cold eye
ここは、スフィア社にあるロアの私室の扉の前。
そこでは、何やら心配で仕方がないといった様子のブレアと、そんなブレアに肩を抱かれながら「うんうん」と焦ったように首を何度も縦に振っているロアの姿があった。
「…いい?気をつけてねロア。絶対にボロを出さないように。平常心、平常心よ。いつも通りに、いいわね?」
「…う、うん…!わ、分かった…っ!!行ってくる…!」
「っ…ええ」
行ってくる。
ブレアにそう言って、少々カチカチの動きでロアが向かった場所は、なんとルシファーのいる社長室だった。
どうしてそんな事になったのかと言えば、ただ単純にルシファーから呼ばれてしまったからだ。
少し前まで…アルベルと出会う前であれば、「構ってもらえる」とルンルンで向かっていった筈のこの道が、今のロアにとってはまるで死刑台にあがるような気分にさせてしまうのだから、ロア本人からしたら言葉では到底表せない程に悲しくなる。
どんな用事なのか、何を聞かれるのか。
想像もつかない…いや、想像出来たとしても、それは不安でしかない。
上手く誤魔化せるか、何も知らないふりが出来るか。
分からない…分からないが、それでもルシファーに怪しまれることは許されない。
自分のせいでこれ以上アルベルの住んでいる世界、自分が生まれた世界を危険にさらすわけにはいかないのだから。
「……あら…?フラッドからだわ……フラッド?どうかしたの?」
「…あっ!ブレア?!ねぇあれの何処か王子様なの?!真逆だよ!僕そこそこ怖かったんだからね!」
「?ごめんなさい、何の話をしているの?」
「前にロアお姉ちゃんから聞いたんだよ!エターナルスフィアに「王子様みたいな人がいる」って!多分だけど、そのお兄さんが数人連れて広場のディスプレイから出てきてさ…」
「?!何ですって?!…あっ、す、少し待って頂戴!」
まるで機械のようにガチガチの動きで歩いていくロアの後ろ姿を見て、「本当に大丈夫かしら」と心配が一切拭えなかったブレアが眉を八の字にしてしまっていると、持っている連絡用の端末から通知が来たことに気づいてそのスイッチを入れた。
すると、そこに友人であるフラッドの名前が表示されていることを確認したブレアの耳に届いたのは、何処か呆れたような…しかしそれでいて楽しそうなフラッドの元気な声だった。
そして、その内容がとんでもないことに気づいて、思わず声を荒らげてしまったブレアは咄嗟に近くにある空き部屋へと移動すると、なるべく奥に移動してフラッドとの会話を再開する。
「ごめんなさいね、…えっと、フラッド、それ、それってもしかして、「アルベル」って名前の男の人じゃなかった…?!」
「え!うん、そうだよ!!ブレア、やっぱりあの怖いお兄さんと知り合いだったの?何だかそっちに行きたそうにしてて、訳ありみたいだったから手助けしちゃったんだけど…」
「っ、その話…!詳しく聞かせて頂戴フラッド!!なるべく簡潔に、それでいて細かく!!」
フラッドから聞いた、確かな情報。
その情報が、確実にロアとアルベルの距離が縮まっているのだと実感したブレアは心の底からガッツポーズをしそうになりながらも、すぐに先程陥ってしまったロアの危ない状況を思い出して首を横に振る。
そしてそのまま、何がどうなっているのか、フェイト達…アルベルが何処までこちらに近づいていて、今何処にいるのか。
詳しく聞かせて、それでいてなるべく簡潔に、早く。
そんなブレアの無茶振りのような要望に戸惑いつつも、やはり何かただ事ではないのだと察してくれたらしいフラッドはブレアが望む通りに先程あったらしい話をしてくれたのだった。
「ふぅ…。よし、…ルシファー、入るよー?」
「あぁ。ロアか。そこに座るといい」
「うん」
一方、ブレアがフェイト達の情報をフラッドから聞いている間に、エレベーターを使って社長室のある最上階へと来ていたロアは、ゆっくりと深呼吸をしてからその扉を開ける。
そこには椅子に座ったままのルシファーが大きなディスプレイでエターナルスフィアを鑑賞している姿があり、思わずごくりと唾を飲んでしまったロアだったが、ルシファーの掛け声になるべくすぐに反応して言われた通りに置いてあるソファへと腰を下ろした。
それを確認したルシファーはエターナルスフィアが映っていたディスプレイの電源を切ると、その向かい側に座ってロアへとゆっくり口を開く。
「…ロア、すまなかった」
「!…何が?」
「いや、最近どうも忙しくてな。こうしてお前に構ってやれる時間が今まで取れなかった事についてだよ」
「あ、ううん!忙しいのは知ってたし、気にしてないよ!大丈夫!…それに、そんな状況なのにこうして時間を作ってくれたし!」
「……そうか。お前は本当に優しい子だな…」
「…ルシファー…?」
自分の向かいに座ったルシファーに何を言われるか、正直身構えてしまったロアだったのだが、そんなロアに対してルシファーが言った言葉は、以前と変わらない、ロアの大好きな彼らしい言葉だった。
そんなルシファーに少し安心して、いつも通りの会話をする事が出来たロアが素直な笑顔を向ければ、それに対して優しく微笑んだルシファーにロアは少し疑問を抱く。
何故疑問を抱いたのかといえば、その微笑みが何処か寂しそうに見えてしまったからだった。
「……いや、何でもないよ。…ところでロア、少し聞きたいことがあるのだが」
「…聞きたいこと?」
「あぁ。最近何か気になる事等はないか?体の調子が可笑しいとか、変な感覚を覚えたりとか、頭が痛くなったりとか…そういったことは?」
「っ……ううん、特に何もないよ?元気そのもの!」
「……そうか、ならいい」
何故、そんな寂しそうに笑うのか。
そう思って素直に心配してしまったロアだったのだが、その後に聞いてきたルシファーの言葉に思わず解けかけていた緊張を再度固めてしまった。
それは、ロアの体調を気遣うようなその言葉を放ったルシファーの目が、何処か探るような視線に感じてしまったからだった。
まるで、嘘は着くなと言わんばかりの雰囲気を感じてしまって、一瞬ヒヤリと身を凍らせるような感覚を覚えてしまいながらも、それでもロアは何とかいつも通りを装って「問題ない」と笑う。
すると、目の前のルシファーは数秒間を置いたものの、それならいいのだと一度目を伏せた。
「…急にどうしたのルシファー?…ルシファーこそ疲れてるんじゃ…」
「いや、私は別にどうということは無い。改善プログラムも無事に投入出来たしな。ただ最近お前の顔を見ていなかったから、心配になっただけだよ」
「それなら、いいんだけど…」
「それに、エターナルスフィアの「バグ」も、このまま「何事も無ければ」完全に削除出来るだろうしな。それが終わればまたお前にもエターナルスフィアを鑑賞させてやるから、それまでは我慢しなさい。あれはお前には少々刺激が強いだろうからな」
「っ、うん…分かった…」
自分の目の前で。
「バグ」だの「削除」だの…まるでこちらの存在を否定する様な言い方をするルシファーに思わず鼻の奥がじん、と痛くなるものの。
何とかそれを堪えたロアはその苦しそうな表情を見せないように無理矢理頷いてみせた。
分からない、目の前のルシファーが何を考えているのか、自分に何を期待しているのか。
自分がエターナルスフィアの住人だというブレアの仮説は…正直正しいと思う。
それなら今までの記憶がないのも納得がいくし、この世界で上手く使えない紋章術がエターナルスフィアの住人であるアルベルの夢の中でなら難なく使えることだって頷ける。
そして…その記憶がないという事実を、きっと今こうして自分の目の前に座っている、ルシファーが作り出したのだろうことも、正しいのだと思う。
「素直でよろしい。…なら、この後は茶でも飲んで他愛も無い話でもしよう」
「それなら甘い紅茶がいい!」
「ははは、分かっているよ」
分からない、分からない。
ルシファーはエターナルスフィアの住人をプログラムだといい、フェイト達の事を「バグ」だと言い切る。
しかしそれはつまり、今こうして引き出しから貴重な茶葉を出して、紅茶を用意しながら笑いかけてくれている自分に対しても当てはまる言葉の筈なのに。
なのにどうしてルシファーはそんな自分を可愛がってくれるのだろう、この場所に置いておくのだろう。
どうして、記憶を消したりなんかするのだろう。
分からない、分からない。
自分は一体…ルシファーにとって、どんな存在なのだろう。
「この紅茶美味しー…!これ何?何の味?」
「林檎らしいぞ。結構値が張ったんだ、もう少し味わって飲みなさい」
「ルシファー社長は稼ぎの割にケチなんですね!」
「ほう…?お前が好きそうだと思ってあちこち探し回ってやっと見つけた代物なんだがなぁ?それならこれは没収しよう」
「あはは!ごめんなさい!ありがとう!」
「全く調子の良い…はははっ」
分からない、分からないけど、でも…それでも。
自分はやはり元の世界に帰りたい。
緑があって、沢山の花が咲いていて、空が青かったり赤かったり、黒かったりする色とりどりの世界に帰りたい。
夢の中じゃなくて、ちゃんとした実体としてアルベルの傍に居たい。ずっと隣に居たい。
生きているから、データなんかじゃないから。
だから自分の生きていくべき場所で…世界で、好きな人と一緒に生きていきたい。
だから、だから。
笑って誤魔化せていたのに、強がって冗談だって言えていたのに。
いつも通り、いつも通り。
昔から変わらない笑顔を向けあって、目の前のルシファーと話せていたのに。
「オーナー!オーナー!侵入者…!侵入者です!!」
「…何……?」
「奴ら、何故か紋章術を使って…!セキュリティサービスは愚か、アザゼル様でさえ歯が立ちません!」
「……例の「バグ」か」
「っ、恐らくっ!!」
突然鳴り響いた警報と共に映し出されたディスプレイに表示されたその光景が、人物が。
そんなロアの心の蓋を一瞬にしてこじ開けてしまった。
だって、だって。
そこに映し出されていたのは、紛れもなく、自分がずっと大好きで大好きで…
(俺はお前を攫いに行く。その下らなそうなつまんねぇ世界から連れ出してやる。…それまで、いつもみてぇな阿呆面で…)
大人しく待っていろ
そう、言ってくれた…
「……っ、アル…ベル…?!」
大好きで、大好きで。
ずっと待っていた、約束してくれた、彼の姿が映っているのだから。
「……ロア、」
「……っ、あ…!!」
「お前……」
何故、「バグ」の名前を知っている?
思わず出たその名前は、もう口を両手で抑えても止めることなど手遅れだった。
ゆっくりと…背を向けていたルシファーが振り向いた瞬間に刺さったその視線の冷たさが一瞬にして身を凍らせて。
その初めて見た彼からの冷たい視線に恐怖を感じて動けなくなったと気づいた時にはもう、ロアの視界は真っ暗になってしまったのだった。
(助けて、アルベル…っ、)
必死に、必死に。
ディスプレイに映る大好きな彼に向かって、意識が消える中で手を伸ばして。
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