付きの制服とは異なる格好はきっとスカラビアの寮服なのだろう。それぞれの寮ごとに寮服の雰囲気は大きく異なるらしい。彼女はエースとデュースの色鮮やかな寮服を思い出しながら、手に持っていたプリントをジャミルに手渡して、しどろもどろに言葉を重ねた。

「学園長がスカラビアの寮長さんに渡してほしいって」
「そういうことか。
 なら、俺が受け取っておこう」
「よ、よろしくお願いします」
「ああ、ありがとう。助かったよ」
「い、いえ」

 彼女は切れ長の目を細めて笑うスカラビア寮生の、笑顔に視線が釘付けになりそうなのを寸でのところで耐える。偶然にもスカラビアの寮長に会うことができたらしい。彼女はそう思った。後に勘違いだと言うことになるのだが、このときの彼女は信じて疑わなかった。実際、ジャミルも言葉足らずだったことも原因のひとつである。

「では、失礼します!」

 彼女は頭を軽く下げると、ジャミルの返事も確認せずに走り去っていく。ジャミルは落ち着きのない後ろ姿に誰かさんを思い出して、片眉を上げた。

「カリムに渡しておかないとな」



「あの!」

 その日、ジャミルは部活に向かう途中だった。後ろから聞こえてきた声は比較的高く、姿を見なかったら女性と勘違いしてしまいそうだった。自分がそんな声の高い持ち主に声を掛けられる機会もないジャミルは特に気にすることなく、そのまま歩こうとしていた。そのとき、もう一度後ろから「あの!」と声が聞こえた。さすがにこの距離で自分かどうか確かめないのはおかしいと思って、ジャミルは後ろを振り返った。誰もいない?とジャミルは首を傾げて、そぉっと視線を下に向けると、一人の生徒が息を切らしてジャミルを見上げていた。

「君は確かこないだプリントを届けてくれた……」
「そ、そうです!あの、えっと」
「俺に何か用か?」

 彼女は勢いでジャミルに話しかけていた。一刻も早く、ジャミルに見せたいものがあった。一度しか話したことがない先輩がちゃんと自分のことを覚えていてくれたことが嬉しかった。彼女は背中に隠していた両手を出そうとして、固まった。彼女と違って、冷静に自分を見下ろすジャミルの目を見て、すぅっと冷静になるのが分かった。彼女はやっちまった……と冷や汗をダラダラとかき始める。予想よりもずっと上手くいったから、思わず報告したくて先輩を探し回っていた。探し回っていた……、いたが、見知らぬ後輩から貴方モチーフのネイルをデザインして、うまく出来たんです!見てください!ってかなり気持ち悪いのでは?根が小心者の彼女は寸での所で、我に返って怖気づいてしまった。

「……どうした?顔色が悪いみたいだ」
「いや、えっと、ごめんなさい。間違えました」
「は?」
「ご、ごめんなさい!」

 ジャミルは見逃さなかった。彼女が出しかけた両手を背中に隠そうとした、瞬間を。ジャミルは怪しい匂いに敏感なのだ。

「何を隠し……ん?」
「アッ」
「これは……スカラビアか?」
「!」

 ジャミルは彼女の手首を捕まえて、何を持っているか確認しようとして、目を丸くする。彼女の手には何もなかった。何もなかったが、やけに爪先に目を奪われた。はっきりとした黒と赤、そして所々ゴールドの配色が施されていた。黒く塗られた爪に、にょろにょろと今にも動き出しそうな黄金の身体を巻き付けているのは蛇だった。色んな意味で蛇と縁のあるジャミルは思わずじっと見つめてしまう。彼女はジャミルの鋭い視線に、挙動不審な態度を取り過ぎたと怯えたが、自分の爪をじっと見つめて、ジャミルの口から零れた言葉に彼女の目がきらきらと輝いた。

「分かりますか!?スカラビア寮のイメージでネイルをしてみたんです!」
「ああ、分かるよ。よく特徴を捉えているからな。これは君が?」
「はい!ここの指の、蛇のところが一番難しかったんですけど、予想以上に上手く描けました!」
「これは手書きなのか……、君は器用なんだな」
「いや、そんな」

 眉を下げながらも、嬉しそうに頬を緩める彼女にジャミルも釣られて頬を緩めそうになった。ジャミルはあくまで愛想笑いに留めて、改めて疑問を口にした。

「でも、どうして俺に見せてくれたんだ?」
「え」

 彼女はきょとん、と瞬きを繰り返して、単純明快な理由を口にする。そして、今度はジャミルが目を見開く番だった。

「どうして俺がスカラビア寮の寮長だと?」
「え、ええ?グレートセブンの、スカラビアの像あるじゃないですか」
「砂漠の魔術師のことか?」
「はい。先輩がすごく砂漠の魔術師っぽかったからです。
 スカラビア寮の寮長にぴったりな人なんだなぁって思って、……それに、こないだ渡したプリントだって」
「……」

 ああ、そういえば、そうだった。彼女から渡されたプリントは寮長であるカリム宛ものだったのだ。そのことを思い出したジャミルは確かに何も知らない新入生が勘違いを起こしても仕方ないか、と納得した。それこそ、入学式であれだけの騒ぎを起こしていたら、それぞれの寮長の顔となまえも一致していないだろう。ジャミルは人知れず彼女の境遇に少しだけ同情した。

「すまない。俺はスカラビア寮の寮長ではないんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、俺はスカラビア寮の副寮長。二年のジャミル・バイパーだ」
「そ、そうだったんですね……勝手に勘違いして、すみません。
 オンボロ寮の監督生の名前です」
「いや、俺も言葉足らずだったからな。
 副寮長をしているから、カリ……寮長の代わりに、資料を受け取る機会が多いんだ」
「ああ、なるほど」

 ジャミルの言葉に、彼女は深く頷いて納得をした。確かに、目の前のジャミル・バイパーと名乗る先輩は普段からテキパキしてそうな印象である。きっと敏腕秘書並みに、寮長を支えている副寮長に違いない。そんな副寮長なら、あんな物言いをしてもおかしくないだろう。

「にしても……」
「?」
「監督生の手はやけに小さいんだな」
「エッ」
「まるで……いや、何でもない。せっかく綺麗に描けているから、剥げないように気を付けた方がいいな」
「あ、ありがとうございます」

 まるで、女の子みたいな手だな。そんなことを言いかけて、ジャミルは慌てて口を噤んだ。ジャミルから見たら、彼女は中性的な男子生徒の一人なのだ。相手は後輩で、今日が初めて喋る相手だったから、自分の言葉で相手が不快に思うかもしれないとジャミルの気遣いだった。単純に〇〇〇らしさという表現は時として適切でないことがある。それこそ、小さい頃から周りに神経を尖らせて、求められる振る舞いを過不足なく振舞ってきたジャミルの一つの癖のようなものだった。無意識のうちに、そこまで気を遣う必要がない相手にも、その癖は出てしまう。それに、下手に敵は作らない方がいい。

 少し頬を赤くしてお礼を言う彼女の反応に、本当に異性のようだなぁと感じつつ、ジャミルは彼女の手を離した。細すぎる手首に、「ちゃんと食べているか?」とお節介な一言がジャミルの口から出そうになった。

「あ、あの」
「ん?」

 彼女はジャミルに掴まれていた手首を胸の前で抱くようにして、両手を組んだ。ああ、緊張する。緊張するのに、不安だと思うのに、どうして私はこの先輩に関わろうとするんだろう。ジャミルの特別温かくも冷たくもない、「ん?」という相槌はまたどうしてか彼女の胸をやけにくすぐった。

「また新しいネイルにしたら、ジャミル先輩に報告してもいいですか?」
「俺に?」
「は、はい、制服姿のジャミル先輩を見たら、また新しいデザインが思い付いたので……迷惑じゃなかったら」

 この学園には珍しいタイプだな、ジャミルは目を細める。遠慮なんて知らない生徒の方がとても多い。むしろ、遠慮を知っている生徒……いや、人間は存在するんだろうか。ジャミルの答えは決まっていた。このときのジャミルは珍しく機嫌が良かった。この学園のことを、この世界のことを何も知らない彼女の言葉がとても嬉しかった。単純に。それこそ、彼女は本当のジャミルの力も知らない。それでも、普段から自分の力を偽っているジャミルからすれば、その言葉は嬉しかった。憧れの存在のようだ、と言われて悪い気はしなかった。何も知らない癖に、と捻くれたことを思わない自分がいないとも言えないけれど、意外に嬉しかったのだ。

「ああ、是非見せてくれ」
「ありがとうございます!」

 とても嬉しそうに笑う彼女に、ジャミルは不思議に感じながらも彼女のお願いを承諾した。こんなことで、そんなに嬉しそうにするのか。君は。ジャミルのそんな気持ちも知らない彼女は純粋に自分が作ったものを受け入れて貰って嬉しかった。

 そして、ネイルの新作ができる度に、彼女はジャミルの元を訪れるようになった。そんな不思議な関係は細々と続いた。



 ジャミルは目の前で若干口調が早くなりながら、ネイルの説明をする彼女を見つめていた。初めてネイルを見せに来たときよりも、表情が生き生きとしていた。少なからずジャミルは彼女が羨ましかったのかもしれない。好きなものを好きと口に出せて、思う存分に自分のしたいことをしている彼女が。そして、何より自分に見て欲しいと要求する彼女の目も好きだった。自由な彼女が羨ましくて、能天気だな思ってしまう気持ちも正直ある。それでも、ジャミルが「いいんじゃないか」と一言口にするだけで、彼女の目はより一層きらきらと輝くのだ。

「こないだのよりも、黒が多いな」
「はい、制服モチーフなので。ジャミル先輩はフードが好きなんですか?」
「……あんまり意識していない」
「寮服でフード被ってたし、制服もフード付きだったから好きなのかなって」
「まあ、嫌いではないな」

 ネイル以外にも、ふたりは世間話もすることがあった。ふとジャミルの目に、彼女の脇に挟まれた教科書が止まった。その教科書には付箋がたくさん飛び出していた。

「監督生」
「はい」
「その教科書やけに付箋が多くないか?」
「アッ、これですか……?
 私授業内容というより、この世界に使われている魔法用語?とか、世界の知識がないので、……分からない単語を見つける度に、一応記録つけてるんですけど」
「ああ、なるほど。やけにポイントが多いのかと思った」
「あはは。授業で先生が指摘したところにはマーカーを引くようにしてます。
 どうしてもごっちゃになっちゃうので」
「だろうな」

 呑気に笑いながらも、困っているのだろう。どこか疲れているようにも見える。ジャミルの気まぐれだった。彼女と一緒にいて不快に思うことも、つまらないことも、ない。損得の世界には程遠い、この穏やかな時間は悪くなかった。

「俺が勉強見てやろうか」
「え!?いいんですか!?」

 まだまだこの学園に来て、彼女は間もなかった。これからこの学園に『単純な好意の親切』はないのだと学んでいく途中だった。それに、ジャミルがわざわざ自分に嫌がらせや無茶ブリをふってくるようにも、見えなかった。

「いつもは無理だけどな。
 こうやって時間が合ったときとかでいいなら」
「とっても有難いです!ありがとうございます!」
「じゃあ、図書館に行こう。君に薦めたい辞書がある」
「はい」


 ジャミルは素直に驚いていた。彼女は思っていたより、頭が良かった。これは本当に単純な知識不足だな。彼女の話を聞く限り、元の世界にも似たような仕組みがあったりするらしく、理解は早かった。ただやはり魔法が関わってくると、少し時間がかかる。魔法がない世界から来た彼女からして見れば、根っこから違う話なわけで、それをベースにして、色々覚えていくとなると、確かに難しいだろうなぁとジャミルはまた彼女の境遇に少しだけ同情した。

「魔法が使った犯罪もちゃんと捕まるんですね」
「そりゃあ、証拠が残るからな」
「魔法の種類によって、証拠の形も変わってきますか?」
「そうだな……」

 魔法が存在する世界では、暗殺も魔法を使って行われるらしい。彼女は魔法も結局使い方次第なだなぁとぼんやりと思った。魔法は万能ではない。魔法を使って、人を幸せにすることも、傷付けることもできる。どの世界でも人間は似たような困りことや事件が起きている。魔法史を学ぶ度に、結局人間は人間なんだなぁと何とも言えない気持ちになったりする。



「……?」

 彼女は違和感を抱いて、右手を見る。何かを確認するようにジャミルの指が彼女の手をなぞっていた。彼女はジャミルから自分の力で解いてみろ、と言われて、自分の考えを交通整理することに集中していて、全然気づかなかった。いつからジャミル先輩触ってたんだろう。彼女は無意識のうちに、頬がほんのりと赤くなっていた。ジャミルの自分より大きい手も、長い指先も、綺麗に切り揃えられた爪も、彼女の胸を無性にくすぐってくるのだ。誰かの心を読む魔法なんてものが存在していない、といい。もし存在していて、ジャミルが使えたら、きっと呆れられてしまう。君はこんなことで、一々反応しているのかって。

 必死に目の前の問題に集中して、あくまでもジャミルのちょっかいには気付かないふりをした。

 最初はジャミルも大人しく問題を解く彼女を見守っていたが、思ったよりも考え込んでいるので、手持ち無沙汰になってしまった。そして、ジャミルの意識は自然と彼女の爪へ向けられる。ジャミルのパーカーをそのまま再現したような炎の形が難しかったと彼女は言っていた。見事な曲線を描いて、ゆらめきが表現されている。ジャミルは思わず手を伸ばして、彼女の爪に触れていた。思っているよりもずっと、彼女の爪は小さくて、よくこんな狭い範囲で自由に描けるものだなぁと感心してしまう。彼女の手はやはり、女の子のようだった。頼りないほど小さいの手の平も、ふにふにと柔らかい肌も、掴んでもジャミルの指が余りそうな手首も、やっぱり、女の子のように見えた。

 まあ、でも、ポムフィオーレにも、随分と可愛らしい一年が居たしな。今年はそういう一年が多いのかもしれない。

 ジャミルは感触を楽しむように、ふにふにと彼女の手に触れながら、彼女が問題を解くのを待っていた。結局集中できなかった彼女が根を上げて、「集中力が足りないな」と理不尽極まりない言葉をかけられたのであった。

 この日からジャミルはたまに疲れていると、彼女の手に触れる癖がついてしまった。彼女の手に触れているときの、ジャミルの声が少しだけ優しくなるという彼女だけが知っている事実も生まれたりした。



「ジャミル先輩!」
「監督生」
「みて……アッ」

 ジャミルは彼女の呼びかけの雰囲気からして、だいたい分かっていた。また新作ネイルの報告だろう。ジャミルの予想は当たっていた。しかし、彼女はジャミルまで、あと半歩のところで両手を背中に隠して、へらりと笑った。まるで、初めてジャミルにネイルを見せびらかしに来たときの再現のようだった。ジャミルは片眉を上げて、ため息をつく。

「今更遠慮することないだろう。どうしたんだ?」
「そ、そうですね……?」
「ああ、そうだ。俺はもう落ちるとこまで落ちた身だからな」

 ジャミルの言葉に彼女は気まずそうに視線を逸らした。彼女がこの学園に来てから、よく見せる顔のひとつだった。ここの生徒にとってはジョークでも、彼女にとっては本当に笑うとこなのだろうか?と思ってしまうことが多く、彼女は気まずそうに視線を逸らすか、曖昧に困ったような顔をするか、どちらかだった。ジャミルは相変わらずの彼女の反応に、わざと肩をすくめて見せた。

「変なこと言って悪かったよ。で、要件は?」
「あ、はい、……でも、あの、本当に、ジャミル先輩が気を悪くするかも、しれなくて」
「気を悪くするかどうかは要件を聞いてから、決めよう」
「ええ」
「俺はそんなに気が長い方じゃないからな。こうしている間に、気を悪く……」
「わ、わかりました!分かりました!言いますから!」
「フン」

 彼女はそぉっと両手を出して、いつもより身体を小さくしながらジャミルに爪先を見せる。ジャミルはその爪を大きく目を見開いた。彼女は罪人のように両手を差し出して、顔を逸らしていた。まるで、殴られる覚悟をしているのかのようだった。

「君は意外に嫌な性格してるんだな」
「……ち、違います!じゅ、純粋に……いいなって、思ったから、です」

 赤と黒を中心にしたデザインはいつもと変わらない。ただそこにゴールドの蛇ではなく、黒い身体に赤い目の蛇がいた。赤もいつもより、黒味がかっていて、全体的ダークな感じの、雰囲気を感じるものだった。

「いいなって?君正気か?」
「しょ、正気ですよ……」
「俺のオーバーブロットした姿が?いいなぁ〜って?」

 二回も繰り返さないで欲しい。しかも、そんなアホっぽい言い方もやめてほしい。彼女はだから見せたくなかったんだと視線を落として、つま先で地面を軽く押すように動かす。不貞腐れたときの、彼女の悪い癖だった。じりじりと彼女の背中に隠れようとしている両手をジャミルは捕まえて、まじまじと彼女の爪を見つめる。忌々しい記憶を思い出させるデザインではあるが、やはり彼女の手の器用さは純粋にすごいなぁと思うのだ。たださえ彼女の手は小さく、爪も小さいのに、その小さなキャンパスの中に彼女は表現して見せるものだ。

「飽きないのか?」
「え」
「君は俺に関わるモチーフばかりだから」
「飽きないです」
「ふぅん」
「ジャミル先輩はとってもとっても魅力的ですから、飽きないです」
「……正気か?」
「え?」

 ジャミルは彼女の手をとって、歩き出した。彼女は相変わらず、とても頼りないほど小さくて、柔らかかった。ほんの少しだけ力を入れたら、ぽきりと折れてしまいそうなくらい。

「ジャミル先輩?」
「愉快なものを見せてくれたお礼だ。お茶でも淹れよう」
「え、それ、めっちゃ酸っぱい奴とかじゃないですか?ロシアンルーレット的な」
「はは。自覚があるのはいいことだな」
「いや、あの、すみません!謝りますから刺激物は勘弁してください!」
「冗談だよ。君とゆっくり話したいと思っていたから」

 彼女は振り返ったジャミルに、一度瞬きをすると、大人しく頷いた。私もです。私もジャミル先輩とゆっくり話したいと思ってたんですよ。ジャミルは彼女の手を握り直すと、ゆっくりと再び歩き出した。



 彼女はジャミルの部屋に招かれて、大人しく座っていた。ジャミルが淹れてくれたお茶は彼女好みの甘いものだった。普段からふたりでいると、穏やか時間を過ごすことが多いふたりだけど、今はちょっとだけ変な感じだった。お互いに話したいことがあるのに、そのタイミングを伺っている。互いに探り合いだった。でも、ふと彼女が息を深く吐いて、ジャミルを見上げる。ジャミルも自然と彼女を見つめ返していた。彼女は気の抜けるような笑みを浮かべて、口を開く。

「お茶とっても美味しいです。ありがとうございます」
「気に入ってくれて良かったよ」
「とっても好きな味です。あの、ジャミル先輩」
「ん?」

 ああ、やっぱり、好きだなぁ。ジャミルの切れ長の目も、特別温かくも冷たくもない、その相槌も、どうしようもなく好きだと感じた。彼女はジャミルと目が合うと嬉しい。ジャミルが視線を向けてくれるのが嬉しい。ジャミルが自分の言葉に耳を傾けて、言葉を返してくれるのが嬉しかった。普通の出来事がジャミルが相手だと特別になる。彼女はそんな嬉しい気持ちを素直に感じながら、言葉にした。このふわふわとした気持ちは居心地がいいようで、少しだけ、ちょっとだけ、どこか不安を含んでいる、不思議な感覚だった。

「また、こうやってジャミル先輩とお茶会?できて嬉しいです」
「……お茶会って、ふたりしか居ないだろ」
「そうですね」

 ジャミルのツッコミに彼女は眉を下げてゆるく笑う。ジャミルは彼女よりも甘くないお茶を飲みながら、考えることを放棄した。彼女と探り合っても何も意味はない。だって、彼女も何も考えていないのだから。

「案外普通だな」

 窓の外に視線を向けながら、ジャミルはそう呟いた。ジャミルにしては珍しく主語がなかった。ジャミルは誰か聞いても分かるような、話し方をする。主語がしっかりとしていて、曖昧な表現はあまりしない。彼女はジャミルにそんな傾向があるなぁと勝手に思っていた。今曖昧な表現はしたのはわざとなのか。それとも、ジャミル本人も適切な言葉が見つからなかったのかもしれない。それは分からなかった。ただ、曖昧な表現でもすぐにわかった。彼女はジャミルの言いたいことが分かった。

 ホリデーが明けて、また学校生活が始まった。何事もなかったかのように、始まった。表面上だけ、だとしても。ジャミルと彼女は学校で顔を合わせれば、挨拶や世間話をする。ジャミルとカリムは一緒に並んで歩いている。頻度の変化は分からないが、彼女はジャミルがカリムに小言を言っている光景も二日ほど前に見たばかりだった。

「そうですね。意外と今まで積み上げて来たものは、そう簡単に崩れないのかもしれませんね」

 他人がどう思うか、どう評価するのかは分からない。今回の事件でジャミルに対して信頼を落としたものもいれば、言葉にはしないだけで、ジャミルの境遇や気持ちに共感するものも居るかもしれない。全員が同じように感じることも、思うことも、無理な話だ。それは良いことに関しても、悪いことも関しても、通じる話である。彼女は正直、ジャミルのしようとしたことは到底許されないと思う。けど、またジャミルの思いも全て否定するものでもないだろう、とも思うのだ。第三者、赤の他人だから、そう思うのかもしれない。

 ただ率直にジャミルが起こした事件の当事者の一人として、なったことは良かったと思う。普段から慕っている先輩が知らないところで、大変なことになっているのに、何もできない、何も知らないのは嫌だったろうなぁ。私の、勝手な事情だけど。まあ、あんなにぶっ飛ばされたのはトラウマものだから、今度なにかお詫びにお願いことでも聞いて貰えないだろうか。……無理だろうな。彼女はカップを傾けながら、自分勝手な自分の感情に眉を下げた。私は全然お人好しなんか、じゃない。

「君はどうして普通なんだ?」
「え、普通ですか……?」
「特に何も変わらず、俺に関わってくるだろう」

 ジャミルの言葉に彼女は目を丸くして、やっぱり眉を下げてしまった。この自分勝手な感情を上手く隠しながら、気持ちを伝えることはできるだろうか。彼女は手先は器用だったが、自分の感情を伝えることは不器用だった。

「うんん、……ジャミル先輩が好きだから、じゃないですかね。比較的仲のいい先輩だと思ってたので……」
「じゃあ、裏切られて、利用されてショックだったんじゃないか?」
「そりゃ、まあ、裏切られて悲しかったですけど。
 思い上がりで申し訳ないんですけど、それよりも先輩に相談とか?して貰えなかったのがショックでした。
 自分が思っているより、先輩とそんなに仲良くないんだなぁって突き付けられた感じがして」
「キミはなかなか烏滸がましいな」
「ですよねぇ。私は普通の人間なので、ショックだったし、悲しかったです。
 ぶっ飛ばされたの怖かったし、……でも、嫌いになってないです」
「……」
「とりあえず、ジャミル先輩が無事で良かったです」
「そうか」
「はい」

 ジャミルの言葉に、彼女は頷いた。ジャミルは彼女の言葉を聞きながら、不思議な気持ちだった。やっぱり、嫌じゃない。彼女に自分の弱音を、本音を教えてくれなかったことがショックだと言われて、嫌じゃなかった。むしろ、そんな風に思っていたのか、とじわじわと興奮にも似た感情がジャミルの中で生まれる。ああ、俺は今高揚しているのかもしれない。ずっと練っていた計画を漏らすほどではなくても、ジャミルは彼女に好意的だった。

「むしろ、ジャミル先輩は私のこと恨んだりしてないですか」
「は、俺が君を?」
「はい。だって、私先輩の思い通りに動かなくて、むしろ計画をパアにした張本人じゃないですか」
「……ふむ。それもそうだな」
「それもそうだなって……」

 彼女はジャミルの味気ないリアクションにちょっと気が抜けそうになった。ジャミルは何を考えているか分からないところがある。疑うつもりもなかったが、彼女はジャミルに恨まれても仕方ないだろうなぁと思っていた。恨んでいても、彼女に危害を加えたりはしないだろう、今は。きっと賢い彼のことだ。本格的に彼女を潰そうとするなら、もっと確実の手を打つはずだ。彼女は実行する気がなくても、自分を恨む気持ちを多かれ少なかれもっていると思い込んでいた。何の確信もない癖に。

 だから、本当にその考えはなかったなと、眉を上げて、まるで他人事のように言うジャミルのリアクションは予想外だった。

「俺も君と同じかもしれない」
「?」
「確かに、俺の計画は君によってパァにされたことは腹も立ったし、ショックだったと思う。でも、それは、あのときの俺にとっての話であって……」
「今は、違いますか?」
「ああ、君をぶっ飛ばした張本人が言うのもお門違いだろうな……本当に、君が無事で良かったと思ってる」
「先輩……」

 穏やかな雰囲気に、少しだけむず痒さが追加された。彼女はジャミルの言葉に、目頭が熱くなるのが分かる。ジャミル先輩がこんなこと言うなんて、私に、そんな言葉をかけてくれる、なんて。脳内のエースとデュースが首を横に振っている。「言葉を’かけてくれる’って、お前をぶっ飛ばした張本人だぞ!忘れるなよ!」「そうだぞ!監督生!惑わされるな!」恋は盲目と言ったものだ、と頷く彼女に脳内のエースとデュースが再び「雰囲気に呑まれるな!」と叫ぶが、波に攫われるように彼らは彼女の脳内から追い出されてしまった。

「あの、先輩」
「なんだ」
「そう思ってくれてるってことは、少しくらい私にしたこと、悪いって思ってくれてますか?」
「……何か企んでいるな、君」
「はい、企んでいます。なんでもお願い聞いてくれますか」
「なんでもって……、はあ」

 ジャミルはため息をつきながら、頷いていた。彼女に甘い自覚はあった。

「なんでも、ですか……?」

 念を押す彼女にジャミルはもう一度頷いて、こちらからも念を押しておく。

「ああ。俺にできること、なら」
「じゃあ、ナマエで呼んで欲しいです」
「……は、ナマエで?」
「はい、ナマエって呼んで欲しいです。だめですか?」
「ダメではないが……」

 ジャミルはそんなことでいいのか?と言いそうになった口を閉じる。彼女が酷く不安そうにしたからだ。遠慮しがちな癖に、彼女は他人からの要望には出来る限り答えようとする。なのに、彼女は他人に要望するのは下手くそだった。いつも断られる前提で思考が動いているように見える。そんな彼女のやけに不安そうな顔にジャミルは少し腹が立つ。

「ナマエ」
「!」
「これでいいか?」
「はい!一回だけじゃないですよ、これからずっとナマエって呼んで欲しいんです」
「分かったよ、ナマエって普段から呼べってことだろ?」
「はい」

 心底嬉しそうにきゅう、と口の端を上げる彼女に、ジャミルは満足そうに目を細めた。そうだ。彼女の願いごとは俺が叶えたい。そんなことを思う自分がいることにジャミルは自覚がなかった。

「ナマエ」
「はい?」
「手を」

 ジャミルが手のひらを上に向けて、彼女に向かって見せれば、彼女は首を傾げながらもジャミルの手のひらに自分の手を置いた。ジャミルの指先に、ちょこっと置かれた彼女の指先に、ジャミルを眉を寄せる。本当に彼女は遠慮したがりだな。ジャミルは彼女の指先を捕まえると、器用に互いの指を絡ませて、ぎゅう、と彼女の手を握った。彼女は目を丸くして、繋がれた手を見つめる。これは所謂恋人繋ぎというやつでは……?なぜジャミル先輩と私が恋人繋ぎを……?もしかして、この世界では恋人繋ぎが存在しないとか?

 目を白黒とさせる彼女にジャミルは穏やかに笑う。

「君の手は本当に小さい」
「ジャミル先輩いつも言いますよね、それ」
「……ナマエこっちに来てくれ」
「?」

 ジャミルは繋いでいる手を軽く引っ張って、隣に来いとでも言うように、視線を自分の隣へ向ける。彼女は大人しくジャミルの隣に座って、ジャミルを見上げた。彼女は見上げたことを後悔した。過去にないほど、自分を優しく見つめるジャミルがいた。意識をしなくても、彼女の頬は自然と熱をもった。ジャミルはぎゅう、と痛くない加減で彼女の手を握ると、眉を下げる。全然困ってない癖に、困ったようにジャミルは笑う。

「俺がいつも君の手を小さい小さいと言ってしまうのは理由があるんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、嫌な気持ちになったら、すまない。
 ……君の小さな手を見ていると、俺は無性に君を守りたいって思うんだ」
「え」
「君と過ごす時間が自分で思っているよりもずっと、俺は気に入っているらしい」
「え、えっと、じゃみるせんぱい」
「もうちょっと噛み砕いて、言った方が良さそうだな」
「はい、そうして貰えると助かります」

 彼女はジャミルの言いたいことが分かるようで、分からず、眉を下げた。自分の都合のいいように、解釈してしまいそうで、怖かった。

「君が弱そうだから守りたいんじゃない。君との時間が大事だから、君を守りたいって思う」

 明確な言葉は一つもないのに、まるで彼女はジャミルから愛を囁かれているようだった。勝手に彼女はジャミルに愛を告げられるなら、少し強引だったり、意地悪だったりするのかと思っていた。もしこれが告白ならば、なんて穏やかな告白なんだろう。

「君の気持ちも聞きたいんだけどな」
「こ、これって、やっぱり告白……ですか?」
「どうだろう」
「え、そこはぐらかしますか!?」

 小さく笑うジャミルに、ああ、こっち、こっちの方がイメージっぽい。少し意地悪に目を細めるジャミルに、彼女は困ったように笑う。表面だけ。本当は嫌いじゃない。ジャミルの、その意地の悪い笑い方がとても好きだった。

「先ほど君が俺のことが好きだと言ったが、それは先輩と後輩の範囲内での話だけか?」
「私は……」

 彼女は自分からジャミルの手をぎゅう、と握って、一度強く目を瞑って、ゆっくりと目を開く。恥ずかしさでどうにかなりそうだった。でも、目の前にいるジャミルの顔を見ていたら、勝手に口から零れていた。
 
「私は、先輩に裏切られて?というか嘘を突かれてショックだった自分がいて嬉しかったです」
「ちょっと……、いや、大分意味がわからないんだが」

 ジャミルはまさか彼女の口から、そんなことを言われると思っていなかったので、本当に困惑してしまった。目を見開いて、眉を寄せるジャミルに、彼女は笑いかける。

「先輩のこと本当に好きなんだなぁと思って」
「待ってくれ……文脈が繋がってなさすぎて、ついていけない」
「私は先輩が優しくしてくれたら、先輩がすっごいかっこいいから、好きになったのかなって、ずっと、あの日から、ずっとジャミル先輩のことが好きな理由を考えてました」
「……」

 あの日とは、いつだろう。ジャミルは勝手にあの事件の後、だと解釈した。

「で、分かったのか?俺を好きなった理由は」

 彼女はえへへと困ったように笑って、眉を下げる。首を横に、ゆるく振る。

「分かりませんでした」
「は」
「でも、分かったこともあります」
「分かったこと?」
「はい。
 ジャミル先輩に嘘をつかれたら、裏切られたら、すごくショックですごく傷付くくらい、私はジャミル先輩のことが好きだって分かりました」
「……つまり、君は俺に裏切られて、傷付いている自分がいるから、俺のことが好きだと認識し直したってことか?」
「さすがジャミル先輩。とっても読み取ってくれて助かります。正解です」
「君歪んでるって言われないか?」
「……でも、先輩も捻くれてるし、丁度良くないですか?」

 思いがけない彼女の反撃にジャミルを目を丸くして、すぐに彼女の頬を引っ張った。彼女は全然痛くないのに、痛い痛いとわめきながら、ジャミルと繋いでいる手を揺らす。

「はあ、意外だったよ。ナマエがそんな性格だったとはな」
「嫌ですか?」
「……」

 ジャミルは彼女に顔を覗き込まれて、彼女と繋いでいる手を引っ張って、彼女を自分の胸の中へ閉じ込める。彼女はジャミルの胸板に顔をぶつけて、いつもふわり、と嗅いだことがある匂いいっぱいに包まれた。ジャミルは彼女をぎゅう、と抱きしめると、横髪で隠れている彼女の耳を見つけて、そっと囁いた。

「いや?むしろ、大歓迎だ」
「!」
「捻くれてる俺に、歪んでる君はお似合いなんだろ?」
「はい!」

 元気のいい返事をする彼女の髪をわしゃわしゃと撫でながら、ジャミルは頭の片隅でムードとは……?と考えてしまったが、まあ、追々でいいだろう。とりあえず、今日はこのまま穏やかなお茶会を楽しむことにした。



「ジャミル先輩、実は言わないといけないことがあって……」
「?」
「その、私男の子ではないんです……」
「つまり、女の子ってことか?」
「そ、そうです!気付いてました?」
「いや、可愛らしい男の子だと思っていたが、どうしても女の子に見えて、不思議な感覚だったよ」
「……でも、ジャミル先輩、そんなに驚いてなくないですか?」
「まあ、好きだからな」
「え」
「君だったら、どちらでもいいくらい」
「急にドッカーンしないでください!」
「君絶対わざと、おちょくってるだろ」
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