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三年間は長いようで、本当はとても短い。そう三年なんて月日は、これからの長い人生のほんの欠片に過ぎないのだ。
今日、俺は中等部を卒業する。

この道は何度通ったことだろう。桜並木の続くこの道は、俺のお気に入りの一つだ。この道も、こうして毎日歩くことはなくなるのだ。どこかセンチメンタルな気持ちに浸っていると、急に後ろから風を感じた。ああ、俺の隣を人が走り抜けたらしい。桜から目線を外して前を向くと、本気で後悔した。いた。人生楽しいです!と言わんばかりの笑顔で災難しか振りまかない、財前礼子が!

なんでこんな日に限って。なんだか悔しい、なんでだ、なんで美しいこの道さえも汚されないといけないんだ!何も悪いことなんてしてないはずだろう。いや、待てよ。視界に入れなければどうということはないのだ。思いついた俺が早足で歩くものの、財前礼子も同じように早足で歩くので、追い越し追い越されの歩き方になってしまう。なんだ、これではまるで一緒に登校しているみたいじゃないか。クソッ、どんな言葉でちょっと止まれを伝えれば良いんだ。ぎすぎすした気持ちでずんずん歩いていると、財前礼子が半笑いでこちらを見ているのに気づいてしまった。どうしようもなくて、俺はとりあえず笑った。さあ、俺の視界から消え失せろという意味を込めて。財前礼子は一つ頷いた後、俺から顔を隠して「ブッ」とふきだした。ダメだ、何ひとつ伝わっていない気がする。いや、伝わったからこそのこの笑いなのかもしれないけれど。どっちに転んでも不快であることは間違いない。

でもよくよく考えてみると、仲間たちと歩いた、時には将来のことを語り合ったり、ふざけながら(かばんの取りあいなんて幼稚なことをしたりしながら)帰ったりした、たくさんの思い出の詰まったこの道が、たった一日で塗りつぶされるはずはないのだ。思い出としていつだって輝き続けるのだ。そうだ、例えばあの時のあの会話…、

「私ね、大人になる前にやりたいこと、たくさんあるの」
「へえ」
「欲張りにいきたい!」
「へえ」
「だからちょっと溶けてよ幸村」
「へえ、ってなんでだよ!」
「溶けた幸村を踏もうと思って」
「なんなんだよそれはァ!」

ってアアアざざざ財前礼子だと…!?なんでよりによってこのシーン!確かにインパクトはあるけど、これは美しい思い出とは程遠い。むしろ今すぐ消し去りたい。今すぐ自分を鈍器で殴って記憶喪失にしたいほどの記憶だ。ダメだ、思い出すな精市。なにも思い出すな精市。なんで、なんでこんなときに思い出すんだ精市!

無心に帰ろう。そうだ、何もかも知らない、財前礼子と出会う前を思い出せ、美しかったあの日々を。

心を投げ出してみれば、きらきらと春の風。真っ青に光る空。はやはりこの道は美しい。それで良いじゃないか。そうだ、それに、財前礼子とは今日でお別れなのだから。所詮は中等部のみの付き合いだ。プライベートで今後関わっていくつもりなんて全くない。足を更に早めて、完全に財前礼子を追い越す。

「たぶん、いつまでも忘れないよ」

追い越した瞬間、ボソッ、と財前礼子がそう言った気がした。が、気に留めないことにした。俺だって忘れるはずがない。財前礼子に振り回された日々は、まさに悪夢だった。

「さようなら」

財前礼子らしからぬ挨拶に、俺は思わず立ち止まる。気に留めないことにしたはずだったのに、つい振り向く。泣きそうな、それなのに笑顔を作ったような、複雑な表情をしていた。なんだ、財前礼子でも別れというのは好まないのか。

「…さようなら」

自然と口が動いた。財前礼子が、少しだけ驚いて、そして笑う。新鮮な笑い方だ。そんな笑い方でいてくれたのなら、俺たちはもっと歩み寄れたのかもしれない。

さようなら、財前礼子。もう二度と、会うことはないだろう。中等部に、俺は向かう。

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