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シャンデリアの細かなオレンジの粒が頭上で歌っている。床も窓ガラスも鏡のようにその光を反射していて、どこもかしこもぴかぴか、きらきら。まるで童話の中のお城のようだ。その煌びやかな空間を私は、ブルーグレーのドレスの裾を揺らしながら、ヒールの音を響かせて歩いた。お姫様になった気分で。そんな気分で外へ出ると、夜風に乗って煙草の匂いがした。おまけに大きく吸い込んだ息はアルコールの香りがして、なんとも現実的。頬が熱を帯びていることに気がついたのは、私を待つ馬車を見つけてから。その馬車は黒のセダンで、運転手は私の王子様なんだけど。

「待った? ごめんね、ありがとう」
「大丈夫。俺が来たくて迎えに来ただけだから」

本当にお姫様になった気分だ。一静といると、いつもそう。というか、一静は確実に王子様であるから、私がお姫様だと言っても過言ではない。だから宣言しよう、私はお姫様であると。助手席に座る私が、こんなアホみたいなことを考えているなんて一静は知らない。

「結婚式、どうだった?」
「素敵だったよ。ホテルのガーデンの中にチャペルがあって、とっても綺麗だった」

対向車のヘッドライトに照らされた彼の横顔は、今日の結婚式より素敵だ。長い首、鼻筋、視線。撫でるようにハンドルを切る指先。どこを見ても見惚れてしまう。私はいつも、いつでも彼に惚れ惚れしてしまう。つまりはベタ惚れしているのだ。

「ナマエもやっぱ憧れとかある?」

結婚に対する憧れ、結婚願望、勿論ある。なんなら今すぐにでも結婚したい。海外挙式をしてそのままハネムーンをしたい。けれどそんなことは言わない。言えない。月に一度定期的に、松川ナマエってヤバくない? と、一人でお酒のあてにして楽しく飲んでいることは、私のトップシークレットである。

友人の結婚式に参加するのは、今年だけで三回目。もうアラサーのいい年だし、私だってそういうのを意識したりする。でも男の人って違うでしょ? 独身貴族なんて言って、趣味を謳歌したいんでしょ? 結婚をがっつく女って嫌なんでしょ? 私は余裕のある理想の彼女でいたい。いい女でいたい。だってそうじゃないと、一静と釣り合わないじゃない。

「いつかは自分も、とは思うよ。でも今日は幸せをわけてもらったから、それでいいの」

模範解答、百点満点。私は一静と付き合ってからずっと、いい女を演じている。


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薄暗い照明。聞いたことがあるような、でも誰も聞いていない耳障りだけがいい音楽。アルコールと油っぽい匂いに、陽気な笑い声。そこで私は見慣れた後ろ姿に目が釘付けになった。

「見て、花巻」
「あ?」
「あそこに一静くらいの身長で、一静みたいな髪型の、一静の好きそうなスーツを着た人がいる」
「おー。いるな」
「すごいね。こんなこともあるんだね。この世に私のどタイプの人が二人もいるなんて信じられないね」

花巻は乾いた笑いを短く吐いて、居酒屋の安っぽい木目加工されたテーブルを指先で叩いた。しっかりしろよ。そう言いたげに。

「ミョウジ、現実を受け入れろ。あれは誰がどう見ても松川本人だ」
「あははー。おもしろいね? ねえ、待って。一旦落ちつこ」
「俺は落ち着いてるけど。つかお前が落ち着け。そのアホみたいに波打つジョッキから手を離せ」
「そもそもなんで私、花巻と飲んでるんだっけ」
「え、なに? 俺のせいなの?」
「なんだっけ。花巻の脱ニート祝いだっけこれ」
「言い方。普通に転職祝いって言えよ。そんで松川は、後輩が結構なミスして取引先に行くってヤツだべ?」

そう。転職先見つかったって花巻が言うから、じゃー飲もうか、久々に三人でってなって。仕事終わりにこの居酒屋で待ち合わねってことにして。そしたら定時くらいに一静から「トラブった」って連絡来て。そう、それで、花巻なんかと二人で飲んでるんだった。

「おい、花巻なんかってなんだよ。花巻なんかって」
「あれ、聞こえてた?」
「聞こえてるわ」
「それで一静はなんでこっちにいないで向こうに座っているの」
「はあ? 見りゃわかんじゃん。ミスった後輩と取引先行って、今はその帰り。飯でも食いながら反省会真っ只中。後輩のメンタルケアしてるとこじゃねーの?」
「うん。わかるよ。慰めてるんだよね。大丈夫俺も新人のときやらかしたことあるから、なんて言って」

うんうん。優しい一静だもの。そんなことを言って後輩を慰めているに違いない。明日からも頑張ろうなって。あーなんていい先輩。なんて素敵な私の彼氏。でもさ。でもさ?

「でもさ! 女の後輩なんて聞いてない!」
「いやー言わねえだろ。むしろわざわざ女の子の後輩と仕事ですって報告する方がおかしくね?」
「わかるよ。わかってる! でも知っちゃったらさ! うわー!ってなるじゃん」
「なら突撃する?」
「……しない」
「つか俺らがここで飲むの知ってんだから、後で合流するつもりでいんだろ」
「そう、だろうけど」
「なら後で小言のひとつやふたつ言えば」

浮気ですかこのやろうって、言ってみれば? とヘラヘラ笑った花巻。私は急激に沸騰した感情を飲み込むようにジョッキを煽って、一気に中身を飲み干した。そしてドンとテーブルに打ち付けると、花巻が大袈裟に肩をはねあげる。

「私、一静の前ではいい彼女でいたいの」
「は、なに? まだそれ続いてんの?」

薄ら寒い視線を向けてきたこの花巻とは、大学のサークルで知り合った。チャラチャラしたパリピサークルの中で、格好だけのチキン野郎だった私たち。大学デビュー同士な私と花巻はなんだか気があった。それは戦友のような関係。花巻に女の子を紹介したり、花巻が男を紹介してくれたり。互いに合コンのセッティングをしたり、仲良く失恋したり。とにかく、なにかとわかり合えてしまう仲。そしてなにより、一静と付き合えたのは花巻のおかげだった。

偶然花巻と一静が一緒にいるときに、私が出くわした。「おー、偶然」なんて挨拶して「高校の友達の松川」と紹介されたときには、もう好きになっていた。一目見ただけで、一静を好きになった。仲良くなって、もっともっと好きになった。一静と付き合えたら死んでもいいとすら思えた。だから今でも忘れない。七回目のデートの日。


「映画のチケット予約しておくべきだったな」

そう言って眉尻を下げた一静は、私の観たかった映画のチケットがとれなかったことを謝罪した。

「大丈夫。今度一人で観に来るから。私、一人で映画観るの好きなの。それよりこれからどうしようか。今から観れる映画観る?」
「いや、ナマエが観たいのないならDVDでも借りない? 俺、部屋でだらだらしながら観るの好きだし」

この日、初めて一静の部屋に行って、緊張と興奮で勢い余って告白してしまった。それを一静が受け入れてくれて付き合えたとき、明日には死ぬかもしれないと思った。それくらいの奇跡が起きたのだ。だから付き合ったその日に、私は努力しようと心に固く誓った。その決意を、付き合ったことを報告するために電話をかけた花巻に、一時間弱熱弁した。いい彼女でいる、い続ける、愛され続ける努力をすると。



「続いてる。不満、愚痴、わがまま、面倒なことは一切言わない。すっぴんを見せたことはないし、下着はいつも一軍のいいやつだし、毛玉のついた服なんて着ない」
「はぁー、生き辛れぇ。それ、付き合ってて楽しいのか?」
「一静と付き合えているのは、私の頭に雷が落ちてくるくらい奇跡的なことだから」
「なんだそれ。つか、俺にさんざん不満やら愚痴やら言ってんじゃん。すげーめんどいんだけど」
「うるさい。花巻がエリちゃんに三股かけられたあげく、本命ですらなかったときに私は、三日三晩酒に付き合ってその後一週間看病してあげて、更にその後の修羅場を解決してあげたことを、私は忘れていない」
「わかった。わかったからエリの話はヤメロ。まじで」
「わかればいいの」

私の猛攻に花巻はギブアップしたようで、「俺の祝いの席じゃねえのかよ」と項垂れていたけれど、私はそれを無視して一静の座る席を観察し続けた。そうすること約一時間。後輩らしい女の子が席を立ち、その間に一静が会計を済ませるという絶対女の子が惚れるヤツを目撃して、私は花巻に泣きついた。

「絶対今日、あの後輩ちゃん一静に惚れたよ。どうしてくれんの!」
「いや、知らねーよ」


一静は一度、後輩ちゃんとお店を出て、彼女がタクシーに乗るのを見届けてから私たちのもとへと合流した。ちなみにタクシーは、後輩ちゃんが席を立ったときに一静が手配していた。もう絶対後輩ちゃん一静に惚れたじゃんね。というか、惚れない方がおかしい。

「ごめん、思ったより時間かかったわ」
「仕事お疲れ様。大丈夫だった?」
「仕事はまあ、なんとか。でもミスった子があまりもに落ち込んじゃってさ。話聞いてあげてたらこんな時間になってたわ」
「新人のときのミスって精神的に辛いもんね。そういうとき上司の人が力になってくれると、本当に心強いよね」

私の言葉に花巻が笑いを噛み殺している。いや、息が漏れているから殺せていない。笑ってやがる。一静の前ではしたないことはできないが、花巻が余計なことを言いそうなので、私は笑顔のままヒールの踵で花巻の足の甲をグリグリと押し付けてやった。すると花巻は眉間に皺を寄せながら、笑顔で私のことを見てくる。

「二人はもうなんか食った?」
「軽くね。一静は食べた? 何か頼もうか」
「ナマエの食いたいの頼んでいいよ」
「本当? それならみんなで食べれるのがいいよね」

一静との会話が一段落したところで、花巻の足から踵を離す。

「ミョウジ、おっまえなあ……」
「え、なに? どうしたの?」

花巻の声は震えていた。そして足元へ指をさして口をパクパクさせている。手加減してあげたんだから感謝して欲しい。本当は穴を空けてやりたいくらいだったんだから。今日私がピンヒールを履いていなくてよかったな!

「あ、ごめん。もしかして足踏んじゃってた? ごめんね、気づかなかった」

ふざけんなよと怖い笑顔を向けられたけれど、私は白々しくごめんねと笑ってやるだけ。そんなやり取りを見ていた一静は、「相変わらず仲がいいな」と呟いた。


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「ごめんな、ナマエ」
「残念だけど仕事なんだもの。仕方ないよ。大丈夫」
「次は必ず一緒にいこう」
「気にしないで。一人で映画観るの好きだから。仕事頑張ってね」

スマホを耳に当てて、電話が切れるのを待つ。そして無機質な機械音が鳴った瞬間、私はベッドへと直立したまま倒れ込んだ。デート断られるの、今月で二回目なんですけど? 先月入れたら五回目なんですけど? 短い人生の中で一静との貴重な五回ものデートが消えたんですけど? どういうこと。なにが起きてるの? 私は錯乱したまま花巻へと電話をかけた。


「なんだそのデート感丸出しの服」
「一静とデートのときはいつ死んでもいいようにしてるから」
「なんで死と隣り合わせなんだよ」
「それに万が一、一静に今から会おうって言われても大丈夫なようにしてないと。ほら、いいから早く映画いこ。今日逃したらもう観れないんだから」

花巻は私の電話に二つ返事で了承してくれた。別に一人で観てもよかったんだけど、映画のチケットが無駄になるし。どうせなら帰りにお酒でも飲んで愚痴を聞いて欲しいし。


一静と二人のときには買わないポップコーンと炭酸のジュースを買って、映画が始まる前からそれを口へ運んだ。花巻と「そっち一口ちょうだい」とか言って。

「薄々感じてたけどよ、なんかいい匂いすんだけど」

映画館のスクリーンを眺めながら、いつもより低い声で花巻が言った。

「朝五時に起きてシャワー浴びて。花巻がつけてるケイコちゃんから貰った時計と同じくらいの値段のボディークリーム塗ったから」
「なんなんだよその記憶力。俺の元カノいじりはやめろ」

リーズナブルな値段の時計を隠して、花巻はいつもの調子でげんなりとした顔をこちらに向けた。花巻のためのものではないのだから、お前が言うな。ふん、と鼻を鳴らして見せれば、眉を八の字にしてやれやれといった表情。なにその顔。むかつく。振られる度に私に泣きついてくるくせに。聞いてもない思出話をしてくるから、嫌でもいろいろ覚えてしまっただけだ。むしろこっちは被害者だ。

「つーか朝五時から準備してドタキャンされて頭にこねーの?」
「頭にくるってか、ショックよね。仕事だから仕方ないけど」
「最近多いんだっけ? 仕事で断られるの」
「先月入れて五回目!」
「五回目ねえ……。それってマジで仕事なわけ?」
「は?」

映画の開演ブザーが鳴る。楽しみにしていた映画の内容は、ほとんど覚えていない。

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