幸村



放課後の教室が好きだ。みんな帰って静まり返った教室。みんながいるような気配がありながら教室の中に音はなくて、外から運動部の声、廊下から吹奏楽部の楽器の音色が聴こえる。家に帰って部屋で宿題をしたり本を読んだりするなら、ここでした方がはかどる。…ま、私だけかもしれないけれど。
休憩がてら窓へ近付き校庭を見る。小さな人達が一生懸命に走っている姿は可愛くて面白い。上から見られてるなんて知らないのだろう、校舎の陰でサボっている男の子がいた。こんなにもたくさん詰め込まれている学校を"つまらない"なんて言う人の神経が分からない。そんな考え方がつまらないんだよ。

「あ、名字だ なにやってんの」
「…そっちは」
「部活の休憩時間 ねえ、俺の質問には答えてくれないの」
「居残り勉強」
「勉強してるようには見えないんだけど」
「私も休憩時間」
「ふぅん」

じろじろ見られるのが苦手。自分は人のこと上から見続けてるくせにね。人から見られるのはどうも落ち着かなくて、いつも目線が下がってしまう。
自然な動きで私の隣に立った彼は、いつも真っ直ぐ前を向いている顔を俯けて校庭を見た。落ちかけた太陽の光を受けてきらめく姿があまりに綺麗で、無意識に彼を見続けてしまった。視線に気づいてるはずなのにこっちを見ないのは、彼なりの優しさなのかもしれない。俯いている姿が新鮮過ぎていつもの彼じゃないみたいだ。なんだか、泣きそう。

「名字…」
「っ!」

耳元で囁かれ息がかかる。思わずしゃがみ込み両の手で耳を押さえると、くすくす笑いながら彼も姿勢を低くした。耳が弱いんだ、仕方ないだろ。けれど負けた気がして気に入らない。睨みつけるように見ると少し目を逸らされた。勝った、なんて…ガキか。

「耳、弱いんだ」
「知らない」
「じっと見られるのも苦手」
「…知らない」
「そういえば、目を合わせるのも好きじゃないんだよね」
「……なんで、知ってるの…」
「ひみつ」

私ばっかり弱いみたいじゃん。私ばっかり負けてるみたいじゃん。なんで誰にも言ってないこと知ってるの。なんでわざわざ私に言うの。いじめて、楽しんでるでしょ。でも私だって知ってる。君は仲間思いだから仲間の頼みを断れないことも、自分のことで精一杯なのに笑っていられることも、他人の悪口を言わないことも。…良いことばっかり。やっぱり私の負けなのかな。

「名字って勉強すごく頑張ってるよね」
「…なに、急に」
「友達が悩んでることもさりげなく解決に導いたり」
「そんなこと…」
「気がきくから先生達に気に入られてるのに、それに気づかないでバカみたいに勉強頑張ってるし」
「…悪口じゃん」
「可愛いってこと 分かるかな」
「…は 意味不明」
「ねえ、男の子と近づくのも苦手なの」
「なんの、はなし」
「さっきから俺が動く度に震えてるのはなに」
「やめてよ…っ」
「そんな顔、他の男の前でしたらダメだよ」

段々短くなる距離に緊張して身体がうまく動かない。落ち着くはずの静かな教室がこんなに怖い空間だったなんて知らなかった。一人で良いよ、一人が良いよ。怖いの、人と関わるのが。ついに触れた彼の手は優しく私の頬をなぞった。ねえ、やめて。心臓が壊れそうだよ。外から聴こえるはずの声も、廊下から響くはずの音色も、私達の息以外何も聞こえなくなった。触れた温もりを忘れることは出来ないから、私は今日の記憶に蓋をする。

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