今頃君の爪を思い出すなんて
カラン

缶コーヒーが手元から滑り落ちて中身がじゅわりとコンクリートに広がっていった。浜田がいそいそと転がって行った缶コーヒーを拾い上げて服にかかっていないか心配してくれた。うん、と引き攣った顔で横の髪の毛をかきあげながら浜田から缶コーヒーを受け取る。浜田は一息ついてもう一度わたしの事を真剣な顔で見た。


「苗字は?」

「・・・」

「苗字も、本当は今でも泉の事好きじゃないの?」

「・・・んなこと」

「本当はちゃんと泉の話聞かなかった事後悔してるくせに」

「っ、」

「これ今の泉の番号」


はい、と浜田から受け取った小さな紙切れには080から始まる番号が丁寧に書かれていた。いつのまに浜田はこんなもの用意していたのか、紙から目を話して浜田を見るといつかの泉のように笑っていてなんだか泣きそうになった。



孝介達が部活を引退した。三年の夏彼らは甲子園に行き優勝はしなかったけど結構いいところまで行って、みんな泣いてたけどすごくすごくいい笑顔で長い長い夏を閉じた。甲子園に出たこともあって雑誌のインタビューにも割合載るようになってファンレターもちらほら来ていたらしい、孝介にきていたかはきかなかったけれど、本当はきていたんじゃないかなって思ってる。そんな引退して前よりも会えるようになったけれど孝介の様子がどこかおかしかった。おかしいというか、何かわたしに隠してるような、そんな感じでそわそわしているような気がした。一緒にいるときもどこかきょろきょろしてるし、なんていうか、引退してから少しおかしい。最もこのときは部活がいきなり無くなって(少しはみんなと顔出してるみたいだけど)寂しいのかなあなんてのんきに考えてた。


「最近孝介おかしくない?」

「どこが?」

「どこがって言われると、困るんだけど・・・」

「別におかしくねえよ」


そうは言うものの彼はわたしも見ずに少し痛々しい笑顔で笑っていた。やっぱりどこかおかしいよ、と言いたいけどおかしくないと孝介が言うならそうなんだろうと少し不満げに「そっか」とにこりと笑っておいた。その次の日朝友達が急いでわたしのもとへと駆けてきて息を切らしながら机の目の前に来て口を開いた。


「昨日、泉くんが女の子と居たって」

「・・・え?」

「たぶんだけど・・・中学のときの元カノ、かもって」


視界が歪んだ。"元カノに似てるんだ"頭の中で忘れかけていた言葉がまたぐるぐると再生されていき涙がこぼれ落ちそうなのを唇を噛んで我慢をし保健室へと駆け込んだ。人目も気にせず廊下をただただひたすら走って保健室へと駆け込むとそこには運良く先生は居なくて、勝手にベッドを借りる事にした。中庭から聞こえる色々な人の声が、すべてがなにもかもわたしを嘲笑っているように聞こえて耳を抑えて布団に潜り込んだ。

何時間たっただろうか、ガラッとドアが勢いよく開く音が聞こえて先生かと思い布団からのそって起き上がるとそこには先生じゃなくて孝介がいた。


「こう、すけ」

「教室行ったらここだって聞いて」

「そ、っか」

「またどっか具合わりいの?」


そう言いながら心配そうにわたしの方へ近づく孝介がなんだかいつもと違って見えて震える声で


「昨日、何してたの」


孝介はぴたっと足を止めた。ゆっくり顔を上げて孝介の方を見ると目を見開いてこっちを向いていた。わたしは布団をぎゅうと握りしめながら孝介の方を今度はまっすぐ向き直して唾を飲み込んだ。


「?元カノに会ってたの?」

「・・・!」

「なんで、」

「・・・」

「孝介の事、信じてた、のに、・・・もうだめみたいだね」

「・・・名前っ」

別れよ、そう言って目に涙を溜めながらベッドから降りて孝介の横を走って保健室から出た。・・・泣くな、泣いちゃだめだ。頭ではそう思っているのに、身体は目から溢れる涙を止めてはくれなかった。心のどこかでは孝介がそんなんデマに決まってンだろ、っていつもの笑顔で笑って否定してくれるんだと期待していた。けど現実はそう甘くはなかったのだ。孝介のあんな顔泣きそうな顔、はじめて見た。泣きたいのはこっちだって言うのに、傷ついてるのはわたしの方なのに、なんで孝介があんなに苦しい顔をするの?走る足を止めてわたしは階段の隅で思い切り泣いた。




それからわたしたちは一回も連絡をとる事もなく、もともとクラスが離れていたため学校でも会うこともなく卒業式を迎えることとなった。卒業式で久しぶりにみる孝介の姿は今までみたよりもどこか大人びていて、卒業するという実感と、色々な感情が混ざって思わず涙した。ずっとずっと好きでいようと誓ったあの気持ちもすべて高校時代においてきた、おいてきたはずだったのに、今日浜田に会った事でわたしの中の気持ちがぐらりと揺れ動いてどうしようもない気持ちに埋め尽くされてしまった。孝介がまだわたしの事すきだなんて正直信じられなかった。勝手に終わりを告げた高校時代からもう一年経とうとしてるのに。


「じゃあ、そろそろ帰るか。ごめんね、呼び止めて」

「ううん、こっちこそごめん」

「・・・泉に連絡してやってね」


わたしはそれには返事をせずに少し間を開けてじゃあと後ろを向いて自宅へと戻った。家に入りベッドに寝っ転がって浜田から受け取った番号をくしゃりと握った。今更孝介になんて言えばいいっていうんだ。