Call your name




真っ暗な、真っ暗な暗闇。
何も見えない、何も話せない。
そんな空間に響くのは無機質な音を立てる電子音と感情の篭っていない言葉だけを発するアナウンス。



『データ、現在、20%ノ消去ヲ確認シマシタ。』



外したい、外れない。
もがきたい、もがきたいのに、自身の体は繋がれたいくつものコードと拘束具で指先を動かす事すら叶わない。



『27%……31%…』



やめろ。やめろ。
これ以上、勝手に自分の脳を掻き乱すな。




(安心しろ。この俺が必ずお前を…)




勝手に、大切な記憶を、時間を…




(その下らん世界とやらから…)



何よりも、大切な人を…



「忘れる…なんて…っ、絶対…っ、に…っ!」



思い出せ。
全部、全部全部思い出せ。
大切な人との、大切な思い出を。
大切な人との、出会いを、会話を。

忘れるな、一つだって忘れるな、消させるな。
消されてたまるものか。




そう。
大切で、大好きな、大好きな…





「アルベ…ル…っ、お願…い」




お願い、この記憶が消えてしまう前に。

私を…ここから、













「ブレアさん!どういう事ですか?!「実験室」って…?!」


「っ、もう彼此10年以上前の話だけど、ロアはね、元々は記憶喪失だったの…!自分の名前以外何も分からない状態で、この会社の入り口で倒れていたとオーナーから聞いていたのだけれど…っ!最近やっとその真相が分かったのよ…!」


「真相…?」


「ロアは記憶喪失なんかじゃなかったの…っ、「消された」のよ、オーナーに…っ、私の…兄さんにっ、!」


「えっ?!」




無機質な部屋をいくつも通り過ぎ、代わり映えのしない同じ景色を走り続けているブレアは、扉という扉の前にあるセキュリティを手動で解除しながら…フェイト達の質問に答えながら共に進んでいく。
厳重にセキュリティが掛けられているせいで、直ぐに辿り着けないのがもどかしいが、もっともどかしいのはロアが連れていかれた実験室までの道をわざわざ遠回りしているという事だった。

本当ならもっと早く辿り着ける真っ直ぐなルートがあるらしいのだが、それだとここの社長である…つまり、エターナルスフィアを創った張本人、そして何より、ロアをそんな目に遭わせた原因と鉢合わせになってしまう可能性があるからだった。
そうなってしまえば、いくらこの世界で紋章術が使えるフェイト達と言えども足止めを食らってしまう可能性が高いし、もしその間に…先程ブレアが言った通りにロアの記憶が全て消されてしまっては意味が無い。




「記憶を消すって…!そんなの、生身の人間にやることじゃないじゃないですか!」


「そうね…私もそう思うわ…でも、あの人ならやりかねない…いや、実際にもう手は下している筈よ。でも、記憶を一度に消すとロアに負担が掛かるだろうから、きっとまだ時間の猶予はある…っ!それに間に合えば…っ!あぁもう!またセキュリティ!!もう目の前なのにっ!」


「ブレアちゃん!頑張って!!難しいことは良く分かんないけど、つまりそれって折角アルベルちゃんがここまで来たのに、ロアちゃんがアルベルちゃんの事まで忘れちゃうってことでしょ?!あたし、嫌だよそんなの!!」


「っ、ええ!分かってる…!何よりそんなのっ、アルベルくんに出会ってからのあの子をずっと見てきた私が許さない…っ!!っ、開いた!!アルベルくん!もう目の前よ!!」


「なら早くこの扉も開けやがれっ!!この奥なんだろう?!」



セキュリティを解除する度に、それが何倍にも厳重になっていく事で、何万通りもあるキーワードを予測して解除していくブレアに疲れが見え始めるが、後ろで泣きそうになりながら応援するスフレの声を聞いたブレアは目を細めて眉間に皺を寄せると、半ば意地のようなものでそれも解除する。

そしてそのまま開いた扉の先にある、如何にも重要そうな扉をその視界に映すと、「あの扉だ」とアルベルを一番に通して見せた。
しかし、流石にその扉に何のセキュリティも施していないということはなく、案の定その扉も直ぐに駆けつけたアルベルが開閉ボタンを押しても開くことはなかった。
そんな目の前の光景に心底自分の兄に対して怒りと軽蔑を覚えたブレアだったが、そんな感情を出すよりも先に駆け足でセキュリティの解除に取り掛かった。




『データ…、全体ノ85%ノ…ジジ、確認…シマシ、タ』


「っ、あぁぁあっ!!!」


「?!ロア!?おい!そこに居るのか!!何があった!!おい!答えろ!!っ、ロア!!!」


「叫び声…?!っ、ブレアさん!早く!!」


「やってるわ!!やってるけど…!!どれもこれもまるで反応しないの…っ!!なんでっ、なんで!!何が正解なの!!?!」



もう、すぐ目の前にロアがいるのに。
ずっとずっと…直接会ってこの手で抱き締めてやりたいと願ってきた、何処にいるのかも分からなかった相手がそこにいるのに。

こんな重苦しく、固く閉ざされた厳重な扉から漏れて来るほどの悲痛な叫び声が聞こえて来る度に、アルベルは必死になって何度も声を掛けて扉を叩く。
その声が枯れても、その拳が血を滲ませても…何度も、何度も。

それなのに、それなのに。
そんなアルベルを前にして、いくら数字を打っても、いくら想像のつく限りのワードを打っても…扉のロックは一向に解除されない。
こんなにも自分は無力なのか、扉の向こうから聞こえてくる、大好きなロアが泣き叫ぶ声が聞こえてくるのに。

どうして開かない、どうして開かない。

もう、何が正解なのだと考えるよりも先に、数打ちゃ当たれと半ばヤケになって無数のワードを打っていくブレアはその瞳に涙を滲ませながら必死に指を動かす。




「う、あっ、あぁぁあっ!!!」


「ロア!!!っ、ロア!!!この…っ!!クソがッ!!なんで開かねぇ!?」


「分からない!!分からないのよ!!っ、ここまで来たのに…!!もう時間がないのにっ!!何が…何が正解なの!!」



『データ、92%…確認、…ジ、94%、95%…』




しかし、それでも無常にもその「終わり」を知らせる数字はカウントされ続けてしまう。
何が正解だ、他に、他に何がある?




「っ、ブレアさん!!もうカウントが!!」


「分かってる!!分かってるわ!!でも!!他に思い当たるもの…!!思い当たるワード…!!っ、ここのメイン装置がロアの記憶を消去しているわけだから…っ、えっと、えっと…っ!!ロアの記憶に関するもの…!」



『96%…………97%…』



「ロアさんの記憶…なら、「アルベル」は?!」


「一番初めにやったわ!でも違ったのよ…!何か…、あの子がエターナルスフィアと関係のあるキーワード…、あの子と直接関わりのあるような…!!」


「…あいつと…直接………?……っ!!ジジイだ…!」



『98%…………』



「…え…?!」


「ジジイ…「ウォルター」だ…!それを打て!早くしろっ!!」


「っ!!……!開いたっ!!!!」


「ロアっ!!!!」



『99%…』








100








−…ビーーーーーーーーーーーーー…−





「う……………そ………?間に、合わなかっ…た…?」


「そんな……そんな事って…!!」


「っ…アルベル……」




「ウォルター」…それは、エターナルスフィアの、エリクール二号星に住む、ロアの祖父の名前。
それがキーワードとなっていた扉が完全に開くのを待たず、無理矢理こじ開けて中へと入ったアルベルの思いなど知らず。
無常にも鳴り響いたその音は、説明されずともその場にいた誰もが何のことなのか分かってしまう物だった。




「…彼女……必死にもがいたのね…凄い跡…」




マリアが思わず声を漏らした通り、ロアは必死に暴れたのだろう。
あやふやな紋章術が何度も暴発していたらしいその部屋は何かが焦げた匂いで充満し…ロアがいつも身につけていた蝶の髪飾りが入り口近くに落ちていた。

そして…その奥にいくつものコードで拘束されたまま、何も言わずに俯いているロアを見つけた面々は、自分達の目の前で、何も言わずに立ち尽くすアルベルの背中が痛々しく見え、思わず目を背けてしまった。

しかし…入り口付近に落ちていた蝶の髪飾りに、一瞬だけ「何か」が止まっていたのを見たアルベルは黙ってその髪飾りを拾い上げると、ゆっくりと奥にいるロアの元へと歩いていく。





「……」




カツ、カツン…と。
誰も何も言えず、ただ機械的な音しかしないその部屋に響いたアルベルの靴音が、何も言わずに俯いたままのロアの目の前で止まった、その時。
そんなロアに向かってガントレットをしている左手を振りかざしたアルベルを見たフェイト達は驚いて彼を止めようと足を踏み出しかけた。



しかし、その鋭い爪はロアを繋げているコード切り裂いて、そして…




「…連れ出してやると言っただろうが」




トン…と。
崩れ落ちるように倒れ込んだロアを右腕で受け止めたアルベルのその声は、こんな状況であっても全く絶望等を感じさせないような、彼らしい強い声だった。

どうしてこの状況でそんな風にいられるのか、記憶を失ったとしても、それでもロアの傍にいてくれるつもりなのか。
そんなアルベルを見たブレアが涙を流して目を細めれば、それは次の瞬間にゆるゆると大きく見開かれる事になる。





「…俺の名を言え」





何故か、それは……それは。
アルベルが自ら外したガントレットが、ガシャン…と床に落ちた音のすぐ後に、その言葉に答えるかのように発せられた…




(でね!その時にアルベルがね!こう言ったの!「歳食ったジジイは邪魔なだけだ、さっさと帰れ」って!)


(違うよ!それはつまり、「無理はさせられないから後は俺に任せて休んでてくれ」って意味でしょ?)


(っ、もうね!凄く、凄くカッコ良かった!!それにね、少しだけど話も出来たんだよ!)


(…確証も何もないよ。…まず、アルベルがこの世界にどうやって来るつもりなのかも、それが可能なことなのかすらも分からない。…正直出来るわけないって思う。…でも、それでも何か…何だか本当に迎えに来てくれるんじゃないかって、そう思っちゃって…)




初めて見た時から、ずっと。
その眼に惹かれて、声に惹かれて。
強さに惹かれて、不器用な優しさに惹かれて。

世界ごと惹かれて、その色さえも惹かれて。

どんな場所にいたって、どれだけ遠く遠く離れていたって。

不可能に近いその約束を信じて待っていられるくらい、「大好き」だと言っていた、その存在を…





「っ…………アル…ベ、ル……っ、」





名前を、呼んだから。





「…それぐらい直ぐに答えろ……この阿呆が」


「っ……あり、が…と…っ、アルベル…待っ…て、た…!ずっと……ずっと…!!」


「あぁ。知ってるさ、そんな事。…この俺が、好きな女1人、攫いに来れねぇ訳ねぇだろうが」




ずっと、待っていたその言葉を。
ずっと、返したかったその言葉を。
やっと聞けたその言葉を。
やっと返せたその言葉を。

繋いで、紡いで。
「夢」ではなく目の前で「形」にしたその想いは、アルベルからロアへと少し乱暴に寄せられたお互いの唇によって一つになった。



強く、強く…それでいて、優しく。
まるで…落ちていた髪飾りの上に乗っていた、自分をいつも癒していたあの暖かな光の蝶を包み込むかのように。




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