「ぎゃあああああああ!」
「えっ」

日直の仕事を終え、職員室に日誌を持って行って、今日の部活のメニューを考えているときだった。ほとんど人のいない廊下に、謎の叫び声がこだまする。そしてそこには、財前礼子が全力疾走する姿があった。

「財前礼子」
「あっ幸村」

いつも飄々としてる財前礼子が、こんなに取り乱している。つまり、これはレアなシーンだ。レアなシーンは、今後の俺に何か有利にコトを運ぶかもしれない。俺は思いついたままに、すさまじいスピードで廊下を駆けてきた財前礼子を呼びとめる。てっきりそのままの勢いで走り去るかとも思ったが、財前礼子は真っ青な顔で立ち止まった。

「どうしたんだい、君らしくないけど」

はあはあ、と体全体で呼吸を繰り返す財前礼子。本当に珍しいなこんな姿は。

「GGGGGGGがががが」
「Gって…、ゴキ」
「それ以上言ったら殺す」
「…」

目が本気だった。
どうやら、財前礼子はどこかでゴキブリと遭遇してしまったらしい。

「おおおおおぞましい…無理無理無理。だってヤツら飛ぶし、黒いし」
「どうってことないだろ?アイツらからしたら、俺たちなんて巨人じゃないか」
「何言ってんの…、ヤツら人間なんて怖がっちゃいない。むしろこうしてビビる姿を見てにやにやしてるに違いない…っ」

ああ恐ろしい!と財前礼子は嘆く。ゴキブリ如きにこんなに怯えるものなのだろうか。というか、財前礼子に女の子の一面があったのか。ふむ今後、何か困ったことがあればGを話題に出せば良いのか。何を言っても、何をしても財前礼子は動じないと思っていたが、そんなことはなかった。今まで俺たちにしてきたさまざまなことを覚えているだろうか。覚えていようが覚えていまいが、これからが楽しみだ復讐的な意味で!思わず顔がにやける。

そうだ、ここで恩の一つでも売っておこう。弱みに弱みを重ねさせてやる!

「何なら俺が退治してあげるけど」
「…相手はGだよ?」
「要するに、潰せば良いんだろ?」

出来る限り、優しく微笑む。
怯えきった顔の財前礼子と目が合った。こんな表情を作り出せるゴキブリってすごいな。俺はいつまでたってもこんな表情にすることはできなかったのに。忌々しい!

「…じゃあ、お願いする」

妙にしおらしく言われた。
なんか、調子狂うな。

「…で、どこにいたの?」
「…トイレ」
「…は」
「だから、トイレ」
「それって、」
「女子トイレ」

「ごめんやっぱり無理」

聞いてないぞそんなこと!さすがの俺だって、女子トイレに突撃する勇気なんてない。いくら人がまばらだからといって、何があるか分からない。
万が一誰かに見られた場合、俺はただの変態になり下がるだろう、そんなのごめんだ!

「ほら、こっちこっち」

だが財前礼子はぐい、ぐいと俺の腕を引っ張る。

「ちょっと、む、無理だって」
「大丈夫、幸村なら出来る」
「出来ない!」
「ほら、新聞」
「待てって」

本当は自分で退治する気だったのか、財前礼子が新聞を手渡してきた。用意は出来たが、あいにく俺は女子トイレに突撃するなんて心の整理は出来ていない!
しかし直後、カサ、と嫌な音が聞こえた気がした。ふと廊下の先を見ると、そこにはゴキブリの姿があった。

「ってぎゃああああああああGGGGうわわわあわわ」

大げさに叫んで財前礼子が俺の陰に隠れる。俺を壁にするな!制服の裾をあちこち引っ張るな!

「…はあ」

このままではほとんど身動きも出来ない。俺は財前礼子を払って、ゴキブリのところへ向かった。そんな困った顔をするな、調子が狂う!

そして俺は新聞をひとふりした。そっと見るとゴキブリを潰れていた。さすが俺、一撃で仕留めることに成功するなんて!
新聞をぐるぐる丸めて、トイレのゴミ箱に捨てる。きっと大丈夫、中身は見えない。そして手を洗う。石鹸で、念入りに。いくらなんでも、そのままにするつもりはない。

一通りの流れを終え廊下に戻ると、財前礼子が遠い目をして廊下に立ち尽くしていた。

「…寄らないで」
「は?」
「こっち、寄らないで。1週間…、いや…1ヶ月…」

神妙な顔つきでぼそぼそしゃべる。何言ってんだこの女は!

「…助けてもらった相手に、その扱いは酷いんじゃないかな?」

ずい、と近寄ると一歩後ろに下がる財前礼子。

「よよよ寄るなって言ってるでしょうが!」

財前礼子が逃げようとする。逃げられると、追いかけたくなるのは人間の性というやつで。それに、こんなに弱っている財前礼子、簡単に逃がすつもりはない!

「逃げるなんて、酷いじゃないか」
「ぎゃあああああ!!」

後ずさり逃げようとする財前礼子の腕をつかむ。潰した手と逆の手で掴んだのに、財前礼子はまた派手に叫んだ。そんなに嫌がることないじゃないか!

「何やってるんですか幸村君」

暴れる財前礼子の手を握っていると、後ろから声が聞こえ、そこには驚いた表情の柳生がいた。
ああ、そうか俺が財前礼子とこうして一緒にいるなんてなかなかないし。
しかも俺が逃がさないようにしているのだから。ふむなるほど、と思案していると財前礼子は俯きながらぼそりと呟いた。

「汚された…」
「は?」
「幸村が…無理矢理…」
「……幸村君…、あなた…!」

「…待て誤解だ!そんな目で俺を見るな!」

慌てて手を放すと財前礼子は柳生の後ろに隠れた。なんてこと言ってるんだ!

「聞いてよ柳生…、幸村ってば嫌がる私に迫ってきて…」
「ちょっと待てよ財前礼子」
「あはははは!冗談冗談、ありがと幸村!」

冗談にしては質が悪すぎる!俺は本気で怒鳴りそうになったが、財前礼子はまたねーと手を振ってどこか遠くへ掃けていく。いつもの下品な笑い方ではなく、あくまで自然な笑みだった気がする。
なんなんだ本当に。今日は財前礼子のいろんな顔を見すぎた気がする。まったく、調子狂うなあ!俺らしくない、イライラする!

そして、隣にいた柳生が俺に問いかける。

「…新しいプレイか何かですか?」



「どこをどうしたらそうなるんだよ!」
「嫌がる財前さんを無理矢理…なのにあんな笑顔で帰っていったあたり…」
「何を想像してるのか知らないけど、柳生。一回頭から冷水被ってきたほうが良いよ、俺も一緒に被る」
「え、何言ってるんですか幸村君」
「あああもう!こんなことで動揺してたまるか!」
「落ちついてください幸村くうううんんん!!」



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