main | ナノ
「あの、少し距離を置いていいっすか」

付き合ってから半月。初めてキスをした次のデートで年下の彼氏からそんな言葉を言われるなんて思わなかった。

「え、なんで」
「なんつーか……、すみません」
「謝って欲しいわけじゃなくて、理由が聞きたいんだけど」

震える唇。言葉の真意が理解できていない私に彼氏、影山飛雄はただただ謝罪を繰り返すだけだった。


‐‐‐‐‐‐‐‐


「そもそもさ。バレーバレーでたまに、たまーにしか会ってなかったのにさ。これ以上距離を置くってなに?」

バリバリと乱暴な音を立てながら煎餅をかじる私に、はじめくんは険しい顔をしてティッシュを差し出した。

「俺が知るか。別れたいんじゃねーの」
「それは言わないでよ……」
「面倒くせぇな。色恋は兄貴に聞けよ」
「嫌! 飛雄と付き合ってるの言ってないんだから!」

最近できた彼女とデートらしい兄、徹の不在を狙って押し掛けた幼馴染のはじめくんの部屋。

「なにが悪かったんだろう」
「俺にきくな」
「連絡も最低限だし、我儘だって言ったことないのに」

ふんと鼻を鳴らしたはじめくんは、一番の禁句を軽々と口にする。

「顔じゃねぇか」
「はじめくん待って。言わないで」
「お前の顔クソ川にしか見えねぇからな」
「それは言わない約束でしょうが!!」

ひとつ上の兄、徹と私は顔がよく似ている。幼い頃は双子と間違われるほどに。そのせいで女子には執拗に家に遊びに行きたいと迫られるし、男子には彼女を取られたなんて嫌味を言われるし。徹の友達の先輩たちには「及川女バージョン」なんて失礼なことを言われるし。いいことなんて、何一つない。ちょっといいなって思う男子ができても、どこでそれを知ったのか徹が無駄にいい兄ぶって絡むから「お兄さんがちょっと重いよね」なんて言われた数知れず。
徹と兄妹でいいことがあった試しがない。

「はじめくんは私と付き合える?」
「ねーな」
「飛雄はなんで付き合ってくれたんだろう」
「本人に聞けよ」

はじめくんは興味無さそうな声色をだし、雑誌に手を伸ばす。その行動がこの話は終わりだとでも言いたげな態度で、私は口を閉ざした。本当ははじめくんにまだまだ愚痴を聞いて欲しいけれど諦めてスマホをいじり、飛雄とのやり取りを眺め楽しかった思い出に浸ることにする。


コンプレックスであり、悔しいが憧れるところがあり、認めたくないけれど尊敬できる部分もある兄にないものをもった飛雄を好きになるのにそう時間はかからなかった。不器用で真っ直ぐで、知れば知るほど惹かれた。

多少……いや、かなり強引に距離を詰めて。告白したときは「そういうのはよくわからないんで」とやんわりと断られたが言葉巧みに言いくるめて付き合った。そしてつい最近。付き合って半年だね、なんてこれまた強引に押し倒すようにしてキスをした。やっぱりこれが「距離を置きたい」と言われたことの原因だろうか。徹と似たような顔をしている私と、恋人らしいことをして嫌悪感に襲われたのだろうか。


付き合って半年経ったんだよ? キスしたって早くはないでしょ? でもこんなことになるなら、しなければやよかった。私は項垂れながら食べ散らかした煎餅のカスをちまちまと広げたティッシュの上へと集めた。そうやっていると不意に「おい」と声が聞こえ、視線を上げると目の前に現れたはじめくんのスマホ画面。

「え、なに?」
「及川から」

だから何だと覗き込むとはじめくんが画面をスクロールさせ、そこに現れたのは飛雄と小柄で可愛らしい女子。そして“飛雄がデートとか生意気じゃない?”と書いてあった。

「誰この子!?」
「俺が知るか」
「なんで飛雄と二人で!?」

飛雄と一緒に写る女子から目を離せず凝視していると、急に画面が切り替わり徹からの着信を知らせていた。迷わず通話ボタンに指を置く。

「もしもし岩ちゃん?」
「徹いまどこ!」
「ナマエ? なんで岩ちゃんのスマホにお前が出るんだよ」
「そんなことどうでもいいから! 今どこ!?」

なんなのさと文句を言う徹を捲し立てて飛雄と会った場所を聞き出し、私は一方的に通話を終了させた。

「はじめくんお邪魔しました」
「おー」

ばたばたと荷物をまとめていると、鳴り止まないスマホの着信音。はじめくんは煩わしそうにそれをベッドへと放り投げ、「ごめんね」と小さく謝る私にひらひらと手を振って「気を付けて行けよ」なんて言ってくれた。はじめくんは飛雄の次くらいにイケメンだと思う。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐


一度自宅へ戻り自転車に股がって、私は飛雄がいるであろう場所へ向かった。自転車を漕ぎながら別れてやるものかと何度も頭の中で唱えて、ブレーキをかけずに一気に坂を下る。前髪が持ち上がり広がる視界。開けた先に見えた見慣れた黒髪。目的地につくよりも早く見つけた飛雄の姿。
目の前でわざとらしくブレーキをかけて自転車を停止させれば、飛雄は驚いた顔をして立ち止まり、その隣にいたオレンジ頭の少年が「え!?」と目を大きく見開く。

「大王様? 女の人!?」

徹のことを言っているであろう言葉に苛立ち、黙って少年を見据えるとひっと短い悲鳴をあげ「すみません」と繰り返し何度も頭を下げた。

「日向ボゲ! このボゲ!」

少年を罵倒する声に思わず「飛雄のぼけ!」と暴言が口から零れる。だって飛雄は怒っていい立場なんかじゃないし。それでも、女子と二人っきりではなかったんだと少し安堵した。

「他の女の子といたの知ってるんだからね」

私の言葉に飛雄は瞬きを数回するだけで、何も言い返してこなかった。状況が分からないらしい少年は、私と飛雄に何度も視線を往復させている。

しっかりと視線は交わっているのに、飛雄の思考は全く読めなかった。焦りを見せるわけでもなく、慌てるような素振りもない。説明も言い訳も謝罪の言葉もない。ただ黙って口を結び、いつもより少しだけ難しい顔をして私を見つめるだけ。その視線の意味なんかわからないし、一人怒って慌てて駆けつけた私が馬鹿みたいで嫌になった。

「言い訳もしないんだ。もういい」

わざわざ探しに来たというのに私は自転車から降りて方向を変え、再び股がると来た道へと引き返した。ペダルを力一杯踏んで本当は一瞬で立ち去りたいが、登り坂へさしかかるとみっともないくらいにスピードが落ちて格好がつかない。から回っている自分が情けない。
飛雄のぼけ。

この際立ってペダルを踏もう。そう思って腰を浮かすと急にぐんと自転車が前へ進んだ。そのせいで再びサドルにお尻がついて、予想外の出来事にハンドルが揺れる。バランスを崩しそうになるが、私じゃない力がそれを止めてくれた。

「大丈夫っすか」

後ろから聞こえた飛雄の声。どうやら飛雄が私の自転車の荷台を押しているらしい。

「あぶないじゃん。急に」
「大変そうだったんで」

格好悪い。格好悪い自分。

「追いかけてきたの」
「はい」
「自転車が進んでないから?」
「いや……、話したくてダッシュしたら追い付いたんで」
「そう」

私はペダルを踏む回数を極端に減らし、飛雄に意地悪をするが彼はそれに気づいているのか、気づいていないのか。平然として坂道で自転車を押し続けた。

坂道を登り終えて私が自転車から足を下ろすと、飛雄が私の真横に立つ。口を薄く開いて何か話そうとするが、その口からでたのは「あー」とか「うー」とか「その」だとか。言葉にならない音だけ。飛雄が上手に言い訳できるなんて、最初から思っていない。けれど一生懸命考え、困ったような顔をして視線を落とす姿は可愛らしかった。

「なんで私と距離置いて他の女の子といるのよ」

先に私が口を開くと、飛雄はばっと顔をあげてすらすらと言葉を紡ぐ。

「谷地さんはバレー部のマネージャーで」
「だから? だから一緒にいるの?」
「勉強教えてもらってました」
「私だって教えてあげれるし」
「ナマエさんは駄目っす」
「……なんで」

再び視線を落として、もごもごと唇の形を変え黙りこむ。言いにくいのか、言いたくないのか。私はそんな話を本当に聞きたいのか。距離を置きたい理由。それでもそれを聞かないと、先へは進めないのだろう。

「私が無理にキスなんかしたから嫌になったの?」
「嫌っつーか、その……。あれからナマエさんのこと考えると、そういうことしか考えられなくなって」
「そういうこと?」
「だから、その」

一度言葉を区切って、耳の辺りの髪の毛を乱暴にかく。さらりと揺れた黒髪から覗く耳が赤らんでいた。

「こう、ガーってなって」
「がー?」
「なんつーか……。抑えが効かなくなりそうなんすよ。だからこのままだと良くねえなと思って」

ゆっくりと私に向けられた瞳が、やけに熱っぽかった。その熱に思わず痺れそうになる身体を、自転車のハンドルを握る力を強めて誤魔化した。

「私の顔が徹に似てるから嫌になったんじゃないの?」
「顔っすか? 別に嫌じゃないっすよ。確かに及川さんと似てるなとは思うっすけど、兄妹なんですから」

当然と言えば当然。当たり前のことを当たり前に言ってのける飛雄に、これまでにないくらいに胸がときめいた。

「じゃー私とまたキスできる?」
「はい」
「それ以上も?」
「それは……、まだ早くないっすか」
「そっか。じゃあ、いずれ」
「うす」

それから会話が途切れて、私は自転車から降り飛雄と一緒に歩みを進めた。「飛雄の家に行きたい」そう伝えると、飛雄はただ「うす」とだけ返事をしてゆっくりと自宅へと歩く。

車輪の回る音がくすぐったくて、別れたいわけじゃなかったんだなと思うと頬が緩む。会話がなくても私は満たされていた。できれば飛雄に触れたいと思うけれど、それはもう少し我慢しよう。


-----


何度か訪れた飛雄の部屋で、差し出されたクッションへと腰を下ろす。すると飛雄が「どうして知ってたんすか」と、ばつの悪そうな顔をした。その質問に「徹からはじめくんに連絡がきて」と言葉にしてから余計なことを言ったなと気づく。

「岩泉さん、すか」

眉間の皺を深める飛雄。私だって他の女子といたことに腹を立てていたのに、同じことをしているではないかと苦笑い。
でもはじめくんは幼馴染だし? 彼は私のこと妹だと思ってるし?

言い訳はいくらでも思い付くが、私は「ごめんね?」と隣に座る飛雄の肩に頭を乗せて誤魔化した。ずるいことをしている自覚はあるが、嫉妬が嬉しくてぐりぐりと肩に頭をすり付け飛雄の手に触れる。飛雄からの返事はないが、猫みたいにびくりと身体を弾ませる姿が可愛い。するすると飛雄の指の関節を確かめるように指を動かすと、急に頭を支えていた肩が動いた。そのせいで身体が傾くが、力強く私の両肩を飛雄が掴み倒れることなく元の位置まで戻される。
調子にのってやり過ぎたのだろうか。驚いて飛雄の顔を見ると、彼はいそいそと胡座から正座へ座り直して真剣な眼差しを私へと向けた。

「触ってもいいですか」

やっぱり距離を置こうなんて言われると思って身構えていたのに、飛雄からでたのはそんな言葉だった。

「え、あ、うん。いいけど、まだ早いんじゃなかったの?」
「……それ以上はしないっす」
「なんか、宣言されると数倍恥ずかしいね」
「じゃあ」

そう言って深呼吸を数回。そして勢いよく胸を鷲掴みされた。ドンと音が出そうな程の勢いに「痛」と声を漏らすと、飛雄がびくりと肩を弾ませ慌てて手を引っ込める。

「もう少し、優しく」
「う、うす。すみません」

今度は恐る恐る手を伸ばし、私の鼓動を確かめるようにして触れた。膨らみの形を少し変え、輪郭を撫でてくすぐったいくらいに優しく触れた。それを繰り返し、気が済んだのかゆっくりと手を離して「ありがとうございました」なんて言って頭を下げる。お礼なんか言われて恥ずかしいやら、可笑しいやら。とりあえず「うん」とだけ返事をしておいた。

飛雄はさっきまで私に触れていた掌を暫く眺め、ぽつりと呟く。

「及川さんと全然違いますよ」
「どこが違う?」
「全部違いますよ」
「例えば?」
「例えば? 例えば……胸、とか」
「胸ですか……」

そんなの髪の長さだとか身長だとかと同じじゃない。ふんと私が不満の色を見せつけると、飛雄は「そうじゃなくて」と瞳を動かして言葉を探す仕草をする。

「見た目は勿論ですけど……、ナマエさんは綺麗です」

真剣な顔をしてそんなことを言われて、嬉しくないわけがない。ふふ、なんて笑みが零れて口元を手で隠した。

「機嫌直りましたか」
「なによ。ご機嫌とりだったの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「全然駄目。まだすんごい機嫌悪い」

機嫌なんてとっくに直っていたのに、私はまた飛雄に意地悪をする。

「キスして。飛雄からして。そしたら直るから」

え、と顔に力を入れて固まる飛雄に「嫌ならいいよ」と、私は意地悪を重ねる。

「嫌じゃ、ねぇけど……」
「けど? なに?」

暫しの沈黙を挟んで、じっとりとぶつかった視線。その深海のような虹彩に呑み込まれるのと同時、勢いよく私の肩を握った力があまりに強すぎて私は後頭部を強打した。

「い、痛い……」

うっすら滲む視界。慌てて私から退けようとする飛雄の胸倉を掴みそれを制止させる。ぴたりを動きをやめた飛雄の胸倉から手を移動させ、髪を撫で、後頭部を包み、首筋をなぞるとゆっくりと飛雄が顔を寄せてきた。けれどなかなか触れない唇。

「はやく」

飛雄の背中に腕をまわし、しがみつくようにしてその固さと広さ、飛雄という男を感じながらキスをした。離れるのが惜しくて、何度もキスをした。飛雄が顔を赤くさせて「もう、本当に、ヤバイっす」と私を引き剥がすまでキスをした。



後日。飛雄から再び距離を置きたいと連絡が来た。私はその言葉を無視して「次の部活の休みはいつ?」と返信。そして下着を新調しようかとお財布の中身を覗き込むのだった。


Thanks100000hits!

及川さんの妹

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -