「あの、叶くん、」
ガキ大将で意地悪、ルリはいつも叶くんのことをそう言っては最低なヤツ!だいっきらい!といつも心底嫌そうな顔をしてわたしに愚痴を言う。わたしの通ってる学園、もとい高校は男女別になってるからそんなにも触れ合う機会がないのだけれどルリからはよく幼馴染の叶くんの話をよく聞いていたのでわたしの唯一知っている男の子になった。とはいってもルリから聞く話は全部嫌なところなわけなんだけど。
「よかったら、これ」
わたしがはじめて叶くんを見た時はゴールデンウィークの半ばだった。人目を避けて遠くを見つめていて少しだけ悲しいような嬉しいような顔をしてコンクリートの段の上で壁にもたれかかっていた。わたしが思わず声をかけるとビクッと肩を揺らしてわたしの方へ振り向いた叶くんは少し目頭を濡らしていた。わたしに気がつくと手に持っていた携帯をズボンのポケットにしまい込んで、なに?と言わんばかりの目線をこちらにぶつけて泣いてたのがバレないように少しだけ俯いた。
「あ、えっと、ルリの友達の苗字名前って言います」
「・・・三橋の知り合いか」
で、何の用?と袖口で目を擦りながらくんっとつりあがった猫目でじろりと見られた。
「あの、」
「・・・・・・」
無言で見られてどうしていいか分からず渡そうと差し出しかけていたままのハンカチを自分のもとへと戻して、あの、とかえっと、とか途切れ途切れに口から単語を漏らすことしか出来ず叶くんを困らしていた。ルリがいう叶くんが目の前にいて気付けばいつも帰り際グラウンドを横目で見て帰るのが習慣になっていた。猫目をさらにつりあげて笑った顔を見た時に目の前でこの笑顔で笑われたらわたしはもうその場で膝から崩れ落ちるのでは、と考えるほどきれいな笑顔だった。ルリに叶くんの話をするたび冒頭のような言葉しか言われないためどうにかして叶くんのことを知ろうと、部活がある日は毎日遠回りだけどグラウンドの横を通って少し眺めて、かえる。野球のルールなんかてんでわからないけど本当に好きなんだな、っていうことがひしひしとフェンスの向こう側から伝わってきてなんだか苦しかった。
「みんなには内緒な」
「・・・え」
「俺がここで泣いてた、こと」
「い、言わない!絶対に言わない!!!」
「はは、ありがとな」
そういって叶くんはわたしの手元にあるハンカチをすっと取ってせっかくだから借りる、と言って近くにある水道で顔をばしゃばしゃと豪快に洗ってハンカチでごしごしと拭いた。ふう、とため息をついてからわたしの方にくるりと向く叶くんはもうさっきまでの暗い顔はどこかへ吹き飛んでいったようだ。
「洗って返す。明日、またこここれる?」
「は、はい!これます!来たい、です」
「ふ、なんか苗字さんて面白いね」
「・・・どこがでしょうか」
軽く叶くんにまた笑われて、また明日。と一言私に告げてそれから叶くんはグラウンドへともう一度走っていった。わたしはそれからどうやって家に帰ったのか覚えていないほど、ずっとフェンスごしにみていた叶くんが目の前にいたことにどきどきを隠すことが出来ず家にかえってからもお母さんになんか変よ?と言われてもうん、としか返事することが出来なかった。憧れと恋は似てるってよくいうけれどこのどきどきはよく知っている、恋だって。
〇
「昨日はありがとう」
次の日の放課後、ルリにバレないかひやひやしながら足早に自分の教室から慌てて出て昨日叶くんと話した場所にいくともうすでに叶くんがいて待たせてしまったことにすごくへこんだ。これでもマッハで走ってきたのだ。おかけで叶くんに会うっていうのに額には汗がじわりと浮かんでいて、思ったより普段の運動不足がたたって息が切れてしまっているのが恥ずかしい。ふう、と深呼吸して息を整えてようやく一言喋れるようになるまで叶くんはなにも言わずに待っててくれた。
「わたしこそっ」
「なんで苗字さんがお礼?」
「わたし、実ずっと、帰り際野球見てて」
「・・・・・・」
「その中でも叶くん野球、すごい好きなんだな、って叶くんのこと日に日に気になって・・・」
つい口からこぼれてくる言葉にハッとした。まるでこれじゃあ叶くんのことが好きです、って言わんとばかりの流れじゃないか・・・!そろりと目線を叶くんにやると叶くんはほんのりと頬が赤かった。それは夏の暑さのせいなのかそれとも少しだけ期待してもいいんだろうか。
「あの、だから、喋れてすごい、嬉しかったです」
そういって恥ずかしさに耐えきれなくなって、ハンカチを受け取りそのままくるりと体を反転させてじゃあ!とそのまま帰ろうとしたら「あのさ」という声と同時に手首を掴まれてくんと体を引き戻された。振り向けばさっきよりもほんの少しだけ頬の赤みを増した叶くんが真剣な目でわたしを見つめていた。
「俺」
「う、うん」
「俺も」
「・・・?」
「本当は苗字さんのこと、知ってた」
「え?!」
「あんなとこで見てる女子、すごい目立つから」
じゃあ今まで野球部の人にわたしの存在を知られてたのかと、かあぁと顔全体が紅潮していくのが分かるほど恥ずかしさに苛まれて今すぐここから逃げ出したかったのに手首を掴まれているためどうすることも出来ずに、じんわりとあつくなってきた手首を見るので精一杯。
「よかったら友達からなんて、どうですか」
顔を上げればずっとずっと遠くからみていたはずの笑顔が目の前にあって、やっぱりわたしは膝から崩れ落ちそうだった。