紅葉に置けば紅の露





「今回は追試なので、そこまで時間をかけません。よって、使用ポケモンは2体のダブルバトルです」



「ダブルバトル…っ、わかりました…!」




バトルフィールドの向こう側にいる試験管の凛とした姿とその声でアスナが指示されたのは、普段の彼女が滅多にしないダブルバトルだった。
てっきり3対3くらいのシングルバトルだと思っていたが、元々このジムリーダー試験は別にそのジムリーダーという地位を剥奪するものではなく、あくまでも実力を図る為のもの。

つまりその追試となれば、時間をかける必要はなく…それこそ一気に2体分の実力を見れ、尚且つコンビネーション等も同時に見る為なのだろう。
アスナが一度負かされている相手に言われてから少しの時間でそれを汲み取れたのは、きっと彼女の成長の証なのかもしれない。




「私はこの2体です。さぁ、そちらもポケモンを」


「!また…ぺリッパーとルンパッパ…!!」




アスナの目の前に現れたのはぺリッパーとルンパッパの2体で、どちらも炎タイプに有利な水タイプを持つポケモンだった。
苦手なタイプにどう立ち向かうか…それはタイプ一致を主体に戦うジムリーダー達には大きな課題であり、それは最初の試験でも同じことをされ…そしてアスナは見事に負けてしまったわけで…

尚且つ、実はアスナが口走った通り…目の前にいるこの2体はその時とまるで同じポケモン。
その状況に本当にこれは「追試」なのだな…と、まだバトル前なのに自分の情けなさを痛感してしまいそうになるアスナだったが、それを何とか堪えて瞬時にポケモンを選べた。





「…なら、あたしは……よしっ!お願い!コータス!それと…アゲハント!」


「!アゲハントですか…どうやらこの期間で手持ちにも変化があったようですね。…よろしい、それでは…はじめますよ!ぺリッパー、雨乞い!」


「っ…雨乞い…?!」




まず手始めに…と言う風に。
試験管の女性がぺリッパーに指示をしたのは、ただでさえ有利なタイプが更に有利な状況へと変化する「雨乞い」だった。
以前はそのような技をしてこなかったことから、追試は追試でも変化はつけてくるのだなと眉間に皺を寄せたアスナは、目の前でぽつぽつと濡れるコータスとアゲハントとその目に映す。

これが前のアスナなら、構わずに勢いのまま大技を放っていただろう。
これが数日前のアスナなら、考えに考えて保険をかけて雨で弱りそうなコータスに鉄壁等の指示を与えただろう。

でも、それはどれも「今」じゃない。




「ッ…トト……」


「!アゲハント……」


「?何かは知りませんが…構いません、ぺリッパー、コータスに水の波動!ルンパッパはアゲハントにかみなりパンチ!!」


「!!コータス!甲羅に籠って!!!アゲハント!高く飛ん…」


「遅いっ!!」


「?!アゲハント!!」



そう、「今」じゃない。
「今」じゃない。

咄嗟にコータスは甲羅に籠ってダメージを減らすことに成功したとしても…「雨乞い」によって屋根のあるジム内に現れた黒い雨雲から降り注ぐ雨に濡らされたアゲハントが…「大切で残酷な過去」を思い出して動きも思考も停止してしまい、アスナの声が届かずに真正面からかみなりパンチを食らってしまったのだとしても。


それは…その原因はもう、全部全部…「今」のことじゃない。


そうやって不利の状況の中でも、良くも悪くも喜怒哀楽の激しいアスナが何も焦らず冷静にいられたのは…




「……?こ、れ…って…?」




ぽつぽつと降る雨の露が、やけに頭部へと感覚を強めて降ると思ってつい手を置いた先にあったものが、あまりにも心強くて、あまりにも優しく…愛おしかったから。




「…そのアゲハント…まさかとは思いますが、借りたポケモンではありませんよね?貴女の指示を聞かないのは何故ですか?」


「!ッ…ト…トト…!」


「…借りた…?…違う…借りてない。この子は…確かに他にパートナーがいた。でも今はあたしのポケモンであり、今もずっとその人のポケモンでもあるんだ…だから借りてなんかない!」


「!」


「?何を言って…」




違う。借りたわけじゃない。
自ら自分を選んでくれて、こんな自分と一緒に居てくれると笑ってくれたから。
だから「今」この子はここにいる。
そして過去を捨てたわけでもない、大切に今も残ってるサキの愛情を「今」そのままに。

ただ、雨が好きじゃないだけ。怖いだけ。
本当なら洗い流してくれるはずの雨が、どうしようもなく頭の中に存在する記憶をごちゃごちゃに掻き回してしまうから。




「…アゲハント…大丈夫、あんたが信じてくれたあたしを信じて…」


「…?」


「あたしの周りは、雨嫌いが多くてね!太陽からしても…輝けないその状況はあたしも苦手なんで…それならこうするのみ!!アゲハント!後はわかるね?!さぁ!コータスも甲羅から元気に出てくる!!」






簡単な話だ。
変に難しく考える必要なんてない。
別に何も怖くない。

自分らしく、ありのままで。
元々の自分を大切にすれば、輝く自分を、眩しい自分を盛大に魅せればいいだけの話。



焦る必要なんてどこにもなかった。
他の地方で出来た同じジムリーダーの友達…アカネだって、自分らしくするが故に人の話を聞かずに突っ走って…ヤヤコマがヒノヤコマに進化するという予想外の事があってもそれでも最後は一頻り泣いて…楽しそうに笑っていた。

住む所も、思い出の品も真っ赤な炎に包まれて無くしてしまっても、ぐしゃぐしゃに泣きながらも。
思い出よりも全員が生きている「今」がどれだけ幸せなことかと、復興に向けて前を向くオバナさんが率いる孤児院のみんなの笑顔だって、とても眩しくて強かった。




「アゲハント!!にほんばれっ!!!」




キラキラと輝く。
無くなってしまっても…それこそ雨でぐちゃぐちゃにされてしまったとしても、冷やされてしまっても。
その過去ごと…今こうして暖かな光で暖めてしまえばいい。

そうすればほら、あとはもう簡単な話だ。
いつの間にか…いや、きっとあの時。
ジムの外で待機してくれている筈の大好きな人が頭を撫でてくれたあの時に、こっそりと髪留めに挟んでくれていたらしい…真っ赤な紅葉が浮かぶ金のバレッタの、その紅葉に置かれた紅の露ごと握り締めて…キラキラと眩しい天へと叫ぶ。






(思いっきり暴れてやれ)






「アゲハント!!コータス!!さいっっだいげんの…!ソーラービームとオーバーヒート!!!」


「!しま…っ、」


「しゃぁぁぁっ!!!ぶちかませぇえーっ!!!」







熱く、熱く。
それこそ火傷してしまうのではないかと言うくらいに輝いて…目の前の光景が…いや、彼女達が。
眩しすぎて目を開いていられず…それでも何故か目を閉じたくはなく、しっかりと見ていたいと魅せられてしまっていたそんな数秒の間で。

対戦相手の彼女らしい豪快な音と共に倒れ込んだぺリッパーとルンパッパを目にした試験管の女性は次の瞬間…思わず微笑み、スッキリとした拍手の音を奏でてしまうのだった。


























試験管の彼女に「文句なしの合格です」と、意外なことにもスッキリとした笑顔で宣言されて握手をしたのは…さて。どれくらい前だっただろう?

コータスとアゲハントをボールにしまって、それからは…勝ってすぐに思い浮かんだジムの外で待ってくれていたり、今頃駆けつけに来てくれている筈のシアナ達みんなの所に行って、「合格したよ」と抱きつこうと思っていた筈なのに。

何故か足は動かなくて、でも頭のモヤモヤはひとつも無くて。

ただただ、アゲハントによって眩しくなったこのジム内の光が効果を失って消えてしまうまで見つめて…きっと、最後までその光を見届けたかったのかもしれない。




「…お疲れさん」


「……うん」


「この俺が指導してやったんだ。結果は聞くまでもねぇと思うが……」


「…ムカつくけどうん」


「…今の感想は?」




そうこうしていれば、落ち着く足音と共に自分の背後に現れた彼と始まったいつも日常を思わせるどうしようもない会話のやり取りと共に天井の光は落ち着き…本当にいつもの見慣れた景色が広がる。

それを目にして、一度目を伏せて。
ゆっくりと振り返ったアスナの今の感想というものは、口ではなく行動で示された。




「…?!はぁ?!おまっ、ふざけっ!!!」




アスナのすぐ横にあった…オバナも雑誌の写真を見て絶賛していた、このジムの名物である紅葉が浮かぶ温泉へとジンの腕を引っ張って共にダイブして。

しかし大人2人が全身ダイブなんてすればそれは勢いがあまりすぎてその空間に衝撃が走るのも無理はない。
ダイブした温泉の真上まで枝が伸びた紅葉の木から大量の雨露が降り注ぎ、それは見事に既にびしょ濡れのアスナとジンへと直撃する。




「「…………………」」





予想外や予想外。
びしょ濡れになった次の瞬間にまた頭からびしょ濡れになるとは思わなかったアスナがきょとんとしてしまえば…それは珍しく頭のキレるジンも同じく予想外だったらしく、同じくきょとんとした表情をして、2人仲良く見つめあってしまう。

あぁ、今日はとってもレアな日だ。
怒るジンと呆れるジンはよく見るとしても、今日はたまに見る優しい笑顔よりもレアかもそれない彼の不意打ちな顔を見れてしまった、なんて。

そう思ったアスナが先に我へと帰って声をかければ、それで漸くジンも帰ってくることが出来たのだろう。




「…えっと…ばっしゃーーーーん!!!てね!!!」


「感想を擬音で表すな!つか怪我したらどうすんだ!!ったく…お前って奴は…!っ、…ふっ…!んの馬鹿…っ!お前…マジでそういうとこ…っ、くくっ、」




紅く色を帯びる。

昔から何一つ変わらない太陽の笑みと共にお腹を抱えて心からの眩しさで笑うアスナと。
予想通りの勝利と予想外の出来事と…好きな女のスッキリとしたその笑顔への感情がごちゃ混ぜになって思わず一緒に笑ってしまったジンの2人が。


紅く色を帯びる。

アスナのその手に大切そうに今も握られたままの、金のバレッタに描かれた紅葉に置かれた雫が。


紅く色を帯びる。

笑いあっている2人が今も浸かったままの…沢山の紅葉が浮かぶ温泉のその色が。



何もしなければ、何もなければ。
無色透明なその色も…2人の上に乗れば、置かれれば。
それは紅く色を帯び…いつまでも炎のように熱く暖かくいてくれるものとなる。




そしてその紅は…




「アスナー!!!!おめでとーっ!!よかった…よかったね!アスナらしさが戻ったね!!ところで何で温泉に入ってるの?!」


「アスナ様ー!!おめでとうございます!そしてお疲れ様でしょう!何故そのような状況なのか理解に苦しみますが、このキンモク!今日の夕食は盛大に腕を振るわせてもらいます!」


「状況が分からんが…うむ!流石わしの孫じゃ!まぁ最初から指導役なんぞ要らんかったな!はっ!要らんかったな!!」


「おいうるせぇぞ最後のクソジジイ!!!」


「ありがとー!!!よぉーしっ!!皆も巻き添えだー!!」


「「「わぁーーー?!!?」」」




沢山の好きを巻き込んで、更に勢いよく雫を増やして、そしてまた…更に紅く色を帯びる。


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