お互い様



「あーーーーーーー………」



高い位置で固定されたシャワーの音が勢い良く流れる音をわざと使い、ただただ口から漏らしている母音をその音でかき消しているジンは熱めの湯を被りながら片手で目を覆って立っている。

どうしてこうなったかと言えば、それは自分が今この浴室を使っているのがアスナの次だからで、尚且つ風呂上がりのアスナが予想の斜め上だったから。




「あーさっぱりした。ジン、先に入れてくれてありがと!水もらっていい?」


「あ?おう。水なら冷蔵庫から敵………当、に…」


「?どうかした?」


「…いや、何でもねぇよ。なら俺も入ってくっから、好きにしてろ」


「そう?はーい。じゃぁヤミラミ!遊ぼっか!」


「ヤミラァ!」




長いとは思っていた。
そりゃ、いつもあれだけ高い位置で括ってあるのにそこそこの長さがあったのだから当然なのだろうが…まさか髪を下ろした姿があんなにも女性的に見えるとは流石に思わなかった。
しかもそれでおまけに服装は自分が使っていた上下セットのスウェット姿ときたものだ。

そしてトドメかのように、勝手にボールから出ていたヤミラミと遊び始めた時の表情はいつも通りのアスナなのに、ヤミラミを抱き上げる為にしゃがんだことで…腰まであるその髪を首に流した時点でもうほぼアウトだった。




「……俺、流石にダサくねぇか…」




そう。ダサいのだ。
あんな、あんな些細なことで思わず一瞬言葉を失ってしまうだなんて、なんてカッコ悪いのだろうか。

あの時、サキの死の真実を目の前にした時は好きな女の前では死んでも泣けないと堪えに堪えて病室まで何とか耐えたというのに。
あの時はあの強大な感情を耐えられた筈なのに、何故今回の事が無理だった?可笑しい。どれだけ自分はアスナに惚れているのか、我ながらダサいのにも程があるだろう。

いや、別にあれだ、惚れていることがダサいとかそういう訳ではなく、実際惚れているのは認める。
そうでなければまずこんな関係になどなっていないし、サキのことだって誤解をしたまま一生を過ごしていただけの事。
…もう自分がつまり何を言いたいのか分からなくなってきたが、つまり問題はそこではなく、今この状況が自分にとって最悪な状況だということだ。




「…まずいな」



「まずい」と思わず口に出してしまったその理由。
まずその一、自分の恋人が予想の斜め上の姿を見せてきたこと。
その二、惚れていると再確認してしまったこと。





その三、そんな自分の恋人が今夜ここに泊まるということ。




………無理だろう、どう考えても無理だ。
別にあれだ、そういう事をすることに対しては何の躊躇もない。
全く誇れる話ではないが、経験人数は豊富だし、相手のアスナだって経験がないわけではないだろうし。
お互い初めてな訳でもなければ、そういう雰囲気になればそうなってしまうのだろうが、問題は感情の方にある。



そう、制御出来るか、の話だ。



正直、今まで自分が抱いてきた女はほぼ全員が色仕掛けをしてきた。
それこそ先程のアスナのように髪を下ろしていたり、微かに香水をつけてきたり、化粧ばっちりだったり猫なで声を聞かせてきたり、脱がせ易い服を着てきたりと明らかな態度だった。
しかし自分はそういう女がタイプな訳では無いし、もっと正直に言うと別にこれと言って異性の好みのタイプなんてものもない。
その色仕掛けだって何度されてもどうとも思わなかったし、寧ろ「苦手」だと思っていた程なのだから。

それなのにまさか、そんな自分がアスナの風呂上がりの姿を見ただけでぞわりとしてしまうなんて、カッコ悪いどころか情けない。
そして何よりもっと情けないのは、そんな恋人のアスナとそういう雰囲気になってしまえば、きっと自分は容赦なく抱いてしまうということが分かりきってしまっているからで…それこそ、歯止めが効かなくなってしまうのは目に見えている。




「…まだ付き合ってそんなに経ってねぇしな…どうにか踏ん張るしかねぇか……あーーーあ…」




あーあ、と声を上げ。
一通り思っていたことをシャワーの湯と共に流したジンは濡れて前へと垂れてきた髪を後ろに掻き上げると、浴室から出て脱衣場で水気をふき取ってリビングに戻る為に気持ち早々と足を動かした。
早くリビングに戻ろうとしたのは、別に熱湯を被った訳でもないのにどうにもまだ身体が熱くて、早く水分を摂りたかったのが理由だったのだが…

まさかそのせいでつい「いつも」の癖を発揮してアスナに豪速球のクッションを顔面に投げつけられる羽目になるとは思っていなかった。




「アスナー、上がっ」


「ぎゃぁぁぁあぁあ!!?!!!ジンの変態っ!!!すけべ!!!!」


「は?!っ、いっっってぇ?!んだよお前!!!?」


「ふく!!!ふ、ふく!!服を着てよ服を!!!!」


「………いや……着てっけど…?」


「上もだよ馬鹿ぁぁあ!!!!!」


「…あー…そういうことな…」




自分の顔面に見事にヒットしたクッションを片手に。
目の前で顔を真っ赤にしながらソファに座っているアスナからの言葉でようやく自分が何故クッションを投げられたのか理解したジンはそういう事かと納得すると、呆れたようにクッションをアスナへと軽く投げ返して水を取りに冷蔵庫へと向かう。

そしてそのまま冷蔵庫を開け、ひやりとした冷気を感じながらミネラルウォーターの入ったペットボトルを手に取って飲み始めれば、アスナが未だに顔を真っ赤にして両手で顔を覆っている姿が目に入る。
…が、ちらちらと指の間からこちらを見ている瞳が見え隠れしているのは気の所為だろうか。




「…信じらんない…っ、急にそんな姿で帰ってくるなんて思わないじゃん…っ!!」


「はいはい悪かったっつの。いつもの癖でな。…つかヤミラミは?」


「…くすぐりあいっこしてたら遊び疲れて寝ちゃったからボールに戻しといた…っ、」


「あっそ」




冷やされた水が喉を通って、何とか体の火照りが徐々に冷めつつあったジンがいつもの調子を取り戻して飲み終わったペットボトルをゴミ箱に捨てながらリビングにいた筈のヤミラミのことを聞く。
すると、どうやらヤミラミは自分が浴室で自我を保とうとしている間に遊び疲れて眠ってしまったらしい。

その話を聞いて、相変わらず仲が良いことで…とジンが思っていれば、何やらアスナの方からブツブツと呟くような声が聞こえたジンはその声に耳を傾けながらクローゼットの中にあるインナーを適当に選ぼうと歩き出した…が。




「何なの…リビングに戻ってきたら上半身裸とか聞いてないし…っ、」


「…だから悪かったって」


「しかも前髪オールバックって何…っ!」


「いつもはワックスでセットしてっから、実はわりと前髪長ぇんだよ」


「信じらんない…っ、何その色気…なんなの、ねぇなんなの…っ?水飲む時ゴクゴク音鳴るの何…?喉仏めっちゃ動いてたけど何…」


「…そりゃ鳴るし動くだろ」


「おまけに腹筋割れてるって何、元々めちゃくちゃ顔も良いのに程良く体も引き締まってるってどういうこと……細マッチョは駄目だって…っ、反則だってば…」


「……反則ってお前…」


「しかもなんかっ、その所為でいつもよりもっとカッコよく見えるし…とっくに色々あたしの中でカンストしてるのに、これ以上とか、あたし死んじゃう…さっきからなんか変な感じ、するし…っ、!ずるい、ジンがずるい…っ、カッコイイとこ急に沢山見せてきて、なんか、あたしばっか照れてて、あたしばっか好きみたいじゃん…っ!」





徐々に…徐々に。
アスナから発せられる言葉の一つ一つが「文句」から「好き」に変わって行く度に。
ジンの中で何かがゆるゆると崩れ、クローゼットへと向かっていたその足はいつの間にかUターンをしてアスナが座っているソファへと向かう。

そしてそのまま、未だに顔を両手で覆いながら身を縮こませていたアスナに馬乗りになったジンは片手でアスナの両手を退かせると、その真っ赤に染まった顔を容赦なく真上からじっと眺める。




「…お前、いい加減にしろよ?」


「え、あ、な、何…何が…っ?!」


「…」


「え、ちょ、な、なんでそこで黙るの…?!てか、ねぇ恥ずかしいなんでまだ服着てないの着てってば…!ねぇちか、近い!」


「…」


「ねぇだから何とか言ってよぉ…!!?無理、ねぇ無理だって…っ!こんなカッコイイなんて聞いてないもん、無理、ねぇ本当に無理退いて…!せめてまずはちょっと遠くから見させて…!!好きが爆発して心臓どうにかなるって…!!うえ、口から心臓出そう…!!」




自分の真下で、やだやだと首を横に振りながら涙目になっているその瞳が自分を見上げる為に上目遣いになっているのは、わざとか。或いはそこまで考えていないのか。
まぁどう考えても自分の彼女の性格からして後者なのだが、そんなアスナの様子と言葉を更に脳と耳に植え付けたジンはゆっくりと目を伏せると、恥ずかしさで僅かに震えているその唇に自分の唇を静かに重ねる。




…全く。
どっちの方が照れてて、どっちの方が好きかだなんて良くもまぁ言ったもんだ。
こっちがどれだけ自分を抑制しようとしていたのか知らない癖に。




「…アスナ、」


「っ…は、はい…?」


「歯止め。効かねぇだろうけど…いいよな?…馬鹿らしくなった。」




馬鹿らしくなった。
ジンのその言葉に対し、何がと聞ける程の猶予はアスナにはもう無く…まるでその代わりかというように再度降ってきたジンからのキスで今後自分がどうなるのかという事だけは察せたアスナは、目の前のこの男が好きだという感情に押し潰されそうになりながらも、何とかその両手を彼の首に回したのだった。


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