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静かな教室。窓の外は鮮やかな茜色をしている。眩しいくらいの色味に目を細めると、遠くで足音が聞こえた。リズムは急いでいるのに、音は控えめ。しなやかな足音。正体はきっと彼だろう。そうやって少ない情報から想像力を働かせるのは好きだ。なんだか脳が刺激され、それが心地よい。

しなやかな足音の主は開いたままの扉から、飛び込むようにして顔を覗かせ「悪い、遅くなった」と眉尻をさげて、顔の前で手を合わせた。

「おそーい。また告白されたんでしょ?」
「え、なんで知ってんの?」
「なんでって、んー。彼女だからじゃない?」

答えになっていない私の言い分に、黒尾は困ったように笑った。ちょっと申し訳なさそうに、ちょっとむっとして笑った。その顔はきっと私しかしらない。その事実がたまらない。

「なんで俺が告白されると思ってんの?」
「それは暗に俺格好いい! イケメン! って言ってるの?」
「いやいや、ちげーわ。誰かさんが付き合ってるの内緒にしたいって言うからじゃねーのって言いたいんだわ」

そう言って私の隣の席に腰かけた黒尾は最大限に椅子を引き、長い足を投げ出して天井を仰いだ。下がった後頭部に反して強調された喉仏。だらりと垂れた腕から伸びる指先は、床を撫でることができそうだ。そんなだらしのない格好で顔だけを少しこちらへ傾ける。不満で一杯の顔。そんな可愛い顔を知るのは、私だけ。

「だって恥ずかしいじゃーん」
「恥ずかしいってナマエちゃんさー」
「なに?」
「もっと恥ずかしいこと俺としてるよね?」

そう言って自身の首筋に爪を立てた。その仕草も熱のこもった瞳も私だけのもの。黒尾に告白した子は知らない。黒尾の全部全部が私だけが知っていればいいと思う。けれどそれは無理だから、せめて黒尾の彼女は私で、私を特別扱いする黒尾を他人に知られたくない。黒尾が彼女にどんな視線を向けるか。どんな触れ方をするか。どんな声色で愛を囁くのか。知られたくない、独り占めしたい。

「黒尾はいいの?」
「なにが?」
「黒尾と私が恥ずかしいことしてるって誰かに想像されるの」

ハッキリと瞳の輪郭を私に見せ、一瞬黒尾が息を飲んだのがわかった。その表情に思わず頬が緩んでしまう。そんな私を見て黒尾も口角を持ち上げた。音なく上半身を起こした彼は急に雄の顔をする。なんて綺麗な眼をする男なのだろう。ずっとその瞳を見ていたい。ずっとそれを知るのは私だけならいいのに。けれどそんな欲求を彼は理解してくれない。

「まーたそうやって俺を煽る」
「またっていつのこと?」
「あーあーあー。無自覚?」

椅子から立ちあがり私に影を落とす。するすると私を撫でる指先。左頬に触れ髪を耳にかけながら息を吸い込むように唇を啄む。角度を変え、優しく顎の骨、耳朶、首筋、うなじへ触れる。
誰も知らない黒尾のキスの仕方。彼の温度、舌の感触。秘密、内緒、私と彼だけが知っている事実。その優越感がたまらない。だから他人には知られない方が絶対的にいいのに。どうして黒尾はそれがわからないのだろう。

「秘事って最高に興奮する言葉だよね」

私の言葉に色欲漂う溜息をついた黒尾は同意をしてはくれないが、もう一度優しく私の口を塞いだ。


----


ホームルーム。体育祭に向けての話し合い。つまりは体育祭の競技決めだが、その行為も三年目となると揉めることなく早々に終わった。そのため休み時間のように賑やかな教室内。その中で黒尾はクラスの目立つグループに取り囲まれていた。

「黒尾コクられたんだって?」
「なんで知ってんの?」
「振られたーって本人が泣いてたから」
「マジですか」
「彼女いねーのに何で付き合わねえんだよ」
「僕の恋人はバレーですから」
「さっむ……」

そんな会話を盗み聞いている私に「ねえねえ」と、前の席に座る友達がスマホ片手に振り向いた。

「なに?」
「なんか私の彼氏の友達にナマエのこと紹介してって頼まれたんだけど、連絡先教えていい?」
「んー、ダメ」
「え? ダメなの?」
「うん、ダメ」

なんで? と大きな目をパチパチとカメラのシャッターを切るようにして動かす友達は「もしかして彼氏できた?」と声を大きくした。その声になんとなく周りの空気が変わる。好奇心だろう。こちらに耳を傾けるようにして視線を注ぎ、意識が私へと集中している。
この人たちは、今まさに、勝手にいろいろ想像しているのだろう。的外れな想像を。それを愉快だなと思ってしまう私は性格が悪いのだろうなと思う。

「内緒」
「えー! なんでよ!? 気になるじゃん!」
「なら気にしてて」

にっこりと笑って見せると、友達はぷくりと頬を膨らませた。意地悪だとかケチだとか陳腐な悪口がとても可愛らしい。

「友達じゃん!」
「友達がどんな男と付き合っててナニしてるか想像するのって楽しくない?」
「楽しくない!」
「そう? 勿体なーい」

私のことを「へん」「変わってる」と悪態をつく友達の後で黒尾を取り囲んでいたグループがポツリと呟く。

「なんかエロいな」

その声がやけに鮮明に聞こえた。黒尾はどんな顔をしているのだろうとそちらへ視線を向けると、目があったのは黒尾の隣に立つ先程の発言をしたクラスメイト。そのクラスメイトはこの場に相応しくない目つきでこちらを見据えていた。当の本人黒尾は目元を大きな手で覆い隠していて、表情を確認することはできない。そんな光景に思わず笑みがこぼれる。その笑みの意味を勘違いしているであろうクラスメイトは、あからさまに引きつった、ぎこちない笑顔を作って私に向けた。あーおかしい。きっと的外れな想像をしているであろう君の隣にいるのが、私の彼氏だというのに。

「なにニヤついてんの」

黒尾がそう言って隣のクラスメイトを肘で小突き、私と交わった視線を断ち切った。

「いや、俺、ミョウジさんのこと何とも思ってなかったんだけど、なんか今ドキっとしたわ」

ボソボソとした小声ではあるが、狭い教室、遠くない距離。なにより興奮したように弾んだ声色は、私の耳にしっかりと聞こえた。黒尾は「おいおい」と平静な態度ではあるが、明らかに一瞬こちらへ向けた視線が私を軽蔑するように冷えきっていた。そんな顔すらも、誰も知らない彼氏の顔だと思えば私はぞくりとする背徳感に溺れるのだ。


ホームルームを終えた放課後。ミーティングだけで部活が休みだという黒尾と学校外で待ち合わせをした。待ち合わせ場所でスマホ片手に時間を潰していた私の前に現れた彼は、口を重く閉ざし、不機嫌だと分かりやすく態度で示している。きっとホームルームでのアレが気に障ったのだろう。原因はわかっている。けれど黒尾が何も言わないので、私も何も言わない。そうやってしばし沈黙したまま歩き、赤信号で足を止めた。すると控えめなため息が、静かに空気を震わせた。

「ナマエさーあー?」

間延びした語尾。やはり黒尾は機嫌が悪いらしい。

「自分がオカズにされるって発想はないわけ?」
「おかず?」
「自慰のネタ」

自慰と聞いてドキリとする。見上げた黒尾は声色にそぐわぬ無表情。涼しい顔をしているものだから、私もぐっと腹に力を入れて怯むことなく言い返した。

「スマホ画面の向こうの視覚的、聴覚的刺激でするんじゃないんだ」
「頼むからそういうこと恥ずかしげもなく言うの、やめてくんない?」
「恥ずかしーよ。普通に」
「ふーん。そうは見えねえけど」
「そう見えないように頑張ってるから」

なんでだよと気の抜けた笑い方をした黒尾の機嫌は収まったのだろうか。

「ナマエと付き合ってるって言いたいんだけど」
「誰に?」
「誰って、クラスのやつら」
「なんで?」
「俺の彼女が誰彼構わず煽るようなこと言うから」
「煽ってない煽ってない。ちょーっと他人の想像力を刺激しただけじゃん?」
「それが嫌だっつってんの」

付き合ってることを周りに公表したいと黒尾が口にするのは何度目だろうか。その都度このような口論をして、最後には決まって私は同じ言葉を口にする。

「黒尾に任せるよ」

すると黒尾はふんと大袈裟に鼻から息を吐き出し、さらに不機嫌になる。そんな顔も好き。全部が好き。けれど黒尾はそれだじゃ足りない。そう言っているような気がした。

「そういえば体育祭、黒尾パン食い競争になってたね」

無理矢理に話題を変えてみる。黒尾は「へー、そうですかそうですか。そう出ますか」なんて言いたそうな顔をするけれど、諦めたように小さく笑った。

「身長があるからいけるだろって」
「それもそうね」
「やるからには一番目指して頑張りますよ」
「いーねー。男だねー。かっこいーよー」
「ふざけないでくれるかな?」
「心外。本気本気。マジよマジ」
「ふーん?」

そっと大きな手を握る。それを優しく握り返してくれる黒尾は、甘くて優しくてどうしようもない。どんどん私がズルい女になっていく。そんな気がするけれど、それは黒尾のせいだ。


-----


体育祭当日。男子も女子も派手な髪型をしていて、シャツの袖をまくったりパンツの裾をまくったり、なんでか肌の露出が増えている。まあ、私もそのうちの一人。けれど黒尾はいつも通りの髪型に、いつも通りの着こなし。そんな彼は張り切ってパン食い競争をしていた。颯爽と走って、がぶっとパンをくわえて、ロスタイムなんかほとんどなく一着でゴール。クラスの男子からはよくやったと歓声を浴びて、他のクラスの男子からはズルいぞと罵声を浴びる。要は人気者なのだ。私の彼氏は。男子にも女子にも人気。だから独り占めしたいって思うのは自然なことでしょう?

私との付き合いを公言したいと言った黒尾だけれど、今回も結局そういった発言をクラスではしていないようだった。あれ以降のクラスの空気も、周りの視線もいつも通り。強いて言えばあの、「なんかエロいな」と発言したクラスメイトとは度々目が合うようになった。変化といえばそのくらいなものだ。

パン片手にクラスの控え場所へ戻って来る黒尾と目があった。チラリとパンへ視線を向けるのでそれを追うと、どうやらそれは、購買で売られている私お気に入りのパンのようだ。そしてすれ違いざまにポンと私の手の内へパンを置いていった。それを見ていた友達が「今のなに?」「なんで?」と、パンと黒尾と私を視線で忙しく往復させている。

「知らない」
「えーなになに? 怪しくない?」

どうやら黒尾は黒尾で好きにすることにしたらしい。公言はしないけど態度で示しますよ、というところだろうか。それとも「なになに」としつこく食い下がる友達に、「付き合ってるの」と私が公言するのを待っているのだろうか。そうならすぐに彼の思いのままになるのは惜しい気がする。さて、どうしようかな。そんなことを考えていると、すべての話題をかっさらっていく人物が現れた。

「ねー! 見てナマエ! ヤバくない!?」

粉で真っ白な顔のせいで、いつもより濃いアイメイクが異様なまでに瞳に輝きを与えている。どうやら飴食い競争で勇姿を見せたらしい。

「やばい。かっこいーよ。イケてます」
「でしょ。でもさすがに顔洗ってくる。悪いんだけどさ、化粧ポーチ持ってきてくれない? 先生が粉つけて学校入るなとか言うの。酷くない?」
「それは酷いね。いーよ持ってくる」
「ありがと! 水道のところにいるから!」
「はーい」

彼女のおかげで黒尾のことについての質問は、有耶無耶にすることできた。友達みんなはお腹をかかえて笑い、一緒に教室へ行くと言ってくれたが、黒尾のことを蒸し返されたくないため断った。彼女と友達が水道の方へ向かうのを見送り、私は一人教室へと校舎の中へ向かった。どこを歩いても静かな校舎。グラウンドの方からは賑やかな声に、体育祭らしい緊迫感ある音楽が聞こえてくる。それらから遠ざかるのは、なんだか不思議な気分だった。

ガラリとした教室。友達の席へ行くと、化粧ポーチは机の上に置きっぱなしですぐに見つかった。それを手に取るとグラウンドから太鼓の音が聞こえ、思わず動きが止まる。痺れるような音。応援合戦が始まったのだ。窓からその様子を覗けば高い位置であるため、隊列や手の動きがよくわかる。揃っていてすごいな、と感心していると誰かに肩を叩かれた。誰もいない教室。太鼓の音と掛け声で誰かが来たなんてわからなかった。思わず悲鳴をあげそうになったが、振り向き相手を知ると、ポーチを床に落としただけで悲鳴は呑み込んだ。

「黒尾……、びっくりした」
「そうみたいね」

校舎に入っていくのが見えたからさ、とポーチを拾ってそれを私の手ではなく、そばにある机の上に置いた。その動きに疑問を持ったが「なに見てんの?」と言葉を続けられ、思考が停止する。

「応援合戦。よく見えるよ」

再び窓へ向き直り「ほら、みんなの動きとかさ」と、そう言いたかったのに、するりと撫でられたうなじに言葉が喉へ引っ込んだ。

「髪、あげてんの珍しいね」
「あ、うん。友達がやってくれた」
「体育祭だから?」
「そう。器用だよね」
「かわいーじゃん」

つらつら連なる会話。けれど黒尾の手の動きは止まらない。うなじを撫でて、耳の後ろ、首、背中をするする下りて、腰に腕を回す。その触れかたは、黒尾の部屋の、ベッドの上でするそれだった。

「ちょっと、」
「俺もたまには違う髪型にすればよかったかな」

わざと私の言葉を遮って、するりと服の中へ手が入り込む。そして私の肌へ直接触れた。ドクドクと心臓が騒ぐ。太鼓の内臓を圧迫するような振動に負けないくらい心臓が内側を押す。

「黒尾、」
「シャツの袖もズボンの裾もまくってさ。ダメでしょうよ。短くしたら」

ぷちり。慣れた手付きではずされたホック。ふわりと解放された胸元を慌てて腕で押さえた。

「ちょっと!」

どういうつもりかと振り返れば、肌を撫でていた手が力強く私を抱き寄せた。そして服の中で腕を腰へ巻き付けて、私の耳へ黒尾の唇が微かに触れる。

「ナマエを待ってるお友達のあの子たちは、ナマエが今どんな格好してるか知らねんだもんな。グラウンドにいるアイツもアイツも、まさか俺にこんなことされてるなんて、思いもしねえよな」

首筋をなぞるように唇が動く。そしてそのまま黒尾は言葉を続けた。

「俺とナマエがこんなところで、こんなことしてるって、誰も想像できねーよな」

首から顎の骨を舐めるようなキスをして、服の内側へ入り込んだ手は黒尾の自由に動き回る。

「でも俺が他の子と、こーいうことしてるって想像されていいの?」

黒尾の唇が離れて熱っぽい瞳が私を覗き込む。その視線に、黒尾の手の温度に、触れられた場所全部に集まる熱に、あれこれ言葉なんか浮かんではこない。もう首を横に振る。それしかできなかった。その動きを確認した黒尾は、一度ぎゅっと私を抱き締めて静かに離れた。

「たまには、仕返し」

そう言って意地悪そうに笑った。それは初めて見る顔だった。


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「ナマエ! 遅いんだけど!」

身なりを整えてからポーチを持って友達のところへ向かった。当たり前に第一声はそんな言葉だった。

「ごめん」
「いや、持ってきてくれたからいいけど。ありがと」

化粧直しというよりは、一から化粧をし始めた友達。そして黒尾とのやりとりを見ていた子達が再び「ねー、黒尾となんかあるんでしょ」と口を開く。的外れな想像をされるは愉快だ。けれど私の知らない黒尾を想像されるのは不愉快だ。そして先程までの黒尾の仕返しを思い出して、黒尾鉄朗は、彼の全ては私のものだと声にしたくなった。

「うん」
「うん? うんってなに?」
「うん。付き合ってるの」

ワーだとかキャーだとか。そんな悲鳴は一日中続くことになる。そして体育祭が終わって打ち上げに行く頃には、クラスのみんなが私と黒尾に隣に座れとか手を繋げとか言い出した。あまりに喧しい声にうんざりしたけれど、黒尾が困ったように、けれどどこか嬉しそうに。いつも通りの軽妙な口調で私を助けてくれるから、嫌な気持ちにはならなかった。そんな様子をみて「いいなぁ」と女子が私を見つめる。そんな彼は、案外意地悪なことをするんですよ、なんて。誰にも教えてあげない。


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シークレシー

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