いちばん

 受験が終わって、合格して、新しい生活が始まるまでの短い間に、その出来事は起きた。卒業して、カラオケでクラス会。そのときにノリで連絡先を交換した相手から、飯に誘われた。その相手は好みの許容範囲内だったし、断る予定も、理由もなかった。了承して、日程を決めて、…そして当日。待ち合わせ場所には名字は先に居て、俺に気付くと小さく手を上げた。

「よっ、久しぶり……?でもねぇか」
「うん、先日クラス会あったばっかだしね」
「で、何食う?」
「うーん、瀬呂くんは?」

 彼女は小首を傾げて、俺に尋ね返す。俺は予想していた彼女の行動に、いくつか店の名前と何がメインか伝えている中で、彼女の目が少し嬉しそうに細くなった。

「オムライスだな」
「え、……」
「名字好きだろ?違った?」
「ううん、好き」
「じゃあ、問題ないな」
「うん」

 俺のイメージと経験則でしかねぇけど、彼女みたいなタイプは相手に気使って、何食べたいとかあんま言わねぇんだよな。春休みの間何をやっていただとか、雄英に入ったら何をしたいだとか、そんなことを話しながら、俺たちは店に入って、オムライスを食った。瀬呂くんって意外に食べるんだねぇ、と彼女は目を丸くして、驚いていた。ひょろいからね、そう言われがちだけど、俺食べる方だよ、なんて返して、俺は彼女の食べかけのオムライスを食べることになった。ここのオムライスは美味いけど、ちと量が多い。彼女も例外なく、最初こそは美味しそうに食べていたが、どんどんスプーンを運ぶスピードは遅くなっていった。

「ふー、食った。やばい、腹重い」
「ご、ごめんね。私のいっぱい食べてもらって……」
「んー、まあ、確かに量は多かったけど」

 彼女もお腹がキツイだろうに、彼女は俺の歩幅に合わせてくれた。なんつーか、いい子だよね。ほんと。落ち込んで俯く頭に手を軽く乗せて、気にすんなと歯を見せて笑う。

「男としては役得だから」
「…そ、そういうもの?」
「女の子に頼りにされて悪い気はしねぇよ」
「…そ、そっか」

 彼女は俺の言葉に視線を逸らして、何かを考え込むように唇を指でなぞる。その様子を見下ろしながら、俺はちょっとムラッとした。なんつーか、単純に、唇ってエロい。

「ね、瀬呂くん」
「んー?」
「……私ね、今日瀬呂くんにお願いがあって連絡したの」
「お願い?」

 聞き返すと、彼女はこくんと頷いた。
このお願いが俺と彼女の関係を大きく変えるきっかけ、分岐点だった。

***

「……一応聞くけど、マジですんの?」
「うん、マジ。瀬呂くんが無理っぽいなら、無理強いはしないけど」

 彼女は教室でよく見た気遣うような表情を見せて、眉を下げた。だいじょうぶ?とでも言われている気分だ。でも、その表情は場違い過ぎた。どう考えたって、男に押し倒された女の子あ見せる表情ではない。いやー、……ノリと勢いでここまで来たけど、マジか。んー、彼女の髪を指に巻いたりして、俺はつい考え込む。べつに、いいんだけど。でもなぁ……。



「え、え、……名字さん?」
「どれがいい?一応通販で買ってあるんだけど。
 もし愛用してるのあったら、買った方がいいかなって」

 人目もあるドラッグストアの、あのコーナーに俺の手を取り堂々と行こうとする彼女を全力で止める。何考えてんの。確かに、君のお願いは……だったけど、ゴニョゴニョ。彼女は俺の行動にとても不思議そうに首を傾げた。俺が傾げたい、から。てか、もう買ってあるってなに。この現代っ子。

「だって、セック」
「こら」
「……」
「もし、次それ言ったら、お願い聞かないから」
「それは困る」

 彼女は至極真剣な顔をして、そう言った。……名字さんって、こんな子だったっけ。やべ、頭痛くなりそう。俺は彼女の手を引っ張って、ドラッグストアから取り敢えず出る。瀬呂くん、でも避妊は大切と……、未だに続ける彼女に俺はため息をしながら耳打ちをした。なんで、俺こんな事を女の子に言わなきゃいけないんだろう。彼女は目を輝かせて、流石だと小さく拍手してきた。やめてくれ。

「さすがだね、瀬呂くん」
「俺には何が流石だか分かんないよ、名字さん」
「さすが非童貞だなって」
「……え?」
「?」

 目を丸くして驚く俺と、心底不思議そうに首を傾げる彼女。

「こないだ放課後の教室で男の子たちと、言ってたでしょ?」
「…あ」

 ね?と確認するように俺を見上げる彼女の視線に、俺は本格的に頭が痛くなって来た。頭を押さえていると、彼女がバファリンいる?と鞄の中をガサゴソと探し始める。いいよ、だいじょうぶと彼女の頭を軽く叩いた。

「ほんとに、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ」
「なら、いいけど…じゃあ、行こう」
「どこに」
「私の家」

***

 あれよあれよと言う間に、俺は彼女の家の最寄り駅、家、部屋を通過し…彼女の部屋のベッドまで到達してしまった。あー、この自分の部屋とは全然違う感じとか、匂いが余計に…なんか、非現実的っぽい。しかも、ベッドの上って。未だに展開が受け入れられていない俺の横には、その原因の彼女が居て首ひねっている。彼女は決意をするように頷いて、俺の腕に抱き着いて来た。なんだなんだ。

「名字さん?」
「やっぱり、ムードが大切かなって」
「…」
「ほら、ムラムラしないと瀬呂くんの…」
「…いやいやいや、それはダメ。アウトだから」

  彼女の言葉が途切れて、じっと視線が下に落ちた。その視線の先には瀬呂くんの範太くんがいる。当然のように反応もしていない。ここまで直球に見られると、普通に恥ずかしいわ。やめて。俺は彼女の目を遮るように軽くぽん、とおでこを押した……つもりだった。彼女は呆気なくボールが転がるようにベッドに倒れ込んで、彼女に腕を抱き締められていた俺も、彼女の体重に引かれるように倒れんでしまった。ぐえ、とカエルの潰れるような鳴き声がして、俺は身体を起こそうとするが、できない。

「…名字さん」
「しよ…嫌?」
「……嫌とか、そういうんじゃなくて…」
「生理的にムリ?」
「いや、それも違うけど」
「じゃあ、しよ」

 ぎゅうぎゅう、と甘えるように腕を抱き締められ、ついつい欲望に忠実な方へ天秤が傾きかける。

「名字さん可愛いんだから、彼氏の一人や二人出来ると思うけど…」

 わざわざこんなマネしなくても。俺はため息を飲み込んで、彼女に何度目かの牽制の言葉をかけるが…、これ牽制でも何でもなかった。彼女は俺の言葉に目を大きく見開くと、頬をほんのりと染めて視線を逸らした。やばいわ。あくまで、今俺は彼女に求められている側だし、ベッドの上だし、彼女の上にいるし、…いいじゃない?

 俺ら十代だし、若いし、…どうせ転ぶなら、大怪我するなら、今のうちじゃね?

「……後から、やっぱやめてとかやめてね」
「分かった」

 真面目な顔で頷く彼女に何処か毒気を抜かれながらも、俺は彼女の首筋へ唇を落とす。薄々分かってたけど、怪しいと思ってたけど。もしかして、名字さんは俺のコトが好きだったのかなとか、だから抱いてほしいなんて言ったのかなとか、思い切り外れた期待は見ないフリをして、俺は自分を慰めるように柔らかい身体を堪能することにした。
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