An invisible wall




「会いたかったよ、ロア」


「…ルシ、ファー…?」



優しい瞳。
大好きな大好きな…ずっと自分が見てきた瞳。
そんな瞳を緩やかに細め、こちらへと手を伸ばしてきたその手を視界に入れた途端。
ロアは嬉しさと戸惑いとでぐちゃぐちゃになった脳が伝達ミスをしてしまったかのように、その青紫の瞳をゆらゆらと揺らしてしまう。

本当ならこの場でこの手を取るか取らないかよりも考えるべき事はあるのだろう。
ここは何処なのかとか、自分は今どうなっているのだろうとか。
アルベル達はどうなっているのだろうとか、それこそ本当に…本来なら考えるべき事も、目の前のルシファーを警戒するべきなのだと言うことも。

分かっているのに、分かっているのに。
それでもやっぱり目の前で自分に優しく手を差し伸べてくれているルシファーは暖かくて、「自分が見てきた」いつもの彼だった。
その事実が嬉しくて、本来なら優先するべき思考よりもその感情の方が勝ってしまったロアは、あの時掠めただけで繋ぐ事が出来なかったアルベルの手とは反対に、嫌味かのように簡単に届いてしまったその手に自分の手を重ねてしまう。




「迎えに行くと言っただろう?…まぁ、それは記憶を消してから、という話だった訳だが。それなのにあろう事かバグと抜け出してこの世界にまで来るとは…」


「…っ、ルシファー…っあの!まずは話を聞いて欲しいの!」




差し伸べられた手を取って、上から引っ張るように優しく立ち上がらせてもらったロアは、まるで悪戯をした妹に呆れているかのような表情をしている目の前のルシファーに意を決して「話を聞いて欲しい」のだとお願いをした。

勿論、本当なら今すぐに「バグ」と言ったことを訂正させたかったのだが、それを言ったことによって状況がイタチごっこになってしまうのは目に見えている。
それをロアが言わなければ、今頃はまたあの時の…ロアの記憶を消そうとした時のように冷たい眼差しでアルベル達のことをデータやらと彼は吐き捨てていたのかもしれない。
そんな中で唯一抵抗出来たことと言えば、それはルシファーの元から離れ、アルベルと共にこの世界…エターナルスフィアに戻ってきたことを謝らなかったことだけだ。




「…話か……はぁ、まぁここまで拗れてしまった訳だしな……分かった。取り敢えずお前の言い分とやらを聞こう。話してみなさい」


「……あの、あのねルシファー…確かにこの世界はルシファーが創った世界だと思う。それはちゃんと分かってる。でも、でもね!初めは確かにデータだったかもしれない!でもこの世界は…この世界で生きてる物は、それこそ本当に生きてるんだよ!思考だってある、感情だってある、思い出だって、生き様だってあるんだよ!」


「?何を言っているんだ。当たり前だろう、そんな事」


「…え…?っ、じゃ、じゃぁ!それなら何でルシファーは、」






「私がそう「プログラム」しているからな」






一瞬、期待した。
ちゃんと「生きて」いるんだと、ルシファーが否定しているこの世界のことをそう言って訴えた後に聞こえた、「当たり前だ」という彼の答えに。

分かってくれているなら何でそんなことを言うのか、今も尚消そうとするのか。
それを問おうとした際に言われたその言葉は、ロアの淡く光かけた「期待」を真上から槍で突き刺して「絶望」に変えてしまうには充分過ぎる言葉だった。


プログラム。
それはつまり、そう設定しているのだということ。
生きている筈のもの達に与えた設定。
それなら…それならそれは…




(…色々と整理することも多いでしょうけど、まず貴女をこれ以上一緒に連れて行けないわ。予定通り、セフィラの前にカルサアにあるウォルター老の所に行きましょう。…お爺様なんでしょう?)


(……そう、ですね…実は、その…血は繋がってないんだけど……戻ってきた記憶の通りなら、私はおじいちゃんの養子の娘だから…)


(え、そうだったんだ…?てっきり僕は血が繋がってるものだと……まぁでも、それでも家族なのは変わりないし、ウォルターさんも早く君に会いたいんじゃないかな?消去された筈の記憶が戻っているなら、同じく記憶を操作されたウォルターさんも思い出しているだろうし)




突然居なくなっても、ずっと忘れてしまっても。
待っててくれてるだろう、記憶はまだ曖昧だけど確かに自分のおじいちゃんであるウォルターの優しさも、一緒に過ごした思い出も。





(「強く」生きろ!アルベルッ!誰よりも「強く」!それが…それだけが…)





俺の望みだからと、息子であるアルベルを庇って…ドラゴンゾンビから放たれた豪華の炎に焼かれながらも強く凛々しい眼差しで…眩しい笑顔で消えていった、アルベルのお父さんの生き様も、強さも、想いも。




(負けた人間なんぞに価値はねぇんだよっ!)


(そんなもの関係あるか。…この世は弱肉強食だ。強いか、弱いか、ただそれだけだ!強い奴が何よりも偉く何よりも価値がある!)


(……あの時…俺が弱くなきゃ、死ぬことなんてなかったんだよ…っ、)




過去の自分の過ちを悔いて、弱さを悔いて。
自分を守って居なくなってしまった父親の最後の望みを全身全霊で受け止め、「強さ」を存在証明にして…
自分が父親に庇ってもらって生き長らえている今を肯定出来るように、自分を庇って死んだ父親に恥を欠かせないように。
どんな事があろうとも「強く」生きようとしているアルベルの努力も、それこそ強い決心も。





全部が全部、プログラム。
データにルシファーが与えた、「設定」





「違う、違う…!!」


「何も違わない。お前のその感情も今はプログラムだ。そう私が設定しているから、お前は苦しんでいるし、悲しんでいる。だからこそ私はお前をこの世界から切り離して、データではなく実体として傍においてやりたいんだよ。その為には邪魔なものを排除する必要がある」


「設定なんかじゃない!排除する必要なんてない!!私は…っ、ううん、私のことはいいよ!でも、でも!私の知ってる皆はそれぞれ思い出があって、ちゃんと生きてきた証がある!想いがある!!それを「プログラム」した「物」だって言うのは、「邪魔なもの」って言うのは、いくらルシファーでも私は許さないっ!!」


「……はぁ……言い分はそれだけか?何度説明しても理解してくれないのだな。可哀想に…ここまでバグに毒されていたか」


「だからバグじゃな、」


「もういい。分かった。お前は事が済むまでそこで大人しくしていなさい」




ルシファーの言うことを否定している筈なのに、認めないと言っている筈なのに。
絶望した後にフラッシュバックしたロアの「思い出」から生まれた感情が背中を押してくれるかのように伝えたい言葉を投げた筈なのに。
それすらも目の前のルシファーは当然かのような表情でプログラムだと言って否定を否定で返してくる。

そんな状況に大声で叫び声をあげそうになるのを必至で堪え、言っても分からないのなら何度でも言うしかないと…ここまで分かってくれなくてもやはり嫌いになる事だけは出来ないロアが二度目の説得をしようとしたのだが、それをルシファーは埒が明かないと拒否してしまう。




「っ?!何これ…!出して!!ねぇルシファー!出してよ!!」


「お前の言い分は分かった。分かったからこそ事が済むまでそこで大人しくしていなさい。掃除が終わったら私と共に帰ればいい」


「掃除、って…?!」




気づけばロアは彼によって作られた透明なキューブのような物に閉じ込められ…それは声は届くものの、いくら叩いても割れも壊れもしない頑丈なそれはまるで見えない壁によってルシファーと自分が「分かり合えない」のだと言われてしまっているような感覚になってしまう。

それでも諦めきれずにドンドンと目の前に出来た壁を叩きながら声をかけるロアだが、そんなロアにルシファーが返したのは氷のように冷たい温度の声で言われた「掃除」という言葉だった。
その言葉がどんな意味を指すのか察したロアが顔を真っ青に染めて言葉を失えば、ルシファーはそれ以上ロアに何かを言うことはなく、ただ黙って淡々と自分の目の前に展開した空中スクリーンを操作し始めた。





「アルベル?!今まで何処におったのじゃ?!連絡も何も無しにいきなり居なくなって…!!わしはロアを完全に思い出して探しに行こうとしておったのに、お前が居なくなったお陰で国が混乱していてそれどころではなかったのじゃぞ?!」


「御託はいい!!そんなん後で幾らでも聞いてやるから今すぐ飛龍を貸せ!!疾風にもまだマシな奴が2人いるだろう?!俺の名前を出せば飛んでくる!!早くしねぇか!!」


「な、何じゃ帰ってきて早々…!」


「ウォルターさん、話はアルベルの言っている疾風の人達に連絡をした後で説明します。今は急いで下さい!僕からもお願いします!ロアさんが危ないかもしれないんです!!」


「ロア…?!ロアが帰って…!!?アルベル、お主…?!」


「あぁそうだ攫ってきた!!だが攫い返された!胸糞悪い!!だから早くしろって言ってんだ!!」





その空中スクリーンの端に映し出された…今自分達がいる世界にある、カルサアで何か企んでいるらしい…確実にそう長くは掛からずにこちらに向かってくるのだろうアルベル達の姿を憎しみを込めた瞳で睨みつけながら。


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