「寒い」
縁側にいる女がぼそりと言った。背を向けていたが、衣擦れの音が聞こえて身体を擦っているのがわかった。
「んなとこにいるからだ。早く戸閉めろよ寒いから」
襖を挟んで中にいる男も身震いをした。
開け放したままの襖の間から、冷たい外気が流れ込んでくるのだ。
だがその襖を閉めることなく、女はじろりと男を睨んだだけだった。
「…なんだよ」
「だって初雪ですよ」
「だからなに」
「庭に椿の木を植えてあるんですけど、花を咲かせたんです」
ほら、と女は庭先の椿を指差した。
首を動かすのでさえ億劫だったがこの女の機嫌を損ねると、首一つぐらい動かせばよかったと後で後悔するのがわかっていた。
渋々男が目を向けた先には、なるほど綺麗な花が咲いていた。
「立派なもんだ」
「そうでしょう?雪と椿ってなんだか風情があって好きなんです」
何がそんなに嬉しいのか、女は笑って言った。
「ふーん…てかそろそろ閉めない?まじで寒いんだけど」
そう言うと笑顔から一変、先程のように睨まれ男は体を縮めた。
「はぁ…本当にあなたって人は………」
今度は心底呆れたような顔をされた。
「なんだよ、あなたって人は…の続きは?何その人を蔑むような目」
「いえ…こうゆう風情がわからないなんて生きている意味なんてないんじゃないかしらと思って、可哀相だなって」
「そこまで言う?」
「大体、銀さんにはこんな高度なことわからないですよねすみません」
「なんで俺謝られてんの?」
気に障らない程度の文句を一つ二つ女に向かってこぼすと、女は一つ短い溜息を吐いてからまたぼそりと言った。
その声があまりにも小さいので、男がいつ女の拳が飛んでくるかと神経をそちらに集中させていなければ聞き逃してしまう程のものだった。
「小さい頃です」
かろうじて聞こえたはいいが、主語も何もなく言われた言葉は意味がわからず結局 何が と聞き返さなければならなかった。
「あれを植えたの」
途端、男はぴんときた。
誰がとは言わなかったし聞きもしなかったが、幼い頃に植えたと言うのだからきっと彼女でもなく、弟の新八でもなく、今は亡き二人の父親なのだろうと、そう確信した。
庭に咲く思い出の花を見て綺麗でしょうと同意を求めて、それに答えれば嬉しそうに笑い、花の話をとっとと終わらせ戸を閉めろと言うとじろりと男を睨むのも全部、彼女の大好きな父親によるものだったのだ。
同情や慰めの言葉を求めて話したわけではないし、こうゆう類の慰めの言葉をこの女は嫌う。
それを知ってか知らずか男は何を言うでもなく、ふーんと一言発しただけだった。
すると女はまた一つふう、と溜息をついてからそろそろと戸を閉めようとした。
「あー、ちょちょ」
寒い寒いと煩かった男が、それを止め重い腰をあげた。
「なんですか?さすがに部屋が冷えきってしまうから閉めますよ」
怪訝そうな顔を浮かべ自分の隣に立った男を見た。
「ああ、ほんとに」
「?」
「大したもんだ」
その言葉は花に向けたものなのか、女の父親に向けたものなのか、はたまた女に向けたものなのかはわからないが、男の素直な言葉だった。
「…ありがとうございます」
張り付いたような笑顔でもなく、たまに見せる本当に嬉しそうな笑顔でもなく、少し困ったように眉を下げて笑った女の頭を、しょーがねーなと言いながらがしがしと男の手が不器用に撫でた。
「ふふ、銀さんの手、父上より全然華奢だわ」
「…うるせー」