仁王



今年こそは渡そう。そう決意したのはもう一ヶ月も前だっけ。鞄の中に隠れている小さな箱を思うだけで心臓がドキドキとうるさかった。

「なまえ、はいこれ!友チョコだよっ」
「え、あ、ありがと…!」
「結構うまくできたと思うから感想きかせてねー」
「うん、りょーかい!」

「うっわー、せっかくのバレンタインに女子同士で交換すんなよ!俺にもくれ!」
「ま、まるいくん…」
「いっつもお菓子食べてるんだから今日くらい我慢したらー?」
「はあ!?今日お菓子食べなかったら生きてる意味ねえだろ!?」
「大袈裟過ぎだから!」

「にぎやかやのぅ…」
「仁王くん…おはよ」
「おはようさん …ん?どうかしたか?」
「な、なんでもない、今日も朝練だったの?お疲れ様」
「んー 今日は部室まで甘い匂いでキツイぜよ」
「…甘いもの、苦手、なの?」

くたっと私の机に寝そべる仁王くんに恐る恐る聞くと、ゆっくり顔をあげて私の目を覗き込んできた。は、恥ずかしいんですけど…。私の目の中に何が見えたのか、にやっと笑って目を合わせたまま答えを言われた。

「好きじゃよ」
「…え?」
「甘いもん 名字ちゃんがくれるんならダイスキ」
「…だ、誰もあげるなんて言ってない、でしょ」
「そ?まあそれならそれで 俺は今日も放課後部活で遅くまで残っとるけ、用があったらいつでもきな」
「……」

ば、ばれてるぞ…。ていうかなんでこんな可愛くないこと言っちゃうの、バカなの。ヒラっと手を振って自分の席に戻ってしまった仁王くんを見てため息をつくと、隣からコソコソと話す声が聞こえた。

「…えっ」
「「気にせずどうぞ」」
「気にするよ!?え、なに?どうしたの?」
「いやーなまえの初々しさが可愛いのなんのって」
「仁王もいつもより優しさ120%だしよ これはもう…なっ!」
「ねっ!」
「なんもないよ、うん、だから、その、…キラキラした目で見ないで」
「「だってー」」

楽しそうににやにやと笑う二人は私が伏せてしまうとまたコソコソと話をしていた。仲良いな。私も仁王くんとそんな風に。…いや、無理だけどね、分かってる分かってる。…チョコ、渡せるかなあ。

授業中もどうやってチョコを渡そうか、何十通りも考えまくったのに、これだと思えるものは全然ない。も、渡すの諦めようかな…。お弁当をちびちびと食べつつ考え事を続けていると、向かい合って食べている友達からまた視線を感じる。

「なぁに」
「んふふ なまえかわいい」
「…はあ ねえ、相談してもいい?」
「もちろんっ!」
「…どうやったら普通に渡せるかな、チョコ」
「やっぱり仁王!?」
「…まあ、うん そうともいう」
「そっかーそうなんだーへー仁王ねー」
「どうすればいい!もう無理だよ私!」
「大丈夫大丈夫大丈夫!協力する!」

ガシッと私の手を握り、笑顔で頷いた彼女は計画を話し始めた。計画なんて大層なものではなかったけれど、彼女によればこうだ。
まずは仁王くんの部活が終わるまで待つ。メールをしておき、部活が終わったら教室にきてもらう。誰もいない夕暮れの中二人きりでチョコを渡す。完璧!
…えーっと、完璧?

「私仁王くんのメアド知らないよ」
「えっ… しょうがない、直接言おう」
「むりむりむりむり!!」
「じゃあ丸井に頼むとか?お菓子あげるって言えばやってくれそうよ?」
「め、迷惑かけちゃうよ…」
「んー、じゃあやっぱり直接言うのが一番かな」
「それができたらもう渡せてるもん…」

肩を落とすと、彼女は苦笑しつつ頭を撫でてくれた。うー、どうしよう、やっぱり無理なのかなあ。
フと視線を感じて顔を上げ辺りを見渡すと、机に頬杖をつく仁王くんとバチっと目が合った。驚きすぐに逸らしてしまった後、今のは失礼だったと思って再び仁王くんの方を向けば、椅子から立ち上がりこちらに近づく仁王くんがいた。

「お、おてあらい!」
「え?いってらっしゃい」

咄嗟に立ち上がり、逃げるように教室を飛び出す。トイレに駆け込んでから、目を逸らすより逃げる方が失礼だったかと思ったけれどもうどうしようもない。大きなため息をついて、そのままトイレを出た。教室戻りにくいなあ。…ていうか、別に仁王くんは私に用事があったわけじゃないかもしれないじゃん。うん、多分そうだよ。だって目が合ったのだって偶然私が仁王くんの方を向いたからだし…、あれ?私が仁王くんの方を向いただけじゃなくて、仁王くんも私の方を向いていた?仁王くんに、見られていた?ボッと一気に体温が上がり思わずその場にしゃがみ込む。な、なにこれ。

「名字ちゃん?」

大きく体を震わせてしまった。今の、声は。

「どうかしたんか?具合悪い?」

間違いなく仁王くんだ。具合が悪いんじゃないよ、すごく恥ずかしいだけだよ。返事をしたいけれどこの真っ赤な顔を見せるわけにはいかなくて、気にしないでという気持ちを込めて首を振った。私の前にしゃがみこんだのか近くなった気配に少しだけ体を引いた。

「…名字ちゃん、授業始まっちゃうぜよ」
「仁王くんは戻っていいよ 気にしないで」
「そう言われてもなあ…」

大きな手が頭に乗って、ふわっと髪の毛を撫でられた。何が起きているのか分からなくてしばらくされるがままだったけれど、仁王くんに触られているということを理解するとすぐに顔を上げてしまった。視界が明るくなった瞬間、見えたのはすぐ近くにある仁王くんの顔だった。

「ば、ばか!」
「えっ」

小学生みたいな悪口を吐いて立ち上がると反対の方向へ走った。どうしよう、どうしようどうしよう。なぜか出てくる涙を止めることができなかった。



携帯に着信があり見ると、友達の名前が表示されていた。安心して電話に出ると、今どこ?とちょっと慌てたような声。今まで授業サボったことなんてなかったから心配かけちゃったかな。謝って居場所を伝えるとすぐ行くと電話を切られた。

「好き…」

ぽつりと呟いてまた伏せた。考えがまとまらないけど、きっとあれはキャパオーバーだったんだろうな。話せるだけで幸せなのに、近くにいて、髪を撫でられて、頭がついていかなかったのかも。

「なまえ!」

聞こえた声にパッと顔を上げると、走ってきたのか息を乱した友達がいた。そしてその後ろには丸井くん、と、隠れるように仁王くん。えっ、と驚いて固まった私に友達は抱きついてきて、丸井くんは心配したぜぃと笑っていた。

「いい子のなまえがサボるなんてびっくりするじゃない!」
「ご、ごめんね」
「なにかあったの?ただ授業が嫌だったわけじゃないんでしょ?」
「えーっと… つい?」
「ついって…はぁ、言いたくないなら無理に聞かないけど」
「後でちゃんと話すから、ごめんね?」
「…ん、了解 とりあえず教室戻ろ あっ、丸井達も心配してたから、ちゃんと謝りなさい」
「…ごめんなさい わざわざ来てくれてありがとう」
「なんもないなら良かったぜ あんまり溜め込むなよ?」
「うん、がんばる」
「……」
「あー、ごめんな なんかこいつさっきから落ち込んでるみたいでよ」
「なあに仁王、あんたもなんかあったの?」

丸井くんの後ろからちらっと私を見た仁王くんは、一言も喋らずにぴょこぴょこと廊下を小走りで戻って行ってしまった。…気に、してるよね。

「ごめんね、ちょっと行ってくる!」
「えっなまえ」

丸井くんの横を過ぎて仁王くんが行った方に走り出した。ちゃんと謝らなきゃ。仁王くんは悪くないのに、私のせいで傷つけちゃったかもしれない。仁王くんが小走りだったおかげで頑張って走ればその背中はすぐに見つけられて、私はスピードを落とさないまま仁王くんの制服を掴んだ。グッと引っ張ったせいで仁王くんは後ろに倒れそうになり、勢いがついたままの私は前に進み続けて、頭をゴツンとぶつけることになった。

「いっ、いたっ」
「ご、ごめんなさい 大丈夫?こぶできてない?」
「名字ちゃん…なんで」
「あ、えっと、さっきごめんね 仁王くんはなんにも悪くないのに、逃げたりして あと、ばかって言っちゃってごめんなさい」
「…別に、よかよ」

ぷいっと横を向いてしまった拗ねてるような悲しんでいるような、どちらにせよ良いと言っている顔ではない仁王くん。えええ、どうすればいいんだろう。確かに失礼なことしたけど、私は謝る以外できることなんてないし…。

「…名字ちゃん」
「えっ、はい」
「…誰かにチョコあげた?」
「友達にはあげたよ…?」
「男は」

私が固まって返事をしないでいると、睨みをきかせていた目を少し和らげて笑われた。仁王くんが分からなすぎる。

「顔真っ赤」
「えっ、え」

パッと手で頬を隠すとさらに笑われた。なるほど、真っ赤だったから笑われたのね。でもこれは私の意思じゃなくて体が勝手に反応した結果です。そ、そりゃ好きな人に男にチョコあげたかなんて聞かれたら…しょうがないじゃん。

「ほ、放課後、時間ありますか」
「…え」
「部活終わった後で良いので教室きてください じゃ!」

あれ、なんで私今言ったの?口が勝手に…え?放課後誘えた?仁王くんが驚いている間に走って教室に戻り、机に伏せて心の中で叫んだ。思い返すとあの流れで放課後きてって、完全にチョコ渡す感じだよね。いや、渡すんだけどね。うわあああどうしよう!
授業が始まるチャイムの音が聞こえてのっそりと顔を上げると、仁王くんと目が合った。だっ、から、なんで仁王くんの方見ちゃうの。なんで仁王くんはこっち見てるの。唇を噛み締めて黒板に目を向けた。友達と丸井くんからの視線が痛かった。



友達に大まかに話をするとにやにやと笑いながら背中を叩かれた。楽しそうですね…!私は緊張でお腹が痛いよ。帰ったらメールしてね、と言って彼女は部活が終わるより少し前に帰っていた。外から聞こえる運動部の声も小さくなっていって、吹奏楽部の最後の演奏も終わったようだ。じっとしていられなくて立ち上がり教室の中を歩き回る。教卓に立ってみたり一番後ろの角の席からの景色を見たり、…仁王くんの机にそっと触れたり。ドキドキとうるさい胸に手を当てて深呼吸をした。

「名字ちゃん、お待たせ」
「お疲れ様、仁王くん」

ガラッと教室のドアが開いた音で振り向くと、仁王くんが優しく微笑んでいた。か、かっこいい。夕日に照らされて髪がキラキラと光っていた。

「これ、仁王くんに」

もう心臓が痛いから、早く渡して終わらせちゃおう。好きとか付き合ってとか、言えたら良いんだけど言葉にするのは案外難しい。チョコを差し出すと仁王くんはいつもより自然に笑っていた。…私なんかのチョコで喜ぶなんて。仁王くんモテるだろうに。

「ありがとぉ」
「えっ、うん 私こそありがとう」
「…一個だけ聞いてもよか?」
「ん?なに?」
「これって本命?」

目を見開いて固まってみても、仁王くんはその表情を崩さない。ほ、本命?え?そうだよ、そうだけど、…それ聞く?本命だったら受け取れないとかそういうことかな。え、じゃあ義理だよ、って言ったほうがいいの?でも仁王くんのこと好きだし、このことでは嘘つきたくない。だからといって正直に口が動くかというと…。

「ご、ご想像にお任せします」
「…じゃ、都合のいいように想像する」

一歩私に近づくと、手を伸ばして昼間のように頭を撫でてきた。体温が上がるのを感じながらなにもできずにいると、優しくデコピンをされた。仁王くんの顔が少し赤く見えるけど、夕日に染まっているだけかもしれない。

「好き」
「…え?」
「俺、名字ちゃんのことが好きじゃ 」

私も好きです、と。私はちゃんと言えていただろうか。


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