あの時の花
あれからジンに連れられ、キンモクの所に行くはずが何故かジンの自宅であるキンセツヒルズに連れてこられたアスナは、最初は忘れ物でもあったのだろうか…?と思っていたのだが、なんとその後ジンが向かったのは彼の部屋がある8階ではなくその下である7階だった。
そしてその部屋から出てきたのがキンモクであった為に心底驚いたのだが、部屋から漂ってくるそば茶の香ばしい香りに癒され、直ぐに落ち着いてすんなりと状況を把握出来たのはもう数分前の話。
「キンモクさんもここに住んでたんですね!」
「ほっほ。リーグの世話役になった時にダイゴ様のご好意につい甘えてしまいましてな…この街は比較的何でも揃うので年寄りには便利で助かっております」
「……………」
「上の階にはジン様もおりますし」
「……………」
「うわぁ…さっきからジンの顔がヤバい」
キンモクが言うのには、どうやらジンは昔からキンモクのいれたこのそば茶が好きだったらしいのだが、そんなそば茶を飲んでいるにも関わらずジンの表情はまるで苦いものでも飲んでいるかのような顔をしている。
そんなジンと、ほっこりとしてお茶を飲んでいるキンモクの対照的な表情を目の前で見たアスナは
そりゃ一緒のマンションなら会議もサボれないわな…
と、毎朝のジンの苦労を想像して苦笑いをしてしまうのだった。
まぁまずサボること自体がよろしくないのでジンに対して可哀想も何もないのだが。
「…それにしても、まさかアスナ様と御一緒だったとは…お邪魔してしまったようで申し訳ありませんでした…」
「あ、いえいえ!今日の特訓は終わった後だったので!」
「ほっほ。そうでしたか…順調そうで何よりでございます。アスナ様も随分元気を取り戻したようですし…それにジン様はほのおタイプの事ならほぼ何でも知っていてお手の物ですから、関係性も相まって適任だったと私は思っておりますよ」
「も、もうキンモクさんってば…!心配かけてごめんなさい……でもそうだよね…ジンってほのおタイプの事はかなり詳しいよね…?」
「いえいえ。…それはですね、ジン様は幼少の時からほのおタイプについて勉強なされていたので…読み込んだ本を積み上げたら天井に届くくらいの数ではないでしょうかね…私もサキ様も驚くくらいに知識を自ら叩き込」
「それ以上余計な事言うなら俺は帰るぞ」
「おっと失礼致しました!ほっほっほ」
心配していたアスナが元気そうで、尚且つこうしてアスナとジンの2人とお茶を飲めることが心底嬉しいのだろう。
柔らかな笑顔でぽんぽんとジンの昔話を暴露して見せたキンモクのその言葉に、アスナは「へぇー…!」と驚きの視線を隣に座っているジンへと向ける。
するとジンはその視線に耐えきれずにキンモクの話を遮ると、湯のみに残っているそば茶を飲み干して立ち上がろうとしたのでキンモクは即座に謝罪をしながらすかさずそこに追加のそば茶を注ぐ。
謝罪をしているわりにはかなり笑顔なのだが、そこは突っ込まない方がいいだろう。
「…ったく……で?本題の話はまだかよ」
「…よろしいのですか?」
「こいつに隠し事する気はもうねぇよ」
「………」
「ほっほ。そうでございますか。そのお言葉が聞けて私も嬉しく思います。それならアスナ様にもお話致しますね」
「…!あ、は、はい!お願いします…!」
キンモクに注がれた追加のそば茶に再度手を伸ばしながらのジンからとても自然に発せられた言葉にアスナがきょとん…としてしまえば、それを嬉しそうに眺めたキンモクは表情を柔らかく崩す。
もう隠し事をする気はない…つまりそれは本当の意味でジンがアスナを大切にしているからこその言葉なのだと分かっているからだ。
そしてそれはアスナにも伝わったのだろう、ジンがそば茶を飲んでいる隙に一瞬だけキンモクと目が合ったアスナはその嬉しそうな表情に釣られてつい歯が浮きそうになってしまうが、それを何とか堪えてキンモクの話を聞く体勢に入った。
「…電話でも軽くお話しましたが、サキ様のアゲハントのお話です」
「…アゲハント…?」
「サキはむしタイプのポケモンが好きだったんだよ。…まぁむしタイプってよりかはアゲハントみたいな蝶型のポケモンな。…あいつのパートナーだったアゲハント以外のポケモン達は親戚や友人に貰い手がいたんでそっちで上手くやってるらしい」
「…そう、だったんだ……ん?アゲハント……アゲハント……………うーん…まぁいいや。それで、そのアゲハントは…?」
「…実は…逃げてしまったのですよ…」
「えっ逃げた?!」
キンモクとジンの話を聞いたアスナは「アゲハント」という単語に何かが引っ掛かるようだったが、それよりもその話を進める方が大切だと思って更に話の続きを聞く。
すると、何とそのアゲハントは逃げてしまっている事が発覚して、アスナは思わず声を上げてしまった。
そんなアスナを落ち着かせる為にキンモクは追加のそば茶をアスナの空になった湯のみに注ぐと、用意してある羊羹を切り分けてアスナに差し出す。
その羊羹の上品な甘さで頭の回転が良くなったアスナが再度その続きを聞く体勢になったのを見計らったキンモクは腕組みをしているジンをチラリと見ると、静かにぽつりぽつりと話を続けた。
「…あのアゲハントはサキ様がとてもお好きでしたから…亡くなってしまったのが余程ショックだったのでしょう。貰い手を探している間に自らボールを捨てて、何処かへ飛び去ってしまったのです…」
「…それにあのアゲハントはサキが親父達にさせてもらえなかったのもあるが、バトルをろくに経験した事がなかったからな」
「……あの……それって、もしかして2人がホウエンを出て行ったのって…」
「……ほっほ。まぁ私は暫くしてシンオウに留まって波動の特訓をしておりましたので、探していたのはシンオウ限定になってしまいますが…ジン様は……ねぇ?」
「…………」
ねぇ?と小首を傾げたキンモクの視線の先にいたジンは、何処かバツが悪そうな雰囲気で黙ってそば茶を飲んでいる。
そんなジンを見て、スッと今までのジンがやって来たことの真相が浮かんだアスナは目を見開いて言葉を失ってしまった。
つまりジンは、サキの死という理由だけでなく、そのサキのアゲハントを探す為に各地を点々としていた…という事実。
本人がそう言った訳では無いし、まだ付き合いも長くはないが、きっとそうなんだろうと考えたアスナは心臓が微かに震える感覚を覚え、助けを求めるかのようにゆっくりとキンモクへと視線を移してしまった。
するとキンモクはそれを感じ取ったのだろう…そんなアスナに向かって優しく微笑むと、まるで代わりかと言うように口を開いた。
「…ジン様は不器用ですからね…わざわざ旅に愛車を持ち出していたのは、本当は仲間にアゲハントの事を聞く為だったのではないですか?」
「……はぁ……大体バイクで走ってたりする奴は色んな所に行くからな…ツーリングやら何やらして連絡先交換して、情報を聞いて回ってた。…まぁそのお陰もあってカロスで一度見掛けたんだが、俺の顔を見るや否や泣き出して飛び去っちまったけど」
「…おや…そうだったのですか……」
「……カロス……それってもしかしてシアナと一緒にいる時?…そういえばシアナがボヤいてたよ、クノエシティにいる時に散歩とか言って丸一日返って来なかった時があったって…」
「……あー…そういやぁそんな言い訳してたな…その後にフレア団に会ったって言って適当に流したわ」
「ちょっと無理があるでしょ…まぁシアナだから深く突っ込まなかったんだろうけど……そっか…そういう事…」
本人が知らない所で、その時の真相が明らかになっているとはきっとシアナも思っていないのだろうが、ジンの意外な旅の真相が分かったアスナは今までのジンの事を思うと今すぐにでも腕組みをしているあの腕を解いてその手を握ってしまいたかった。
ジンの表情からして、別に本人は辛いとは思っていないのだろうが…誰にも何も言わずに影で1人行動していたジンを思うと、どうにも。
そしてきっと話の流れからしてこの話は彼の幼馴染であるダイゴやミクリも知っているという風には見えないので、この事実は今ここにいるアスナとキンモクしか知らないのだろう。
「……で?俺の話はどうでもいいだろうが。早く続き」
「…おや、失礼致しました。…それがですね…私の古い友人がジョウトに住んでいるのですが、エンジュシティでアゲハントを見掛けたと連絡が入りまして……サキ様のアゲハントは首にツツジ色のリボンを着けておりましたので、聞く限り間違いではないかと」
「……エンジュねぇ…何の因果だか…」
「……エンジュ…ジンの故郷だよね…?」
「…まぁな。…つっても、今はこいつの特訓が最優先だからな。あのアゲハントも俺を見るとサキの事を思い出すんだろうし…多分恨んでる。…俺は関わらない方が良い。それに1匹でエンジュまで行けんならそこそこ強くなってんだろうし、心配は要らねぇんじゃね」
「……そうでございますか…一応御報告をと思ったのですが…余計な事をしてしまったようで…申し訳ありません」
「…いや、別に余計ではねぇよ。お陰で無事なのも確認出来たからな。それで充分だ」
ジンとキンモクのやり取りを目の前で見ていたアスナは、最後の羊羹を口に入れると、まるで何かを流し込むかのようにそば茶を飲み干してしまう。
…嬉しい。
不謹慎かもしれないが、ジンが妹のサキの事を放置して自分を優先してくれている事が素直に嬉しい。
でもそれでも、どうしてもジンには妹の事で我慢をさせたくはない。
我慢と言っても、きっと諦めに近いのかもしれないが、それでも…それでもジンとアゲハントの関係が上手くいく方法はないのだろうか。
「恨んでいる」とジンは言ったが、それは少し前のジンと同じでそのアゲハントはジンを誤解している気がする。
それがどうしても引っ掛かるアスナは空になった湯のみをテーブルにコトン…と置くと、真剣な表情でジンへと声を掛けた。
「…ジン、あたしの事はいいからエンジュに行ってきて」
「…は?」
「ジンは今あたしの指導役で長期休暇もらってるようなもんでしょ?それならエンジュに行っても問題ないよね?…あたしはじっちゃんからも教われるし、バトル協会にはダイゴさんにも協力してもらって「ジンに教わってます」って上手く誤魔化すから」
「…何馬鹿なこと言ってんだ。そんな下らねぇ心配してねぇで、お前は自分の事に集中してりゃいいんだよ。俺もエンジュに行く気はねぇし、二度とアゲハントに会う気もねぇよ」
「っ、ジン!」
「はいはいこの話はこれで終いな。俺は部屋に帰っけど、お前は折角ならキンモクと茶の続きでもしてろよ。ご馳走さん」
「あっ、ちょ!!……あーもう!!」
自分の事は気にしないで、どうかエンジュに行ってきて欲しい。
そう言ったアスナの言葉は、ジンにはいはいと流されてしまった。
ジンからすれば自分を恨んで嫌っているアゲハントを無理矢理追うよりもアスナの方が何倍も大切なのはその場にいたアスナもキンモクも分かっている。
しかしアスナからすれば、それが嬉しいことでも…それでもアゲハントとの関係も修復して欲しかったのだ。
サキとの誤解が解けたように、そのパートナーだったアゲハントともちゃんと和解して欲しくて。
そう思ってジンにエンジュに行くように言ったのだが、生憎のジンはそのつもりはないようで、アスナを置いて1人上の階にある自宅へと帰っていってしまった。
「……はぁ……サキさんの時みたいに…きっとちゃんと向き合えばアゲハントとも誤解が解けると思うのに…」
「……ふふ。…だからではないでしょうかね…」
「……え?」
ドアを挟んだ向こう側で、玄関の扉がバタンと閉まる音を聞いたアスナは思わずため息をつきながらボヤいてしまう。
すると、それを聞いたキンモクは微かに笑って見せると、再度アスナの湯のみにそば茶を注いで口を開いた。
「サキ様との誤解を解いてくれたアスナ様だからこそ、ジン様はアスナ様を一番に優先したいのでしょう。それが分かっておきながら…私はどうもお節介をしてしまったようで…」
「………キンモクさん……」
すみませんね…と。
そば茶を注ぎ終わったキンモクは困ったように笑ってアスナに謝罪をする。
そんなキンモクの表情と共に広がるそば茶の落ち着く香りが鼻をくすぐったアスナはその香りと共に自身を落ち着かせると、そのお陰で自分があの時意地でもサキとジンの誤解を解くと決めた時のことがふと頭を過ぎった。
「……キンモクさん、あたしあの時…サキさんの部屋に泊まらせてくれた時…信じてもらえないかもしれないけど、実は夢を見たんです。」
「…夢…ですか?」
「…はい。…夢の中にサキさんが出てきて…ジンとキンモクさんを助けて…って…泣きながらそう言われて…」
「!……ふふ。そうでございましたか…サキ様は何処までもお優しい方ですね…何ともサキ様らしい…」
「っ……だからあたし、どうしても2人とサキさんの誤解を解かなきゃって……それで………それ………そ…………あれ?」
「?アスナ様?どうかなさいま」
「あぁあーーーーーっ?!!?!」
「?!?!」
いきなり突拍子もない話を何の疑いもなく信じてくれたキンモクに心から感謝しつつも、アスナはあの時のサキの表情を思い出して太ももの上に置いてあった手をカタカタと震わせてしまう。それまでにあの表情はアスナの心を打ったのだ。
アスナのそんな話と、そんな様子に嬉しさで泣きそうになっていたキンモクだったが、急にアスナが大声を上げた事でリラックスしていたキンモクの肩はビクゥ!!?と大きく跳ね、一瞬止まりそうになった心臓を片手で抑えてしまう。
しかしそんなキンモクに構っていられる余裕がなかったのだろう、アスナはキンモクが心臓を抑えている手を物凄い勢いで取ると、その手をがっしりと握って未だに口をパクパクとしているキンモクにこう言った。
「夢!!そう!夢ですよあの時のっ!!花!花の色!!」
「は、花…?ア、アスナ様…?な、何のお話でしょうか…?!私今心臓が暴れていて理解が追いつかないのですが…!」
「キンモクさん協力して!いや、何をどう協力するかはちょっと分かんないんですけど!あたし馬鹿だから一緒に考えて!!やっぱりダメだ!ジンにはエンジュに行ってもらわないと!!てかあたしも行くっ!!!」
「え?あ、あの!アスナ様!申し訳ありませんが、私本当にお話の内容が…!」
「黒と赤と黄色!あと青!!夢の中で咲いたあの花の色って、アゲハントの羽の色だったんですよ!!サキさんはアゲハントの事もあたしに託してたんだ!!あーもう!!何でもっと早く気づいてあげられなかったんだろうほんっとに馬鹿だあたしっ!!」
「アスナ様説明をお願いします!あの、説明をっ!!あとこの年寄りに深呼吸させてくださいませんか!!?あの、アスナ様ー?!」
ぺらぺらぺらぺらと、暴れていている心臓を抑えたくてもがっしりと握られて抑えられないキンモクの事など気づいてもいないアスナがマシンガンのように言葉を発射していく中。
そんな中でもアスナの脳内に浮かんでいたのはあの時の夢でサキの笑顔と共に咲き誇った沢山の花達の光景だった。
そしてそれを目の前のキンモクに上手く説明出来るのは、何と過呼吸になりそうなキンモクには地獄だったであろう、十分も後の話だったのである。
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