※お妙さん誕生日
例えば今ここで目の前の線路に飛び込んだとしても、世界が揺れ動くことはないだろうし、明日も変わらずいつも通りの朝日が昇るだろう。
自分がこの世から消えて悲しんでくれる人は沢山いると思う。たった一人の可愛い弟だとか、血はつながっていないが本当の妹のように思っている女の子だとか、あのストーカーを筆頭にした暑苦しい黒服の集団だとか、夜を共に戦う仕事仲間だとか。他にも沢山。
そこまで考えてふと、あの綺麗な銀色も頭の中にちらついた。
こんなことを考えてみるが、実際この世から消えるつもりは全くない。沢山の大切な人達を悲しませたくもない。
独りでいると、ふとした瞬間にどうしようもない虚無感と孤独に押し潰されそうになってしまう時があるのだ。
もちろん自分は独りではないのは知っている。ただなんとなく、物寂しくなるのだ。
それであんな、考えてもしょうがないことを考えてしまう。
それが、今はたまたま踏切の前だったからとゆうだけ。
踏切が上がってはっとして、また考え込んでいた自分に小さく苦笑した。
思うだけで実際にそうするわけではないから、とてもくだらないことだと思うが独りの時間が長いと考えてしまうようになっていた。
弟は最近泊まり込みで帰ってこないし、あのストーカーは出張らしい。誰かしら街中で会ったりするのだが、会わない時はまるでそう決めていたかのように本当に誰にも会わない。もちろん仕事には行くが、あのきらびやかで賑やかな世界は独りになった時の孤独をより一層引き立たせる。
そうして何日もそんな日が続くと、いつの間にかぼーっとしていることが多いのだ。
「おい」
急に手首に暖かいものが触れた。
突然、意識を引きはがされたような感覚に驚いて横を見ると、銀髪の見知った男が立っていた。
「あら、こんにちは」
手首が暖かいのは、この男につかまれているからだと気付いた。
「なんですかこの手は?」
「なんですかじゃねーよ、踏切のど真ん中でぼーっと突っ立ってんじゃねーよ危ねえだろが」
踏切を渡ったつもりだったが、考え事のせいで途中で止まってしまっていた。
「そうですねごめんなさい。ありがとうございます」
そう笑ってお礼を言うと、なんともいえない顔をして手を離した。
「自殺願望でもあんのか?新八がうるせーから勘弁してくれよ」
「そんなんじゃないんです。ちょっと考え事をしてて…」
似たようなことを考えていたことにぎくりとしたが、なんでもないように答えると、ふーんとどうでもよさそうに前を歩きはじめた。
ふわふわと歩調に合わせて揺れる銀髪を見ていたら、先程自分が思い出していた顔ぶれの中にちらりとこの男も出てきたことを思い出した。
それ程知らない仲ではないはずなのに、なぜ他の人と違ってちらりとしか出てこなかったのだろう。自分の中でこの男はそんな位置なのだろうか。
そうだとしても、あのストーカーの方がはっきりと出てきたことの方が不思議でしょうがない。
「情が移ったのかしら…」
思わず呟いてみて、ゴリラ顔が思考を過ぎったが情というよりは彼には多少の恩もあるからだとすぐに答えが出た。
「実は嫌いなのかも」
ふわふわ揺れる銀髪を見ながら呟くと、顔を半分だけこちらに向けた。
「何さっきからぶつぶつ言ってんの?」
「なんでもありません。それより銀さんなんで一緒に歩いてるんですか?万事屋さんは反対側でしょう?」
「俺がぶらぶらしてちゃいけないんですか〜」
「プー太郎と変な噂が立つなんて嫌だわ〜」
「俺だってお前みたいなゴリラごめんだね」
「なんですって?」
笑顔で拳を握って黙らせたが、本当に何故同じ方向に向かって歩いているのかわからない。
そうこうしてるうちに我が家の前まで来てしまった。
「ほんとになんなんですか?あなたまでストーカーですか、モテる女って罪ね」
「あのゴリラと一緒にすんな。ガキどもが絶対来いってうるさかったんだよ」
なんのことだかさっぱり見当がつかない。
しかし"ガキども"と言うからには中に弟とあの少女もいるのだろう。
何日ぶりだろう。こんなに沢山の人と会うのは。
独りに慣れてしまっていたと思っていたがやはり慣れることなんてないのだ。
だってこんなにも嬉しいのだから。
「あー……よぉ」
急いで門をくぐろうとすると、はっきりしない声で呼び止められた。
振り返るとなんだか落ち着かない様子で頭をぼりぼり掻いている。
度々見るその姿に癖なんだろうと頭の隅で思った。
「なんですか?」
「あー……えーと…」
早く中に入りたいのに、いつまで経ってもはっきりしないことに苛立ってきた。
「何かあるならはっきりしてください。新ちゃんと神楽ちゃん、中で待ってるんでしょう?」
そう言うと、あーだのなんだの聞き取りずらい返事をして何かを差し出してきた。
「?…なんですかこれ?」
「まぁあれだな…お前もまたババァに近付いたな」
いちいち腹の立つことを言う男だ。
喧嘩を売ってるのかと睨めば慌てて言い直した。
「ばか違うよお前!今日なんの日かわかってねーだろ!?」
「今日?」
渡されたビニール袋の中を覗くと、好物の冷菓が二つ。
珍しい。とゆうかこの男にとってはこれを二つも買う行為が相当な冒険だと思う。
「やるよ。祝いだ」
今日が自分の誕生日だったことにようやく気付いた。
しかしそれよりなんでこんな冷菓二つでこんなにも嬉しいのだろう。
こんなもの自分の給料ならばいつだって買えるのになんでこんなに胸がいっぱいなんだろう。
「大丈夫なんですか、ちんけな稼ぎなのに二つも頂いて」
「おま…ほんと可愛くねーな」
「可愛くなくて結構です」
「そんなんじゃ嫁の貰い手ねーだろ」
「あら銀さんに言われたくありません」
「まーあれだ」
またぼりぼり頭を掻いているのがなんだか可笑しかった。
「それなら俺が貰ってやってもいいけど」
この人は何を言っているのだろう。
誰が誰を貰ってもいいと?
訳がわからずぼーっとしていると、目の前の男がまたぼりぼり頭を掻いた。
「あれ?無視?"僕を貰ってやって下さいでしょ?"とか言わないの?」
よく見ると額にうっすら冷や汗が滲んでいた。
驚いたが何故か嫌な気はしなかった。
それどころかむしろ
「僕を貰ってやって下さいでしょう?」
にっこり笑ってそう言うと、流石だわと言って笑われた。
きっと私は随分前から気付いていた。
この人は酷く自分の心を落ち着かせてくれることを。
何故かこの男のことが解ってしまう自分を。
そしてこの男にも自分のことを理解されているだろうことを。
先程つかまれた手首に感じた暖かさも、この袋に入った冷菓も、独りの世界から引き戻してくれる。それが何より離れがたい、離しがたいものだと思う。
そんなものをくれるこの男をきっと私は
「お前、生まれてきてよかったな」
「銀さんこそ」
もうきっと、あんなくだらないことを考えてぼーっとすることはなくなるだろう。