マギ | ナノ


千里彼方をゆく黄土にて

 思考をする。
 ということが珂燿は苦手である。
 そもそも経験の無い事には酷く弱い。突発的な目まぐるしい事象への臨機応変な対処は苦手であるし、複雑怪奇な人の感情の経過を辿ることもまた苦手だ。自我はあるのだから与えられた命令に多かれ少なかれ思うことはあれども、受動的でいることに、恭順することに何の不具合も発生しなかった。……今までは。
 それは、己が従うものであり、答えるものであり、塞ぐものであり、叶えるものであるためだ。
 マギではない。マギにはなれない。導くものにはなりえないのだ。地上の王に行使することが許された最も大きな力。それが……。

「おい……」
「…………」
「……珂燿、聞いているのか?」
「?」

 名前を呼ばれて、珂燿は現実に帰ってきた。
 珂燿の目の前には、渋い顔をした夏黄文が立っていた。先程まで状況を確認するためにまだ多くの兵士や侍女もいたはずだが……今は室内に珂燿と夏黄文しかいない。
 珂燿がジュダルと対峙するに至ったことを説明する内に、全員の顔が険しくなっていた。皇女の末席ということもあり、政治が得意ではない紅玉だったが、彼女も自分が置かれている状況を理解したようだった。白龍に関すること以外ではあまり感情に起伏が無い珂燿でも、多少の憐憫を感じる程に顔を青くしていた紅玉の姿が無い。ここは、紅玉に与えられた部屋ではなかったか?
 謹慎……というわけではないが、王に促された以上は以前のように王宮を出歩くべきではない。白龍の身を案じた珂燿は夏黄文に尋ねた。

「皇女は?」
「神官殿の無作法をシンドリア王に詫びに行かれた」
「そうか……立派だな。あんなに青い顔をしておられたのに。皇女の傍にはいなくていいのか?」
「良いわけは無い。が、姫君がおっしゃったのだ。お前に治療をしてやれと」
「………………」

 珂燿は瞠目した。人が良すぎるだろうと呆れ半分慈しみ半分に一旦目を伏せて、首を振った。
 ジュダルの魔力を受けて出来た傷は、夏黄文の眷属器を使ってどうにかなるものではない。外傷という意味では、表皮自体の再生は終わっている。後は気脈や白龍から魔力を拝借するなりして、黒いルフを帰すしかないのだ。

「気持ちだけ有り難く頂いておく。塞がっているから治療の必要は無い」
「……お前の頑丈さは知っているが、そんな顔色で言われても説得力は無いぞ。見せてみろ」
「やめろ、痴漢かお前は」
「馬鹿なことを言うな。お前の顔色が戻っていなければ姫君が無用の心配をなさるんだ」
「お前にどうこうできる傷ではない、離せ」
「なに? 人が折角治療してやろうと言っているのになんだその態度は!」

 出世に貪欲な人心掌握が特技(自称)の夏黄文が、よりにもよって手に入れてしまった治癒の眷族器。出世には端紙ほどの役にしか立たないが、だからこそその分プライドがあった。何の意味も無いという珂燿の言葉に、夏黄文の自尊心は多いに傷つけられる。
 いいから見せろ、無意味だ離せ、と押し問答が続き、いつの間にか二人は取っ組み合い寸前までヒートアップしていた。

「この、文官風情が……!」
「剣くらい、私とて修めているんだ……!」

 どこでどう道を踏み外したのか、年頃……を少し過ぎた男女ががしりと指まで組んでメンチを切って力比べをしていた。お互いに何をしたかったのか、綺麗さっぱり頭から抜けている。

「文官、風情では、なかった、のか?」
「お前こそ、手負いの、女一人、力で、勝てんのか?」

 押しつ、押されつ。
 珂燿も本調子ならば夏黄文など指一本で地面に沈めてやれるが、今はその辺りの一般人ほどの力しか出ない。それでも、皇女の従者という一般人よりも強い(はずの)夏黄文に抵抗しているのは、偏に意地というものだ。
 天華の戦火が盛んだったころから白雄に従っていたのだ。戦闘経験なら充分なくらいに溜まっている。

「…………こ、のっ!」
「ぬぐっ!?」

 頭を冷やせばよかったのだ。
 夏黄文の力を利用して、床の上に転がしてやると勝ち誇ったように珂燿は言い放った。

「はっ、だから余計な世話だと言ったでしょうが」
「珂燿」
「はい若君なんでございましょう! …………え?」

 脊髄反射で珂燿は返事をして、そして首を傾げた。ザガンにいっているはずの、若君の、白龍の声が聞こえたのか。
 答えは簡単だ。
 帰ってきたからだ。そして、目撃してしまったからだ。夏黄文を押し倒している珂燿を。夏黄文を押さえ込んでいる、珂燿を……。

「お前は一体、なにをしている!?」
「あ、ああああ貴方達、そんな関係だったの!?」

 扉の所には顔を青くして身震いをしている白龍と、顔を赤くして袖で隠しながらちらちらと好奇心を隠しきれずに二人を伺う紅玉の姿があった。
 頭から冷水を引っ被ったように一息にクールダウンした従者二人は、主に誤解だと訴える。こんな奴とそんな艶っぽさがあってたまるか。しかし、思春期な主二人は理解してくれそうにない。

「誤解です!」
「誤解であります!」
「息もぴったり」
「誰がこんな男と……被せるなよ」
「誰がこんな女と……真似をするな」
「ねえ、二人の馴れ初めを聞かせて頂戴」
「あのですね」
「ですからっ」

 珂燿と夏黄文は名誉がかかっている。二人が紅玉の追求を否定する度に、白龍の顔から表情が消えていった。

「珂燿」
「はい!」
「暫く、傍に控えなくて良い」

 白龍は珂燿らから顔を逸らし、部屋を出て行った。残されたのは、断末魔の様な呻き声を上げて、彫像のように固まった珂燿。
 その硬直具合から、流石に何かおかしいと紅玉が珂燿の顔を覗き込む。

「珂燿、どうしたのぉ……?」
「…………」
「おい。まさか目を開けたまま気絶しているんじゃないだろうな!」

 まさかである。プラナリアよりしぶとい珂燿の肉体と精神は白龍の一言で限界だった。
 今なら、自力で白雄に会えそうな気がする……珂燿は薄れゆく意識の中でそう思えた。

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