▼ 春の悪戯 (5/6)
心配していたことは、拍子抜けするほどに何も起こらなかった。
足はひねらない、手もすりむかない、頭も打たない、腰も痛くない。
足の裏だけは少しじんじんしたけど、それは逆に今自分がした信じがたい出来事を事実だと肯定してくれた。
とんだんだ、私は。
自分の力で。
しばし呆然としていた私の肩を、いのはつかんでくるりと回し、私を木に向き合わせた。
そして秘密を明かすときの、あの謎めいた声で私に話かける。
「ねえ、サクラ」
いのは背後から抱きつくような格好で、私の両手をつかむと、ぱっと広げた。
「さっき私が見せた長さは、これくらい。それで、本当の長さは、」
広げたその手の距離を保ちながら、私は地面から垂直に距離を測ってみた。
「こんなに違う……」
木の上で固まる私に、いのが教えてくれた高さは、実際の高さとゆうに二倍は違っていた。
目測でだってこんなに狂いはしない。
いのはわざと私を騙したんだと、自分の中のやけに冷静な部分が理解していた。
「サクラはさ、何でも出来ない出来ないって思ってるかもしれないけど。でもさ、本当は、自分が出来ないと思ってることの、倍以上のことが出来る子なんだよ」
だから、自信持って――
振り返ったとき、いのは笑っていた。
さっきまできれいだと思っていた桜が霞むくらい、きれいな笑顔だった。
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