世界にふたり | ナノ
※モブ視点。



「あ、雨だ」

誰に届くこともない独り言。課題のプリントを家に忘れて、提出してから帰れと先生のお叱り。仕方なく放課後残ってプリントを終わらせて、帰ろうと昇降口に着くと雨の匂いがした。

「傘ないのー?」

不意に呼ばれて振り向けば、着崩れた制服にふらりふらりと揺れる傘を長い指に引っかけて私を見下ろす天童くん。

「あ、うん。そうなの」

今、この会話が初めてなんじゃないかってくらい接点がないクラスメイト。長身赤髪、ただならぬオーラ。なによりバレー部のレギュラーだから凄く目立つ人。

「ふーん。俺は傘あるヨ!」

そう言って先程まで揺らしていた傘を、なんとも誇らしげな顔をして上げて見せる。そんな天童くんになんと言っていいかわからず「そっか」と言いながら変な顔をしてしまった。

「貸してあげようか?」
「え? いいよ! 悪いよ!」
「そー?」

話しかけてきたにも関わらず、大して興味がないような声色。私をすり抜けるようにして距離が近づき、この場に広がる雨の匂いを裂くように香った、知らない匂いが横切った。そして天童くんは下駄箱を開けて靴を履き替え終えると、長い身体を器用に折り畳むようにしてその場にしゃがみこんだ。

え? 帰らないの?

ただ外を眺める私と、携帯をいじる天童くん。まったく彼の行動が読めない。緊張なのか、気まずさなのか心臓が雨音みたいに跳ねる。このまま無言で過ごすには気が進まなくて、今度は私から声をかけた。

「誰か待ってるの?」
「ウン」

……バレー部の人かな。食堂でバレー部の人と楽しそうに話しているのを見たことがある。

「バレー部の人?」
「ウウン」

なら友達?……かな。これ以上会話は続かず、雨も止まず諦めて濡れて帰るかと悩みだした時に、天童くんが口を開いた。

「雨止むまでここにいるつもり?」
「今、帰ろうと決心したところ」
「なら、はい」

そう言って傘を私に差し出した。

「天童くんが濡れちゃうよ」
「俺、寮だし」
「いや、でも」
「カノジョ待ってんの」
「え?」

カノジョ。彼女。天童くん彼女いるんだ! 私の視界に広がる天童くんの赤。その下から覗きこむ大きな目。赤黒い虹彩が綺麗だと思った。そんな天童くんの彼女。どんな人だろう。想像がつかない。

「俺にとっては天使だヨ。カノジョ」

まるで私の考えてることが見えてるみたいに話す天童くん。顔に出すぎだった? ええ? 困惑していると、後ろから「おまたせ」と声がした。

「待ってないヨー」

さっきまでとは違って柔らかい声。優しく笑った顔。教室でも天童くんはよく笑う方だと思うけど、そういう笑顔なんかじゃなくて。初めて見る表情にドキっとした。そんな顔をさせるなんて、どんな彼女なんだろうと視線を送れば、凛とした雰囲気の美人。たぶん同じ学年だけど、見たことがない人。視線だけを動かし私と天童くんを交互に見て友達? と口にした。

「同じクラスの人。傘無いんだって」
「そうなの? 覚くん貸してあげなよ」
「うん、でも断られた」

覚くん。そうだ。天童くんの名前は覚だって当たり前の事が頭の中で駆け巡る。天童くんの名前を自然に呼ぶ彼女。なんだか複雑な気持ちになった。

「カノジョの傘にいれてもらうから、はいドーゾ」
「あ、ありがとう」
「じゃバイバーイ」

傘を受け取って、動き出せずにいる私の横で開かれた傘。無地だと思っていた傘の内側は、目が奪われるほど綺麗な模様が広がっていた。そんな世界の中に収まるようにして天童くんと彼女、二人は仲良く並んで行ってしまった。傘を持つ天童くんが彼女に傘を傾けて、彼女は天童くんに近づいて傘を押す。その恋人同士のやり取りに目が離せなくなって、二人が見えなくなってもしばらくその場で佇んでいた。

いい加減帰ろう。開いたビニール傘。持ち手が少しざらざらしていて、さっき香った匂いがした。傘にも人の匂いって移るんだなんて考えて、これが天童くんの匂いなんだって思ったら顔が熱くなった。


次の日、傘を返そうと晴れているのに傘を持って登校したがバレー部は公欠らしく、しばらく天童くんの姿を見ることなかった。


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あの雨の日を境に、私は天童くんを目で追うようになってしまった。
クラスで天童くんは誰にでも同じ調子で会話をする。ただ、彼女に向けるような表情はしない。その表情を知ってしまったせいか、もう一度あの顔を見てみたいなんて思ってしまうこの感情はなんだろうか。

「最近俺のこと見てるデショ」

休み時間、一人になった瞬間にかけられた言葉。いつの間にか私の前に座って椅子の背もたれに頬杖を付く天童くんがいた。

「え、あ、えっと、その」

事実を突きつけられて否定の言葉が見つからない。

「傘、返したくて」
「あぁ。いいヨ。カノジョとあの後買いに行ったからあげる」

ただのビニール傘だしと付け足して、私を真っ直ぐに見る天童くんに視線を向けられない。綺麗だと思ったあの瞳に恐怖を覚えた。悪いことをしたわけではないのに俯いて、自分の指先を見て話す私は天童くんの瞳にはどう映っているのだろうか。

「俺、カノジョ一筋だよ」

その言葉が胸に突き刺さる。まだ自覚すらしてない自分の気持ち。それなのに勝手にピリオドを打たれた。言い返す言葉なんかなくて「そうなんだ」としか言えなかった。

「俺カノジョに嘘付けないし、余計な心配かけられるほど余裕ないんだよネ」
「告白したわけじゃないのに、凄い言いぐさだね」
「ウン。俺の考えすぎならそれでいい。それだけ大事なの、カノジョ。余計なストレス与えて振られる要素少しも作りたくないのヨ」

じゃあ、そーいうことだからと5分に満たない会話を終了させて席を立った天童くん。自然と目頭が熱くなった。失恋だ。恋と自覚する前に失恋。漫画みたいに格好よく言えば彼女に恋するあなたが好き。聞こえはいいけれど、そんなに簡単に片付けられない感情。

何も言っていないのに一方的に振られた。冷静になって、なんであんなこと言われなきゃいけないのって憤慨して、自分のロッカーにしまわれたままだった傘を取り出し天童くんに突き返した。

「あげるって言ったケド」

眉間に皺を寄せて不機嫌そうに呟き、長い指が傘に触れた。その傘を持つ一本一本の指、骨張った手首、長い腕。知らなかった天童くんの全てに嫌でも視線を引き付けられる。恋を自覚するには充分過ぎた。だから失恋を自覚するにはまだ早すぎた。



あれから数日後、天童くんと彼女が並んで歩いているのが見えた。嫉妬するなんてきっと烏滸がましい感情。それでも私は走って二人を追い越して、立ち止まって振り返る。天童くんと交わる視線。けれどその視線はすぐに逸らされて、横の彼女に向けられ何か話している。彼女の方は私の方に見向きもしない。存在すら認識していない。

「覚くん! ばいばい!」

仕返しだ。少しでも私を見てって、叫んだ。その叫びに表情を崩してガクッと体を傾けた天童くん。彼女の表情を見る前に私はまた走り出しだ。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


私の仕返しに、確かに天童くんは反応を見せたのにも関わらず、後日特にそれを咎められる事はなかった。私の行動が無かったみたいに、気にもとめていない。存在自体が見えていないみたいで、そんな事実が悔しかった。
だからだろうか。それは本当に偶然。友達に頼まれて本を返却しにきた図書室でポツンと一人座る女子を見つけた。そう、天童くんの彼女だ。心の準備なんかできていないのに、なんの迷いもなく声をかけてしまった。

「あの、ちょっといいですか」

天童くんに声をかけるより緊張した。背筋をしゃんと伸ばして、絵に書いたような佇まいで座る彼女はチラリと視線を向けるだけ。

「今すぐじゃないと駄目ですか」
「いや、そういうわけじゃ……」
「少し待ってもらっていい?」

ノートに筆記体で英文を書く手を休めることなく、会話をする天童くんの彼女。そして「少し」と言われたのに一時間は待たされた。

「あ、ごめんなさい。今、いい感じで集中してて」
「いえいえ!」
「時間大丈夫? とりあえずここ出ようか」

すごく存在感のある人。無視ばかりされている私とは違う。後姿だけでも私には勝ち目がない天童くんの好きな人。そんな彼女に続いて歩き、図書室から少し離れた場所で足を止めて急に振り返った。交わる瞳。なんの恐れも迷いもないような瞳が、ここで聞きますって言っている気がした。

「私、天童くんが好きなんです」

ありったけの勇気でそう告げれば「あぁ」と、何かを思い出した表情をした天童くんの彼女。

「それで?」
「それで? それで、それで。告白、します」
「そう。話それだけ? 私先生に質問しに行きたいんだけどいいかな?」

表情変えることなく、私の勇気とか気持ちとかまるで関係ないみたいに言う。

「なんとも、思わないんですか?」

同じ年だって分かっていても、なんでか敬語になってしまう。そんなオーラのある人。

「いろいろ思うよ。考えるし、嫌でも余計なことを想像する。でも決めるのは覚くんだから。それにずっと告白しないで覚くんを想い続けられるのは面白くない」

はっきりとした口調。強い眼光。それは私を畏縮させ、言い返すことを許さない。黙った私を見て天童くんの彼女は、「じゃあ、行くね」と本当に去っていってしまった。



‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐



宣戦布告と言っていいのかは微妙なところだけれど、自分の中で筋は通した。だから決心して、勇気を振り絞って口を開いた。

「天童くん、ちょっといいかな」
「よくなーい」

昼休みになったとたん席を立った天童くんを捕まえた。しかし、聞く耳もたず、立ち止まってもくれない。

「これからカノジョとお昼なの。邪魔しないでくれる?」
「ちょっとでいいから」

必死に追いかければ、急に足を止めて「じゃ、今聞くから早く言いなヨ」と廊下のど真ん中で私を見下ろした。表情なく、冷たい眼差しに何も言えなくなる。こんな顔が見たかったわけじゃないのに。

ただ私を見下ろす天童くんと、視線を手元に落として何も言えない私。そんな空気を簡単に壊す人物が現れた。

「天童、そんなところで立ち止まっていると邪魔になるぞ」

有名人、牛島くんだ。

「ごめーん若利くん」

天童くんがわざとらしく大袈裟に一歩ずれて窓際に寄り、私もそれに合わせて廊下の端へ移動した。

「今日は水曜だ。いいのか急がなくて」
「いやー急ぎたいのは山々なんだけどさ。ちょっと入用が入りまして」

まるで邪魔者を見るような視線が突き刺さった。本当に邪魔だと思っているんだろうけど…。

「ナマエちゃんが一人でいると思うからさ! 若利くん声かけてあげてヨ! そんで俺が行くまで一緒にいてあげて!」

「お願い!」と顔の前で手を合わせて、牛島くんに頭を垂れる。牛島くんは「わかった」と一言残して、食堂の方へ消えてしまった。

「はあ、ちょっと来て」

大きな溜息をついて、ポケットへ手を突込み足早に歩く天童くん。その背中を必死で追いかければ屋上へ続く踊り場へとついた。人気のない場所。

「はい、ドーゾ」

仕方がない。聞いてやるから早くしろって目が言っている。

「天童くんってむかつく」
「それ言うために呼び出したの?」
「むかつく。むかつくくらい彼女のこと好きだし、まだ好きかなんて気づいてなかったのに振られるし」
「あー、そう。で? オシマイ?」

もう行っていいと言わんばかりに、階段を下りようとする。告白してないのに振られて、告白すらまともに聞こうともしてくれない酷い人。

「好きです」
「うん、でも俺カノジョだけだから」

告白したって届かない。

「好きです」
「ゴメンナサイ」

少しの希望も見せてくれない優しい人。

「好き、です」

泣きたくなんかないのに、涙が溢れる。「好きです」と何度も繰り返す私に、天童くんはもう何も言ってくれなかった。そして、開いた口からは出てきたのは溜息だった。

「好き、なんです、」
「あークソ、泣かないでヨ」
「好きです」
「わかったっての」

それ以降なにも言わず、しゃがみこんで私が泣き止むまで側にいてくれた。私のすすり泣く声だけが、響いた。それが収まった頃にぽつり。


「あーあ。カノジョにフラれたらどーしてくれんの」
「私が付き合う」
「ねーわ。可能性ゼロだわ」

いつもと違って乱暴な言葉遣い。だけどやっぱり天童くんは優しい。少しも期待させてくれない。

「優しいんだね」
「俺はカノジョだけに優しくしたいの」
「……羨ましい」
「こんな告白されたの初めてだヨ」

こんなとは、と考えていると「バレー部のレギュラーってだけで告白してくる人はいたりするわけ」と、また私の考えてを読まれた。

「彼女とはどうやって付き合ったの?」
「それ今カンケーなくね」

ぴしゃりと、分かりやすい拒絶。

「つかなんで俺のことを好きになったの。傘貸したら誰にでも惚れるわけ?」
「天童くんの彼女に対する態度が、表情が優しくて。なんか、それで、その顔をもう一回見たくなって、目で追うようになって……」
「アァー、もーいい、もーいいです」

聞くんじゃなかったと言いたげな顔。

「俺が余計なこと言ったから火をつけちゃったわけね。あーあ、読み間違えたなぁ」

そう呟いて首の後をかいた。

「カノジョは俺の初恋の人」
「え?」
「小学校の同級生。ここで再会してしつこく告白して付き合った。カノジョがいなかったら今の俺はないってくらいの存在」
「……いつから付き合ってるの?」
「一年の時から」

そんなの、敵うわけないじゃん。自覚する前に振られようが振られまいが、私が入る隙間なんてどこにもないじゃん。それが悲しくて、どうしようもない。

「天童くんの彼女にね、告白しますって宣言したんだ」
「本当に余計なことしかしねーなぁ」

クソがって強い口調。怖い顔、低い声。私にはこんな表情しかしてくれない

「何て言ったと思う? 彼女」

天童くんは表情を失って、少しの沈黙を挟み「そう、それで? ってな感じでしょ」つまらなそうに足元へと視線を落とした。

「何とも思わないんですかって聞いたの。そしたらね」

天童くんの彼女が言った通りに言葉を伝えた。「私が想い続けるのは面白くない」って言われたと。すると天童くんは初めて、「へー」と柔らかく笑ったのだった。

あ、この表情。私が見たかった顔だ。



「私の自己満足に付き合わせてごめん」
「うん。気持ちは受け取れないけど」

ありがとネ、と言われた気がした。また涙が溢れる。天童くんはそれに気づくが、今度は振り返ることなく行ってしまった。


次の日、天童くんがいつもと違って首が隠れるアンダーシャツをYシャツの下から覗かせていた。なぜそれを着なければならないのか。それを想像するのはやめた。あれから天童くんと会話することも、目が合うこともない。同じクラスだから毎日姿を見ることにはなるのだけれど、今までの関係に戻った。

ただのクラスメイト。




窓を叩く雨音。雨で古傷が痛むっていうけれど、私も雨の日にはまだ胸の奥が痛む。あの傘を貰っておけば良かったのかなと、もうおぼろ気になってしまった、あの日の香りを思い出すのだった。

雨が古傷をえぐる

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