丼の上の半熟卵とお酒の組合せがうまかったり、前まで好んで食べなかった漬物がおいしく感じたり辛いものも平気になったりブラックコーヒーも飲めるようになった。苦手なものがなくなっていくにつれて視野も広がり、世間を知る。はいはいから徒歩になり自転車から車も運転できるようになった。ああ、こうして歳を重ねていくのか。とソファーに寝そべりながらだらしない格好をしてテレビを見ている孝介を見ながら溜め息を吐く。高校三年間野球に燃えて大学野球まで踏み込んでそれから世知辛いサラリーマンになった孝介。わたしはというと高校野球って燃えるんだぜ!とたまたま当時隣の席だった孝介に力説されマネージャーになることをきめ大学でも孝介と野球を連れ添って今はただのOLだ。ちなみにお弁当は世間が思っているほど小さくない。一部の人はこれだけ?ってくらいの小ささだけどわたしにはどう頑張っても足りない量なのだ。確かこれを孝介に報告したときは笑っていた。いや、嘲笑っていたという方が正しい表現である。おまえはかわんね〜なってばかにする孝介がすきだった。
「あのさ、一緒に住まねえ?」
そう初めに言い出したのは孝介だった。高校そして大学生活も一緒になり自然とお互い一緒にいるようになり、大学に入ってから一人暮らしを始めたわたしの家は、孝介は実家に暮らしてたからうちの方が大学に近いということもあり度々我が家に来てはもはや住み着いてる状態にもなりつつあった。ご飯を食べるだけだったり、寝に来るだけだったり、もちろん男女が二人きりになって、飲み会帰りで酔ってたり恋人がいなくて寂しさを埋めたいなんて本当の理由は分からないけどソウイウ関係になったこともあった。
それでもわたしと孝介はお互い付き合おうとかそういうのは無くてただただ一緒にいた。それが苦しい時もあったし楽な時もあった。そんな関係が大学2年まで続いたある日のこといつものようにわたしの家でご飯を食べているといきなり孝介が突拍子もないことをいい始めた。
「へ?なんて言った・・・」
「だから、一緒に住まない?って言ったんだけど」
思いもしなかった言葉にわたしは持っていた箸を落とすと孝介に行儀わりぃなと怒られたが今は行儀を気にしている場合ではない。
「で、どーすんの?」
「え、ちょっと待って」
「待たない」
「え、ちょ、孝介」
「・・・やだ?」
少し悲しげにそういう孝介に「いやじゃない!」と思わず言った瞬間に孝介はしてやったりとにんまりと笑い、じゃあ決定な。とわたしの箸を拾い上げてまた食事を始めた。次の日大学の授業が終わった孝介がわたしの家にこじんまりとした自分の荷物を持ってきた時は思わず家出少年か!と笑ってしまった。
「おはよ」
「孝介おはよ、コーヒーいれといたよ」
「サンキュー」
「なんだか朝孝介が隣に居るなんて慣れないね」
「・・・って言いたいだけだろ」
「バレた?」
せっかく同居初日だからと初々しいカップルの真似をしてみたけれど生憎わたしたちにもうそういう初々しさは残ってなかったか、と朝から二人でバカ笑いしてコーヒーをのみこんだ。同居してからというもの、家賃は折半になるし一人の寂しさもなく孝介がいてくれるだけで夜間のお出かけもなにの不安もなく行動できるから至れり尽くせりだった。こんな名前もつかない同居生活ももう2年も経ってわたしたちは大学を卒業して就職先も幸いお互い無事に決まった。同居初日に寝るときに靴下を履いて寝てると言ったら孝介はバカにしたけど今では孝介もわたしと同じ靴下を履いて寝てる。周りからは二人は付き合ってるの?なんて聞かれることもしょっちゅうだったが未だに付き合おう、なんて言葉をかけられたこともかけたこともないため同居人だよと答えるしか術がないことに苦笑する。思えばわたしのこの7年間ほとんど孝介との思い出ばかりで、いざこの関係が終わってしまったらなんて考えても考えても想像の付かない未来だった。社会人になってふと将来のことを考えるようになったけど今のこの関係が心地よすぎて悩むのをやめる。
社会人になって二年、孝介との同居生活も四年目になっていた。お互い仕事にも慣れてライフスタイルが確立されて余裕もできた。金曜日は呑みに行ったり、今ではソウイウことは漠然となくなったけどたまに酔った勢いでキスくらいはする未だになんともいえない関係がやっぱりわたしは心地良いから深く踏み込めない。そんなこと考えながらソファーにねそべる孝介の横に座ってコーヒーを机に置くとさっきまでつけていたテレビが消えたから隣の孝介を見ると、さっきまでソファーに寝そべりながらだらしない格好をしてテレビを見ていた孝介がいつの間にかちゃんと起きてソファーに座ってわたしを見ていた。
「名前」
「なに?」
「結婚しようか」
「・・・は」
「あのさ」
「・・・うん」
「俺が何でずっと名前と居るか分かる?」
「大学近かったしそのまま引っ越すのも面倒いし・・・?」
そういうと孝介は怪訝そうな顔をして盛大に溜め息を吐いた。
「そんなんじゃねーよ」
「じゃあ、なんで」
「本当は名前だって分かってるだろ」
わたしの言葉を遮って孝介は今までにないくらい優しい顔で笑っていた。本当はわたしだって薄々は気付いていた。だけど、この名前のない関係に名前をつけたら駄目な気がして気付かないフリをしていたのかもしれない。
「名前が好きだ、結婚しよう」
色気もシチュエーションもない、ましてやお付き合いだって始まってない関係なのに。ソファーの上で二人で部屋着、わたしなんかすっぴんだし孝介はさっきまで寝そべりかえってたから頭には少し跳ねた髪の毛。それでもどこかのレストランで綺麗な夜景と豪華な食事に着飾った服装なんかよりもずっとずっと私達らしいプロポーズだなって涙が零れた。左手の薬指できらりと小さなダイヤが光り輝いた。