人生の転機
試験で赤点を取ってしまったことが原因で暫く休みとなった誰もいないはずのフエンジムでは、とある声が室内で響いていた。
ガランとした観客席のではアスナのヤヤコマやジンのグラエナ達が目の前で繰り広げられているバトルを静かに見つめている。
「コータスッ!かえんほうしゃ!」
「ヤミラミ、高く飛んでシャドーボール」
ヤヤコマやグラエナ達が見守る中、主人であるアスナから指示をされたコータスは体内で熱い炎を燃やしてから温度の高まったかえんほうしゃを目の前のヤミラミに発射するが、それは素早い指示とその脚力で意図も簡単に避けられてしまう。
それにプラスして、高く飛んだヤミラミが急降下する途中に放ったシャドーボールは容赦なく真っ直ぐにかえんほうしゃを放ち終わったコータスへと飛んでいく。
「!っ…コータス!避け…、」
「…遅いな」
「コォォ…ッ!!」
「コータス?!」
かえんほうしゃを放ち終わり、次のモーションに入る前には既に文字通りの目と鼻の先にあったシャドーボールはコータスの顔面へと直撃し、その鈍い痛みで顔をぶんぶんと振って痛みを堪えているコータスを心配したアスナは焦りを見せる。
「にほんばれ」
「!ヤミ!…………ヤミヤミィ…ヤーヤー…ミィ!」
しかし、そんなことはいくら交際している彼女だとしてもポケモンバトルではお構い無しのジンは腕組みをした体勢のまま、ヤミラミにもう次の指示を出していた。
その指示はヤミラミが最も自身で気に入っているものであり、ジンも気に入っている技である「にほんばれ」だった。
大好きなジンからその指示を受けたヤミラミが嬉しそうに目を輝かせ、ちちんぷいぷい…と可愛らしいモーションで念じると、室内であるはずのジムの中に眩い日差しが射し始める。
「!…何で…コータス相手に、にほんばれ…?」
「…さて、どうする?」
「…っ、なら…最大で利用させてもらうまで…っ!!」
「…そうかよ。ヤミラミ、いつでも避けられるように体勢整えとけよ」
「ミッ!」
確かに、ジンはほのおタイプを得意とするトレーナーだ。
だからバトルでそのほのおタイプの技の威力を上げることの出来るにほんばれは彼にとってとても優秀なサポート技でなのだろう。
しかしそれは相手がほのおタイプの技を使わない場合のみのはず。
それなのにあろうことかジンはそれをアスナとのバトルで使ってみせたのだ。
その事に「何かある」と考えたアスナはそれを危険視して直ぐに行動に移せずにいたが、ジンからの言葉もあって再度目の前のバトルに集中すると、強く拳を握り締めてチャンスを伺い始める。
「…っ…!!」
「どうかしたか?」
「…こんの…っ!コータス!のしかかりっ!!」
ヤミラミがいつ大技が来てもいいようにと万全の状態で待機していることから、アスナは迂闊にコータスに指示が出来なかったのだろう。
それをさも分かっているようなジンの態度が癪に触ったのか、アスナは思わず苛立ちを漏らしてコータスにのしかかりの指示を出す。
すると、コータスにもアスナの気持ちが伝わっていたのだろう、力を込めて勢い良く飛び、小さな体のヤミラミの真上から一気に急降下してくる。
それを見上げたヤミラミがあたふたと慌てているが、その焦りは直ぐに後ろに立っているジンの声で吹き飛んでいってしまう。
「…だと思った」
「…っ…は…?」
元からかなりの体重があるコータスが上から落ちてくるのを静かに見上げていたジンだったが、その口はヤミラミが捉えられる所まで落ちてくる直前に「だと思った」と余裕そうに弧を描く。
そんなジンの様子にアスナが気づいた時には、もう遅かった。
「ヤミラミ、ほのおのパンチ」
「!ミィ!…ヤーーー…ミィッ!!」
「コ…ッ?!」
「コータス?!」
コータスは防御力がかなり高いポケモンであるが、それはその背にある甲羅が物凄く硬いからだ。
しかし、それが真上から落ちてくることで、普段は見えないコータスの脆い部分である柔らかな腹の部分を晒してしまうことになっていたその状況をジンは瞬時に見抜き、ヤミラミにほのおのパンチを指示する。
元々ほのおタイプのポケモンではない為に、その一撃ではいくら腹を攻撃されたコータスだとしても耐えることは容易な筈。
しかしそれはジンが事前にヤミラミに指示した「にほんばれ」のお陰で威力が倍増していた事によって、真下からほのおのパンチをアッパーのように食らったコータスは目を回して地に伏せてしまった。
「…勝負あり、だな」
「っ……そうだね……」
「…まぁお陰で確信した事があるから、このまま話すぞ。…あーっと、その前にコータスにこれ食わせてやれ」
「えっ、あ…!ありがと…!」
バトルに勝ったヤミラミが嬉しそうに飛び跳ねてジンに抱き着いている光景を眺めながら。
目を回してしまったコータスの隣に移動してその頭を優しく撫でたアスナが悔しそうに俯いて負けを認めれば、ジンはそんなアスナにオボンの実を投げ渡した。
それを上手くキャッチしたアスナがコータスに食べさせると、どうやら体力が回復したのだろう、にこりと笑って立ち上がったコータスはアスナの頬に頬擦りをすると、そのままトコトコとジンの元に歩いていって彼の脚にスリスリと頬擦りをし始める。
「ははは!元気になって何よりだわ。…つか、話すっつってんだろ。お前もこっちこい」
「あ、は、はいっ!」
元気になったコータスに安心し、尚且つジンに嬉しそうに擦り寄っている姿を見ていたアスナがすっかり毒気を抜かれていれば、いつもの調子のジンがいつの間にか座っていたベンチの空いている箇所を叩いてアスナを呼ぶ。
その呼び声で我に返ったアスナが慌ててその隣りに座れば、ジンは観客席からベンチへと移動してきたポケモン達も各々話を聞く体勢になったのを見計らってゆっくりと口を開いた。
「お前の指導役になった後、直ぐに試験管とのバトルの録画を見たんだが…その時思ったことがさっきのバトルで「やっぱりそうだ」と確信した」
「っ…き、聞かせて…!正直に言って…!覚悟してるから…!」
「お前考え過ぎなんだわ」
…………………………………………。
「…………え?」
「だから、考え過ぎ」
どうやらジンはアスナに内緒で試験管とのバトルの録画を今日こうして手合わせをする前に見ていたらしい。
その事を聞き、余計に「かなりのダメ出し」を食らうと覚悟をしてグッと体を強ばらせたアスナだったが、その耳に届いたのは予想だにしない言葉だった。
素直にこの人はなにを言っているんだろうと頭の隅ではなく頭の中全体にそんな言葉が浮かんで、思わず間を置いて疑問符を口にしてしまったアスナに特に突っ込むこともせず、そのままジンは淡々と話を続ける。
「大方、のしかかりでヤミラミを動けなくしてからオーバーヒートでケリをつけるつもりだったんだろうがな。別にそれ自体は悪くねぇよ。オーバーヒートは威力が高い分、代償がある技だからな。それを軸に戦うならここぞって時に使う方がいい」
「う、うん…だからそのタイミングを考えてたんだけど…それの何が…っ?」
「戦法の前に、自分を見失ってたら何にもなんねぇだろうが」
「…!」
アスナのエースであるコータスの得意技はオーバーヒート。
それは威力が高い分、使う度に特攻が下がってしまうという代償もある技故に使い所を考えなければいけない大技だ。
だからアスナは確実にヤミラミを仕留められるようにその機会を伺っていたのだが、ジンはそれを考え過ぎだと言う。
一体どういうことだとアスナが聞けば、その後に返ってきた言葉がピシャリとアスナの心の底にあった負の感情を押さえつけて黙らせてしまった。
「試験管とのバトルの時もそうだった。オーバーヒートの使い所を考え過ぎて、バトルの状況を把握しようとしてあちこち見てる。でもそれは分析が得意な奴のやり方で、正直言うとお前には合ってねぇんだよ」
「…あたしに…合ってない…?で、でもあたしは勝ちたくて…!」
「俺は今までのお前を知らないがな。元々お前にはお前のやり方ってもんがあった筈だろ。記録に書いてあったが、マジでジムリーダーに成り立ての頃の方が勝率が高かった。その後ミクリにも話を聞いたが、お前は「勢いで押すタイプ」だって聞いたし、実際俺も前にあいつとお前がバトルしてんのを見てそう思ってた」
「…あ…」
「そのお前らしい「勢い」を無くして、やった事もねぇ分析バトルなんてやろうとした所で出来る訳ねぇんだよ。現にお前、俺がいつもと違うバトルスタイルだったことにすら気づいてなかっただろ。考え過ぎな癖して肝心な…それこそ簡単なことすら見えてねぇんじゃ勝てるもんも勝てなくなる」
「っ…!」
勝つために考えることの何がいけないのか。
最初はそんな事を思いながら聞いていたアスナだったが、ジンから言われた言葉が否定出来ない程素直に突き刺さって言葉を失ってしまう。
言われてみれば確かに、いつの間にか「勝ち」に拘りすぎて、「強く」なりたいと思う気持ちが強くなってからは面白いくらい調子が悪くなった気がする。
その事実を実感して、悔しそうに俯いて太腿に置いてあった両手が無意識の内にズボンを握り締めているのにアスナ自身が気づいた時、それとは真逆の優しい感触がふと頭の上に降ってきたことに気づいて顔を上げる。
「…まぁ、お前がそうなったのは俺がここに帰ってきてからかもしんねぇからな。自分と同じタイプの使い手が目の前に現れたら、嫌でも意識はするもんだ。…それでもっと強くなろうと努力することは何も悪くねぇよ」
「っ……あたし……カロスから帰ってきてからさ…」
「ん?」
「…シアナと、また約束し直したってのも、あったし…ホウエンに帰ってきたジンが、直ぐにダイゴさんに引き抜かれて…補欠だとしても四天王になったのを見て、素直にそれぐらい強いトレーナーなんだなって…思ったら…自分自身が凄い未熟に思えてきて…」
「…それで焦らせたか」
「っ、別にジンのせいじゃないし!これはどう考えてもあたしの、自業自得だもん…」
隣に座っているジンに優しく何度も頭をぽんぽん、と叩かれながら、自分が如何に焦っていたかを自らの言葉で痛感したアスナは、自分の言葉のせいでいつもよりも少しだけ態度が柔らかいジンに申し訳なくなりながらもそっとその肩に頭を乗せる。
ジンに素直に甘えるという事が恥ずかしいアスナでも、流石に今はそうでもしないと辛かったのだろう。
それを察したジンが手を止めずに黙っていれば、そんなアスナを心配したコータス達がしゅん…としてしまっている目の前にゆらゆらと紅葉が落ち始め、それはアスナとジンの足下にも何枚か着地する。
「……紅葉を見てるとさ、頑張らなきゃなって思うんだよね」
「…紅葉の約束だっけか」
「そ。…それに単純にあたし、紅葉って好きなんだ。真っ赤に燃える炎みたいで…なんだろう、こう…心が燃えてくるっていうか…やる気が湧いてくるんだよね」
「どうりで頭も紅葉みてぇなわけだ」
「あはは!いつもの意地悪なジンに戻った。…あ。そういえばジンってエンジュシティで産まれたんだよね?紅葉見ると懐かしくなったりするの?」
「うるせぇ。……懐かしい…か。どうだろうな…別に懐かしいと思う程住んでた訳でもねぇけど……まぁお陰さんで人生の転機にはなったな」
「…人生の、転機…?」
話している途中でジンの雰囲気が元に戻ったことから、未だに空元気ではあるが笑うようになったアスナの頭から手を離したジンは足下に落ちていた紅葉を拾い上げてそれを見つめると、何とも言えない表情でアスナから聞かれた事に答える。
その口から「人生の転機」という言葉が出たことにアスナが首を傾げて聞き返せば、ポケモン達もそれが気になったのだろう、教えて教えてと興味津々にジンの近くに移動して彼を見上げ始め、ヤヤコマに至ってはジンの手の甲に乗ってその指に甘えている始末だ。
そんな自分のポケモンであるヤヤコマやコータス達のジンへの懐きようを見て、アスナはふと思ったことを口にする。
「…ジンって何か……あれだよね…」
「?あれって何だよ」
「前から思ってたけど…ほのおポケモンにだけ特別好かれやすい気がする…」
「…あぁその事か。まぁそれがさっき言った人生の転機の話に繋がるんだけどな」
「?どういう事?ほのおタイプのポケモンに好かれやすいからその使い手になったって話なら別にエンジュシティ関係なくない?」
ジンの手持ちのポケモンが幸せそうにしているのは勿論だが、それにしたってヤヤコマやコータス達がこんなにも懐いて幸せそうなのはどうしてなのだろうか、と思ったアスナがそう言えば、ジンはそれをあっさりと認めると、それが先程の話と繋がると言う。
そんなジンに、話の辻褄が合わないとアスナが更に問えば、ジンはヤヤコマを小突いていた指を離すと、さも当然かの様にその場全員の目を飛び出させてしまうような衝撃的な答えを返した。
「あそこでエンテイに会ったからな」
「………………………………………へ?」
そう。
この…伝説である筈のポケモンの名前を、さも当然かの様に、簡単にさらっと。
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