「はあ…」

いったい私はどうしてしまったのでしょうか。あんなに心の底から消えてほしいと思った人間に、会いたいと思ってしまうなんて。私は立ち入り禁止、と書かれた屋上への扉を開きます。財前礼子との出会いの地。ここには人がめったに来ません。一人で泣くにはもってこいなので、こっそりお世話になっていました。最近は久しく来ていませんでしたが、なんだか今は、そういう気分だったのです。

「アレ?エロ紳士珍しいねこんなとこで」
「ざ、財前さん!お久しぶりですね!」

普段人がいないはずの屋上。驚くべきことに先客がいました。それもなんと、あの財前礼子。財前礼子は片手にイチゴ牛乳のパックを持っています。ああ、あなたでもそんなかわいらしいものを飲むんですね。なんだかミスマッチ。

「…エロ紳士、にツッコミはないの?」
「今更言ったところで訂正するつもりはないのでしょう!」

財前礼子とこうして会話を交わすのはいつぶりでしょうか。付きまとわれていた日々が夢であったかと錯覚させるほどの時であったことは間違いありません。追いかけっこの日々を思い出して、思わずジーンと財前礼子を見つめてしまいます。

「ぶっ、え?じゃあ何?ついに認めたの?エ、エロ紳士って通り名」
「認めるわけないでしょう!」
「眼鏡やめてコンタクトにすればいいのに。そしたら陰で『柳生君と目が合っちゃった、さいあくー』なーんてぶっ…なーんて騒がれなくて済むように…、あっ、やっぱり本当に透けるからそのままにしてるの?私ったら配慮不足でごめんね」
「眼鏡は私のアイデンティティです、それと、透けません!透けないとずっと言っているでしょう!」
「……ふーん」

ああ、懐かしい、懐かしいですねこの感じ!いきなり噴き出す、ああ言えばこう言う、人の話は聞かない、これです、この感じです財前礼子との会話は!何故だか私は楽しくなってきて、いつもの数倍紳士スマイルをふりまきます。今の私はどこからどう見ても紳士!ジェントルマン!
ところがそんな私をよそに、財前礼子は話をストップしてしまいました。しばらく沈黙が続いた後、財前礼子が口を開きます。

「…なーんか柳生、中の人変わった?」

不思議なものを見るようにジロジロと財前礼子は私のようすをうかがいます。中の人、とはどういうことなのでしょうか。

ハテナをいくつか浮かべて考えていると、財前礼子は急に私の目の前でイチゴ牛乳のパックを思いっきり握り潰しました。中にはまだイチゴ牛乳が入っていたらしく、私のシャツまで中身が飛んできます。白いシャツに点々と、ピンク色が浮かんできました。

「あっ、ごめん。悪気はなかったの」

相変わらず大うそつきですね、財前礼子!ご丁寧に、完璧な棒読みでわざわざ言うセリフではありません。
どこの世界に突然イチゴ牛乳のパックを思いっきり潰す人間がいますか!しかも中が入っていて、わざわざ人の前にパックを持ってきて!こ、これは一言文句を言わなくては!ああこの感じ、懐かしいですね。いつも何をしてくるか分からなくて、何をされるか分からなくて、一動するたびにビクビクしていたあの日々が蘇ります。そう遠くないあの日々が、今となってはとても充実していたことに気付きます。そして、今思えばアレは楽しか…楽し…楽しかったのでしょうか。

何が何だか分からなくなった私は、自分で自分を疑う言葉を財前礼子にぶつけてしまいました。

「いいです、もっとやってください」

顔をしかめる財前礼子がやけに印象的でした。